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10548-10552: ミュンヘンからの便り 2023年6月30日(木)



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タイトル一覧

10548.【ミュンヘン滞在記】本日の観光予定

10549.【ミュンヘン滞在記】今朝方の夢

10550.【ミュンヘン滞在記】今朝方の夢の続き

10551.【ミュンヘン滞在記】レンバッハハウス美術館を訪れて

10552.【ミュンヘン滞在記】無即有かつ有即無の自己と世界


10548.【ミュンヘン滞在記】本日の観光予定


昨日からミュンヘンにやってきて、ミュンヘンで迎える最初の朝がやって来た。時刻は間も無く午前7時に近づこうとしていて、ホテルの目の前の建物のアンテナに小鳥が数羽止まっていて、美しい鳴き声を上げている。それはフローニンゲンの自宅の周辺にいる小鳥たちとは種類が違うようで、鳴き声の音色が異なる。小鳥たちの鳴き声に加えて、早朝より近くで工事が始まった音が聞こえる。クレーン車の動く音が聞こえてくるが、窓を開けているからそれが聞こえてくるのであって、音自体はさほど気にならない。


今日のミュンヘンは曇っている。目を凝らしてみると、霧のような小雨がすでに降り始めているようだ。今日は1日を通して雨が降りがちなようである。午後3時過ぎには雷を伴う雨が降るとのことなので、今日はサンダルではなく、持参したスウェードの靴を履いて、気温も肌寒いのでカーディガンを羽織って観光に出かけようと思う。雲の様子を見ていると、午前中から午後の早い時間にかけてはそれほど雨が降らないように見えるので、今日は早めに観光に出かけていこうと思う。普段は朝食を食べ終えてから、翻訳作業に従事して、正午前から観光に出かけることが多かったが、今日は朝食を摂ったらできるだけ早めにミュンヘンの街に繰り出そうと思う。


本日まず訪れるのはノイエ·ピナコテークと呼ばれる美術館だ。ここは地図上は休館とのことだったが、ウェブサイトを見ると開館しているようなので足を運んでみる。ここでの個人的な見所は、ゴッホの描いたひまわりの作品と、クリムトの代表作品の一つ「マルガレーテ·ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像」だろうか。それ以外にもきっと自分の関心を引く作品があるであろうから、それを楽しみにする。次に訪れたいのは、レンバッハハウス美術館で、こちらではカンディンスキーの作品を見ることを楽しみにしている。それぞれの美術館はお互いに近い距離にあり、どちらの美術館もホテルから近いので有り難い。歩いて20分ほどなので、良い運動になるかと思う。それでは今からホテルのレストランに降りて行き、朝のコーヒーをもらってこようと思う。ミュンヘン:2023/6/30(金)07:07


10549.【ミュンヘン滞在記】今朝方の夢


たった今、ホテルのレストランでエスプレッソとコップ1杯の水をもらってきた。部屋に備え付けられているワイングラスは容量が小さく、洗面台のコップは歯磨き用に使いたかったので、レストランから大きめのガラスコップをもらってくるついでに水を入れてきた。現在宿泊中のホテルは外見が少し古く、部屋も小さいが、1人で滞在する分には不都合がなく、浴槽もちゃんと付いているので入浴を楽しむことができる。どうやらこのホテルにはプラハのホテルとは違ってフィットネスルームやサウナがないようなので、そこは贅沢を言わないようにしようと思う。少なくとも先ほどレストランに降りた感じだと朝食は立派であり、もらってきたエスプレッソも美味い。時々エスプレッソなのに少し薄い味に感じられるホテルもあるが、ここのエスプレッソは香り豊かで重厚な味をしている。エスプレッソを味わいながら朝の取り組みに従事し、エスプレッソと水を飲み干した段階で再びレストランに降りて朝食を食べようと思う。


今朝方はいくつかの夢を見ていた。まず覚えているのは、インドネシアの地理に関する問題に取り組んでいたことだ。夢の中の私は学校の教室にいた。その学校も教室も見慣れないものだったが、教室にいたクラスメートは昔の旧友たちのように思えた。しかし、所々小中高だけではなく、大学時代の男女の友人も教室に混じっているようだった。教壇に立っているのはインドネシア人の若い男性で、雰囲気からして研修中のようだった。先生は見た感じ優しそうな雰囲気をしていて、インドネシアの都市の名前に関する問題を出題した。その都市は誰も知っていないような名前で、先生に指名された生徒は答えるのに困っていた。私は手元に地理の資料集があり、それを見れば答えがわかると思った。どうやら他の生徒はその資料集を持っていないか、あるいは持っていたとしても資料集に答えが掲載されているとは思ってもいないようだった。早速私は資料集をこっそり確認すると、最初はすぐにその都市を特定できなかったが、巻末から検索をしたところその都市を見つけた。やはり聞いたことのないような都市で、その都市の位置と役割·機能を確認した。次々と生徒が指名されていくが、一様にみんな答えることができず、いよいよ自分が指名された。私はすでに答えを知っていたが、資料集を調べてわかったことを述べるのはどこかズルをしたような気持ちになり、解答を述べるかどうか戸惑った。そして私は「わかりません」と答えた。私はクラスでは学業に関して一目置かれる存在で、先生もそれを認めてくれていたので、自分がわからないと答えたことはクラスのみんなを驚かせ、私がわからないことなら自分が分からなくても仕方ないとみんな思っているようだった。私がわからないと答えたので、先生は次の生徒に指名するのをやめ、答えを述べた。そこで私は、「インドネシアに昔住んでいた自分ですら、その都市の名前は聞いたことがありません」と述べた。実際にはインドネシアには住んでおらず、マレーシアに単身赴任していた父の滞在拠点から旅行に出掛けた程度だったのだが、なぜかそのような言葉が口から漏れた。そこで夢の場面が変わった。ミュンヘン:2023/6/30(金)07:32


10550.【ミュンヘン滞在記】今朝方の夢の続き


時刻は午前7時半を迎え、小鳥たちはどこかに飛び去ってしまったようだ。彼らの鳴き声の代わりに、ホテルの近くで行っている建設作業の音が聞こえてくる。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても振り返っておきたい。夢の中で私は、外国の街のレストランにいた。そこでアメリカ人の家族とイギリス人の家族が話している姿を見かけた。アメリカ人の家族のうち、父親と小さな息子の2人が、イギリス人の父親と2人の娘に話し掛けていたのである。何の話をしているのかと思って聞き耳を立てると、マリファナの話をしていた。どちらの家族の子供たちもまだ小さく、小学校の低学年のようだった。子供の年齢が低い中で、2人の父親がマリファナの話をしているのはどういうわけなのだろうかと思ったが、それは教育の一環としてなのか、あるいはもはやマリファナは単なる嗜好品程度のものだと社会に浸透し始めているのかわからなかったが、2人の話を聞いていると、そのどちらもあり得るような気がした。2人の話を聞いていると、アメリカ人の父親の方がマリファナを含めたカンナビス製品に対して経験が豊富なようで、イギリス人の父親の方はそうでもないことがわかった。アメリカ人の父親はイギリス人の父親に、通常のタバコのような形で吸引するマリファナを勧め、父親の横にいた2人の小さな娘にはカンナビス入りのケーキを勧めた。するとどういうわけか、私の口の中にカンナビスのキャンディーが入っていて、その甘さが味覚を通じて一気に身体の中に流れ込んできたのである。カンナビス入りのキャンディーは初めて食べるので不思議な感じがしたが、これによって今から少しばかりハイになるのだろうかと思った。イギリス人の家族は、アメリカ人の父親から勧められたものをそれぞれ摂取しようと手を伸ばしたところで夢の場面が変わった。


その他に覚えている場面としては、小中高時代の2人の親友(NK & HO)と一緒にバク宙の練習をしていたことである。私はそれほど練習に熱心ではなかったが、2人の親友は共に熱心に練習をしていて、練習の進捗度合いを私に確認してきた。彼らはバク宙の練習を心底楽しんでいるようで、その分彼らの進歩は早かった。一方の私はさほど熱心に練習をしていなかったので、彼らほどの進歩を遂げることができず、そこからも楽しんで練習することの大切さを改めて思ったし、バク宙にさほど関心がないのであれば、自分が心底楽しめる別の実践に早々と移ったほうがいいと思った。


この夢以外には、高校2年生の時に同じクラスになったある女子生徒に勉強を教えていた場面もあった。彼女に教えていたのは数学で、しばらく1対1で数学を教えていると、数人の他の女子がやって来て、彼女たちも数学を教えて欲しいと述べた。特に断る理由はなかったので、彼女たちに一括して数学を教えることにした。彼女たちの表情は柔らかく、終始笑みを浮かべていたのが印象的であり、常に笑顔を浮かべながら勉強ができたら学習内容の定着は段違いに上がるのにと思ったところで夢から覚めた。ミュンヘン:2023/6/30(金)07:54


10551.【ミュンヘン滞在記】レンバッハハウス美術館を訪れて


時刻は午後2時を迎えた。先ほどまで少し強めの雨が降っていたが、今は雨が止んでいる。今日はミュンヘンの街を本格的に観光する初日であった。昨日が移動日であったことから今日はあまり無理をせず、目当ての美術館に足を運んだら速やかにホテルに戻ってきた。今日はまずノイエ·ピナコテークに足を運んだのだが、地図上で休館と表示されていた通り、美術館の前に到着してみると改築工事を行っていた。ウェブサイトを見る限りだと開館しているように思えたので残念であった。なのでそこからすぐに次の目的地であるレンバッハハウス美術館に向かった。ここではカンディンスキーの数多くの作品を見ることができ、とても満足であった。作品を見ながら、ひょっとしたら今の目の前にある作品ともう2度と直接目にすることがないと思ったら、その瞬間の鑑賞体験がとても貴重で愛しいものに思えてきた。絵画作品との出会いも人との出会いと同じく、一期一会の出来事なのだろう。そのようなことを思いながら作品鑑賞を続けていた。


カンディンスキーと言えば抽象的な絵画を連想するかと思うが、この美術館にはカンディンスキーが抽象的な絵画を描く前の実験的な試みをしている作品も数多くあって興味深かった。また、一時期カンディンスキーは子供たちの絵画をコレクションしており、子供たちの絵画世界の理解を通して作品に活かすことを行っていたことも知った。また、カンディンスキーが描いた作品の中で人体を取り上げたものがあるのだが、そこには血流としてのグロスボディだけではなく、身体の周りを取り囲むサトルエネルギーを描写しているものがあって大変興味深かった。それではここから夕食までの時間を使って翻訳作業の続きに取り掛かりたいと思う。ミュンヘン:2023/6/30(金)14:10


10552.【ミュンヘン滞在記】無即有かつ有即無の自己と世界


先ほど、またしても大雨がミュンヘンに降った。その雨はまるで滝のようで、傘を持っている人たちでも歩くのを止めて、近くに避難して雨宿りしている様子が窺えた。今はその雨が嘘のように止み、ミュンヘンの街に静けさがもたらされている。


今日は観光から早めに帰ってきたので、翻訳作業が進んだ。それに加えて、公共政策大学院に出願するための定量分析に関するレジュメも無事に先ほど完成させることができた。これは昨日プラハからミュンヘンに向かう列車の中でも執筆を進めていたもので、インターネットを使って改めて大学院のコースの情報を調べる必要があったので、それらについてはホテルに到着してからにしようと思っていた。まさにその点に先ほど取り掛かり、無事にドラフトを完成させた。記入漏れのコースやプロジェクトはもうないと思うが、念のためドラフトをしばらく寝かせ、後日レビューをしてから最終版を作りたいと思う。プラハに向かう最中にすでに志望動機書のドラフトも作成させているので、これにて自分でやるべき書類の作成はもはやなくなった。あとは推薦状の依頼を2人の教授と1人の協働者の方にお願いしようと思う。2人の教授に推薦状をお願いする際には、2人に見てもらったレポートや論文を添付し、自分がどのような研究をしていたかのリマインドをしようと思う。


本日ミュンヘンの街を歩いている最中に、不思議な感覚がやってきた。それは、この世界に存在しないことも可能であるはずなのに、それが存在していることの不思議さを思ったのである。自分という存在もそうであるし、自分が見聞きするものもそうだし、自分が出会う人も得られる経験も全てそうなのだ。それらは存在しないことも可能であるはずなのに、それが存在することの奇跡。それについてどこか信心深い気持ちになっていたのを覚えている。無であってもいいはずなのにそれが有であること。無と有は絶えず表裏一体の関係性を成していて、この世界そのものが無即有かつ有即無なのだということが存在の奥深くから理解された。この了解は自分の実存性と霊性の最奥に染み込んでいき、それらの襞のあらゆるところに染み渡っている。明日もまた無であっていいはずなのに、有としてやって来るだろう。そんな神秘的な世界に自分という存在は佇んでいて、無と有にそれぞれの足を突っ込んでいる。ミュンヘン:2023/6/30(金)18:39

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