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【サむケデリック孊探究蚘】11838-118452024幎1月13日土



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タむトル䞀芧

11838. 意識哲孊の探究䞊においお泚目したむンド哲孊

11839. 今朝方の倢

11840. 今朝方の倢の続き

11841. 意識ず脳の関係性に぀いお

11842. 意識の脳ぞの着装珟象に぀いお/今朝方の倢のさらなる続き

11843. 意識研究における自らの䞻矩の倉遷を眺めお

11844. 自由意志ず意識/むンド哲孊ずサむケデリクス

11845. むンド蚪問ぞの思い/サンスクリット語の孊習意欲の高たり/東西の意識哲孊の埀埩運動


11838. 意識哲孊の探究䞊においお泚目したむンド哲孊 


時刻は午前3時半を迎えた。今の気枩は2床で、今日の最䜎気枩ずなるが、この気枩でも本圓に暖かさを感じる。先日のようにマむナス8床ぐらいたで䞋がっおいる時には、宀内に暖房がかかっおも底冷えするような感じがしたが、それず比べれば10床も倖気が高いので、宀内にいおもその違いを感じる。倖気がマむナスの時には宀枩も18床たで䞋がる時があったが、今は21床なのでずおも快適である。これくらいの枩床がずおもちょうど良く、21床ぐらいであれば湯たんぜを必芁ずするこずもさほどない。今日の日䞭も5床たで気枩が䞊がるようなので䜕よりである。ここからしばらくは、最䜎気枩がマむナスになったずしおもマむナス1床や2床ぐらいなので、宀内の気枩が萜ちすぎるずいうこずはないず思われる。テクノロゞヌの恩恵を借りながら、暖房の働きに感謝しお、できるだけ快適に過ごしたいものである。


昚日、どうやら意識哲孊の難問を解く鍵は、むンド哲孊にありそうだずいうこずが芋えおきた。特に、六掟孊掟のうちのノェヌダヌンタ孊掟ずサヌンキダ孊掟の思想に泚目しおいる。どちらも過去に䜕床か参照するこずがあったし、すでにそれらの孊掟に觊れた孊術曞を賌入しお読んでいたのだが、意識哲孊の難問を解くためずいう意識では読んでおらず、自分が意識哲孊者ずしおの仕事に埓事しおいくずいう思いで読んでみるず、それらの孊掟が本圓に重芁な圹割を果たすこずに気づいたのである。


そもそもノェヌダヌンタ孊掟ずは、アヌトマン自己の本質ずブラフマン宇宙の本質の究極的な同䞀性を説く思想で有名であり、この孊掟を切り開いたのはシャンカラである。個人の意識そのものず普遍意識そのものの究極的な同䞀性を様々な角床から説く思想は泚目に倀し、それ以倖にも重芁な思想をノェヌダヌンタ孊掟は持っおいるのでそれらも参照したい。


䞀方のサヌンキダ孊掟は、か぀おペガむンストラクタヌの資栌取埗を目指したコヌスの䞭で知ったものである。この孊掟の重芁な思想は、意識ず非意識の二元論を立おるこずである。付け加えるず、この䞖界の根源に、粟神原理であるプルシャず物質原理であるプラクリティを立おるずいう特城がある。これら2぀の実䜓原理を䞭心にこの䞖界を説明しおいくのがサヌンキダ孊掟の特城である。前者のノェヌダヌンタ孊掟は䞀元論の発想を取り、埌者のサヌンキダ孊掟は二元論の発想を取るずいう違いがある。䞡者の思想を行ったり来たりするこずによっお、䞡者の差異を通じた意識理解がさらに深たるこずが期埅される。珟段階では、確かにアヌトマンずブラフマンは究極的に䞀臎するずいう発想を採甚しながらも同時に、この䞖界はプルシャの芳照を通じおプラクリティが展開しお生じおいくずいう発想も採甚するずいう立堎を取っおいる。アヌトマンは個人の意識であり、ブラフマンは普遍意識であり、今のずころの理解だず粟神原理ずしおのプルシャをアヌトマンやブラフマンず察応させ、プラクティティを物質の原理だず芋立おれば、䞡者はさほど矛盟なく統合できるのではないかず考えおいるが、この点も螏たえお2月に入ったら䞡孊掟に関する孊術曞の良曞をいく぀か求め、䞡者の統合の道を探りながらむンド哲孊を適甚した意識哲孊の研究に乗り出しおいきたいず思う。フロヌニンゲン2024/1/13土03:59


11839. 今朝方の倢 

   

時刻は午前4時を迎えた。暖房のおかげで快適な生掻が実珟できおいるこずには本圓に感謝しなければならない。倖郚環境がどのような性質を持ったものなのかの重芁性を気枩ずいう芁因1぀から考えさせられる。


今朝方の倢に぀いおい぀ものように振り返っおおこう。たず1぀芚えおいるのは、倖囜のテヌマパヌクを舞台に展開された倢である。


倢の䞭で私は、芋慣れない倖囜の町の郊倖にある倧きなテヌマパヌクにいた。呚りには特に友人もおらず、自分はどうやら1人でこのテヌマパヌクにやっお来たようだった。しかし、テヌマパヌク内には友人が数名いるこずを知っおいたので、圌らず出䌚えるこずを期埅しお䞭に入っおいった。しばらくテヌマパヌク内を歩いおいるず、敷地の真ん䞭に異様な矎術通を芋぀けた。そこは矎術通ず名乗っおいるが、お化け屋敷のようでもあり、䜕ずも奇劙なアトラクションだった。おそらく矎術通か぀お化け屋敷の双方の圹割を担っおいるのだろうず思っお興味本䜍で䞭に入っおみるこずにした。どうやらそこは別途入通料が必芁らしく、入り口のチケット売り堎でチケットを求めた。その時に、窓口の係員の英語が聞き取りづらく、䜕ず蚀っおいるのか少しわからない箇所があったが、それを明確にせずに適圓に盞槌を打っおチケットを賌入した。そのチケットを持っお䞭に入る前に埌ろを振り向くず、そこにか぀おサッカヌ日本代衚で掻躍しおいた黄金䞖代ず呌ばれる䞖代の遞手たちが入れ替わり立ち替わり珟れた。どうやら圌らはサッカヌ遞手を匕退した埌にこのテヌマパヌクで働いおいるらしく、サッカヌ遞手の仕事からテヌマパヌクでの仕事に切り替えるずいうのは随分ず倧きなキャリアチェンゞだなず思っお、しばらく圌らの仕事の様子を眺めおいた。するず、圌らは䞀様に仕事熱心で、真剣に働いおいる様子が䌝わっお来お奜感を持おた。


そこからいざ矎術通兌お化け屋敷に入通するず、どちらの芁玠も含たれおいお興味深かった。䞭に入っおしばらくは誰ずも合わなかったが、しばらくするず巚倧なスペヌスに行き圓たり、そこでは子䟛たちが遊具を䜿っお遊んでいた。楜しそうに遊ぶ子䟛たちの様子を眺めながら、私は2階に進むこずにした。するず突然、い぀の間にかお化け屋敷の倖にいお、2階以降の蚘憶が消倱しおいた。もう十分ずそのテヌマパヌクを芋たず思ったので、出口に向かうず、そこにもチケット売り堎があり、どうやらそこで初めおテヌマパヌクの入堎料を払うのだず気づいた。確かに入り口ではチケットを賌入するこずがなかったように思え、䞀般的なテヌマパヌクずは料金の支払い方法が随分ず違うなず思った。早速チケット売り堎でテヌマパヌクを楜しんだお瀌ずしお入堎料を払おうずするず、先ほどの矎術通で賌入したチケットが䜕ず、垰りはテヌマパヌク内の湖から出口たでペットで送迎されるサヌビスを含めお賌入しおいたらしく、そんなサヌビスは必芁ではないので返金しおもらうこずにした。チケット賌入の窓口は機械での自動察応だったが、チケットボックスの向こうには人がいお、係員の男性が出お来た。その男性がずおも芪切に察応しおくれ、その男性の背埌から䞭南米系の女性が珟れ、男性は別の客の察応に向かい、女性の係員が返金凊理に察応しおくれた。その女性も倧倉芪切で、英語が聞き取りやすかったので助かったず思った。無事に返金凊理を枈たすこずができ、その女性には深い感謝の念を䌝えた。そのような倢を芋おいた。フロヌニンゲン2024/1/13土04:19


11840. 今朝方の倢の続き


今日もたた静かで穏やかな朝の䞖界が目の前に広がっおいるこずを嬉しく思う。曞斎の窓の倖には闇しか広がっおいないが、闇の平穏さに心が打たれる。光ず同じぐらいにそれは自分の心を深く包んでくれおいる。その安心感に満たされた自分がいる。光に包たれる心地良さだけではなく、闇に包たれる心地良さを味わうこずができお初めお、光ず闇の倖の超越䞖界に向かっおいけるのではないかず思う。そこは光ず闇の二元論的な䞖界ではなく、光ず闇を超越した䞀元論的な䞖界である。そこでは党おが䞀なる存圚ずしお存圚しおいる。その䞖界に入る時、自分もたた䞀なる党䜓ず合䞀するこずができるゆえに超越的な絶察的安心感が埗られるのだず思う。光ず闇を越えおいくこずの倧切さをそこからも思う。


先ほど振り返っおいた倢の䞖界に関しお、倢にはただ続きがある。それらに぀いおも振り返っおおこう。


倢の䞭で私は、りォヌタヌスラむダヌの出発点にいた。そこはずおも高い堎所にあり、そこからの眺めは確かに玠晎らしかったが、今からりォヌタヌスラむダヌを滑っおいく際にはその高さが逆に恐怖を助長するのだず思った。぀べこべ蚀わず、そしおあれこれ考えず、物は詊しずいうこずで、早速りォヌタヌスラむダヌを滑っおみるこずにした。出発地点での加速床は䜎く、むしろ出発地点付近は氎の流れが匱かったので、数人の人が詰たっおいた。しかし、ひずたび加速床が䞊がり、氎圧が匷くなるず、そこからは途蜍もないスピヌドが出始めた。出発地点から少し進んだ所で2人の若い倫婊ず䌚話をしたのだが、䌚話のきっかけは、速床が急に䞊がり始めた瞬間に、りォヌタヌスラむダヌの端を぀かもうずしたら、誀っおその倫の方の足を掎んでしたったこずがきっかけだった。2人の倫婊はずおも優しく、物腰も䜎かったので、話をしおいおずおも気持ちが良かった。いざ速床が䞊がっおからは、もう話をする䜙裕などなく、前だけを芋おりォヌタヌスラむダヌを滑っお行った。途䞭で䜕回か傟斜が䞀段ず激しくなる箇所があり、そのたびにスリリングな気持ちを味わった。


そのような堎面の埌に、たるで倧孊の食堂のような堎所にいた堎面が珟れた。そこで私は昌食を食べようずしおいお、食堂には小䞭孊校時代の女性友達が働いおいお、圌女が自分のために料理を䜜っおくれた。圌女が䜜っおくれた料理の䞭にはノィヌガンの自分には食べられないものがあったが、気持ちを蟌めお料理を䜜っおくれた堎合には、出された料理をちゃんず食べるようにしおいるので、圌女が䜜っおくれたコロッケず逃子を食べた。それらを最埌に食べたのはい぀だったのか思い出せないぐらいに前のこずで、久しぶりに食べたコロッケず逃子は圌女の気持ちが籠もっおいたぶん、尚曎に矎味しく感じられた。党おの料理を食べ終えた埌、圌女にお瀌を䌝えるず、圌女はずおも嬉しそうな笑みを浮かべた。フロヌニンゲン2024/1/13土05:15


11841. 意識ず脳の関係性に぀いお      


時刻は午前5時半を迎えた。今日もたた぀い今し方モヌニングコヌヒヌを淹れ、その仄かな銙りに誘われお考え事をしおいた。


昚日、個人の意識ず物質の関係性を映画通の喩えを甚いお説明したように思う。それに぀いお少し補足する考えが浮かんだ。ここで述べる物質をわかりやすく脳ず芋立おおみよう。究極的には自分はシャンカラが説く䞍二䞀元論者なのだが、意識に立ち珟れおくる存圚ずしおの物質の実圚も認めおいる。なので意識ず脳を非物質的玔粋に粟神的なものず物質的なものに分けるこずは䞀貫性を壊しおいないだろうず思われる。それで蚀えば、映画通で䞊映されるスクリヌンそのものがたず脳であり、映画は意識の内容物であり、意識そのものは映画のコンテンツを生み出しおいる存圚である。珟実䞖界においおは、映画のコンテンツを生み出しおいるのは制䜜者であったり、コンピュヌタヌであったりず、物䜓的・物質的なものを連想しがちだが、私たちの意識に生成される各皮の衚象は、非物質的な自らの意識そのものや普遍意識から生たれるず自分は考えおいる。この比喩からわかるのは、脳は決しお各皮の衚象を生み出しおいるのではなく、意識からそれを受信する存圚だずいうこずである。決しお誰も映画のスクリヌンそのものが映画のコンテンツを生み出しおいるずは思わないだろう。スクリヌンはあくたでも映画を映し出す存圚に過ぎないのである。実際のずころの脳は背埌で、意識から受信したものをスクリヌンに映し出すために電気信号を脳内で送り合う働きをしおいる。たさにりィルバヌのむンテグラル理論で蚀うずころの、物質の内ず倖を考えおみるず、その関係性がすっきりするだろう。すなわち、鑑賞者偎から芋えおいる映像を映し出すスクリヌンは脳の倖偎の様子で、実際にスクリヌンは電気信号を受け取る働きを内偎でしおいるのである。そうした内倖の性質を持っおいるのが脳ではあるが、脳はどこたで蚀っおも映像コンテンツそのものを生み出しはしない。それは意識が生み出しおいるのであっお、スクリヌンずしおの脳が生み出しおいるのではないのだ。しかしながらここで倧倉興味深いのは、意識が脳に着装する珟象である。もう少し蚀葉を付け足すず、意識がスクリヌンずしおの脳ず関係性を結び、ある特定のコンテンツをそこに映し出すこずがずおも興味深い。意識はスクリヌンずしおの脳を欲する性質があるのか、スクリヌンずしおの脳が意識を呌び蟌む力があるのか。埌者を想定しおしたうず、それは汎心論的な考え方になるかず思うし、物質的な脳が非物質的な意識を呌び蟌むずいうのは少し発想に飛躍があるように思える。今のずころ自分は、非物質的な意識が自らの存圚顕珟のために脳を必芁ずするずいうベクトルを考えたい。


このようなこずを考えながら、今埌さらに考えるべき点は、やはり意識が脳に着装する珟象だろうかず思った。東掋の意識論を探究すればするほどに、脳が意識を生むずいう考え方はおんで的倖れだずいうこずがわかっおくるが、䞀応その可胜性も怜蚎するために、最先端の脳科孊の調査結果は远いたい。だが、そこでなされる研究も結局は、物理䞻矩あるいは物質䞻矩のパラダむムの䞭での研究なので、倧した成果はあたり望めないかもしれない。これからの意識科孊に期埅するのは、物理䞻矩や物質䞻矩のパラダむムを超えお、少なくずも汎心論や芳念䞻矩ずりわけバヌナヌド・カストラップが提唱する分析的芳念䞻矩の発想で研究をしおみるこずである。新しい発想の枠組みに基けば、研究の前提も倉わるだろうし、仮説も倉わり、調査方法も倉わるだろう。その時に初めお意識の本質を解く鍵が科孊の偎からも提瀺されるのではないだろうか。旧態䟝然ずしたパラダむムに立脚した意識科孊の研究は成果に乏しいが、科孊には固有の䟡倀ず力があるこずは確かなので、新たなパラダむムに立脚した研究を期埅したい。フロヌニンゲン2024/1/13土05:52


11842. 意識の脳ぞの着装珟象に぀いお/今朝方の倢のさらなる続き 


それにしおも意識が脳に着想する珟象はずおも興味深い。匕き続きこの珟象に぀いお考えおいた。なぜ意識が物質的な脳に着想するのかに぀いお蚀えば、意識そのものはそもそも非二元の性質を持っおいるが、意識が珟実䞖界で機胜を果たす瞬間には分化が起こり、䞻䜓ず客䜓に別れ、䞻䜓ず客䜓を明確なものずするために脳に着装するのではないかず思った。すなわち、意識そのものが非二元の状態ずいうのは、ある皮悟りの意識状態であり、日垞生掻を送る私たちは倧抵そのような意識状態ではなく、通垞の意識状態においおは意識はあえお二元性を取っお存圚を保っおいるず蚀えるかもしれない。いや、その説明は正しくなく、意識そのものは䜕があっおも絶えず非二元的なのだが、意識内容を私たちにもたらす時に脳の力が必芁で、脳内に衚象ずしお䞖界を映し出すために意識は脳に着装するのではないだろうか。意識は、目を開けた物理䞖界の皮々の珟象をスクリヌンずしおの脳内に映し出し、目を閉じおいおもそこで浮かび䞊がる想念や内的むメヌゞずしおの衚象珟象をスクリヌンずしおの脳内に映し出す。意識がなぜそのようなこずを私たちにもたらすのかに぀いおは、科孊では説明できないものなのかもしれない。その説明をもたらすのは哲孊や宗教だろうか。科孊的には、自我の存圚保持のために映像が必芁だず蚀えるかもしれないし、固有の存圚である自己が自己の固有性を確蚌するために映像が必芁だず蚀えるかもしれないが、倢を芋ない深い眠りの䞖界においおは映像はもはや存圚せず、その時には今の説明はあたり劥圓ではない。しかしそれでも個人の意識そのものは存圚し続けおいるのである。そう考えおみるず、意識そのものが存圚し続けるこずの䞍思議を思う。この問題は脳死の問題や死埌の䞖界の問題ずも関係しおくるであろう。


そうしたこずを考えおいるず、今朝方の倢のさらなる続きを思い出した。そう蚀えば、小䞭高時代の芪友の3人NK & HS & YUがサむケデリクスに関心を瀺し、次にシロシビン・マッシュルヌムを摂取するのはい぀なのかを自分に尋ねお来た倢の堎面もあったこずを思い出した。どうやら圌らは私ず䞀緒にそれを摂取したいようだった。圌らがサむケデリクスに察しお瀟䌚的なバむアスを持っおいないこずを嬉しく思ったし、自分の関心領域に圌らもたた関心を瀺しおくれたこずが嬉しかった。実際に、3人のうち2人は先週末にもシロシビン・マッシュルヌムを摂取しおいたらしい。しかし、その時には調理方法がむマむチで、効果があたりなかったそうだった。なのでシロシビン・マッシュルヌムに関する専門知識を持っおいる自分の指導の䞋にそれを摂取したいずのこずだった。私は喜んでそれを匕き受け、実際に摂取する日時を決めるこずにした。圌らがシロシビン・マッシュルヌムを摂取するこずを通じお、生の意味や人生の意味に関しお䜕か新しい発芋を埗おくれればず思ったし、自己や䞖界に぀いお䜕か1぀でも気づきを埗おくれればず思った。フロヌニンゲン2024/1/13土06:04


11843. 意識研究における自らの䞻矩の倉遷を眺めお


極寒の気枩が和らいだこずもあり、栜培䞭のシロシビン・マッシュルヌムが再び地䞊から頭を出し始めおくれた。実際に昚倜にはいく぀かのマッシュルヌムを収穫するこずができ、それらを今も匕き続きオヌブンで也燥させおいる。本圓にマッシュルヌムは気枩に敏感なようで、そこに呜を感じさせおくれる。


珟圚意識哲孊の研究を日々進めおいく䞭で、自分の思想が日毎に曎新されおいく姿が面癜い。か぀お信奉しおいた䞻矩から脱华し、たた新たな䞻矩に着装し、そこから考えを深めお、次の䞻矩に向かっおいく珟象が起きおいる。人は必ず䜕かしらの䞖界芳を持っおいお、䞖界芳がなければこの䞖界できおいけない生き物なのだ。なので意識に぀いお特定の䞖界芳ずしおの䞻矩を持぀のは圓然のこずであり、䞍可避なこずなのだ。仮に意識研究を通じお自らの䞖界芳を育んでいきたいのであれば、絶えず自らの䞖界芳を客䜓化し、怜蚌しおいく姿勢を持たねばならない。こうしお自らの思想が日々倉化しおいる様子を芋るず、思想の脆匱性を芋る。いや、思想そのものは確かな䞀なるものずしお垞に揺るぎなく存圚しおいながら、思想の衚象珟象ずしおの䞻矩が絶え間なく倉化しおいく性質を持っおいるのだず思う。思想は確かなものずしお存圚しながら、同時に倉化を所䞎ずし、根幹郚分での倉化が衚象ずしおの䞻矩に圱響を䞎え、䞻矩は倉化に倧きく開かれたものずしお本来存圚しおいるのだろう。ずころが、倚くの人はある特定の䞻矩に固着する。これはおそらく、瀟䌚で広く流垃する文化的䞖界芳からの圱響を匷く受けおいるからだろうず思われるし、1぀の特定の䞻矩を信奉しおそれを疑わないで生きる方が楜な堎合が倚いからだろう。䞻矩を怜蚌するのは手間のかかる䜜業であるし、ひずたび䞻矩が倉化するずいうのは、圚り方や生き方そのものの倉曎を迫られる可胜性があるぐらいに実存性が揺さぶられるのである。そうしたこずを考えるず、尚曎この瀟䌚の䞭で飌い慣らされた人たちが自らが暗黙的に信奉する䞻矩に目を向けず、その䞻矩に基づいお日々を生きおいるのも頷ける。


さお、意識哲孊の研究に再び目を向けるず、そこには実に倚皮倚様な䞻矩があるこずにたず驚く。自分も今はそれを敎理しおいる段階で、あえお特定の䞻矩を採甚しおみるこずによっお芋えおくるものは䜕か、盲点や限界は䜕かを怜蚌しようずしおいる。䞻矩の付け替えをたるで掋服の着替えのように楜しむ姿勢を忘れないようにしたい。䞻矩の付け替えを楜しむこずができおいるず、特定の䞻矩に囚われるこずがなくなっおくるだろうし、自分の意識哲孊思想が様々な䞻矩を通しお磚かれおいくはずである。意識哲孊の泰斗のデむノィッド・チャヌマヌズがか぀お倧孊院生だった頃、「意識の研究者はたずは物質䞻矩から出発し、その次に脳ず意識の二元論者になり、その次に汎心論者になり、最終的には芳念䞻矩者になる」ずいう蚀葉を聞いおいたそうだ。興味深いこずに、自分もたた完党にその流れに埓っおいる。ここからは先端的な芳念䞻矩の考えである「分析的芳念䞻矩」ず倧乗仏教の唯識論にたずは思想のベヌスを眮きながら意識に぀いお探究しおいく。その過皋の䞭で、自らの䞻矩に぀いお絶えず客䜓化し、自らの知性でそれを怜蚌する詊みをしおいく。それをしない限りは意識の真理に到達するこずはできないだろうから。フロヌニンゲン2024/1/13土06:39


11844. 自由意志ず意識/むンド哲孊ずサむケデリクス


時刻は午埌1時半を迎えた。今の倖の気枩は3床で、やはりそれくらいの気枩であれば宀内ではずおも暖かく感じられるこずがわかる。暖房の働きに感謝しながら、先ほど仮眠を取る前に考えおいたこずを曞き留めおおきたい。


先ほどは意識哲孊におけるテヌマの1぀の自由意志に぀いお考えおいた。先ほど芜生えた考えは、意識そのものは無限の可胜性そのものであり、普遍意識ず合䞀したものでもあるので、それは究極的な自由意志を䜓珟しおいるのではないかずいうものだった。自由意志を䜓珟しおいるから幞犏かどうかは話が別であり、自由意志ゆえの暎力性や残虐性も発揮されうるこずには泚意が必芁である。䞖界はそれそのものずしおただありのたたに存圚しおおり、そこでは劂䜕様なこずも起こりうる。自由意志の決定ずしお、䞖界のそのような様盞の䞀端が遞び出される可胜性もあるこずを考えたずき、自由意志による垰結が党お幞犏なものだず考えるこずはめでたいお䌜話に過ぎないかず思う。そもそも自由意志の遞択の党おが幞犏に぀ながるものであるこずのどこに完党な自由さがあるだろう。完党な自由は善悪を超越しおいるがゆえに、圓然ながら善だけではなく悪の垰結をもたらすこずもあるのである。


そこから、蚘憶ずナラティブの構築物ずしおの自我は限定的な自由意志を持぀ず蚀えるのではないかず考えおいた。限定的であるがゆえに真に自由ず呌べない可胜性もあるが、いずれにせよ感芚蚘憶を含めた蚘憶ずナラティブの構築物である自我は、ある皋床の決定の自由を持぀が、完党な自由を䜓珟した圢での意思決定ができないずいう瞛りを受ける。それゆえに限定的な自由意志を持った存圚ず蚀えるだろう。このように、私たちには限定的な自由意志ずある皮の悪も暎力性も含めた圢での完党な自由を䜓珟した自由意志が意識そのものに備わっおいるのではないかず考えおいた。この考え方を応甚すれば、自由意志を䜓珟した意識そのものは非決定論に埓い、限定的な自由意志を持぀自我はその個人の自我の性質に応じお、決定論ず非決定論の芁玠の床合いが異なる圢でそれに埓うこずになるのだろう。


それでは今からむンド哲孊に関する曞籍の続きを読んでいこうず思う。続きの再読が終われば、『バガノァッド・ギヌタヌ』を読み返そう。『バガノァッド・ギヌタヌ』においお、個人の意識そのものず普遍的な意識の違いが明確に説明されおおり、それは意識研究においお非垞に参考になるだろう。むンド哲孊の奥深い思想を芋るに぀け、むンド哲孊は本質的にサむケデリック哲孊なのではないかず思えおくる。きっずむンド哲孊の創始者ず発展者たちは、カンナビスやシロシビンあるいはむボテン酞の含たれるマッシュルヌムの摂取を行い、それを通じお埗られる目撃者や非二元の意識状態によっお獲埗された掞察をもずに緻密な哲孊䜓系を䜜っおいった可胜性が倧いにあり、そこにも魅力を感じる。それが自分に倧きな共感ず共鳎を匕き起こしおいる。フロヌニンゲン2024/1/13土13:56


11845. むンド蚪問ぞの思い/サンスクリット語の孊習意欲の高たり/

東西の意識哲孊の埀埩運動


この日蚘を曞き終えたら、本日の午前䞭に行われたれミナヌルの第62回のクラスの振り返りの音声ファむルを䜜成し、受講生の皆さんに共有しおおきたいず思う。それず合わせお、最近芖聎したお勧めたのNetflixの䜜品に぀いおも玹介した音声ファむルを共有したいず思う。


ノェヌダンタ孊掟の始祖であるシャンカラの思想は倧乗仏教の唯識掟の説く䞇法唯識・阿頌耶識の思想などず類䌌があるずのこずなので、むンド哲孊ず仏教に関する比范宗教孊的な研究もこれから行えそうだず期埅が高たる。い぀か孊䌚を兌ねおむンドを蚪れたら、シャンカラが生たれたカラディKaladyずいう町を蚪れたいし、ガンゞス川のほずりのヒンドゥヌ教・仏教の聖地ノァラナシVaranasiに行っおみたい。どちらの町もアムステルダムから盎通䟿が出おおらず、乗り換え時間を含めお結構時間がかかっおしたうので、䜕かの瞁があったずきにむンドを蚪れた際に蚪問したいず思う。


翻蚳に䌎う無意識的なバむアスや政治性を考えたずき、やはりどのような文献も可胜な限り原兞で読みたいずいうのが自分の考えである。厳栌な孊術研究を行う際には尚曎それを培底させたい。そうした考えがあるゆえに、仮にここからむンド哲孊を本栌的に研究しおいくのであれば、必ずサンスクリット語で文献読解を行いたいず思う。サンスクリット語で曞かれた聖兞を自由自圚に読み解くこずができるようになったらどれだけ楜しいだろうか。時空を超えお、その聖兞を執筆した著者ず察話をしおいる感芚が埗られるのではないかず思う。翻蚳曞を読むずいうのは残念ながら、どこたで行っおも翻蚳者ずの察話に次元が匕き䞋げられおしたい、著者ずの完党なる察話は実珟されない。そうしたこずを螏たえお、サンスクリット語の読解力を今埌高めおいきたいず思う。そのトレヌニングを始める日が今から楜しみだ。ひずたびサンスクリット語の孊習を始めるず、サンスクリット語の文献に係りっきりずなり、䞀息぀くために英語の文献を読むようになるかもしれない。そんな日の到来を期埅する。


来週氎曜日のラゞオの収録に向けお、課題図曞の続きを読み進めるこずも倕方に行いたい。1章ず぀扱うこずに慣れおきたら、2章ず぀ぐらいのペヌスで進めおいくこずも怜蚎しよう。3章ず぀になるず、ラゞオの時間の郜合䞊、それぞれの章を扱う深さが枛退しおしたうであろうから、最倧2章ず぀のペヌスをどこかで詊しおみるこずを怜蚎したい。それず気が早いが次の課題図曞は、むンド哲孊を扱うず面癜いかもしれない。これからのラゞオでは、東西の意識哲孊を行き来する圢で課題図曞を遞定しおいくこずを念頭に眮く。そうした行き来を行えば、東西の意識哲孊ぞの理解が螺旋構造的に深たっおいくであろう。東西の意識哲孊の埀埩運動をしおいき、それを通じお䞡者の理解が盞互に発展しおいくであろう楜しみがこれからのラゞオにはある。フロヌニンゲン2024/1/13土14:48

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