No.4438 中心_A Center
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2162, A Trace of Perfume
The world left a trace of aromatic perfume.
I’ll follow it, then I’ll reach the zenith of ecstasy.
Groningen; 08:45, 2/1/2023
No.2163, A Door of New Perception
A door of new perception is now open.
Actually, it has been always open.
Everybody just doesn’t notice it.
Groningen; 11:49, 2/1/2023
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本日の2曲
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タイトル一覧
9834. 昨日のクラスから一夜が明けて
9835. 今朝方の夢
9836. ニーチェの超人思想とトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムの思想の関係性について
9837. 自己への絶対的な安心感/人間が光合成をする日
9838. 人間を人間たらしめるテクノロジーの可能性
9839. フレディさんとペイトラさんとの談笑を楽しんで
9834. 昨日のクラスから一夜が明けて
時刻は午前7時を迎えようとしている。ここ最近は小雨の降る日が多く、そのおかげか気温はマイナスになることはなく比較的暖かい。今週の日曜日まで1日のどこかで小雨が降る日が続き、来週の月曜日から晴れの日が続くのだが、その分気温は下がり、どうやら来週からは再びマイナスの世界になるようだ。来月末にトルコに行く際にはどれくらいの気温になっているだろうか。
昨日は批判的実在論の講座の最終回のクラスがあり、一夜が明けた今も昨日のクラスを振り返っている自分がいる。今回の講座を通じて、自分の中でも実在というものの意味と感覚がより鮮明なものとなり、パースの三角形のオブジェクト/リファレントに対する感度がより高まったことは思わぬ収穫であった。それに加えて、バスカーの1つ1つの用語とさらに親しくなることができたことを通じて、これからの学習や実践がさらに深いものになっていくであろうという確信がある。成人発達理論やインテグラル理論を学んだ前後で自分が大きく変化したのと同じことが、批判的実在論を学んだ前後で起きていることを実感する。1ヶ月ほど休憩を取り、3月からは現代思想における実在論の二大巨頭のうちのもう片方の「思弁的実在論」を扱う講座を開講する。すでに批判的実在論に参加してくださった方々には連絡をしており、ゼミナールの皆さんへは今週末のクラスの際に連絡する予定だ。新たな講座の場における学びにも大いに期待がかかる。思弁的実在論は1人で探究するのはなかなかしんどいものであるがゆえに、多くの方たちとの対話を通じて学びが深められる場はとても貴重なものになるだろう。
今日からは再びトランスヒューマニズムに関する学術書を読み進めていこうと思う。昨夜も1冊書籍が届けられた。今読みかけの書籍を音読していき、今日は読書に集中できそうなので何冊か読んでいくことができそうだ。ゆっくりと着実に自分の関心領域に関する知識体系を構築していこう。その先に自分なりの貢献が結実する。
今日は夕方にオーナーのペイトラさんの家に行き、家の契約について話し合うことになっている。今の契約は3月末で切れることになっていて、自分がアメリカに行く可能性があるので3月以降の契約をどうするかを話し合う必要がある。こちらの要望としては、アメリカにもし行くことになったら8月からなので、7月までは今の家にいたいと思う。それについてはペイトラさん、そしてフレディさんに伝えている。今日は具体的な契約内容を詰めるミーティングをする。無事に7月末まで今の快適な家にいることができればと思う。フローニンゲン:2023/2/1(水)07:11
9835. 今朝方の夢
時刻は午前7時半を迎えた。先ほど毎朝の日課である動的ストレッチを終え、そして朝のコーヒーを淹れた。昨日新しく2種類の豆を購入してきたが、今使っている豆がまだ残っているので今日のコーヒーは以前と同じ味である。これから読書をしながらコーヒーを味わおう。コーヒーを飲みながら読書を味わおう。
今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は見慣れない店にいて、その店を今から出ようとしていた。店を出ると、店の出口が目の前の店と同じ作りになっていて、その目の前の店は最近開店になったばかりのようだった。また営業時間もちょうど今からのようであり、複数の女性が営業開始に向けて準備をしていた。私はその店を素通りで自宅に帰ろうと思ったが、店の扉が開いて女性に声を掛けられた。ちょっと店に立ち寄って行かないかと声を掛けられたのだが、私は用事があったのでそれを断った。すると、その女性が突然不機嫌な顔をして、自分は少し前に店の予約をしていたと述べたのである。それを聞いて、そう言えば先ほどの店に電話するところを間違えてしまってその店に予約の電話を入れてしまったことがあったことを思い出した。しかしそれは随分と前のことであるし、そもそも間違えて予約をしてしまったことを伝えてキャンセルの連絡を後日入れていた。そうしたこともあって自分には非はないと思い、店には立ち寄れないことを伝えた。するとその女性はとても寂しげな表情を浮かべながら、黙って私を送り出してくれた。店の前には休憩中の店員の女性たちが数人いて、その女性の悲しそうな表情を見て、何か私が悪いことをしたというように受け取っていないかが気になったので、そそくさと私は自宅に向かって歩き出した。自宅に到着すると、そこは一軒家で、家の屋根に何か生き物がいる気配がした。何かがいるという確信を元に、梯子を持ってきて屋根の上を覗いたところ、なんとそこに立派な青大将がいたので驚いた。こんなところに蛇が出るなんて思ってもいなかったので、どうしたものかと思った。青大将は確か毒はないということを知っていたが、噛まれたら痛そうだと思った。ところがそんな心配は不要なほどに、その青大将はとても穏やかで、屋根の上でじっとしていた。見る人によってはそれは屋根のオブジェなのではないかと思ってしまうほどだった。このまま放っておいてもいいかと思ったが、家にいる両親や近所の人が噛まれてしまう危険性も一応考えて、父にどうするかを相談しようと思った。そこで夢の場面が変わった。
この夢に登場した蛇のシンボルをドリームディクショナリーで調べてみた。夢の中で蛇がどのような形で表れていたのかによってそのシンボルが示す意味が違うようであり、その夢の場合、蛇は治癒、変容、知恵を意味するようだ。またそれは自己再生を表し、肯定的な変化を示しているともあった。確かにあの穏やかで立派な青大将を見ていると不思議と恐怖感はなく、むしろ安心感があるほどであった。そこに肯定的な意味が内包されていて、それが自分の深層意識の中に具現化されつつあるというのも何か頷けるものがある。フローニンゲン:2023/2/1(水)07:55
9836. ニーチェの超人思想とトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムの思想の
関係性について
穏やかな朝の世界が広がっている。その世界に身を置くことは本当に心地良い。静けさに包まれている絶対的な安心感がある。時の流れそのものも優しく緩やかで、自己はそうした時に溶け出している。
早朝より、トランスヒューマニズムに関する書籍の続きを読み始めた。以前からニーチェの超人思想とトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムの思想の関係性について知りたいと思っていて、今朝はそのテーマに関する章から読み始めた。そもそもニーチェはダーウィンの進化論とは少し違う形で人間の進化を捉えていたことが興味深い。端的に、人間の進化は絶えずコンスタントに実現されていくものではなく、浮き沈みがあって突如非線形的な飛躍を遂げるものだと捉えていたのである。発達科学の知見を元にすると、確かにニーチェの進化論的思想により説得力がある気がしてくる。人間の知性の発達は、紆余曲折を経て、突然に非線形的な飛躍を遂げることを考えてみると、生物種としての進化においても同様の原理を見出すことができるかもしれない。ニーチェはそのような進化的発想のもとに人間の超克を考えたわけだが、どうやらニーチェの超人思想はトランスヒューマニズムを超えて、ポストヒューマニズムの思想により近い発想を持っているように思われる。トランスヒューマンというのは依然として人間に属し、人間を超えていく存在の移行期間に当たる存在だ。ニーチェが示す超人というのは、どうやら今の人間種族を超えた性質の人間を想定していることがわかり、そうであればニーチェが述べる超人はポストヒューマンだと言えそうである。引き続き本書を読み進めていく中で、ニーチェの超人思想とトランスヒューマニズムやポストヒューマニズムの思想の関係性について理解を深めていこうと思う。フローニンゲン:2023/2/1(水)09:48
9837. 自己への絶対的な安心感/人間が光合成をする日
仮に自分が現状の能力をさらに推し進めていき、トランスヒューマンの度合いを強めても、そして現在の人間という種族を超えた存在としてのポストヒューマンになったとしても、自分はきっとその時の自分に深く安住するであろう。すなわち自分は、今その瞬間の自分に絶えず充実感を覚え続けるに違いないという確信がある。ゆえに、自分がトランスヒューマンの度合いを強めていこうがポストヒューマンになろうが、それによって自己が揺らぐということは考えにくい。むしろニーチェの超人思想にあるように、自己を絶えず超え出ていこうとする欲求に純粋に従えば、自分はますますトランスヒューマンの度合いを強めていくだろうし、果てにはポストヒューマンの自分が待っているだろう。そうであったとしても自分は自分であり、一つの固有の存在として絶えずそこにあるだろう。そのようなことを考えていた。
以前フローニンゲン大学の博物館で、老化に関する研究の展示がなされていた。それがとても気になっていて、足を運ぼうと思っていたのだが、いつの間にか企画展示が新たなにものになり、時間に関するものになっていた。そちらについては鑑賞してみたのだが、今思うとその老化に関する企画展示も見ておけばよかったと悔やまれる。一方で、その時にすでにトランスヒューマニズムに対する関心が芽生えていたのだということを知る。フローニンゲン大学の再生医療の研究は世界でも先端的なレベルにあるらしく、オランダの再生医療は総じてレベルが高いということを最近知った。面白い研究として、オランダ人のどこかの研究者が遺伝子工学の技術を使って、光合成が可能な魚を生み出せる可能性を示したそうである。それは理論的に可能ということであって、実際にそのような魚を生み出したわけではないようだが、とても興味深い研究である。そこからさらに研究が進めば、おそらく人間も光合成できるようになる日がやってくるだろう。そうすれば食糧危機の問題については随分と解決の目処が立つのではないかと思われる。フローニンゲン:2023/2/1(水)10:26
9838. 人間を人間たらしめるテクノロジーの可能性
現代の人間の堕落ぶりを見ると、人間を超えていくためのテクノロジーの前段階に、人間をより人間らしくするテクノロジーの方向性もあるように思えてくる。エゴや欲望に塗れた形で起こる悲惨な事件や汚職、そして権力闘争や戦争などを見ていると、人間は依然としてその人間性を十全に体現していないのではないかと思えてくる。そうしたことから、テクノロジーを通じて人間を超越していくという前に人間はより豊かな人間にならなければいけないのではないかという考えが芽生える。もちろん技術の進歩は非線形的な飛躍を遂げるので、人間が十全に人間になる段階を超えて、人間は人間を超えていく道を歩み始めることは十分に考えられる。その路線も当然ながら想定に入れてはいるが、いずれにせよ未だ人間は十分に人間ではないという現代社会は惨状である。
早朝は小雨が降る時間帯があったが、昼前から天気が良くなり、午後のこの時間帯はとても穏やかな太陽の光が地上に降り注いでいる。明日からも小雨が断続的に降るようだが、1日のどこかで晴れ間が見えるであろうことは嬉しい限りだ。
今日の読書はすこぶる捗っている。早朝から何冊書籍を読んだか分からないぐらいで、そのうちの1冊として久しぶりにビョンチョル·ハンの書籍を読んだ。それは禅仏教に関するものだ。以前のゼミナールのクラスの中で禅仏教の話が出たが、その中で受講者の1人の方が禅仏教は小乗仏教だと述べていて、果たしてそうだったか、逆ではないかと思って放って置いたのだが、やはりそれは大乗仏教に属するものだった。その方がどんな考えから禅を小乗仏教だと思っていたのか気になるところである。
夕方にオーナーの家に行って家の契約について話をするまでまだ時間があるので、さらに読書に励み、昨日受け取った楽譜をもとに箏の稽古に励みたい。フローニンゲン:2023/2/1(水)14:56
9839. フレディさんとペイトラさんとの談笑を楽しんで
時刻は午後8時を迎えた。今日は少し遅めの夕食を食べた。というのも、それまでオーナーのフレディさんとペイトラさんと話をしていたからである。約束通り午後5時に家に行くと、フレディさんが出迎えてくれた。するとすぐさま、何か飲み物でもどうかと言ってくれた。それに対して私は家の契約の話だけだと思っていたので飲み物は大丈夫だと述べた。するとフレディさんは、先日ベルギーに行った際に購入した美味しいベルギービールがあると述べ、ベルギービールは飲んだことがなかったのでとても興味があり、その申し出を断ることができなかった。この2年間で両親意外とお酒を飲んだのは、実はフレディさんとペイトラさんとしかないかと思う。その時は隣人のサハルとマークもいて、5人で楽しく話しながら飲むという素晴らしい時間を過ごすことができたという良き思い出がある。今日もまたその例外でなく、2023年に最初にお酒を飲んだ特別な日となった。
ペイトラさんが仕事のためにまだ帰ってきていなかったので、先にフレディさんと一緒にベルギービール片手に近況を語り合い、話の中でフレディさんのキューバ旅行の話となった。そこからも話が盛り上がり、来月にトルコに行くことになると、実は昨年トルコは英語での呼び名が変わったそうであり、それを知らなかったので驚いた。何やらトルコは、これまでの“Turkey”から““Türkiye”に変えたそうだ。その理由は思わず笑ってしまうものだったが、これまでの呼び名は「七面鳥」と全く同じ単語であり、トルコの右派がそれを嫌って名前を昔の呼び名に戻したとのことだった。そうした話で盛り上がっているとペイトラさんが帰ってきて、ペイトラさんはいつものように白ワインを飲み、そこからは3人で談笑をした。てっきり家の契約の話だけで20分ぐらいで話は終わるかと思いきや、結局2時間ほど3人で話をしていた。ペイトラさんは昨日から、オランダの環境保護に関する組織のメンバーになったらしく、社会活動家としての活動を真剣に行い始めたらしく、その話題でしばらく話をした後、話の延長でこちらからトランスヒューマニズムについての話題を出すと、フレディさんはそれについて知っているようで、そこからは3人でトランスヒューマニズムの話をした。自分が米国トランスヒューマニスト党のメンバーになったことを伝えると、2人は興味深そうに自分の話に耳を傾けてくれた。それを嬉しく思った私は、2人にトランスヒューマニズムについて解説した分かりやすい2冊の一般書を貸すことにした1。1つは “Transhumanism: What is it?”というもので、これはHumanity+というトランスヒューマニズムに関する団体のリーダーを務めているナターシャ·ヴィタ·モアーが執筆した書籍である。もう1冊は、米国トランスヒューマニスト党を設立したゾルタン·イストヴァンの"Upgrading America”という書籍である。どちらもトランスヒューマニズムについて知る格好の手引書かと思う。それらは小難しい学術書ではなく一般書なので、誰が読んでも興味深く読めるはずである。それら2冊は明日2人に貸すことになり、その代わりにフレディさんが寝室の向こうにある書庫を案内してくれ、3冊の小説を貸してくれた。以前から英語版で読みたいと思っていたアーサー·クラークの“Childhood’s End”のほかに、ダグラス·アダムスの“Life, the Universe and Everything”、そしてアーシュラ·クローバー·ル=グウィンの“The Word for World is Forest”を借りた。フレディさんの本棚と書庫には小説を含めた文学作品がたくさんあり、いつも驚かされる。彼の博識さと思考の柔軟さは、豊かな文学体験によってもたらされたものなのだといつも感じる。今日の2時間の談笑は本当に楽しいものであった。こんな素晴らしいオーナーと近くで暮らせていることに本当に感謝したい。フローニンゲン:2023/2/1(水)20:32
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