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9765-9768: フローニンゲンからの便り 2023年1月17日(火)



No.4395 朝のシンボル_A Symbol of the Morning


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2131, Morning Sailing

Morning sailing just began.

My soul looks forward to wandering in the world.

Groningen; 08:34, 1/17/2023


No.2132, A Way to the Sky

Roads always lead to the sky.

There is constantly a way to the sky.

Groningen; 12:33, 1/17/2023


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本日の2曲


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タイトル一覧

9765. 朝の考え事

9766. 今朝方の夢

9767. 今朝方の夢の続き

9768. 批判的実在論の効能を実感して


9765. 朝の考え事


時刻は午前6時を迎えた。真っ暗な辺りを眺めながら、静かに思考を巡らせている。昨日ぐらいから気温がまた下がり始め、室温が0.5度違うだけで随分と寒さを感じるものだ。今、湯たんぽを使っていて、湯たんぽがまた必要な日々が戻って来た。それは冬らしいと言えば冬らしいので肯定的に捉えている自分がいる。今の気温は3度で、ここから午前9時にかけて1度まで下がり、そこからまた緩やかに気温が上がって、日中は4度まで気温が上がる。しかし今夜の最低気温はマイナス1度で、雪マークも付されている。


昨夜、資産運用について少しばかり考え事を巡らせていた。その時にハッとして、資産運用について考えることは自分にとっては些細なことであり、そのような些細なことに時間を取っている自分が微笑ましく思ったし、資産に関して些細なことを考えなければいけない時代の中に生きていることをまた可笑しく思った。仮に不老不死が実現しても資産運用については考えなければいけないのだろうが、もう少し心の有り様も変わった形でそれについて考えるのではないかと思う。肉体的な寿命がない形での不死が実現された場合、思考はより長期的なものになり、長期的な資産運用方針で、焦らずゆったりと資産運用するようになるのかもしれない。いずれにせよ、昨夜閃いた資産運用案は即採用し、今日は日本円を暗号資産の購入に少しばかり充てたいと思う。トランスヒューマニズムにおける金融分野における実際に関して言えば、暗号資産は必須のものであり、自分もまた投資家として長くこの分野には携わっていたこともあり、両者の親和性を強く感じている。トランスヒューマニズムの思想が体現された社会における暗号資産の役割や意義については、引き続き考察を深めていきたいと思う。


さて今日は、午前中から昼前にかけて、批判的実在論の第2回のクラスがある。先週が初回のクラスで、とても盛況だったことを受け、今回のクラスもまた盛況なものになることを期待する。受講生の皆さんの中に何か1つでもアハ体験が生まれれば嬉しいし、自分にもそうした体験が生まれればと思う。昨日の段階ですでに準備は終えているが、改めてテキストの該当箇所に目を通しておこうと思う。そして今日は、再び24時間のファスティングをする。昨日は筋力トレーニングの日であったから、昼に軽く栄養補給をして16時間のファスティングに留まったが、今日からは再び24時間のファスティングを行う。ここ数日間16時間か24時間のファスティングを行い続けているので、肌の調子が触った感じでも目に見える形でも良くなって来ている。外部の肌の調子が良くなって来ているということは、体の中の調子はもっと良くなっているのだろう。この変化を楽しみながら今日もまた1日1食の生活を送る。フローニンゲン:2023/1/17(火)06:24


9766. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。依然として外は暗く、室内の暖房も自動で入りっぱなしである。そんな中、今朝方の夢について振り返っていた。今朝方はまず恐怖を引き起こすような不気味な夢を見ていた。


夢の中で私は、見慣れない社宅の中を小中学校時代の親友(HS)と歩いていた。そこは確かに見慣れない場所だったが、どことなく高校時代に住んでいた社宅のようにも思えた。親友と歩いている社宅の雰囲気はどこか不気味で、それぞれの棟には住んでいる人はまばらのようで、壁が剥がれていたり、窓ガラスが割れている部屋も所々あった。人気が少ない社宅の敷地内をしばらく歩いていると、ある棟の横を通りかかり、すると誰かが部屋から出て来た。よくよく見ると、同じ高校の野球部のキャプテンを務めていた友人だった。彼は私に気づき、階段をそそくさと降りて来て、笑顔で挨拶をしてくれた。しかし、その笑顔にどこか陰りがあり、彼は私の肩に手を回してひそひそ声で、「ここにはあまり来ない方がいい」と述べた。私もすでにそんな予感がしていたが、ここに住んでいる彼に言われてますますその思いを強めた。彼曰く、目の前に見える大きな木の下で、先日人が殺されたそうだった。それを受けてようやく電灯が社宅の敷地内に設置されるようになったようである。これまでは全く電灯もなく、夜になると真っ暗で、かなり危ない感じだったそうだ。私と親友は、先日人が殺害されたとされる木の方をしばらく眺め、その場から離れようと思った。すると、何かカメラのシャッターを切る音が後ろから聞こえ、振り返ると、そこに2人の記者のような人がいて、私たちを写真で収めていた。私はそれが何か気持ち悪く、週刊誌か何かに私たちがここにいたことを載せられたら嫌だなと思い、すぐにその場を後にした。その際に親友と私は空を飛び、さっと宙に浮かんでその場を去った。空を飛んで左の方を眺めると、そこには野球場があったり、サッカー場があったりと、今の社宅の雰囲気とは全く違った華やかな感じを持つ空間が広がっていた。その社宅だけがどんよりとした負のオーラを発していて、とても気持ち悪かった。高校時代の友人がどのような理由であの社宅に住んでいるのかわからないが、彼もきっとすぐに引っ越すのではないかと思った。あの不気味さと負のオーラは、きっと歴史的に蓄積されたものであり、遥か昔から今にかけて色々なことがあの場所で起きたのだろうと推測された。そのような夢を見ていた。この夢を見終えた後に一度目を覚ました。目の感覚がまだ睡眠中のものだったせいか、赤い人魂のようなエネルギーの周波数帯を捉えている自分がいた。この現象を知覚することは時々あるので全く不思議ではないが、夢などで突然深夜に目覚めて目を開けたら、赤い光を知覚するというのはどのようなメカニズムで発生しているのか気になるところだ。フローニンゲン:2023/1/17(火)06:57


9767. 今朝方の夢の続き


美しい朝焼けが目に心地良い。それは心と体の滋養になっている。久しぶりに青空を朝に眺めているように思う。今の気温は1度と低いが、こうした青空を眺められるだけで心が落ち着く。先ほど淹れたコーヒーもまた自分を深く寛がせてくれる。


今朝方に見た不気味な夢の他に、まだ別の夢も見ていたのでそれについても振り返っておきたい。夢の振り返りを終えたら洗濯物を干し、批判的実在論の第2回のクラスに向けた最後の準備をしよう。


夢の中で私は、見慣れない旅館にいた。旅館の一室で、母とカードゲームをしていた。それはトレーディングカードゲームの1種で、世界的に行われているゲームの1つだった。母のターンを終え、自分のターンがやって来たときに、次に出す手をじっくりと考えた。モンスターを召喚したり、魔法を掛けたりするには十分なリソースがあったが、何が最善の手なのかをゆっくりと考えたかった。しばらく考えて最適な手が見つかった時に、いざそれを出そうとすると、母がいきなりカードを場に出した。母がせっかちにもカードを出したので、まだ自分のターンが進行中であることを伝えた。すると母は「あら、そう」と言って真面目な顔でカードを引っ込めた。自分の手札には簡単に召喚できながらも強いモンスターがいたので、それを召喚することにして、余ったリソースを活用して魔法を掛けようと思った。すると突然、母とカードゲームをしていた場所ではなく、旅館の朝食会場にいた。朝食に具沢山のパスタが振る舞われていて、それを美味しく食べていた。ゆっくり朝食を食べたかったが、何やらもう間も無く旅館を出発しなければならないとのことで、パスタを一気に食べて荷造りをすることにした。その前にシャワーを浴びておこうと思ってシャワー室に行くと、数人の友人たちがシャワーを浴びていて、シャワーは貸し切り状態だった。シャワーを浴びるのを仕方なく諦めて部屋に戻って行こうとすると、旅館の入り口で往年の今は亡き名俳優の男性が大きな声を張り上げて古い歌を歌い始めた。私はその場に立ち止まって、その歌に耳を傾けた。すると、年配の知人の女性がその歌を聞いて、「とても懐かしい歌ね~」と笑顔で述べていた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/17(火)08:51


9768. 批判的実在論の効能を実感して


今日は確かに気温は低いが、天気がすこぶる良く、先ほどの散歩がてらの買い物の道中は大変気持ち良いものだった。こうした天気良い日は、街の人々もいつも以上に幸せそうに見える。街全体に幸福感が溢れている感じに自分も浸っていた。


散歩をしながら、今日の批判的実在論講座のクラスを振り返っていた。手元にはメモがあるが、メモを見る前にざっと思いつくことを書き出しておきたい。まず最初に、受講者のある方が述べていたように、批判的実在論はまさに宗教学や霊性学が扱うような超越的な次元もカバーしていながら、そこで用いられる用語体系が哲学や社会科学に立脚するものなので、宗教世界や霊的世界にいる人たちにはない用語体系で同様の現象を語れる良さがある。また、世俗の人々にそうした超越的·霊的な体験世界を共有する際にもそれは役に立つ。世俗の人々が聞いても理解できるような言語体系を持っていることが批判的実在論の価値の1つだろう。この価値を自分に引きつければ、トランスヒューマニズムの活動を推進していく際にそれは決定的な役割をもたらす。自分の場合は今はまずアメリカ、そして欧州においてこの活動を学術的な立場で推進していきたいと思っているが、そこでぶつかるのは宗教側からの批判である。例えばアメリカにおいては、以前書き留めたように、三権(行政、司法、立法)を構成するメンバーのほとんどがキリスト教の信奉者であり、彼らの大部分は神話的段階のキリスト教を信奉している傾向にあるため、トランスヒューマニズムが推進する種々の科学技術に対してはとりわけ倫理的な側面で反対をし、生理的な拒絶反応をもたらす。そうした反応を和らげ、健全な対話を両者で行っていくために、批判的実在論の観点は非常に有益なのではないかと思う。批判的実在論の用語体系を活用するかは別にして、そこには対話を進めていく際に重要なことを存在論の観点からいくつも教えてくれる知恵が眠っている。それを活用しながら、両者の対話を実現させていき、トランスヒューマニズムの健全な社会浸透を促していきたいと思う。


その他に重要なこととしては、批判的実在論を学ぶことによって自分の中で何かが動き出した感覚になったという意見を思い出す。インテグラル理論との出会いが自分の人生を大きく動かしたのと同じく、批判的実在論にもその力があるように思う。両者に共通しているのはメタ理論という性質であり、どちらも共に実践を大切にする理論体系であることがそのような効果を生んでいるのだろうか。いずれにせよ、批判的実在論を学ぶことを通じて、自分自身の実在に対する認識が深まり、種々の実在に溢れる動的に変化するリアリティを認識する眼もこれまでとは異なったものになりつつあるのを感じる。そのような変容効果があるのが批判的実在論なのだろう。フローニンゲン:2023/1/17(火)15:07

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