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9630-9634: フローニンゲンからの便り 2022年12月22日(木)



No.4201 天空の身体性_Celestial Somatization


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2067, A Transhuman Festival

A transhuman festival will happen soon.

It’s coming close to us.

Groningen; 09:05, 12/22/2022

No.2068, A Transhuman Moon

That’s a transhuman moon.

Can you see it?

If not, you are not still transhuman.

Groningen; 21:04, 12/22/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9630. 音読の工夫

9631. 今朝方の夢

9632. 宗教を含んで超えていくべきトランスヒューマニズム

9633. 創意工夫に満ちた筋力トレーニング

9634. 万人は大なり小なりトランスヒューマンなり/トランスヒューマン的に考えてみることの意義


9630. 音読の工夫


時刻は午前7時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗で、天気予報によると、どうやら霧も出ているようだ。凍てつく寒さから脱却し、今は比較的過ごしやすい毎日を過ごしている。凍っていた運河も再び氷が溶け、カモたちが運河の上を優雅に泳いでいたのを昨日見かけた。


今日は午前中から昼過ぎにかけて、テクノロジー哲学の講座の第4回のクラスがある。全6回のクラスも半分を超え、今日が年内最後のクラスとなる。クラスに向けた準備は昨日の段階でしていて、本日取り上げるテキストの該当箇所を昨夜読み返していた。すると、次回がちょうどポストヒューマンやトランスヒューマンの話であることに気づき、年明けの最初のクラスがとても楽しみになった。次回のクラスまでには時間があるので、ポストヒューマニズムとトランスヒューマニズムに関する書籍を随分と読み進めることができるだろうと思われる。そうすれば、次回のクラスでは多くのことを共有できるはずだ。


一昨日に、改めて音読の工夫について考えていた。例えば論文集の場合、自分が重要だと思う論文を選び、重要な箇所を中心に音読していくのがいいかも知れない。もちろん、自分の視野を広げるために、それほど関心のない論文であっても、概要や結論部分については音読しておくと効果的だろう。全ての論文を一言一句音読するわけではない場合、こぼれ落ちてしまう論点があるだろうか、何度も論文集を読み返すことで補っていくようにする。一方で、重要な書籍についてはできるだけ一言一句、最初から最後まで通して音読していく。特にその分野の教科書的な書物は、最初から最後までじっくり音読していくに値する。体系的に知識がまとめられているテキストは貴重であり、それを最初から最後まで音読すれば、その分野の知識が体系的に身体知化されるだろう。


音読上のその他の工夫としては、単に音読するだけではなく、自分の疑問や感想も声に出して呟いていくようにする。そうすると、読んだ内容と自分の既存の知識を組み合わせて、自分の考えがより醸成されて来るし、知識の定着が進む。音読と即興的に呟くということを組み合わせて書物と向き合っていくことを心掛けよう。新たな知に出会う面白さの感情的フローに乗って音読し、呟きを入れていくことが鍵である。できれば即興的に、そこに書かれている内容をサブチャプターごとに自分の言葉で要約するようにしていくこともやっていこう。また、専門用語の説明も自分の言葉で言い換えていくと、その言葉の定着が進むだろう。そうした工夫をしながら今日からの音読を行っていく。すると、また色々な発見があるだろうし、新たな工夫が編み出され、音読の効果がより一層高まっていくに違いない。自分の音読そのものが進化していくプロセスを楽しもう。フローニンゲン:2022/12/22(木)07:45


9631. 今朝方の夢


静けさに包まれたフローニンゲンの朝。こうした静けさに包まれて毎日を過ごすことができている幸せを改めて感じる。今の家は敷地内にポツリと建っている一軒家で、通りから離れていることもあり、隠れ家的な静けさを味わうことができる。そうした環境で2年ほど過ごしているが、そのおかげで自分の取り組みへの集中力が増し、学術探究もその他の実践も随分と進展を見せてくれた。仮に来年の夏からアメリカに戻ることになったとしても、ここで過ごした2年間は貴重なものであったと今後の人生で思い返すだろう。そして、これからの人生においては、できるだけこうした家でひっそりとした静かな生活を送りたいものだ。


今朝方の夢についていつものように振り返っておこう。夢の中で私は、現在協働中の会社のある中堅社員の方と話をしていた。話をしていた場所は、近未来的な街の一角で、目の前には大きなイベント会場があった。どうやら私たちはそこのイベント会場に先ほどまでいて、これからまた別のイベント会場に移動することになっていた。いざ移動をしようと思った時に、私は空を飛んで移動することを提案した。ところが、自分は空を飛べても、その方は飛べないようだったので、飛び方を教えてあげることにした。まずは宙に浮く方法を示し、そこからゆっくりと空を飛ぼうと思ったら、高度3mぐらいの高さで一気に会場まで移動してしまった。その方は走ってこちらに向かって来て、しばらくして無事に合流できた。そのような場面があった。


次の場面では、私は大きなデパートにいた。どうやら今修学旅行としてそこに来ているようだった。デパートの隣には立派な美術館があり、今からみんなでその美術館に移動することになった。その前にトイレに行こうと思ってトイレを探すと、広々とした部屋の中に便器が学校の机のような形で配置されていて、そこで用を足すことになっていた。部屋があまりに開放的なので、少し用を足しにくいなと思った。他の人にあまり見られないような場所を探そうと思ったが、どこも大差無く、後ろの方の便器で用を足そうとした。それぞれの便器の脇に置かれた観葉植物を眺めながら用を足そうとすると、多くの女子たちがその部屋に入って来て、私たちに声を掛けて来た。用を足そうとしている自分の真後ろに立たれると、出るものも出なくなってしまい、結局私は用を足さずして外に出ることにした。部屋から出ようとすると、部屋の入り口で、小中高時代の女性友達(NI)が部屋を出る男子の写真を撮影していて、自分も1枚写真を撮られた。自分は、女子に後ろに立たれたら出るものも出なくなると不満を口にしていたところだったので、あまり良い表情ではないところを写真に撮られてしまった。しかしそんなことを気にせず、再びデパートの駐車場の方に戻って、デパートの中のトイレを使おうと思った。すると、薄暗い駐車場からワゴン車が猛スピードで外に出て行き、危うく轢かれそうになった。乱暴な運転をする人もいるものだと思いながら、駐車場からデパートの中に入っていこうとすると、トイレの標識を見つけ、そのトイレを使うことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/22(木)08:03


9632. 宗教を含んで超えていくべきトランスヒューマニズム


トランスヒューマニズムの運動に大きな役割を果たしているオックスフォード大学のニック·ボストロムは、トランスヒューマニズムは合理的なヒューマニズムに根ざすべきものであり、宗教的な論理では無く、実証的な科学と批判精神に基づくべきものであると述べている。ボストロムの意見に対して、科学の力を借りるという点には賛同するが、宗教的な要素を一切考慮しないという点においては賛同しかねる。トランスヒューマニズムの言葉に、「トランス(超える)」という言葉が含まれているのだから、本来であれば人間が生み出した宗教というものを超えていく必要があるのではないかと思う。まさにトランスヒューマニズムは、人間発達の根幹原理である、「含んで超えていく」という性質を持つべきであり、そうであれば、宗教を含んで超えていく方向性を取るというのが最も妥当なのではないかと思う。


ボストロムと同様に、イギリスの思想家かつ未来学者のマックス·モアは、トランスヒューマニズムの起源を啓蒙哲学だとしている。しかしながら、理性を用いて啓蒙をもたらそうとした過去の試みはことごとく失敗しており、理性の暴走についてはフランクフルト学派等を含め、批判理論を通じてその限界が指摘されている。ボストロムにせよ、モアにせよ、宗教というものの捉え方が狭いように見える。インテグラル理論の提唱者であるケン·ウィルバーが示しているように、宗教思想にも発達段階があり、宗教を信じる人の霊性にも発達段階がある。ボストロムやモアが批判している宗教というのは、理性を十分に発揮する以前の発達段階の宗教なのだろう。逆に言えば、トランスヒューマニズムが仮に宗教を批判し、宗教的なものを何も含まないのであれば、それは宗教的な叡智を完全に無視することに繋がり、理性を超えた知性の働きを見落としてしまうことにも繋がりかねない。そうしたことから、トランスヒューマニズムは、宗教を含んで超えていく方向性を模索するべきだと思われる。トランスヒューマニストのコミュニティーが見落としている宗教の意味や、高度な宗教性·霊性に関しては、何か論文を執筆してみたいと思う。フローニンゲン:2022/12/22(木)09:41


9633. 創意工夫に満ちた筋力トレーニング


時刻は午後6時を迎えた。つい先ほど、ジムと近所のスーパーから帰って来た。今日のジムでのトレーニングもとても充実していた。振り返ってみると、今日はジムに行く時間が少し遅れた。というのも、その前にテクノロジー哲学の講座の年内最後のクラスがあり、クラスを終えてからいくつか音声ファイルを作成していたからである。そこでは、数日前に強烈に芽生えたトランスヒューマニズムおよびそれを体現した政党であるトランスヒューマニスト党への関心から、それらに関する話を情熱的にしていたように思う。まだ話し足りないことがあるので、夕食後に改めて音声ファイルをまた1つ作成していこうと思う。そんなこんなで、ジムに到着し時間はもうパーソナルトレーニングの始まる時間だったので、今日はジークンドーの自主稽古はスキップし、エリーザとのトレーニングをすぐさま始めた。前回のトレーニングを受けて、今日は胸の筋肉を鍛えていくことに焦点を当てていった。最初の準備運動から胸に刺激を入れていくものであり、前回リクエストしたように、ゴムバンドを使った興味深い準備運動方法を教えてもらった。それは準備運動として機能しているだけではなく、角度を変えていけば強度も変わっていくので、純粋にトレーニングの一環として組み込めるメニューかと思った。ゴムバンドを使った2種類のウォームアップをした後は、これまで取り組んだことのないメニューのオンパレードだった。身体というのは適応力が凄く、それには良い面と悪い面がある。筋力を鍛えるという観点で言えば、刺激の種類や量を変えていかなければ筋肉は発達していかないので、メニューのレパートリーを増やすことや、強度を変えていく工夫を凝らしていく必要がある。今日はエリーザからかなりの数の新しいメニューを紹介してもらった。そのうちのいくつかはすでに要領を掴んだものもある一方で、角度の調整の難しいものもあって、それらについてはエリーザのサポートが必要かと思う。一応正しい体の形は記憶に残っているので、鏡を見ながらフォームを確認するといいとエリーザから言われ、それを来週の月曜日に試してみようと思う。来週の月曜日は旅行に行く前日のトレーニングとなり、年内最後のトレーニングになる。来年も年明けに旅行から帰って来たら、またエリーザに指導してもらいながら今後も創意工夫に満ちた筋力トレーニングに励んでいこうと思う。筋力トレーニングも武術や箏と同じく、長い目で付き合っていこうと思う。フローニンゲン:2022/12/22(木)18:22


9634. 万人は大なり小なりトランスヒューマンなり/

トランスヒューマン的に考えてみることの意義


時刻は午後9時半に近づいている。先ほどまで、合計で1時間半ほどの音声ファイルを作成していた。90分ほど一気呵成に今日のテクノロジー哲学の講座の振り返りの音声ファイルを改めて作っていた。おそらくそれは本講座における年内最後の音声ファイルになるだろう。


改めて今日のクラスの振り返りをしていると、先般W杯で優勝したアルゼンチンの英雄リオネル·メッシは、幼少時代の身長の低さを補うために成長ホルモンの注射を打っていたのはよく知られていることである。また、韓国は整形大国であり、美容整形の進展も目覚ましく、どちらも共にトランスヒューマンに繋がる事柄である。また、私たちが普段何を口にしているのかを注目してみたときには、多くの人が大なり小なり人工的に加工されたものを食べていて、例えば栄養補助食品、プロテイン、ビタミン剤などもまた大きな括りでいけばトランスヒューマニズムにおける精神薬理学の適用に重なってくる。マズローの自己超越欲求を持ち出すまでも無く、人間には大なり小なりトランスヒューマン的衝動が内側にあるのだろう。そもそも成長をしていくということそものが、今の自分を超えていくということを意味していることから、成長欲求というのはトランスヒューマン的欲求に他ならないと言えるのかもしれない。そう考えていくと、食や薬を通じたバイオハック的な側面だけではなく、人は大なり小なり自分の能力や知性を伸ばそうと試みているところにトランスヒューマニズムの運動を見る。


今日のクラスの中で、トランスヒューマニズムの思想運動を支持するかはさて置き、少なくともトランスヒューマニズムの発想で自己や世界を眺めてみると、既存の思考や価値観の檻の中から外に出れるということを伝えた。大抵の場合人は、凝り固まった自分の思考の枠組みや古びた社会的通念にがんじがらめになっていて、それによって悩みや不安を抱えていたりする。そうした悩みや不安を解決するためには、自分の今の思考の枠組みや社会通念を脇に置く必要があるのだが、それを実現するために、トランスヒューマニストの視点で物事を考えてみるというのはとても有効かと思う。そうすると、自分がこれまでどれだけ狭い物の見方をしていたのかに気づくだろし、自分の悩みや不安が途轍もなくちっぽけなものに思えてくるだろう。トランスヒューマニズムの視点を借りてくるというのは、そう考えてみると意識の拡張をもたらすことそのものに他ならないのではないかと思えてくる。まずは自分を実験対象にして、これから日々トランスヒューマニズムについての学術書や論文を読むことを通じて、絶えずトランスヒューマニスト的に、人間、社会、世界について考えてみようと思う。そうすれば、既存の思考の枠組みから脱却し、普段気づけないことに気づくことができ、考えたこともなかったことを考えることにつながっていくだろう。そして、自分の想像性がもっと豊かでたくましいものになっていくはずだ。フローニンゲン:2022/12/22(木)21:32

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