No.4196 成ること_Becoming
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2064, Out of a Cave
A new transhuman came out of a cave into a new world.
It has actualized true emancipation.
Groningen; 08:48, 12/21/2022
No.2065, A Benediction of Morning Light
I receive a benediction of morning light now.
My soul is saturated with infinite bliss.
Groningen; 08:49, 12/21/2022
No.2066, Shady Transcendence
Humans are trying to transcend themselves.
But their attempts are still shady.
How can we attain clear transcendence?
Groningen; 13:13, 12/21/2022
下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。
本日の2曲
全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。
楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
9623. 様々な種類のトランスヒューマニスト
9624. フライトの変更を受けて/今朝方の夢
9625. 赤ん坊のように学ぶこと
9626. トランスヒューマニスト党が掲げる死の克服と不老不死の実現について
9627. 箏の稽古(54):乃木調子の明るさに触れながら/バッハの旋律感覚のインストール
9628. 物質への意識の移行について/成長に関する癌細胞的イデオロギー
9629. トゥルク大学における未来学に関する学位/バッハのコラール
9623. 様々な種類のトランスヒューマニスト
時刻は午前7時を迎えた。今朝もまた静かな朝である。一昨日から気温が少し上がり、寒さはそれほど厳しくはない。今日の最高気温は7度、最低気温は6度とのことなので、比較的過ごしやすいと言える。1つ望むことがあるとすれば、もう少し晴れた日が欲しいところだ。このところは曇りか小雨が降る日ばかりであり、それがフローニンゲンの、いやオランダの冬の特徴と言えばそれまでだが、もう少し晴れた日が見たいものである。太陽の光が恋しい季節だ。確か12月と1月は降水量が多く、2月からは降水量が減るので、その時期になって来ると、太陽を拝める日が増えて来るだろう。
昨日は、随分とトランスヒューマニズムについて調べていた。書籍を読む時間よりも、ダウンロードした文献やウェブサイトの情報を音読する形で時間を過ごしていたのは昨日のことだった。調査を通じて、トランスヒューマニズムの信奉者の多くは無神論者だが、信奉者の中には宗教的な世界観を持っている者もいて、不死を望んでおらず、来世に憧れを持っている者も一定数存在することを知った。トランスヒューマニストが全員不老不死を望んでいるわけではなく、やはり世界観や価値観を異にしている人もいることを知る。また、その他の様々な政治思想と結びつく形で、トランスヒューマニズムと言っても考え方や活動が異なることは注目に値する。とりあえずは、トランスヒューマニスト党の試みに注目し、彼らの多岐に渡る政策をそれぞれに対応する学問分野から検証していき、メタ的にはテクノロジー哲学やテクノロジー神学の観点からその妥当性を検証していきたいと思う。
そのようなことを考えながら、新たに読むべき書籍を調べていると、神経神学(neurotheology)という分野を見つけた。早速いくつかの学術書を購入して読んでみることにした。この分野と関係して、精神薬理学(psychopharmacology)もまたトランスヒューマニズムの核となる分野であるから、この分野についてもトランスヒューマニズムと関係した書籍を読み進めたいと思う。トランスヒューマニズムへの関心のおかげで、探究と実践の幅がさらに一段広がりそうである。それを大いに歓迎したい。フローニンゲン:2022/12/21(水)07:22
9624. フライトの変更を受けて/今朝方の夢
時刻は午前7時半を迎えた。昨夜、来週に搭乗予定のイベリア空港のフライトの時間が変更になった旨の連絡があった。アムステルダムからマドリードまでのフライトはそのままであり、昼過ぎに出発するものなのだが、マドリード空港で乗り継ぎをする便に変更があった。見ると、マドリードからニースまで朝に出発するフライトになっていて、アムステルダムからマドリードまでの便が午後なのに、それはどうみても間に合わない時間変更であった。空港の状況と航空会社の事情のためにそれは仕方ないのだろうと思った。マドリードからニースまでの同日の夕方以降のフライトがあるか確認したが、全くないようだったので、予約そのものをキャンセルし、返金処理してもらうことにした。イベリア空港のウェブサイトからでは割引券の発行しかできないようだったので、カスタマーセンターに電話をし、支払い時と同じクレジットカードに返金してもらうことにした。その後、改めてフライトを探したところ、イベリア空港の便よりも少し金額は高いが、KLMの直行便で良いものを見つけたので、それで行くことにした。そのおかげで、アムステルダム空港を昼前ではなく、午後のゆっくりとした時間に出発でき、それでいて当初よりも早くニース空港に到着できるので、結果的に良かったのかも知れない。気がつけば、年末年始の旅行も出発まで1週間を切った。ここからは気分が徐々に旅モードになっていくだろう。年末年始の旅もまたゆったりと旅の時間を味わい、充実した時間を過ごしたい。
いつものように今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、サッカーフランス代表の合宿に帯同していた。現在のフランス代表は、世界でも指折りの強いチームであり、彼らと帯同する中で、サッカーの技術だけではなく、サッカー選手としての在り方についても色々と学んだ。メンバーのうちの数人が、フランス人らしく思想的なことに関心を持っていたので、彼らと思想的な話をして盛り上がっていた。そのような場面があった後、山間の観光地にいる夢を見ていた。そこには温泉がたくさんあり、人々が裸で腰にタオルを巻いて、思い思いに好きな温泉の間を歩いて移動していた。私もまたいくつか温泉に入りたいと思ったが、自分は何かの調査でここに来ているようだった。なのでその調査を全て終えてから温泉を楽しもうと思った。山の斜面にある温泉は特にユニークで、その温泉に入るのは少し危険が伴うのだが、そうした危険を伴う場所の温泉こそ、何か言葉にできない魅力があるようだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/21(水)07:54
9625. 赤ん坊のように学ぶこと
時刻は午前11時半に近づいている。嬉しいことに、今朝方の日記とは裏腹に、今は晴天の空が広がっている。ここのところは雲が空をずっと覆っていたので、久しぶりに晴れ間を見た感じである。上空を飛ぶ鳥たちもどこか嬉しそうである。晴れて欲しいという願いが通じて嬉しく思う。せっかく晴れたのだから、今日は午後に散歩がてら、近所のショッピングモールに行って、書籍を受け取りたいと思う。先日注文した、古事記の英訳版と、日本の神話に関するオックスフォード大学出版から出版された解説書を受け取りに行く。それに加えて、グラハム·ハーマンやドン·アイディの書籍も届いたようなので、それらを受け取りたいと思う。
先ほどまで協働者の方とのミーティングを行っていた。話の中で、赤ん坊のように無垢に学んでいくことの大切さの話題となった。これは常に大切にしていることであり、赤ん坊のように好奇心にあふれた形で世界を絶えず新たな目で見て、そこから学べるものを全て学び取るような姿勢は常に持ちたいと思っている。そうした学習姿勢を醸成することに関して、発達段階的なアプローチと意識の状態からのアプローチの2つがあることについて話をしていた。ミーティングの中でのやり取りをもとに、自分でもいくつか試してみたいことが見つかったので、ここからの日々の学びと実践にそれを取り入れていこうと思う。早速今日から、早速今この瞬間からそれを実行に移していく。
先ほどメールを開いた時に、この間日本に一時帰国した際にお世話になっていた着物店から連絡がああり、着物の納期が遅れると伝えられた。何やら、コロナの影響を受けて、海外裁縫工場の稼働停止になり、年明けから再開するらしく、そのせいで納期が遅れるとのことだった。それは仕方ない。気長らに着物を到着を待って、それが届けられた時の喜びが逆に増すだろう。そのように肯定的に事象を捉えている。
さて、ここからまたコスモテクニークスに関する論文集を音読していき、午後からはトランスヒューマニズムに関する学術書を音読していく。音読の仕方についても新たな工夫を見出したので、それを試しながら午後の読書もまた実り多いものにしたい。フローニンゲン:2022/12/21(水)11:28
9626. トランスヒューマニスト党が掲げる死の克服と不老不死の実現について
今日もまた昨日に引き続き、トランスヒューマニズムに関する探究に精を出している。昼前に、トランスヒューマニズムに関する学術書を再び音読し始めた。トランスヒューマニズムの探究にこれだけ力を入れているのは、この思想及び運動に対して自分が共感している部分があるからであり、同時にそこに内包されている種々の問題を克服していきたいという思いを持っているからだろう。今の探究姿勢はどこか、自分がまるでアメリカのトランスヒューマニスト党のアカデミックアドバイザーを務めているかのようであり、しかしそれぐらいの気持ちでこの思想運動について探究をしていきたいと思う。それは人類及び地球そのもの、さらには宇宙そのものにとっても非常に大事なものだからだ。引き続き、トランスヒューマニスト党のアカデミックアドバイザーを務めているような気持ちを思って、トランスヒューマニズムに関する日々の研究を続けていこう。
2016年にアメリカ大統領選に立候補したゾルタン·イストヴァンの動画を片っ端から視聴している。いなのところイストヴァンの思想には概ね共感しているが、実存的·霊性的な観点と、政治的な実行面での観点でいくつか疑問がある。彼が設立したトランスヒューマニスト党のマニフェストは、今の世の中の多くの人にとっては荒唐無稽に思えるものが多いかもしれないが、そこで掲げられていることの大半は実現に向けて取り組んでいくべきことだと思う。トランプが大統領になるぐらいなのだから、イストヴァンが今後大統領になる可能性もゼロではないのではないかという思いを持って、彼のこれからの政治活動には常に注意を払いたい。
トランスヒューマニスト党が掲げる死の克服と不老不死の実現については、リバタリアン的に考えると、死ぬ自由だけではなく、永遠に生き続ける自由というものも認めないといけないのかもしれないということを考えさせられる。現在においては、永遠に生き続ける自由というのは担保されていないし、技術的にも実現することができないでいる。この問題に加えて、仮に死の克服と不老不死が実現されたとして、そこで死という現象が持つ意味は大きく変容することになるだろう。その意味変容は、人間の社会生活に大きな影響を与え、文化も社会システムもそれに応じて変容を見せることになるはずだ。これまで人間にとって不可避であった死という体験の価値の意味付けをどのように考えていくかは、トランスヒューマニズムの1つの大きな争点になる。この問題については、神学に立脚した宗教的なアプローチと、哲学に立脚した倫理学的なアプローチが少なくとも必要になるだろう。死の意味について深く考察する時期に私たちは直面している。フローニンゲン:2022/12/21(水)12:47
9627. 箏の稽古(54):乃木調子の明るさに触れながら/バッハの旋律感覚のインストール
つい今し方、午後の箏の稽古を終えた。乃木調子に調弦して以降、すっかりこの響きに魅せられている。明るい感じの音の世界に浸ることができて、とても気に入っている。先生から縦譜の白紙テンプレートを送っていただき、これをもとに、今自分が弾きたいと思っている曲の中で、まだ市販の楽譜の形になっていないものを縦譜にしていこうと思う。先生から紹介していただいたウェブサイトには、和楽器のイベントについての情報もあり、今後日本に一時帰国する際には、和楽器の何かしらのイベントに参加して、和楽器の演奏者と交流を深めたいと思う。
さて、先ほどの箏の稽古では、テクニック集に従って練習をしたり、『六段の調』を練習してたりしていた。後者の曲についてはとても難易度が高く、飽き性の自分からすると、演奏中に飽きてしまうような場面がある。というのも、この曲には曲想らしい曲想がないと言われていて、自分のような初心者の場合だと尚更作品の背後にある世界を感じ取るのが難しい。自分の心が踊らないような曲をいくら練習していても技術的な向上はあまり望めないであろうからは、今はとにかく自分が弾きたいと思う曲を弾き込んでいくようにしたい。それで言うと、先生から送っていただいた中島みゆきの『糸』という曲はぜひ自分のレパートリーに加えたい曲なのだが、やはり難解であり、自分が音楽として聴いているようなものに響かなかった。今週末に先生とのレッスンがあるので、弾き方で疑問に思ったことをシェアさせてもらおうと思う。
ここからは改めて、『はじめての文化箏』の楽譜に戻って、これまでハ長調で演奏していた曲たちをあえて乃木調子で演奏するとどのような感じになるのかを試してみようと思う。今夜の稽古はそれを試みてみる。もうしばらく乃木調子で演奏を楽しんだら、再びハ長調に調弦をして、自分が弾きたいと思っているゲーム音楽の曲を縦譜にしたものを毎日演奏していこうと思う。また、バッハのコラールのメロディー部分だけを演奏していくということもぜひやってみたい。そうすれば、バッハの旋律感覚を身に付けていくことができるだろし、コラールゆえに即興で歌を歌うことを混ぜることもできそうである。まずはバッハの旋律感覚を自分の中にインストールしていこう。フローニンゲン:2022/12/21(水)12:47
9628. 物質への意識の移行について/成長に関する癌細胞的イデオロギー
時刻は午後5時を迎えた。先ほど、近所のショッピングモールで2冊の書籍を受け取り、今し方近所のコピー屋に立ち寄って、そこでもまた2冊ほど書籍を受け取った。前者の2冊は古事記の英訳書と日本の神話に関する書籍であり、後者の2冊はドン·アイディとグラハム·ハーマンの書籍だった。先日注文した書籍のうち、あと1冊届いていないものがあり、それはビョンチョル·ハンの最新作である。旅行が始まる来週の火曜日までにはそれを受け取りたい。
書籍の受け取り中には軽くジョギングをしていて、ジョギングの最中には常にトランスヒューマニズムのことについて考えていた。ここ最近は、毎日トランスヒューマニズムの問題について考えてばかりであり、思考空間の大半がその話題を占めている。人間の意識をコンピューター上に移すと言うのは、結局のところ物理的なサーバーによる管理が必要で、地球そのものやサーバーを設置する惑星の消滅リスクを考えた時に、ダークマターに意識を溶け込ませるというアプローチについて先日考えていた。その前段階として地球上で実験するのであれば、サイバー空間に意識を移行することが可能になれば、今度は酸素に意識を溶け込ませられるかを試してみるといいのではないかと思う。いや、地球上の空気で一番多くを占める窒素に意識を移行させることができるかどうかを試したほうがいいだろうか。そのようなことを考えていた。脳と心の問題について未だ未解決であり、物質的な脳からどのようにして意識が生じるのかはまだ解明されていないので、物質に意識を移行させる実験をするのはまだ先になるだろうが、きっと誰かが似たような発想でそのような実験をするに違いない。最終的にダークマターに意識を移行させることができれば、人間は究極的な意味でトランスヒューマン になる。そしてその時にはもはや、そこに存在するものを意識と呼べるのかは定かではない。個人の意識は消滅するのか、集合の意識と完全に一致しながらも個体意識として維持できるのか、そのあたりは謎に包まれている。それはもはや宇宙意識と呼べるものになるのかも知れない。宇宙の拡張ともに、それもまた拡張されていくようなイメージが芽生えていた。そして仮に宇宙全体が消滅することがあれば、宇宙意識も消滅する。そのようなビジョンが脳裏に浮かんでいた。
アメリカの小説家エドワード·アビーが残した言葉に「成長のための成長は、癌細胞のイデオロギーである」というものがある。まさに、盲目的に成長を過度に追い求める人間は、社会にとっての癌細胞のような存在なのかも知れない。トランスヒューマニストの一部はこの発想に陥っている可能性がある。しかしながら、単に経済成長だけを求める古いタイプの癌細胞的イデオロギーと、トランスヒューマニストのそれは性質を異にしている。少なくとも後者は、経済成長一辺倒のイデオロギーを批判していて、人類や他の生命体そして地球に対して貢献していこうとする発想が少なくともある。しかしながら、彼らの発想もまだまだ未熟であり、多くの問題を抱えているため、それらの問題に自分なりに回答できるように、引き続き考察を続けていこう。フローニンゲン:2022/12/21(水)17:14
9629. トゥルク大学における未来学に関する学位/バッハのコラール
少しばかり小雨の音がする。いや、外を眺めてみると、どうやら気のせいか、わずか数秒だけ通り雨が降ったぐらいなのかも知れない。
夕食の準備をしている時にふと、自分の試みは未来学的な側面もあるため、未来学者としての素養を身に付けていくことについて考えていた。あるいは、正面切って未来学者という立場で発言をしたり、活動をしたりするのが良いのかも知れないと考えていた。そこから、そもそも未来学(future studies)という学問領域を体系的に学んで学位が取得できる大学は世界のあるのかと調べてみたところ、結構な数があったので驚いた。中でも、以前訪れたフィンランドの旧首都であるトゥルクにあるトゥルク大学に未来学に関する修士課程があったので注目してみた。期間は2年間で、使用する言語はフィンランド語ではなくて英語である。修士課程だけではなく、博士課程やポスドクのプログラムもあるようなので、今後の進路の選択肢として念頭に置いておきたい。
今日もまたトランスヒューマニズムについて色々と調べたり、考えたりする1日だった。しばらくはこうした日々が続くだろう。まずはトランスヒューマニズムの全体像をもう少し掴んで、それを構成する様々な分野の細かな知識をゆっくりと獲得していければと思う。トランスヒューマニストの自覚の1つとして、自分が金融資本主義というタイタニックに乗っているということの自覚があるように思える。またトランスヒューマニストとしての実践的な在り方としては、タイタニックが沈んでも生きていけるだけの知恵と技術をを身に付けていくことにあるかと思う。そのようなことを考えていた。
今夜も夜が深まってきた。今から少しばかり作曲用の原型モデルを作成していく。その後、少しばかり箏の稽古をしよう。夕方に閃いたこととしては、昔自分がやっていたゲームの中で印象に残っている『クロノ·トリガー』のピアノソロの楽譜を箏の楽譜に起こしていくだけではなく、バッハのコラールも同様に箏の楽譜に起こしていきたいと思った。そうすれば、それらを毎日楽しんで演奏できる。ゲーム音楽とバッハに絞って演奏してもいいぐらいである。年末年始の旅行から帰ってきたら、両者のピアノ曲の楽譜を1曲ずつ週末に箏の楽譜に起こしていこうと思う。それぞれ2、3曲毎週末に作って、その週はそれらの曲を弾き込んでいくといいかもしれない。コラールは4声のものではなく、2声のものを考えている。2声のコラールを箏で演奏する際に、ベース部分は左手で弾いていくイメージだろうか。左手はピチカート的に弾いていく必要があるだろうか。それほどまだ器用に左手を動かせないが、2声のコラールを通じて左手も自由自在に使えるようになってくれば、即興演奏の境地にまた一歩近づいたと言えるのではないかと思う。フローニンゲン:2022/12/21(水)19:35
Comentários