No.4183 天照大神_Amaterasu Ōmikami
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2059, A Precious Recollection
Any recollection is precious.
Suddenly, a recollection came back to my mind.
It shaped music.
Groningen; 08:12, 12/19/2022
No.2060, A Transhumanist Manifesto
My soul caught the voice of a transhumanist manifesto.
What is it?
My soul is so curious about it.
Groningen; 13:06, 12/19/2022
No.2061, A Transhumanist
I could be a transhumanist not only for myself but also for all sentient and all non-sentient beings at present and in the future.
Groningen; 20:15, 12/19/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9609. 朝の世界に佇んで
9610. 今朝方の夢
9611. 「無宗教だがスピリチャル」の危険性
9612. トランスヒューマニスト党に関心を持って
9613. ゴムバンドを使った意識的なトレーニング
9614. アブダビに呼ばれて/トランスヒューマニストの探究に向けて
9615. 湧き上がる無地蔵のエネルギー/トランスヒューマニズムの方向が正しいのだろうか?
9609. 朝の世界に佇んで
時刻は午前6時半を迎えた。どうやら今は小雨が降っているらしいが、外が真っ暗なのでよくわからない。先ほど1階に降りた時、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。今日からは寒さが少し和らぐので、小鳥たちも姿を現したのだろうか。今の気温は3度で、今日は7度まで気温が上がる。昨日の日記に書き留めたように、今日の気温は山なりではなく、緩やかな右肩上がりの直線を描く。夜にかけてだけではなく、そこから明日の夕方に向かって気温が9度までゆっくりと上がっていく。
自らの取り組みに着実に取り組むこと。何も焦ることはなく、着実に自分の取り組みを前に進めていく過程の中でこの世界に関与していくこと。絶えずライフワークに従事すること。その中で人との関わり合いを大切にし、他者と共に学びと実践を前に進めていくこと。その大切さを常に心に持ちながら、その瞬間の自分に出来ることを行っていく。
今日はいつもの月曜日のように、午後にジムに行こうと思う。ジークンドーの稽古、筋力トレーニング、サウナの楽しみがそこにある。筋力トレーニング関して言えば、今日は先週の木曜日にエリーザに教えてもらったメニューを自分で復習してみようと思う。器具の正しい使い方や身体の角度等で細かな修正はまた木曜日にエリーザにお願いすればいい。また、ジムには名前は聞いていないが知り合いが何人かできたので、彼らに質問をすればきっと答えてくれるだろう。ジムに行く前に、近所のコピー屋に立ち寄って、書籍の受け取りを行う。おそらく、先日注文したテクノロジー哲学の論文集かと思う。ここからしばらくは、神道の書籍を夜に読むことに並行して、日中はテクノロジー哲学およびテクノロジー神学の書籍を読み進めていく。それがひと段落したら、来年の初旬に行われる批判的実在論の講座に向けて、批判的実在論の用語集を最初から最後まで読み進めたい。そこからは思弁的実在論の講座も予定しているので、改めて思弁的実在論に関しては、その全体像と詳細の双方がわかる書籍を音読していこうと思う。フローニンゲン:2022/12/19(月)06:49
9610. 今朝方の夢
朝の風の声が聞こえてくる。時刻は午前7時を迎えたが、辺りはまだ真っ暗である。闇の方に目を向けてみると、窓ガラスに微細な雨粒が付着していることに気付いた。やはり小雨が降っているようだ。近くの家に明かりが灯り、人々もそれぞれの活動に向けて準備を始めている。
種を撒き、それを育て、実をつけて、その実を世界に届けていく。そして実を届け終えると、また大地に種を植えてそれを育てていくこと。それが自分の人生である。絶え間ない準備と育成と収穫のプロセスに縁取られた人生。いつもその最中にある。自分は人生というプロセスの中にいるのだろうか、それとも人生はプロセスを超えたものであり、自分はその超越したものと一体となっていると言えるのだろうか。そのようなことを考える月曜日の朝だ。
今朝方は、雪の積もる世界の中にいる夢を見ていた。まさに白銀世界と形容できる、辺り一面が深々とした雪に覆われた世界に私はいた。実際には、身体がそこにあったのではなく、意識だけがそこにあって、世界を眺める者としてそこにいた。そうそれは、夢の世界における目撃者の意識状態である。そんな意識状態の中、たくさんの隣り合わせになっている家の上を歩く少年の姿を見かけた。少年は嬉しそうに屋根の上を歩いていた。すると、ある家の屋根の窓から少女が現れ、その少年と友達のようだった。少女も少年に加わって、2人は笑顔で雪の積もった屋根の上を楽しそうに駆けて行った。そんな場面があった。
その他には、父と叔父からメールをもらう夢があった。メールを確認すると、2人からメールが届いていて、父からは今度いつ実家に戻って来れそうかという連絡であり、叔父の方のメールには、叔父が趣味で始めたという俳句がいくつも掲載されていた。叔父の俳句を読むと、なかなか面白く、しばらく集中して全ての俳句を読んだ。そのような場面があった。今朝方の夢としてその他にも、小中高時代の親友(SI)が現れる場面もあった。その場面についてはもうあまり覚えていない。断片的な夢は、断片的な思考のように、無意識の奥深くへと戻っていき、それがまた新しい夢を生み出す。無意識は巨大な培養器であり、内的現象を調理する巨大な場でもある。フローニンゲン:2022/12/19(月)07:16
9611. 「無宗教だがスピリチャル」の危険性
朝の学術書の音読が捗っている。ふと顔を見上げると、辺りが明るくなっていた。明るくなっていたと言っても、今日は曇りがちで、幾分寂寥とした感じが漂っている。テクノロジー哲学者のユク·ホイが提唱したコスモテクニークスに関する論文集を読みながら、昨今の人々の宗教観について考えていた。現代においては、無宗教であるが霊的なものは信じるという人たちが増えているようで、それは「無宗教だがスピリチャル("Spiritual but not religious (SBNR)”あるいは“Spiritual but not affiliated (SBNA)”)」と呼ばれる。後者のSBNAに関しては、特定の宗教団体に属していない形で霊的なものを信じるということだと思われ、それなら理解ができるが、しかしそうであったとしても、人は必ず何かしらの宗教観に大なり小なり影響を受けている点から、前者のSBNRという括りは果たして成り立つのだろうかと思ってしまう。また、後者の意味合いも、特定の宗教団体への所属という意味での“affiliated”ではなく、さらに意味を広げて、宗教的な行為に紐付けられているという意味で捉えれば、人は何かしらの宗教的な慣習を無意識的に行っている生き物であるから、結局前者の言葉にせよ後者の言葉にせよ、宗教的なものに汲みしていることになるのではないかと思う。神社にお参りに行ったり、クリスマスを祝うなど、そこには必ず宗教性が存在しているのであるから、前述の言葉の括りで表現されている霊性というのは単なる霊性上の亜種的な発想に過ぎないのではないかと思う。そのような亜種的な霊性観に裏打ちされて生きるぐらいなら、世界の諸宗教を学び、それらを含んで超えていく「インテグラル·スピリチュアリティ(統合的霊性)」を体現した方がよほど良いのではないかと思えてくる。結局のところ、宗教は信じないがスピリチャルは信じるという人たちの言葉に耳を傾けていると、何かしらの宗教体系の用語が口にされることが多く、結局のところ宗教的な影響から免れているわけではないのである。そうした状況のままでいると、悪質な新興宗教の餌食になってしまうという問題を助長してしまうのではないかと思う。世界がますます不安定になっている現代社会において、宗教的な深い理解を獲得しようとする態度のないままに霊的なものを信じようとするのはかなり危険なのではないかと思えてくる。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2022/12/19(月)09:48
9612. トランスヒューマニスト党に関心を持って
時刻は午後1時を迎えた。この日記を書き終えたらメールをチェックして、少し仮眠を取る。仮眠後に自宅を出発して、コピー屋に立ち寄ってからジムに行こうと思う。
今日の午前中の読書を通じて、また大きな関心事項を発見した。端的には、テクノロジー、政治、宗教の接点を見つけたのである。もっと具体的には、アメリカの政治家ゾルタン·イストヴァンが所属するトランスヒューマニスト党の政治思想に注目してみようと思った。政治とテクノロジーと宗教の繋がりから、ケーススタディーとして注目すると興味深いであるトランスヒューマニスト党の思想と活動を追ってみる。今、イストヴァンやトランスヒューマニズム党の掲げる政治思想のわかる動画を片っ端から視聴しており、トランスヒューマニズム党のポッドキャストも追ってみることにした。日本ではあまりトランスヒューマニズム党の話を聞いたことがなく、仮にアメリカに来年から行くことになったら、その活動拠点であるアメリカの地でこの政党について詳しく調査をし、日本語で新書を執筆してみたいと思う。そもそもトランスヒューマニズムについては、ポストヒューマニズムと同じぐらいに以前から注目していて、関連書籍は随分と購入していた。ところがその時にはあまり問題意識を持ってそれらの書籍を読んでいなかったので、内容はあまり頭に入っていない。だが、今はこのようにして、トランスヒューマニズムの思想を体現した政党があることを知ったので、テクノロジー、政治、宗教の三位一体の関連性からこの政党の活動を追っていき、トランスヒューマニズムの運動について深く理解したいという思いが強い。とりあえず、トランスヒューマニズムの手持ちの書籍はもう一度全て音読を通じて読み返していこうと思う。
香港のテクノロジー哲学者ユク·ホイが述べるように、コスモテクニークスはコスモポリティクスでもある。文化固有のテクノロジーに関するコスモロジーが存在していて、それは文化固有の政治の存在を示唆している。トランスヒューマニズムの運動もまたコスモテクニークスと絡めて考察を深めていくと、色々と面白そうなことが明らかになりそうである。フローニンゲン:2022/12/19(月)13:19
9613. ゴムバンドを使った意識的なトレーニング
時刻はゆっくりと午後6時に近づいてきている。今日は日中の気温が8度まで上がったので、随分と暖かく感じた。これまでずっと日中もマイナスの世界であったことの反動からか、このくらいの気温であれば全く寒さを感じなかった。ジムに行くまでの道のりも寒さを感じることはなく、ジムの帰りにはサウナに入っていたこともあって体はポカポカしていた。
今日はジムに行く前に近所のコピー屋に立ち寄って、書籍を受け取った。受け取ったその場で梱包を紐解くと、ドン·アイディの現象学的テクノロジー思想に関する書籍と、オックスフォード大学から最近出版されたテクノロジー哲学に関する論文集のハードカバーであった。後者はかなりのページ数のため、重たかったが、近々それに目を通す楽しみを思いながらジムに向かった。今日のジムでのトレーニングは、いつものように鏡のある部屋でジークンドーの稽古をした。前回のロビンさんとのプライベートレッスンで受けた指摘を何度も復習しながら日々の稽古をしていると、それらの箇所については随分と改善が見られた。とにかく精度を上げて技が繰り出せるように、意識を集中させ、ゆっくりとした動作で1つ1つの稽古をしていく。これは何度も肝に銘じておきたいことである。さもなければ、速い動きをして誤魔化してしまうことになるであろうから。
ジークンドーの稽古の後に、1時間強の時間を使って筋力トレーニングを行った。前回のエリーザとのセッションで随分と鍛錬をしたので、少し回復が追いついていない箇所があるように思えた。特に上腕二頭筋あたりに疲労感があったので、今日はその箇所を活用するのは後回しにし、ゴムバンドを使って鍛えることを実験的にやってみた。ちょうど自分の近くに見本になるような人がいて、彼がゴムバンドをうまく活用しているのを見て、その後見様見真似で同じ動作をやってみた。端的には、片方の腕でゴムバンドを引っ張っていき、その際にもう片方の手で、鍛えている大胸筋の箇所を触りながら、その動作が正しく効いているかを確認しながら行う動作である。これを何セットか繰り返していった。個人的には手で触ることによってさらにその箇所に意識が集中され、これは効果がとてもあるように思えた。今後もこうした意識的なトレーニングを行なっていきたいと思う。彼はエリーザとは違う男性のトレーナーについていて、2人の意識的なトレーニングはとても参考になると思ったので、彼らの動きを色々と観察していた。次回以降の自主トレーニングでは、彼らから目で盗んだエクササイズを自分のメニューにも取り入れてみたいと思う。全ての学習と実践の根幹には、意識的な鍛錬があることを常に念頭に置いておく。フローニンゲン:2022/12/19(月)18:00
9614. アブダビに呼ばれて/トランスヒューマニストの探究に向けて
刻まれていく時。刻まれていく人生。人生は静かな足音を立てながら、その1歩1歩を刻みながらしかるべき場所に向かっていく。絶えず今ここが終着地であり、出発地であること。人生は刻んで始まり、刻んで終わる。それぞれの刻みが途切れることのない巨大な流れの中にある。
午前中にふと、どこかのタイミングで1年間ぐらいイスラム圏で生活するのではないかという直観がやって来た。まだビジョンは鮮明なものではないが、それは十分にあり得る。東南アジアのイスラム国であるインドネシアには青年期に行ったことがあるが、中東のイスラム圏には一度も足を踏み入れたことがない。2月にはやはりアブダビに行こう。まず自分に声を掛けてくれたのはUAEであった。UAEのアブダビは、中東の中でも随一の安全な都市とのことだ。イスラムの雰囲気を感じるために、2月末のアブダビ旅行についてもまた計画を立てようと思う。
今日は午後にジムに向かっている最中に、トランスヒューマニスト党について考えていた。これは自分の学術研究上のテーマにもあるだろうし、実践上のカギを握るものになるような気がしている。トランスヒューマニスト党がどのようなビジョンのもとに、どのような思想に基づいて最先端テクノロジーを活用して社会課題を克服しようとしているのかを追ってみたい。ブロックチェーン技術、VR技術、遺伝子工学などの最先端テクノロジーをどのように社会課題の解決に繋げているのだろうか。また、新興宗教的あるいはカルト的な団体とどのように一線を画しているのだろうか。色々と興味は尽きない。アメリカで発祥したこの政党は、イギリスを含めて、その他の国にも波及しているようだ。その歴史を辿ることと、常にその最新動向を追ってみたいと思う。この政党の歴史と取り組みをどのように学術研究に繋げていくかはこれから考えていこう。いずれにせよ、この政党の思想と取り組みは、テクノロジー、政治、宗教、神学などの多岐の分野にまたがっていることから、研究のしがいがありそうである。日本ではその取り組みがあまり知られていないように思えるので、自分の研究成果をどこかのタイミングで新書の形で世に送り出すことも視野に入れておこう。今読み進めている書籍の音読を終えたら、トランスヒューマニズムと宗教に関する書籍を音読し始めよう。読書の方向性を絶えず調整しながら、その時の自分の関心事項を思う存分に探究していく。とにかく自分の魂が欲する探究をしていくのみである。フローニンゲン:2022/12/19(月)19:13
9615. 湧き上がる無地蔵のエネルギー/
トランスヒューマニズムの方向が正しいのだろうか?
湧き上がってくる活動エネルギー。その根源には、利他的な活動への思いがある。結局のところ人は、利己的な思いに立脚して活動に従事しようとすると、そのエネルギーというのはたかが知れている。一方で、自己を超えて、時間軸を伸ばして遍く存在を対象に入れた活動に従事する際に、人は無尽蔵のエネルギーが湧いてくる。そんな状態に今の自分はある。
ニーチェの超人思想に共鳴する自分の魂。トランスヒューマニズムへの関心もそこに端を発している。人間存在に関する既存の価値観を打ち壊し、新たな価値観に立脚して人生に従事しようとしている自己。新たな価値観の社会への浸透を希求しながら、日々の小さな活動に従事している自己。その延長線上にトランスヒューマニズムへの関心がある。とは言え今の自分は、トランスヒューマニズムについてはかなり冷静に眺めている。この分野に関してはいくつも学術書が出版されていて、現時点でもかなりの量を所有している。それらを再度全て読み返していき、トランスヒューマニズムについて分厚い知識を獲得していこうと思う。それはトランスヒューマニズム党の試みについての理解を深めてくれるだろうし、彼らの動きを冷静に眺めることにも繋がる。以前購入した書籍以外にも何か重要な学術書はないかと調べてみたところ、およそ15冊ほど興味深い書籍を見つけた。まだ良書がありそうなので、後日調査をしてみて、1月にマヨルカ島から戻って来たら、トランスヒューマニズム関係の書籍の中で重要そうなものは全て購入しようと思う。
人間と人間社会、そして他の生命や地球そのものの存続に関する未来を考えると、トランスヒューマニズムの話題は切っても切り離せない。最先端のテクノロジーを通じて、人間の限界を超えることを希求し、それを通じて地球の維持·発展に貢献しようとするトランスヒューマニズムの発想。この発想に共感する部分もある一方で、人間に永遠の命をもたらしたり、機能を拡張させていくことが、果たして宇宙全体としてみたときに望ましいことなのかはわからない。いっそのことこの文明ごと滅んで終えばいいのかも知れないという思いに駆られることが時にあるが、それは虚無主義的な発想なのだろうか。そうした発想を仮に採用しないのであれば、道としてはトランスヒューマニズム的な方向に向かっていくしかないように思えてくる。あとは政治的にそれをどのように社会に実装させていくのかという非常に個別具体的な問題が頭をもたげる。この問題に対する回答を見つけていく試みこそが、自分のこれからの研究と実践の最大の焦点なのかも知れない。フローニンゲン:2022/12/19(月)20:03
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