9595-9599: フローニンゲンからの便り 2022年12月16日(金)
- yoheikatowwp
- 2022年12月19日
- 読了時間: 11分

No.4255 知覚の扉の向こう(その1)_Beyond the Door of Perception (Part 1)
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2052, A Calm Movement
The world is moving in a calm way.
The tranquil movement heals us.
Groningen; 08:50, 12/16/2022
No.2053, A Wish of a Winder Wind
A wish of winter wind is embodied at this moment.
It makes a series of bliss.
Groningen; 19:09, 12/16/2022
下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。
本日の2曲
全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。
楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
9595. 古事記を通じた日本神話の探究に向けて/挑戦気質の醸成
9596. 今朝方の夢
9597. 原稿の修正に向けて
9598. 日本の幾何学思想と神道の世界観
9599. 箏の稽古(51):筋力トレーニングとジークンドーからの学びを活かして
9595. 古事記を通じた日本神話の探究に向けて/挑戦気質の醸成
時刻は午前7時半を迎えた。今日もまた随分と冷え込んでいる。最近は常に湯たんぽを活用するような状態で、寝ているときにも足元に湯たんぽを忍ばせているようになった。1日に何度か湯たんぽのお湯を変え、常に暖かい状態を保っている。この寒さも後3日ほどすれば少し落ち着く。来週の月曜日からは、マイナスの世界を脱出し、少し暖かくなるようだ。
昨日のテクノロジー哲学の講座の中で、神話の話が出た。基本的に欧米で議論されるテクノロジー哲学はギリシャ神話に起源を持っていて、神話の理解が重要になる。仮に日本独自のテクノロジー観を発見しようとするのであれば、日本の神話に関する理解は不可欠になるだろう。そこで古事記を読む重要性が自分の中で増して来た。今年の秋に伊勢に訪れた際に、滞在した旅館の売店で古事記の現代語訳を購入した。日本語で古事記を読むだけではなく、むしろ英語の方が登場する神の名前が発音しやすいように思えたので、英語でも読みたくなった。そこで昨夜、コロンビア大学出版から出版されている“The Kojiki: An Account of Ancient Matters”を購入した。それに加えて、日本の神話の理解を深めるために、オックスフォード大学出版から出版されている“Handbook of Japanese Mythology”も合わせて購入した。ちょうど一昨日に13冊書籍を購入したばかりだが、再び2冊追加で購入し、一応今年に購入する書籍はそれで最後になるだろう。
一昨日のメルヴィンとの話の中で印象に残っていることを1つ思い出した。メルヴィンは自分と似ていて、絶えず新たなことに挑戦し、趣味の幅を広げながら人生を謳歌している。そんなメルヴィンの特性を形成したのは、彼の両親が毎年の夏に3人の息子たちに必ず新しいことに挑戦する機会を与えたことにあるのではないかと思った。とりわけ幼少期においては、視野の狭さや知識のなさから、自分から何かに挑戦する機会を作り難いため、親の貢献は重要になる。振り返ってみると、自分もまた様々なことに挑戦する機会を両親から与えてもらったように思う。メルヴィンを見ていると、幼少期から毎年夏に新しい趣味に没頭することを繰り返していたことが、今のメルヴィンの挑戦気質を形成しているのだと思わされた次第である。新たな趣味を見つけ、それに没頭する形で日々を充実感と共に過ごすこと。それはとても尊いことである。自分もまた今日も自らのライフワークに取り組んでいく。それはライフワークでもあり、趣味でもある。そうしたものを幾つも見つけられた幸運と、それらに思う存分取り組める環境があることに感謝したい。フローニンゲン:2022/12/16(金)07:53
9596. 今朝方の夢
時刻はゆっくりと午前9時に向かっている。今日は曇りのようであり、朝日を拝むことはできない。車庫の上にはうっすらと雪が積もっていて、地面もまた白い。来週の月曜日まではマイナスの世界がずっと続くため、積もった雪は残り続けるだろう。しばらく白い世界を堪能できそうである。それでは今から本格的に朝の読書に取り掛かりたいと思う。今日からは再びテクノロジー哲学に関する学術書を音読していく。夕方になる頃にはテクノロジー哲学を離れて、神道に関する書籍を音読していこうと思う。今日もまた音読三昧になる1日となるだろうが、それを楽しもう。音読を通じてゾーンに入り、音読ハイの状態で学術書を読み進めていく楽しみの中で今日を過ごす。
まだいつものように今朝方の夢について振り返っていなかったので、今朝方の夢を振り返りたい。夢の中で私は、見慣れない家屋の中にいた。家屋の壁を見渡すと、何かじんめりとしていて、近づいてみると、そこにナメクジがいた。特に壁の裏側にナメクジが大量にいて、それを駆除する必要があると思った。ナメクジの駆除の方法として、最初塩を用いた。塩を壁に撒くと、見る見るうちにナメクジは溶けて消えていった。塩を撒きづらい箇所のナメクジをどのように対峙しようかと考えたときに、火器を使おうと思った。火でナメクジを一掃しようと思ったのである。しかしそれをやると、家が燃えてしまう危険性もあったので、それには注意しながら行うことにした。いざ火をつけようとしたところで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えている場面としては、父と海辺で釣りをしていたものである。陸の部分から海にかけて水が流れていて、その脇には砂の山が足元ぐらいの高さまであった。海にルアーを投げると、早速父の方に当たりがあった。釣り上げてみると、小さなサメだった。流石にサメを調理して食べたいとは思わなかったので、父はそれを逃した。どこに逃したかというと、陸から海にかけて流れている水の中に逃した。サメはすぐさま海の方に向かって泳いでいったのだが、どういうわけか父もその水路の中に降りていった。そして手から何かを取り出して、水路の中に落とすと、大きなボールが現れた。それは緑色をしていて、人間ぐらいの大きさがあった。そして表面にはボコボコがあり、ちょうど水路を塞ぐような形でその場に留まっていた。父がなぜそのようなボールを取り出したかは不明だが、私は気にせずに釣りを続けることにした。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/16(金)08:56
9597. 原稿の修正に向けて
朝の時間がゆっくりと進行している。先ほど少しばかり書籍を音読し、洗濯物を室内に干した。先ほどメールを確認すると、編集者の方から出版予定の書籍に関する連絡が届いていた。全体として少し見直すべきところがあるとのことであり、それについて少しばかり考えていた。今回の書籍は単なる実践書でも、単なる思想書でもなく、「実践的思想書」として世に送り出したいという思いがある。日本で蔓延している、思想的なバックグラウンドのない実践や、哲学の分野に堆積された知を通じた現状分析のない実践の浅薄さに危機感を覚えている自分がいる。そうした危機意識から、単なる実践書ではなく、また単なる思想書でもなく、実践と紐づいた実践的思想書を今回は出版したい。実践書を謳う書籍は世の中に溢れていることと、自分の中で実践書の方向に寄せることは卒業したいという強い思いがある。これまでの書籍は絶えず実践に寄せる形で執筆していた。これまでの著作物と同じ路線を採用してしまうと、結局実践の背後にある思想的な深みのない状態に読者をとどめてしまうことへ危惧から、今回の方向性として、思想書の色を少し強め、「実践的思想書」という形式で執筆をしたいと思うに至った。多くの人は思想書と聞くと、実践に結びつきづらいものだという印象を持つかもしれないが、そうした思い込みを払拭したいし、今回の書籍で試みたように、どんな実践をする上でも実践を取り巻く状況を思想的な枠組みを通じて適切に分析した上で具体的な実践に取り組むことの大切さを今回の書籍では伝えたい。今日の午後にでも編集者の方に返信のメールをしておこう。全体の方向性に関して確認をし、方向性で合意が取れたら、来週から原稿の編集をしていこうと思う。編集者の方の意見だと、文章が全体的に観念的とのことなので、編集者の方のコメントに答えていく形で、具体レベルを上げていくように工夫をしたいと思う。フローニンゲン:2022/12/16(金)10:15
9598. 日本の幾何学思想と神道の世界観
時刻は午後7時半を迎えようとしている。今日も1日を通して寒く、湯たんぽには本当にお世話になった。今からもう一度お湯を入れ替えて、後ほどベッドに忍ばせておこうと思う。今日は寒空の中で、いつものように充実した1日を過ごしていた。もはや自分の生活の充実さは、外部環境によっては微動だにされない。不動の充実さがある。絶対的な充実感とういうものを体現した日々がどこか遥か彼方の遠方に向かって伸びている。そんなイメージが見える。
今日は夕方に、先日2021年の確定申告の費用項目を修正したのを同じく、2022年の確定申告の費用項目を精査して修正した。端的に言えば、最初の四半期から第三四半期までごっそりと費用計上が抜けていたのである。厳密には、通信費部分はきちんと計上していたが、事業に関わる研究費としての書籍代が計上漏れになっていたのである。1時間半か2時間弱かけて、1月から9月末までの費用の計上を精査して、会計士に報告するためのエクセルシートに追加していった。無事にその作業が終わり、今はホッとしている。年内に行うべきことは、神学大学院への出願の完了と、書籍の原稿の修正である。前者にかけては、今回は縁起を担いで、クリスマスの日に出願をしようと思っている。後者に関しては、夕食前に編集者の方に自分の思いと方向性に関する考えを長文のメールとして送った。事前に編集者の方の意見を聞いていたので、それを受け止めた上で、最善の方向性を提案する形でメールをした。再び編集者の方の返信を受けてから実際の修正作業に入りたい。
昨日のテクノロジー哲学の講座の中で、西洋と異なり、中国と同様に、日本では幾何学というものが非常に密教的な扱いを受けていたという話題が挙がった。幾何学は直感的に把握するものであるという教えが昔の日本にはあったようであり、その背後にある日本の思想に関心を持っていたところ、夕方に読んでいた神道の書籍の中で、それに関係する事柄が書かれていてハッとした。神道においては、大自然は教師であり、大自然の中には神秘的なシンボルが隠されているとされている。そして興味深いのは、そうした自然に埋め込まれたシンボルは、言語的に説明するという形ではなく、直感的に知覚することが奨励されていることである。これはまさに、日本における幾何学の扱いに繋がる発想なのではないかと思った。先週末のオンラインゼミナールの中で話題に挙がった、日本の深層意識にある中空構造と合わせて、神道に固有の自然観というものを改めて見つめ直したいと思う。それとタイプ論的に見ていく方向性と、自然神秘主義的な世界観という段階的な形で見ていく方向性の双方を採用したい。フローニンゲン:2022/12/16(金)19:34
9599. 箏の稽古(51):筋力トレーニングとジークンドーからの学びを活かして
つい今し方、夜の箏の稽古を終えた。このところは午後と夕食後に箏の稽古をすることが習慣になっている。今日から新しく始めた試みとして、筋力トレーニングのトレーニング方法を取り入れてみた。具体的には、筋力トレーニングにおいては、同じ部位を少なくとも3セット繰り返し鍛えていくのだが、その要領で、同じ曲を連続で3回繰り返すをことを行い始めた。これまでも確かに同じ曲を何度も繰り返して演奏することはあったが、テクニック集については1曲弾いたら次の曲に移るということをしていて、改めてその効果を考えてみたときに、筋力トレーニングと同じく、少なくとも3回繰り返した方がいいのではないかと思ったのである。1回目の際にはゆっくりと演奏し、2回目からは少しずつスピードを上げていくという形で演奏してみると、まさに筋力トレーニングおいて徐々に負荷量を加えていくようなことと同じ効果が期待されるのではないかと思った。何かデータを収集して検証したわけではないが、この仮説の体験的妥当性は高い。明日からも、テクニック集に掲載されている同じ曲を3回繰り返してから次の曲に移ることを継続させていこうと思う。それによって、1つ1つの曲で目指されている技術の習得がより強固なものになっていくのではないかと思う。そのようにして、技術の堅牢性を高めていく。
将来的に実現させたい自由自在の即興演奏の境地に向けて、外国語を流暢に話すために行ってきたボキャブラリー、イディオム、センテンス的なパターンを膨大に集積し、それを身体知化しておく必要性に気づく。外国語を流暢に話すためには、文章を自由自在に構築していくための要素が必要となる。それがまさに、ボキャブラリー、イディオム、センテンスである。箏の演奏においても全く同様だ。箏の演奏においてもボキャブラリー、イディオム、センテンスに対比できるものが存在しているため、日々の稽古を通じてつぶさにそれらのパターンを獲得していくことに努めたい。それすらもが楽しさの感情を呼び起こし、それが演奏の楽しさをさらに強化させる。この楽しさの感情に浸りながら毎日箏の稽古をしていると、いつか気づいた時に自由自在の即興演奏が実現されるのではないかと思う。
その他にも今日は、ジークンドーの稽古で意識していることを箏の稽古でも意識してみた。端的には、リラックスすることであり、特に肩の力を抜いてリラックスしながら演奏することを意識してみた。その他にも肘などもリラックスさせたり、指先もリラックスさせるといいかもしれない。リラックスする箇所についても自分なりに模索していき、今度先生にも何か意識している箇所があるかどうかを尋ねてみようと思う。フローニンゲン:2022/12/16(金)20:15
Comments