
No.4249 内面宇宙(その1)_An Inner Universe (Part 1)
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2050, Morning Unity
Time, space, and I unite with one another.
The trinity creates the whole.
Groningen; 09:13, 12/15/2022
No.2051, A Cradle
I always feel as if I were in a safe cradle.
The comfortableness encourages me to do a new challenge.
Groningen; 21:20, 12/15/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9590. 今朝方の夢
9591. メルヴィンとの即興演奏を楽しんで
9592. 即興性と創造性/ボイストレーニングに思いを馳せて
9593. 分裂症的・偏執症的社会/テクノロジー神学の探究に向けて
9594. 充実した筋力トレーニングを終えて
9590. 今朝方の夢
時刻は午前8時を迎えた。今の気温はマイナス2度と低い。今日は最高気温が3度まで上がるようで、ここ最近の気温の低さからすると、それでも十分に気温が上がっているように感じる。明明後日の日曜日まで気温が低い日が続き、来週の月曜日からはまた少し暖かくなる。一旦この寒さに慣れれば、来週からは暖かく感じられるだろう。
今日は午前中から昼過ぎにかけて、テクノロジー哲学の第3回目のクラスがある。それに向けて、扱っている書籍の該当箇所を再度読み返しておこうと思う。今日のクラスでは、批判理論とフェミニズム、そしてプラグマティズムや分析哲学の観点からテクノロジーを扱っていく。これまでのところ、毎回クラスの中でのやり取りは活発であり、こちらも大いに学ばせてもらっている。それを含めて今日のクラスが楽しみだ。
朝の活動を本格的に始める前に、今朝方の夢について振り返っておこう。夢の中で私は、見慣れない座敷にいた。そこでは料理が振る舞われていて、多くの人たちと一緒に和食を食べていた。自分の席には、小中高時代の女性友達(EN)と高校時代の友人(KY)がいて、彼らとは仲がいいはずなのに、お互いに黙って料理を食べていた。料理を食べ終え、立ち上がろうとすると、女性友達の荷物を踏みつけてしまいそうになり、危うく彼女に怒られるところだった。彼女には「気をつけてよね」と言われてしまったが、怒っているようではなかったので一安心した。その場を後にしようとすると、友人が自分を送ってくれるとと述べた。ちょうど今からすぐ近くの公園に行こうとしていて、送ってもらうほどの距離ではなかったが、彼の親切心を有り難く受け取り、一緒に公園に向かった。案の定、公園にはすぐさま到着し、彼はそこでいなくなった。公園のジャングルジムの方を見ると、そこに外国人の男性と小中高時代の親友(SI)が立っていた。2人は真剣な表情をして見つめ合っていて、何が行われているのか注意深く見ていると、友人が作った味噌汁を外国人のその男性に味見をしてもらっているようだった。友人はお茶碗に少し味噌汁を入れて、その男性に渡した。そしてその男性が一口味噌汁を飲むと、「旨い」と一言述べ、その男性はどこかに消えて行った。友人の方を見ると、友人は外国人の男性から味噌汁の味を褒められて涙を流していた。私は彼のところにゆっくり近寄って、無言で自分も味噌汁を味見させてもらうことにした。色からして濃厚な味噌を使っていることがわかり、香りも見事であった。味噌汁を一口飲んでみると、本当に美味くて驚いた。勢いよく飲んだので、ワカメを喉に詰まらせようになってしまったが、それぐらいに美味かったのである。あまりの美味さに思わず涙が溢れてきて、彼にお礼を述べた。すると彼はまた涙を流した。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/15(木)08:20
9591. メルヴィンとの即興演奏を楽しんで
時刻は午前9時半を迎えた。辺りはうっすらと雪で覆われていて、煌く朝日が雪で包まれた地面を美しく照らしている。昨夜は親友のメルヴィンの自宅に行ったのだが、その道中、確かに空気は張り詰めるように冷たかったが、それもまた心地良く、透明感のある空気を吸っていた。そして何よりも、空を見上げると、満点の星空が見えたことが印象に残っている。フローニンゲンは電気がそれほど多くないためか、そして空気が澄んでいるためなのか、星空が良く見える。昨夜は星空を眺める形で行き帰りを楽しんだ。メルヴィンの自宅と自分の自宅はとても近く、近所のスーパーのほど近くに彼の家があり、歩いて10分ほどで到着した。今自分が住んでいる一軒家はオーナーのフレディさんが手作りをしたために、手作りの良さと趣があるのだが、メルヴィンのアパートはそれとしてとてもお洒落であった。エレベーターもハイテクで、メルヴィンの住む最上階の4階のフロアに到着した時、そこに本棚が置いてあって、住人が読み終えた本をシェアしているようであった。このアパートはとても落ち着きがあって、メルヴィン曰く、住人たちも静かで夜は物音がしないそうだ。メルヴィンの部屋に入らせてもらうと、そこはとても広々としていて、非常に快適であった。メルヴィンの好きな小物や本が色々と置かれていたり、3本のギターや電子キーボードなどが置かれていて、メルヴィンの好きなもので囲まれている部屋だと分かった。部屋に入れてもらってからは、ラベンダーとミントのブレンドティーをもらい、そこからは少し話をした。そして、持参した箏をメルヴィンに披露すると、とても喜んでいた。そこからはメルヴィンのギターを平調子にチューニングしてもらい、ギターと箏の即興演奏を楽しんだ。その前にメルヴィンには「さくら」を披露したのだが、人前で箏の演奏をするのは初めてだったし、ギターと合わせて即興演奏をするのも初めてだったので、とても良い思い出になった。この思い出を共有できたのが親友のメルヴィンで良かったと心底思う。せっかくなのでメルヴィンにも箏を弾いてもらおうと思い、それを促すと、メルヴィンは嬉しそうに箏に触れ、箏の音色と戯れていた。今回メルヴィンと即興演奏をしてみて、改めてその面白さに気づかされた。ここから技術が磨かれていけば、ますます面白くなるだろう。メルヴィンのギターの演奏歴が長いため、指使いが素晴らしく、自分の技術が高まれば、もっと即興演奏が楽しくなると思う。再びメルヴィンと即興演奏することを楽しみに、ここから着々と箏の演奏技術を高めていきたい。フローニンゲン:2022/12/15(木)09:46
9592. 即興性と創造性/ボイストレーニングに思いを馳せて
もうしばらくしたらテクノロジー哲学の講座の第3回のクラスが始まる。今週末にはいつものようにオンラインゼミナールのクラスがあり、そちらに関しては第9回目のクラスとなる。講座やゼミナールの運営に関しても、小さく積み重ねていくことの大切さを思う。毎回のクラスから得られる学びの量は充実していて、こうした学びの場が得られることそのものに感謝したいし、こうした場に絶えず触れ続けていたいと思う。講座に関しては単発なものだが、それでもある一定のまとまりがある。また、オンラインゼミナールに関して言えば、こちらは可能な限りずっと続けていきたいと思う。とにかく実践を長く続けること。息を長くして実践を続けていくことでしか開かれない境地がある。その境地を開くためにも、様々な実践をゆっくりと継続させていく。
先ほど、メルヴィンの自宅を訪問した昨夜の話題について書き留めていた。箏とギターのコラボ演奏をした後に、そこからはメルヴィンにラップについて改めて実演混じりで話を聞いていた。いつも髪を切ってもらっているときにもラップの話題が出るのだが、自宅でゆっくりと話を聞いてみると、つくづくフリースタイルラップが面白いものだと分かってくる。自分にとってはこの日記の執筆は、フリースタイルライティングの形式を取っていて、即興的に出てくるものを言葉の形にしている楽しさがある。講座やゼミナールに関する音声ファイルの作成もまた、自分にとってフリースタイルスピーキングの様相を呈していて、とにかく自分は即興的に何かを行い、そこで自分の創造性を発揮するのが好きなようだ。
メルヴィンの話で一つ興味深かったのは、今はフリースタイルラップに特化しているが、将来的にはボイストレーニングをして、その場で即興的に歌を歌いたいとのことだった。とても素敵な目標である。以前メルヴィンは詩を作っていたことがあるらしく、フリースタイルラップで培った即興的な言葉の生成と詩の創作能力を合わせれば、即興的にその場で歌を作って歌うことも可能になるだろう。何か自分も似たようなことをしてみたいと思わせてくれる。実は2014年に1年間だけ日本にいたときに、ボイストレーニングを受けようか迷っていたことがある。その時には結局ボイストレーニングの体験レッスンではなく、アカペラのグループレッスンを体験したのだが、場所が自宅から遠かったので正式にレッスンを受けることをやめた。メルヴィンの話を聞いて、ボイストレーニングを受けてみたいと思った。それは日本語で受けたいのか、英語で受けたいのか、今はまだ判断ができない。当面はジークンドーや箏の稽古に集中して、余裕が生まれたらボイストレーニングを始め、自分も即興的に歌を歌う実践に乗り出してみたい。フローニンゲン:2022/12/15(木)10:02
9593. 分裂症的・偏執症的社会/テクノロジー神学の探究に向けて
時刻は午後1時を迎えた。先ほど、テクノロジー哲学の第3回の講座を終えた。今日のクラスもまた非常に大事な話がそこでなされていた。その中でも印象的だったことを備忘録がてら書き留めておきたい。1つには分裂症(スキゾフレニア)と偏執症(パラノイア)の話である。人間の発達において、身体次元でも細胞分裂という差異化が行われ、原子の結びつきによって分子が形成される統合化の現象が見られる。そして、精神次元においても同様に私は、差異化と統合化を通じて発達していく。その観点で言えば、人は大なり小なり、分裂症や偏執症的な性質を持っているはずだが、それを精神病としてカテゴライズし、カテゴリーによって病状が強化されてしまうことは1つの問題であるというのは以前から述べている通りである。そこからさらに、現代社会は歪んだ分裂症や偏執症を煽る形で社会運営がなされている。そのあたりの分析は、ガタリやドゥルーズなどに詳しいが、重要なことは、本来私たちが本質的に持っている性質が歪められ、歪な形になってしまった性質が強化され、搾取される形で社会が運営されているということである。そして人間には欲望があり、欲望がインフレーションさせられ、欲望もまた分裂症的かつ偏執症的な形で改変され、欲望のねじれが種々の社会現象を生み、社会構造を強化している側面があることは見落とせない。社会の中で生み出される種々の法律も政策も、分裂症的な傾向が多分にあり、本来の目的を見失う形でそれが実行に移される点もまた注目に値し、介入するべきことかと思う。それ以外には、今日のクラスを通じて、改めてギリシャ神話に立脚される形で展開される西洋的なテクノロジー哲学に加えて、我が国の神話に立脚する形でテクノロジーの性質を考察していきたいという思いを持った。クラスの中で、日本における古来の数学教育において、幾何学は秘匿的な扱いを受けていたそうで、幾何学という空間を扱う思想において、日本固有のものがありそうだと思った。また、時間においても、神道的な時間感覚は、キリスト教や仏教のそれとは異なるので、テクノロジー哲学者が注目している時間と空間の観点からテクノロジーを考察していく方向性に立脚すれば、神道固有の時間や空間の捉え方は、きっとテクノロジーを見通す新しい視点をもたらしてくれるだろう。そしてそれは視点のみならず、新しい視野や世界観そのものを与えてくれるかもしれない。「テクノロジー神学(theology of technology)」という言葉を作って自分が神学大学院で研究したいのはまさにそのテーマである。早速、英語でも古事記を読む必要性を感じ、古事記で展開されている日本神話についての理解を深めるために、前者はコロンビア大学出版から出ている書籍を、後者に関してはオックスフォード大学出版から出ている書籍を購入しようと思う。フローニンゲン:2022/12/15(木)13:14
9594. 充実した筋力トレーニングを終えて
時刻は午後7時を迎えた。先ほど夕食を摂り終えた。トレーニング後の夕食はとても美味いと改めて感じた次第である。今日は午後にジムに行き、準備運動がてらジークンドーの稽古をして、その後、パーソナルトレーナーのエリーザについてもらう形で1時間ほどのトレーニングを行った。ちょうどその前に、以前ジムの更衣室で出会った筋骨隆々の男性とトレーニングルームで会ったので少し立ち話をした。彼の動きはちょうど先日の月曜日に観察をしていて、トレーニングの仕方で参考になることを色々と目から盗んでいた。今日は彼がイヤホンをしていなかったので、先日彼から自分なりに学んだことを彼に伝えたところ、改めて彼の言葉でポイントを説明してくれ、とても助かった。ちょうど彼と立ち話をしているときにエリーザがやって来て、彼のことを「ビースト(野獣)」と笑いながら呼んでいたのが面白かった。彼はそれぐらいに筋肉が発達していて、ジムの中でも一際目立つ存在だ。彼はとても親切で、自分以外にも彼に話しかけて色々と質問してくる人には親切にトレーニングの仕方を教えている。そう言えば、彼が行っていることで興味深いのは、まるで科学者がデータを集めるかのように、小さな手書きのメモに自分のトレーニングをメモしていることである。何をメモしているのかについてはまだ尋ねていないが、おそらくトレーニングをした部位とその際に使った重量や回数をメモしているのではないかと思う。今度彼と会ったら何をメモしているのかについても尋ねてみよう。
さて、今日のトレーニングでは、エリーザからの提案もあって、いくつかの種目においては重量を少し上げてみることになった。背面の筋肉についてはもう少し同じ重量でやる必要があるように感じたが、確かに上腕二頭筋や上腕三頭筋を鍛えることに関しては重量を上げてもいいと思った。また、ランジのエクササイズもさらに一段高い強度を求めているように感じたので、重量を上げて正解だったと思う。このように、自分の身体の声を聞き、身体と相談しながら重量を決めていけることは筋力トレーニングの面白さである。ただし注意しなければいけないのは、筋力もその日の調子によって変動するものであるから、今日の重さが次回も最適な重さかはわからないということである。今はとにかく重さを上げるよりも正確な動きを身に付け、鍛える部位を狙って的確に鍛えていけるようにしたい。とにかく精度が大切である。次回の月曜日のトレーニングの際は、今日エリーザから習ったことを全て復習していこうと思う。頭だけの振り返りでは足りず、身体を通じて復習を行い、身体記憶として学びを蓄積していきたいと思う。それはジークンドーや箏の稽古と全く同じである。フローニンゲン:2022/12/15(木)19:30
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