9587-9589: フローニンゲンからの便り 2022年12月14日(水)
- yoheikatowwp
- 2022年12月17日
- 読了時間: 6分

No.4245 祝福の喜び_Joy of Celebration
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.2048, Like Floating Clouds
Once we can be like floating clouds, everything would turn out for the best.
Because everything is moving and changing.
Groningen; 08:33, 12/14/2022
No.2049, A Dance of Jazzy Light
The light is running fast.
It is jazzy.
Everything enjoys the creative and spontaneity.
Groningen; 13:14, 12/14/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9587. 今朝方の夢
9588. テクノロジーを通じた外部化の影響について
9589. 音読ハイを感じながら
9587. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。今の気温はマイナス7度とすこぶる寒い。昨夜もずいぶん冷え込んでいて、このところは日中にも湯たんぽを使って過ごしている。今日もまた寒い1日になることが予想される。最高気温はマイナス1度までしか上がらない。今日は午後7時に親友のメルヴィンの新居にお邪魔させてもらうことになっている。自宅からメルヴィンの家までは1kmしか離れていないので、歩いて10分ほどである。メルヴィンの自宅に行く前に夕食を済ませておこうと思うので、今日はいつもより気持ち少し早めに夕食の準備を始めたい。メルヴィンの自宅に行くまでは、今日もまた旺盛に音読をしながら読書をしていきたいと思う。
今朝方の夢を今改めて振り返っている。夢の中で私は、小中高時代の2人の友人(HO & SN)と会って話をしていた。同時に2人と話をしていたわけではなく、それぞれと別々に会って話をしていた。1人の友人とはサッカーの話をしていたし、もう1人の友人とは大学入試について話をしていたように思う。この夢に付随して、小中学校時代のある友人(MS)に勉強を教えている場面もあった。そこでは、中学校レベルの学習内容を彼に教えていて、彼の成績を上げる手伝いをしていた。そうした場面があった後、中学校時代の部活の先輩たちと見慣れない町のカフェの前で会った場面があった。私はすでに社会的に高い地位にあって、先輩たちはそれを知って驚いていた。部活を通じて先輩たちとは随分と親しくさせてもらっていて、当時の懐かしい話をして楽しんだ。この夢の後に、自分がどこかの会社の取締役に選ばれている場面があった。どうやら副社長候補に押されていたらしいが、最終的にはそのポジションではなく、1人の取締役として会社に参画することになった。自分としてもその方が気が楽だったので有り難かった。今朝方はそのような断片的な夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/14(水)07:21
9588. テクノロジーを通じた外部化の影響について
時刻は午前11時を迎えた。車庫の上が雪で覆われていて、その寒さを物語っている。今日は晴れだが、本当に気温が低い。朝から湯たんぽを使っていて、先ほどまたお湯を入れ替えた。とにかく足元から冷えるので、今は足の間に湯たんぽを挟んでいる。夜に親友のメルヴィンの家に行く際には暖かい格好をして行こうと思う。自宅を出発する前に夕食を食べることもあって、少し身体が暖かくなるだろう。メルヴィンの家に行く際には、メルヴィンのギターの即興演奏と合わせて箏の即興演奏をしたいと思うので、箏をケースに入れて持っていく。メルヴィンにとっては箏を見るのは初めてであろうから、感想を聞くのが楽しみだし、何よりお互いの即興演奏を合わせてみることがとても楽しみだ。その経験は、きっと今後何かの際に役立つだろうし、これからの自分の箏の演奏の可能性を開いてくれるものになるだろう。
昨日、テクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーの「第3の保持(あるいは第3の記憶)」について考えていた。第1と第2はフッサールの現象学からもたらされたものであり、例えば何か音楽を聞いている際に、その瞬間に音楽の音が記憶に残るのが第1の保持である。そして翌日にその音楽について回想して音を脳内で再現するのが第2の保持である。第3の保持は、例えば音楽をレコードしておいて、すなわち外部化させることによって、その録音を聞く形で想起される記憶のことをいう。現代においては、音楽だけではなく、様々な領域でライブではなくて、デジタル化されたコンテンツが溢れるようになってきている。それは第1の保持を起こりにくくさせ、その代わりに第3の保持を促しているように思える。それを通じて人間の能力や実存性がどのように変化していくのだろうか。その点は自分の関心の1つであるということを改めて思っていたのは昨夜のことだった。午前中の読書の中で、これに紐付くテーマについて言及されていた。そこの読解はとりわけ深いものにしていきたい。テクノロジーを通じた種々の外部化は、人間にいかなる影響を与えるか。そしてそれは社会にどのような影響を与えるか。それに関する関心は尽きない。フローニンゲン:2022/12/14(水)11:13
9589. 音読ハイを感じながら
時刻は午後4時半を迎えた。もうこの時間になってくると、辺りが暗くなってきている。今日は午前中からこの時間にかけて旺盛に学術書を音読していた。音読によってランナーズハイのようなゾーンに入る状態がもたらされるのは大変興味深い。それを「音読ハイ」と命名し、その状態を通じて我を忘れて音読を続けている日々が続く。その状態は脳内から快楽物質が出てきているので、音読を通じて学術的な事柄を知れる喜びだけではなく、その行為を通じて幸福感を通じるという点が特徴的である。音読によって幸福感を感じられるところを見ると、この実践の凄さを感じる。音読を通じて幸福感が得られることについて思いを巡らせながら、改めて音読によって著者の声を自分の内側に再現できることが興味深く思った。まるで著者がその書籍を執筆している現象学的体験を追体験できるかのようなことが起きるのが音読の良さである。音読の効能は、それら以外にもまだまだありそうだ。それぐらいにこの実践は奥が深い。
ユク·ホイのテクノロジー哲学の書籍を音読し終えたので、今から神道に関する書籍の音読をする。それが終われば、再びテクノロジー哲学に関する書籍を音読しようと思う。今のところの候補は、現在進行中のテクノロジー哲学の講座で扱うか迷った書籍である。それはテクノロジー哲学の様々な領域やトピックを網羅的にカバーしており、その書籍を読むことを通じて、再びテクノロジー哲学の全体観を掴んでおきたいと思った。これからまだまだ音読したい書籍がたくさんある。そうした書籍が積み重なってできた山は、幸福の山でもある。フローニンゲン:2022/12/14(水)16:48
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