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9566-9569: フローニンゲンからの便り 2022年12月10日(土)



No.4204 天空の静けさ_Celestial Silence


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2039, Heavenly Light

The morning world is shedding heavenly light on all sentient beings.

All of them are feeling blissful.

Groningen; 09:07, 12/10/2022


No.2040, A Shining Winter Moon

I’m gazing at a shining winter moon.

The moon is smiling back at me.

Groningen; 19:21, 12/10/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9566. 経済神学に興味をそそられて

9567. 今朝方の夢

9568.「無為の中心性」という日本の精神性に触れて

9569. 種々の新たな神経回路の形成


9566. 経済神学に興味をそそられて


時刻は午前8時を迎えようとしている。辺りはまだ真っ暗で、気温もマイナス1度と低い。今日は日中においても1度までしか気温が上がらないようだ。昨夜から湯たんぽを使い始め、朝の今もまた湯たんぽにお湯を入れて、お腹や腰を温めている。いよいよ本格的な寒さが到来した感じだ。


昨日無事に2021年度の確定申告に向けて費用項目の修正を終えた。会計士のロブに送るメールのドラフトも既に書き上げている。何をどのように修正したのかについてロブに連絡する必要があったので、その旨、わかりやすく説明した数行ほど文章を入れておいた。昨夜の就寝間際に費用項目の名前に関してもう少し適切な名称があると思ったので、後ほどその修正をしておきたい。


昨夜就寝前に、「経済神学(economic theology)」の論文集を読んでいた。論文集を読みながら、経済神学という分野があることを改めて認知し、大変興味深く思った。確かに書籍の購入段階から興味深いと思っていたが、改めてこの学問分野を日本語に翻訳してみると、興味を掻き立てられる。経済神学も日本に紹介したい1つの領域である。論文集の中には、マネー神学で有名なフィリップ·グッドチャイルドも論文を寄稿していたり、ロイ·バスカーの批判的実在論に言及した論文もあったりと、大変興味をそそられる論文集であった。論文集に掲載されている40本ほどの論文にざっと目を通し、この論文集はまた再読しようと思った次第だ。


さて、今日は午前中から昼前にかけてオンラインゼミナールの第8回目のクラスがある。気がつけばもう8回目を迎えていた。他の全ての活動と同じく、小さく積み重ねていくことの大切さをこのゼミナールに対しても思う。ゼミナールを通じて自分自身が一番学びを得ているような気がするぐらいに毎回のクラスから得られるものは多く、またゼミ専用のコースページの中での受講生の方々の書き込みから学ばされることも多い。今日のクラスもまた実り多きものになることを願いながら、事前の準備をしておこうと思う。フローニンゲン:2022/12/10(土)07:59


9567. 今朝方の夢


時刻は午前9時半に向かっている。あと30分後にオンラインゼミナールのクラスが始まる。今日もまた相当に冷えていて、霜と言ったらいいのか、粉雪と言ったらいいのか悩むような白いパウダー状のものが地面を覆っている。それを見て、よく家の前にいる黒い猫たちが心配になった。彼らが仮に野良猫だった場合には、相当に寒い思いをしているのではないかと思ったのである。なんとか寒さを凌げるような場所を見つけて、そこで無事に過ごしていてくれればと思う。


今日はいくつか断片的な夢を見ていた。1つには、オブジェクト指向存在論の提唱者であるグラハム·ハーマン氏が若くしてお亡くなりになられ、彼の仕事を自分が引き継ぐことになったことである。彼が執筆した全ての書籍と論文の内容がどういうわけか自分の頭の中に全て収められていて、それをもとに自分なりの独自性を付け加える形で新たな存在論と実在論の提唱に受けて取り組みを始めた自分がそこにた。そのような場面があった後、気がつけば私は実際に通っていた高校の教室にいた。そこで英語の授業を受けていた。能面のようなのっぺりとした顔をした女性の先生は、確か漢文を担当していたのではなかったかと思ったが、どうやら英語を担当しているようで、その先生の授業を受けていた。学校から配られた単語帳が結構独特で、かなりセクシャルな意味の単語が多いだけではなく、その単語を解説するイラストもまたセクシャルなものだった。その単語帳を用いて後ほど単語テストをするということで、先生は私たちに時間を少しくれ、その単語帳を楽しみながら眺めていた。しかし、自分にとってはもう知っている単語ばかりだったので少し物足りなく感じ、自分の勉強をしようと思ったところで夢の場面が変わった。


その次の夢の場面では、すでに解散したあるジャニーズグループに所属していた自分よりも少し年上の男性とカフェで勉強をしていた。私たちはそれぞれ異なる資格試験に向けた勉強をしていて、お互いに教え合いながら勉強を楽しんでいた。その方はジャニーズの中では最も高学歴と思われる方で、知性が高く、話が合った。お互いの試験が終わったら、またカフェで話をしようと述べて別れた。


さらに続きとして、3人の外国人と4人で創造的な仕事とは何かについて語り合っていた場面があった。私たち4人はそれぞれ違う創造的な仕事に従事していて、お互いにユニークな意見が出た。それらの多様な意見によって、私たちの創造性はまた刺激され、一段と創造的な仕事ができるのではないかと思った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/12/10(土)09:31


9568.「無為の中心性」という日本の精神性に触れて


時刻は午後1時に近づいている。今日は本当に底冷えするような寒さであり、朝から湯たんぽを使ってお腹と腰を温めてながら過ごしている。先ほど、オンラインゼミナールの第8回目のクラスを終えた。今日のクラスは少人数で開催されたが、その分とても密な対話がなされていたと思う。とても印象に残っているのは、ある受講者の方が、河合隼雄の『中空構造日本の深層』という書籍を取り上げてくださったことである。この書籍で書かれていることがこれまで政治思想を扱ったクラスで言及されていたことに深く関係していたし、自分自身の関心事項とも深く共鳴するものであった。本書において河合隼雄は、日本人の心の深層を解明する題材として『古事記』を取り上げる。古事記において見出される中空構造を指摘し、それを西欧型の二項対立的な弁証法構造と対比させながら、日本人の精神性の奥深くにある性質を論じていく。この間日本に一時帰国して伊勢神宮に行き、そこで現代語訳の古事記を購入してそれを読んだ時、確かに河合隼雄の指摘するように、登場した3神のうち2神については言及があるが、他の1神については全く言及がないことを疑問に思っていた。河合隼雄の分析でハッとさせられたのは、2神が仮に対立し合っていても、その2神の間に何の活動もしない無為の中心としての神がいるということである。それはまさに「空(くう)」的な神であり、その存在を置くところが西洋の善悪二元論的な存在とそれを超克しておく物語と異なることかと思った。無為の中心性によって全体のバランスが保たれているというのは、古事記に見出される構造だけを指すのではなく、私たち日本人の精神構造に深く根差したものがあるがゆえに、日常の様々なところにその構造から立ち現れる現象を見出せる。この点は非常に重要である。例えば、これまでのゼミナールの中でベーシックインカムについて取り上げていたときにも、ベーシックインカムの導入に対する賛否が割れ、結局日本の中でそうした制度が速やかに導入されない背景には、少なからずこの精神構造が影響をしているかと思う。ある沸点を超えるまでは2極を揺れ動きながら、沸点を超えて初めて1つの決断や制度導入がなされるが、再び無為の中心性の存在のおかげで全体性を取り戻すという現象は枚挙にいとまがないように思える。このあたりの話は、ぜひ神学大学院でも研究してみたいテーマである。フローニンゲン:2022/12/10(土)13:02


9569. 種々の新たな神経回路の形成


時刻は午後4時半を迎えた。もう辺りが随分と暗い。今日は本当に冷える1日だった。午後に買い物に出かけたときにその寒さを肌身に感じた。スーパーに行く道すがらに通ったノーダープラントソン公園の池の水が凍っていて、氷の上を鳥が歩いていた。今年は例年以上に寒い冬になることが予想される。その寒さがまた自己を内側から鍛えてくれる。この厳しい冬は、また自己の滋養になるだろう。買い物に行く際に家の扉を開けると、そこに隣人のサハルがいた。見るとサハルの手にリードがあり、その先には黒い可愛い小型犬が繋がれていた。何やら友人に犬を見てもらうように依頼されたらしかった。ところがその子犬があまりに元気がいいので一旦外に出すことにしたそうだった。サハルが思わぬ形で手からリードを離してしまい、そこからはその子犬が元気一杯に庭の中を駆け回り、捕まえるのが大変だった。存分に走り回ってからその子犬は土の上に何かを見つけたらしく、その匂いを嗅いでいるところをサハルがようやくリードを捕まえる形となった。実家にいる愛犬はもう歳なので、このような形で元気に走り回ることはもうないが、当時の愛犬の元気な姿が思い出されるかのようで楽しいひとときを過ごしていた。


買い物から帰って来ると、少し休憩をして箏の稽古をした。今日もまたテクニック集に従って練習をして行った。そこで感じたのは、徐々に箏の演奏に関する神経回路が自分の中にできて来ているという感覚だった。例えば、以前苦戦していた合わせ爪も、今はほとんど不自由なく演奏できるようになっている。その流れに従えば、今は苦戦している左手でのアルペジオもいつか難なく演奏できるだろう。このように、少しずつ実践に固有の筋力がついていく様子を見れることを楽しみたいと思う。明日はロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンがあり、ジークンドーにおいても同様に、徐々に自分の中でその実践に固有の神経回路が形成されているのを実感する。フローニンゲン:2022/12/10(土)16:46

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