
No.4192 フランクフルトの光の衣_A Robe of Light in Frankfurt
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1998, A Soul Dance
My soul is dancing in the morning.
The dance creates a new dance,
Which invigorates the world.
Groningen; 09:16, 11/21/2022
No.1999, A Gentle Afternoon Walk
My soul enjoys a gentle walk in the afternoon.
It goes wherever it wants to go.
That’s totally natural and fine.
Groningen; 12:58, 11/21/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9473. 他者との学びが板に付いて
9474. 今朝方の夢
9475. 今朝方の夢の続き
9476. 縄文時代から学ぶこと/心の傷の遺伝性
9477. 筋力トレーニングとテクノロジー哲学
9478. 育まれゆく様々な能力
9479. 月の重力のように
9473. 他者との学びが板に付いて
ジークンドーのプライベートレッスンから一夜が明け、依然として前回の筋力トレーニングの際に鍛えた内転筋の筋肉痛が若干残っている。前回その部位を少し負荷を高くし過ぎて鍛え過ぎてしまったのかもしれない。金土日と3日間間隔を空けてもまだ筋肉痛があるということは結構なことである。今日は内転筋はさほど鍛えず、その他の部位を念入りに鍛えていこうと思う。
時刻は午前8時を迎えようとしていて、辺りはもう随分と明るい。遠くの空には雲があるが、家の上空には雲はなく、晴れ渡っている。今の気温はマイナス3度であり、今日は日中でも2度までしか気温が上がらないので、ジムには暖かい格好をして行こうと思う。ここ最近は、週に2回ジムに行くことが本当に楽しみになっている。これまでは週に1度だけジムに行き、そこでジークンドーの自主稽古と自重トレーニングを行い、サウナに入って来るという形だったが、器具を使って様々な部位を鍛えて行くことの楽しさを知り、週に2回のジム通いがとても待ち遠しいものになっている。改めて日々の習慣的な実践を考えてみると、箏とジークンドー、そしてジムでの筋力トレーニングがある。それ以外には、空気を吸うような感覚で行っている学術研究と創作活動がある。今はそれらがとても良いバランスで行われている。箏とジークンドーに関してはすでに先生がいて、先生に師事する形で鍛錬が続いている。筋力トレーニングに関しても、ジムに連絡をして、以前から顔見知りのエリーザにパーソナルトレーナーになってもらうことになった。ちょうど昨夜エリーザからメッセージが届き、今週の木曜日の午後3時から、最初のパーソナルトレーニングをしてもらうことになった。最初は目標設定の話をし、いくつか使い方を教えて欲しい器具があったのでその使い方について尋ねてみたいと思う。今はこのようにして、他者から学ぶということであったり、オンラインゼミナールのように他者と共に学ぶということが板に付いて来た。あとは来年アメリカに戻って、学術研究においても一線級の研究者からフィードバックをもらいながら研究を進めたい。そうした環境に飛び込む準備はできている。フローニンゲン:2022/11/21(月)07:58
9474. 今朝方の夢
静かな月曜日の朝。昨日オーナーのペイトラさんと立ち話をした時に、日本に1ヶ月もいたから向こうにずっと住みたくなったのではないかと尋ねられたが、やはり自分はオランダの落ち着いた環境が好きだと述べた。実際のところは、環境そのものは日本でも落ち着いたところはたくさんある。問題は日本人の精神性と行動様式であり、端的には自分は日本人でありながらも、日本人との接触をあまり好んでいない気がする。厳密には、1人の、あるいは少数の日本人と相対して話をする時には何の抵抗感もなく、むしろ肯定的な感情がそこに芽生えるのだが、大多数の日本人の中に自分が組み込まれて呼吸をすると、精神的に息苦しくてダメなのである。日本で生活することができないというのはそういうことだ。実現は不可能だと思うが、日本から日本人がいなくなるか、あるいは日本人が大多数を占める形でなくなれば、日本に住めるかもしれないということをちょうど昨夜考えていた。それだけ日本の国土は素晴らしいものがあるのだ。とにかく問題は集合としての日本人の気質と日本を覆う精神的空気である。それらをとにかく受け付けない自分がいる。
今朝方は2つほど夢を見ていた。1つには、前職時代のオフィスにいて、そこでアドミニを担当している女性と話をしていた場面があった。その方と私はダンスを習っていて、一緒に進級を果たしていた。ところが、その方は事情によってダンスから一旦離れることになった。1人で引き続きダンスのレッスンをしていた自分は、そこから随分と級を上げていった。会社の人たちは、自分が熱心にダンスを続けているとは知らなかったようで、今のレベルを伝えたら、みんな驚いていた。まずはそのような場面があった。
次の夢の場面は、日本のあるサッカークラブのクラブハウスにいるものだった。ちょうど午前中の練習が終わり、選手たちがシャワーを浴びてロッカールームにちらほらと戻って来ている最中だった。そこで私はある大ベテランの選手と話をし、その方はまだまだ現役で活躍できるどころか、これから海外移籍もできると伝えた。すると、その方は自分の年齢がもう40歳を超えていることを少し悲観的に述べ、海外移籍は無理だと述べた。そんなことはないと思ったが、海外クラブの視点に立つと、確かにわざわざ40歳を超えた選手を取ることはないだろうと思った。そこでハタと気づいたのは、その選手は実際にはすでに引退をしているということだった。すでに引退をしていながらも、現役時代と同じく毎日クラブハウスにやって来てトレーニングをするその方の姿勢に何か学ぶものがあった。フローニンゲン:2022/11/21(月)08:13
9475. 今朝方の夢の続き
今日のフローニンゲンはとても天気が良い。遠くの空に見えていた雲はどこかに消えて行き、今は世界が朝の優しい光に照らされて輝いている。自分を空っぽにしてみると、自分の内側に光る輝きを見出せる。頭も体も一度空っぽにしてみて、その場に寛いでみると、そこで初めて自分の真正かつ神聖な内的光に気づく。そんな気がする。
朝日が美しい朝の世界を眺めていると、そう言えば今朝方の夢の中で、朝日をたっぷり浴びる場面があったことを思い出した。夢の中で早朝に起床し、外の世界に朝日が満ち満ちていたので、これは朝日をしっかり浴びないともったいないぞと思って、寒さをそっちのけで玄関を飛び出した。そこで思う存分朝日を浴び、今日の活動に向けた気力を養ったのを思い出した。今まさに、そのような形で朝日を存分に浴びたい気分である。
その他にも、小中高時代の親友(SI)と一緒に精神的に窮屈な建物から抜け出して、波止場に向かっていき、そこで釣りをしていた場面があったこを思い出した。建物から外に出た時、昼下がりの太陽の光は眩しく、海の空気は澄んでいて、なんとも言えない解放感を得た。自分たちは自由なのだという感覚がそこにあったのと同時に、多くの人たちが依然として建物に収容されていることへの幾ばくかの罪悪感の感情があった。その感情を払拭するかのように、時を忘れて釣りに没頭しようと思った。ルアーを海に投げ込むと、すぐさま魚が掛かった。掛かったのは、とても大きな青魚だった。ところがその魚には大きな頭しかなく、体がなかった。その顔はとても仰々しく、歯が鋭そうで、ルアーを外すのが難しそうに思えた。恐る恐るルアーを外そうとするも、なかなかうまくいかず、友人にルアーを外してもらおうと思った。しかしもう一度考え直して、やはり自分でちゃんとルアーを外さないといけないと思い直し、ルアーをなんとか外した。というよりも、魚の口の奥の方にあったルアーが勝手に外れてくれたのである。それにホッとして、また海にルアーを投げ入れようとすると、友人の方もヒットがあったようで、彼が釣り上げたのは尻尾まできちんとある大きな青魚だった。だがその魚もやはり顔が仰々しく、パッと見、ギョッとしてしまうような顔をしていた。釣った魚をどのように調理するかはまた後で相談することにして、私たちはそこからも魚釣りに没頭していた。そのような夢を見ていた。2つの夢のどちらもどこか示唆深い。それらの夢が示唆することに考えを自由に思い巡らせている。フローニンゲン:2022/11/21(月)09:52
9476. 縄文時代から学ぶこと/心の傷の遺伝性
時刻は正午を迎えようとしている。早朝に引き続き、辺りには穏やかさが滲み出ている。今日は午前中に協働者の方々とオンラインミーティングを行った。その中で、この間青森で訪れた三内丸山遺跡の話から、縄文時代について自分がどのようなことを考えているのかの話となった。縄文文明は1500年ほどの長きに渡って存続したと考えられていて、そこには自然との共生や独自の死生観、さらには強い共同体意識があったことは注目に値するという話をしていた。現在の日本が忘れつつあるような自然との共生の発想や共同体意識、そして豊かな死生観について、縄文時代から学ぶことは多いのではないかと思う。そうした話の中で、『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』という書籍が話題に出て来た。現代社会においては、ひどく陰惨な出来事ばかりに注目が当てられがちであり、昨日読んでいた書籍が言及しているように、現代は過度な刺激を求める時代になっていて、日常に潜む心温まる現象に目が向きづらくなっていることについて話をした。この話題は、何気ない心温まる現象から幸福感を汲み取ることにも繋がっているような気がして、改めてこの身体的にも精神的にも激しい刺激を求める風潮の世の中において、刺激の低いがちょっとした心温まる現象に目を向けてみることの大切さを思った。その他にも、『心の傷は遺伝する(原題“It’s Didn’t Start with You: How Inherited Family Trauma Shapes Who We Are and How to End the Cycle”)』という書籍が話題に挙がった。私たちの心の傷は、自分個人のものというよりも、家系代々受け継がれて来た側面があり、家系の歴史を紐解きながら、家系そのものを癒していくことが、最終的に個人の癒しに繋がるということを改めて思った。とりわけ、直近3世代の心の傷を紐解いていくことは重要であり、3世代上の人たちの心の傷と自分の心の傷の関係性を解き明かし、それにフォーカスして癒しの実践を行っていくことは自分もある程度意識的にこれまで取り組んできたことである。個人の心の傷をその人だけに還元する発想はひどく矮小であり、もっと大きな視点を持って、その人を取り巻く家族と家系の歴史の観点から癒しや変容を捉える視点の大切さを多くの人に伝えたい気持ちである。今日のミーティングも非常に実り多いものだった。フローニンゲン:2022/11/21(月)12:09
9477. 筋力トレーニングとテクノロジー哲学
時刻は午後5時半を迎えた。先ほどジムと買い物から帰って来た。今日もまたジムで大変充実した時間を過ごした。昨日のロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンを受けて、今日は鏡のある部屋で、昨日習った動きを最初から最後まで復習していった。何か新しいことをやるわけでも、接触法の21個の動きを行うわけでもなく、昨日ロビンさんから指摘を受けたことを身体記憶に根付かせていくために1つ1つ丁寧に動きを復習していった。右左のジャブの連続の際には、自分の肩がテレグラフィックな動きになっていないかをチェックしたり、右のジャブを打った後の引く動きに連動して左のジャブを出すなどの動きの接続を確認しながら稽古をした。後半においては、昨日のレッスンで最後に教えてもらったフックフェイントからの動きを何度も繰り返し練習した。これは昨日初めて習ったこともあり、まだまだ身体が動きを覚えておらず、今後繰り返し練習をしていき、意識せずとも動きが発動できるようにしたい。
ジークンドーの稽古を終えた後は、器具を用いて筋力トレーニングを行った。昨日の段階では、内転筋が張った状態だったが、一夜明けて随分と回復したので、内転筋への刺激は程々にしながら、他の部位を念入りに鍛えていった。ジークンドーの稽古をした後のため、上半身を鍛えている時には汗が滲み始めていた。器具を用いるだけではなく、自分で工夫しながら器具を用いない形で身体の様々な箇所の筋肉を刺激するような動作も組み入れいった。局所的な部位を狙って鍛えることもあれば、複数箇所の筋肉を動員させる形で鍛える運動を行っていった。その中で、筋力トレーニングの器具もまたテクノロジーに他ならず、こうしたテクノロジーを用いた形で筋力を鍛えることに関しても、テクノロジー哲学の観点から考察を深めることができると思った。器具を用いながらトレーニングをすることによって、自重トレーニングだけではなかなか実現しづらいような身体を作ることができることを考えると、それはポストヒューマン的、あるいはトランスヒューマン的な身体の実現に向かう営みと言えるかもしれない。普段何気なく通っているジムでの体験をもとに、テクノロジー哲学と絡めた考察を今後も続けていきたい。フローニンゲン:2022/11/21(月)17:38
9478. 育まれゆく様々な能力
ボードリヤールのインタビュー集を読みながら、何かを閃いたので机に戻って来てパソコンを打ち始めた。全てが筋力の生成と拡張のように確かな生育を遂げていく形で自分を通じて現れる現象をいくつも目の当たりにする。文字通り、筋力トレーニングを始めてから、すぐに目に見える形で体が変わりつつある。一般的には3ヶ月ぐらいしないと変化が分かりにくいと言われるが、そんなことは全くない。器具を用いてトレーニングをし始めてから、すぐに自分の肉体の変化に気付いている。きちんとタンパク質を補給するためにプロテインを摂取したり、食事に気をつけたり、しっかり睡眠を取って、トレーニングも筋回復をさせるために週に2回に留めて実践してみると、すぐに身体上の変化が生まれている。筋力トレーニング以外にも、筋肉の成長と同じだなと思うは、ジークンドーや箏の稽古もそうである。さらには、この7ヶ月間地味に続けて来た英語の発音の矯正などもそうだ。発音はまさに口や舌の筋肉の使い方を改変させることであり、脳神経の改変を要求するものである。発音の能力というのもまた筋力と同じく確かな発達をするのである。発達科学をこれまで研究している自分にとって、このように筋力の発達と同じく、諸々の能力が着実に発達していく様を見て喜びと共に驚き、驚きと共に喜びの感情が芽生える。自分を実験台にしてこのようにして確かな成長が実に様々な領域に発生していることはとても喜ばしい。おそらく、多様な領域の能力は相互作用をし、時に思わぬ組み合わせで同時発生的に新しい発達を呼び込むことに繋がっているように思う。これこそがインテグラルライフプラクティスの要諦だったのである。そんな気づきが芽生えた。いずれの実践においても、肉体を持つ人間としては身体的な実践が鍵を握る。どんなに知的な、抽象的な次元での実践であっても、そこには必ず脳という身体が絡む。そうなってくると、脳への刺激と脳神経の発達がカギを握ってくることがわかるが、脳に多様な刺激を入れる意味でも多様な実践をすることの意義があるように思う。そのようなことを考えながら、今週の木曜日の筋力トレーニングの際にも多様な刺激を意識してみようと思う。それは今後も継続させていきたいことであり、とにかく脳と身体に変化を与えることを意識する。夕食後に調べていたことを取り入れるとするならば、器具を用いたトレーニングをする際に、当面は負荷量をなんとか10回できるぐらいのものに設定していこうと思う。今日は15回や20回連続でできてしまうような負荷量だったので、もう5kg重さを加えると、ちょうど10回できるかぐらいの負荷量になるだろうか。木曜日からはオランダ人のトレーナーであるエリーザについてもらうことになったので、彼女に相談しながら負荷量を調節していきたいと思う。フローニンゲン:2022/11/21(月)20:29
9479. 月の重力のように
月の重力が地球の1/6である感覚と同じく、日本に帰ると自分の能力が1/6ぐらいになる感覚がするというのは、今回の一時帰国でも実感したことである。日本がいつの間にか精神的な意味ではアウェーとなり、アウェーゆえにそのような現象が起こっているのではないかと思う。このアウェー感とも今後はもっと向き合っていく必要がありそうである。同調的な集合意識に抗うことは個人の意識にとってはかなり過酷なことであり、自分もまた例外ではない。意識は全くしていないのだが、無意識がまるで自分の能力にブレーキをかけるかのように、とりわけ知力が1/6ぐらいになる感覚が今回の一時帰国でもあった。この問題に対する方向性は2つあり、1つは前述のようにこの現象そのものと向かい合って、集合的な同調圧力と個人の能力を最大限発揮させない集合意識を乗り越えていくという道と、1/6になることを前提として今よりも6倍能力を高めるという道である。どちらかの道を選ぶというのはあまり自分は好きではないので、思いついたものはいつも全て試すという精神性を持っていることから、その両方の道を歩んでいこうと思う。ただし、後者に関しては能力を6倍にするという数字にこだわる必要はなく、そこは自我が肥大化したがる性質を逆手に取って、ある生物種とのしての能力が発育したいだけ目一杯成長させてたいと思う。就寝準備を始める前に行う読書もその一環であろうし、寝る直前まで使っている発音矯正アプリの使用もまたそうした一環であろう。フローニンゲン:2022/11/21(月)20:42
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