No.4185 最後の夜に_On the Last Night
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1995, A Morning Magical Moment
A new morning is always magical.
A new self feels glorious about its rebirth.
Groningen; 09:53, 11/20/2022
No.1996, The Narrative World
The world is narrative.
It evolves as it is narrated.
Groningen; 11:22, 11/20/2022
No.1997, Celestial Serenity
Celestial serenity radiates all the time.
It always surrounds and nurtures us.
Groningen; 12:44, 11/20/2022
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本日の2曲
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タイトル一覧
9463.「グラマリー」の活用/カンナビスの家庭栽培
9464. 今朝方の夢
9465. 過剰な刺激に取り憑かれた現代社会
9466. 創作活動としての学術論文の執筆
9467. ジークンドーの稽古(129):コミュニティーへの奉仕の意識
9468. ジークンドーの稽古(130):一挙入魂・一蹴入魂の意識と手から動く意識
9469. ジークンドーの稽古(131):オンガードポジションの足幅と新たなコンビネーション
9470. ジークンドーの稽古(132):フックパンチの再考/新しい技を習って
9471. 長い付き合いのドイツ人の友人のことを思い出して
9472. ジークンドーの稽古(133):スパーリング形式の稽古を振り返って
9463.「グラマリー」の活用/カンナビスの家庭栽培
時刻は午前8時半を迎えた。この時間帯は辺は明るくなっているが、今朝方は曇っている。そして何より、気温がすこぶる低い。今日は昼にかけて雪が降るらしい。日中の最高気温も3度までしか上がらないので、午後にジークンドーの稽古のために道場に行く際には暖かい格好をしたいと思う。今夜はマイナス3度まで気温が下がる予報だ。
昨日、アムステルダムからフローニンゲンの自宅に戻ってきたときに、隣人のサハルにばったりと出会った。サハルは息子のフィンを連れて、2人乗りの自転車に乗って自宅の前に帰ってきた。自宅の門を一緒に開けながら、少し話をした。先日に、サハルには神学大学院に提出する志望動機書をレビューしてもらった。その件についてまずは深くお礼を述べ、自分の英語のライティングに関してネイティブから見て何か気になったことを尋ねた。すると、サハルが興味深いことを教えてくれた。特に指摘することはなく、強いて言えば、言い回しに関して繰り返しの表現が多いことぐらいであり、それ気づいたのは「Grammarly (グラマリー)」というアプリのおかげとのことであった。グラマリーについては以前からオンライン広告でよく目にしていた。まさかネイティブのサハルもそのアプリを使っているとは知らず、逆にネイティブでも誤字脱字や文法的なミスを発見するために活用できる良いアプリなのだと思った。サハルがそのアプリを勧めてくれたので、昨夜早速ダウンロードした。もし仮に来年アメリカの神学大学院に戻ったら、今よりもずっと多くの英文を書くことになるであろうし、今でも英文を書く際にはこのアプリが役に立つだろうと思った。
志望動機書の話をした後に、マリファナ·ヘンプ博物館の手提げ袋を掲げている自分を見て、「カンナビスでも育てるの?笑」とサハルが述べた。その場では笑いながらそれを否定したが、博物館で購入した図鑑を昨夜読んで、いつかオランダのような家庭栽培の合法な国の家の庭でカンナビスを育ててみたいと思った。それをどのように利用するかは別として、害虫除けや観賞用目的としてもカンナビスは活用できると思ったのである。実際に図鑑を見て、カンナビスの多様性が美しく感じた。旅行を頻繁にしないのであれば、カンナビスやマジックマッシュルームを育てることはオランダでは合法なので、どちらかをいつか育てたいところだ。自分は何かを育てることが好きなのだ。そのようなことを考えていると、仮にまたアメリカに戻っても、再びオランダで生活をしたいという思いが芽生えてきた。フローニンゲン:2022/11/20(日)08:50
9464. 今朝方の夢
朝から暖房が入りっぱなしになっている。それだけ今日の気温は低い。そう言えば、今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、2つほど見ていた夢について書き留めておきたい。最初の夢の中で私は、新しい家がたくさん集まった住宅地にいた。そこの家は標準化されているのか、外見はどれも似ていた。できたばかりの家はどれもとても綺麗で、外観から察するに、家の中には最新のテクノロジーがふんだんに使われているのだろうと思った。私は1つ1つの家を見て回りながら、家の外についている電気を供給するケーブルのようなものに注目した。どうやらどの家もガスは一切使わずに、電気でやりくりしているようだった。そこで私はふと、各家庭のケーブルに電気を供給していく手伝いをしようと思った。試しに一番左の家に行って、早速ケーブルから電気を供給しようと思った。すると、家の中からテレビの音と人が動く物音が聞こえて、誰か中にいるのだと思った。向こうも私が電気をケーブルから供給しようとしていることに気づいているだろうと思ったので、気にせず電気を供給してみた。すると、想像していたよりも少し時間がかかり、各家庭に電気を供給していくと日が暮れてしまうと思った。他の家庭については他の人に任せようと思ったところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は昼過ぎの中華街にいた。すでに昼の混雑する時間を過ぎていたので、辺りはとても閑散としていた。おそらくまた夜から賑やかになるのだろうと思い、いっときの静けさを味わいながら、ぶらぶらと辺りを散歩していた。すると、一軒の店から良い匂いが漂ってきて、そこの店に吸い寄せされるように近づいていった。しかし、昼食を普段食べないこともあり、その店で振る舞われていた美味しそうな料理をぐっと我慢して、再び歩き始めた。すると、おもちゃ屋の前にやって来て、何も考えることなしに店の中に入った。数人の店員がカウンターでトレーディングカードを広げていて、店の奥ではそのトレーディングカードを用いた対戦が客同士で行われていた。私はカウンターに行って、少し店員たちと立ち話をした。そのトレーディングカードに関心を示した私は、試しにデッキを1つ購入してみようと思った。しかし、基本的なデッキを購入しただけではあまり強くないと思われたので、ガラスケースの中に置かれていたカード群を見せてもらうことにした。そのカード群には値札が貼られておらず、カードはどれもレアカードばかりだったので、それらを全て購入すると相当な金額になるだろうと思った。せっかくこのカードゲームを始めるのであれば本格的に始めようと思ったので、レアカードばかりが集まったその束を購入したいと述べると、店員が金額を示してくれた。それはユーロ表記になっていたが、日本円に換算すると、1200万円ほどだった。トレーディングカードにいきなり1200万円を使っていいものか少し考えることにした。1200万円あれば、どこかの国に留学して学位を取得できると思ったし、来年からアメリカの大学院に行くのであれば、2年分の学費と生活費になりそうだと思った。そのような考えが巡って、結局そのレアカードを購入することはやめ、デッキの購入もやめて店から外に出た。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/11/20(日)10:14
9465. 過剰な刺激に取り憑かれた現代社会
先日の東京でのセミナーの際に知人の方から頂いたコーヒー豆で煎れたコーヒーを片手に、朝の読書を行っている。思弁論的実在論シリーズの書籍も残り2冊となり、先ほどから“The Life Intense: A Modern Obsession”という書籍を読み始めた。タイトルにあるように、現代は感覚刺激をいかに強烈にするかに取り憑かれた時代である。マスメディアにおける情報刺激しかり、食べ物の刺激的な味しかり、エクストリームスポーツの流行しかり、現代人はどうやら感覚刺激を強烈なものにすることに確かに取り憑かれている側面があるようだ。その背後にある事象は何であろうか。何が現代人を過剰な刺激に駆り立てているのだろうか。その1つとして、実存的な不安と霊的貧困さが思い浮かぶ。それはまさに文明が生み出す病理であり、この問題について真剣に神学大学院で考えていきたいと思う。
今の自分は何か強い刺激を求めようとしていないだろうか。それを立ち止まって考えることは常に重要だ。一歩家の外に出て街に出かけてみると、そこには感覚を刺激する様々なもので溢れているのだから。家にいてもインターネットに接続されてしまえば、そこには感覚を刺激する情報で溢れている。前述の著者が問題意識を持っている通り、私たちは過剰な感覚刺激に絶えず晒された世界の中で生きているという自覚をまず持つ必要があるだろう。刺激から離れ、刺激を緩めて静かな生活を送ること。シンプルな生活。そうした生活を心掛けたいと改めて思った次第である。フローニンゲン:2022/11/20(日)10:47
9466. 創作活動としての学術論文の執筆
思弁論的実在論に関する本日2冊目の書籍“The Universe of Things: On Speculative Realism”を読みながら、思弁論的実在論と神道神学の繋がりについてぼんやりと考えていた。神道において、私たちの外側にあるとされる世界についてはどのような認識があるのだろうか。神道のコスモロジーを紐解く過程において、神道の形而上学的な思想を理解し、それと思弁論的実在論を関連付けて考察を深めてみたい。このトピックについて神学大学院で1つ短い論文を書いてみたい。今、実に様々なトピックに関して短い論文を書いてみたいという思いが湧き上がっている。神学大学院に進学することができたら、旺盛に論文を執筆するという実践にしばらく従事したいと思う。
学術論文の執筆というのもまた自分にとって掛け替えのない創作活動である。学術論文には客観性や正当性などの要求基準があるが、その執筆プロセスそのものは物語の制作と似ている。何かテーマについて論じるという行為そのものの中に物語るという性質が内包されていて、この語りのプロセスが実に創造的で面白い。学術論文を執筆している最中には、それが学術論文であることを忘れてしまうかのように、まるで小説を創作しているかのような感覚になることがあるのは、まさに学術論文の執筆の過程の中にそうした創造的性質があるからだろう。ナラティブの力を高めていくこと。それは論文の執筆においても有用であるし、口頭で何か説明をする際にも重要になる。世界は語られることによって生成される。そんな性質が世界にはあるのだろう。フローニンゲン:2022/11/20(日)11:21
9467. ジークンドーの稽古(129):コミュニティーへの奉仕の意識
とてもとても寒い夕方の時間の中で、先ほどまでのロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンについて振り返っている。寒さを忘れるほどの充実感がそこにあった。道場に向けて自宅を出発しようとすると、オーナー夫妻と隣人のマーク、サハル、そしてサハルの息子のフィンが外にいて、木を剪定したり、農作業をしていた。以前は自分もそこに加わっていたのだが、今回はまだ自分が日本に帰っていると思っていたらしく、連絡がこなかった。なので日本の旅の話を少しした後に、みんなには次回また手伝うと述べた。自宅を出発してすぐに気づいたが、やはり今日は芯から冷える寒さだった。マフラーと手袋をして行ったが、ヒートテックを履いていて良かったぐらいである。しかし、実際にジークンドーのレッスンが始まってみると体が温かくなるのでその時にはヒートテックの必要性は感じなかった。今度は行き帰りの際にだけヒートテックを着るようにしようと思う。自宅を余裕を持って出発し、準備運動がてら走って道場に行ったところ、またしても途中の運河が工事中で迂回をしなければならなかった。早く出発して良かったと思ったが、結局迂回してみてもレッスンの時間に少し遅れそうになって焦った。道場に到着すると、そこでは女性専用の護身術ワークショップが行われていた。そう言えば、前回のレッスンの際にも同様のワークショップが行われていて、ロビンさん曰く、コミュニティーへの奉仕として、2ヶ月に1回、女性を対象にした無料の護身術ワークショップを提供しているそうだった。どのようなことが起こるかわからない世の中において、女性に護身術を無料で教えるというのは確かにコミュニティーに対する立派な奉仕だと思う。それを受けて、自分もまたコミュニティーに対して無償で奉仕できることはないかと考えた。インテグラルライフプラクティスにおいてもコミュニティーに対する奉仕は推奨される実践として挙げられている。自分はあまり無償での奉仕にこれまで携わってこなかったと反省させられ、これからコミュニティーに対してどのような奉仕できるのかを考えていきたい。ロビンさんのようにジークンドーを無償で教えることはいつかやってみたいし、箏に関しても今後住む外国の国で無償で教えることをしてみたいと思う。その他にどのようなことができるのか、それについて引き続き考えてみよう。フローニンゲン:2022/11/20(日)16:57
9468. ジークンドーの稽古(130):一挙入魂・一蹴入魂の意識と手から動く意識
晴れてランク2の試験を通過し、今日からランク3の技を習っていくと思っていたところ、今日のプライベートレッスンは少しいつもと違った。確かにいつもレッスンの最初に、前回からの質問事項を取り上げて行くのだが、今日はランク1とランク2を振り返ってみて、何か難しさを感じている動きはないかとロビンさんに尋ねられた。正直なところ、全ての技に関して、日々自宅やジムで練習している時にはうまく技を実行に移せているように思えるが、ひとたび相手やミットを前にすると、動きが崩れることから、何か1つの技を抽出することは難しかった。まずその点についてロビンさんに伝えると、相手やミットを前にした場合、意識が局所的なものになってしまいやすく、それで身体の動きのバランスが乱れやすくなるということを指摘され、確かにそうだと思った。そこからあえて難しさを感じているものとして、フリックジャブとフックパンチを挙げた。キックに関してはどれも得意としていて、実際にロビンさんとのセッションでも困難さを感じたことはほとんどない。一方で、パンチの動きに関しては、どうしてもテレグラフィックなモーションになってしまうことがあったり、体の連動についてまだまだ改善の余地がたくさんあるように思えていた。
まずは基本に立ち返り、ジークンドーの基本的な構えであるバイジュンスタンス(オンガードポジション)を取って、その精度を確かめてもらった。前後に2歩ずつ、左右に2歩ずつ移動しながら、ロビンさんから身体の使い方については申し分ないと言われた。あとは心理的な側面により意識を向けていき、プレッシャーがかかっている状況においても同様の精度で動けるようにしていくことの大切さを教えてもらった。そこからは、右のジャブから左のジャブを打つコンビネーションを行った。これも基本的な動きだが、そこでもロビンさんから、この動きの中で何を意識しているか、何が大切かを問われ、改めてその問いについて考えてみると、なかなか難しいと思った。しばらくコンビネーションを打ちながら、1つ思い出したのは、右のジャブと左のジャブを、「ワン·ツー」で打つのではなく、「ワン·ワン」として打つ必要があるということだった。ボクシングや他のスポーツ的な格闘技においては、ワン·ツーのリズムで打って問題ないのだが、ジークンドーは武術であり、生き死にがかかったものであるため、いずれのパンチも入魂の状態で打たなければいけないことを思い出したのである。それを伝えると、ロビンさんは嬉しそうに、「その通り!」と述べた。しかし、ロビンさんは「もう1つ重要なことがある」と述べ、私の左のジャブの動きを指摘した。右のジャブは、肩を動かさずにノンテレグラフィックモーションで一直線に目標物にパンチを当てることができているが、左のジャブは肩が最初に動いてしまっていて、テレグラフィックな動きになっているとのことだった。そこで改めて手が先に動くことの重要性を確認した。肩を先に動かすのではなく、フェンシングの動きのように、とにかく手から動くことをこれからより一層意識しようと思う。フローニンゲン:2022/11/20(日)17:13
9469. ジークンドーの稽古(131):オンガードポジションの足幅と
新たなコンビネーション
まだまだ今日のロビンさんとのプライベートレッスンに関して振り返りたいことがある。レッスンでの具体的な話の前に、レッスン開始前にロビンさんにお土産を渡した。それは頼まれたお守りを2つと、伊勢神宮の内宮と外宮で購入したそれらのお守りに加えて、伊勢神宮に関する英語のパンフレットを渡した。ロビンさんはとても嬉しそうにそれらを受け取り、この間伊勢神宮に関するドキュメンタリーを見ていたそうだ。伊勢神宮に実際に自分がいた時に、ロビンさんに2つほどWhatsApp経由で動画を送っていて、ロビンさんも伊勢神宮の見事な佇まいとそこに存在する立派な大木に感銘を受けているようだった。購入したお守りはそれぞれライトパープルとダークパープルのものであり、片方には邪気を払う鈴が付いている。WhatsAppでロビンさんから返信があった時に、ロビンさんも紫が最も好きな色のようであり、その点も自分と感性が合致していると思った。伊勢神宮の話をした後に、日本滞在についての諸々の話を簡単にしてからレッスンに入ったというのが今日の流れであった。
さて、改めて今日のレッスンで取り上げた項目について思い出している。今日はランク3の要求項目については一切触れず、ランク1とランク2で積み残しになっているものを取り上げて、さらに動きの精度を上げることが目的になっていたように思う。細かな点で言えば、ジークンドーの基本的な構えであるオンガードポジジョンの足の開き具合がどうも自分は狭くなりがちであることを指摘された。これは以前にも指摘されたように思う点であり、日々の自宅やジムでの稽古ではついつい相手を意識することがなくなりがちで、スタンスがあまり戦闘モードのそれではないようになっていたのだと思う。この点について、明日からの稽古では、気持ち広くスタンスを取って、絶えずどんな動きも実行に移せるような戦闘モードの姿勢を身体に覚えさせていこうと思う。そこからは、右のジャブ、左のジャブ、右のジャブ、そして2歩ステップバックして、2歩目のステップバックと同時にプッシュステップして右のストレートパンチを放つコンビネーションを練習した。この動きは今回初めて行うものだったので、なかなか2歩目のステップバックと同時に前にプッシュステップして右のストレートパンチを行うことが難しかった。ぜひこのコンビネーションは明日からの稽古に取り入れてみようと思う。ちなみに2歩目のステップバックと同時に前にプッシュステップしていくのは、相手の脳を騙す働きがある。相手は2歩目のステップバックの動きを受けて、さらに背後に下がって行くという思い込みが無意識に芽生え、その虚を突いて前に突然出るから右のストレートパンチが当たるという合理がある。これは本当に人間の脳の働き、そして無意識の働きをうまく理解した動きだと思って感銘を受けた。実際にロビンさんにお手本を示してもらうと、確かに2歩目のステップバックの動きに意識が釣られ、まさか突然前方に動き出すとは予想できないのである。このように、ジークンドーには合理的な根拠がある点がとても面白く、魅力的である。改めて開祖であるブルース·リーの慧眼に感服する次第だ。フローニンゲン:2022/11/20(日)17:52
9470. ジークンドーの稽古(132):フックパンチの再考/新しい技を習って
時刻は午後7時を迎えた。今し方夕食を摂り終え、再びロビンさんとの今日のプライベートレッスンについて振り返っている。ちょうど自分のレッスンが終わる頃に、以前見かけたことがある中年のオランダ人男性が入って来て、その方はもう長らくロビンさんのプライベートレッスンを受けているようだった。歳は62歳とのことであり、体型はさすがジークンドーを長くやっているだけあって、とても引き締まっていた。日本に帰った時にも思ったし、それは日本ではなく世界のどこにいても感じることなのだが、現代人はまず持って身体を鍛えるべきであり、運動·食事·睡眠というこの3つの最も基礎的なことに対してもっとリテラシーを獲得して実践をしていくべきだと思う。
さて、今日は技としては改めてフックパンチを取り上げ、その動作の精度を高めていった。ロビンさんから指摘されたのは、自分はまだまだフックパンチを腕の力だけで実行しようとしていて、肩や腰の旋回力をもっとうまく活用することである。フックパンチの代わり、掌打でミットを打ってもらったのだが、その破壊力が凄まじく、リラックスした状態で肩と腰の柔軟な旋回力を活かすことの大切さを改めて身を持って体験した。フックにおいては肩を上げるというよりも肘を上げ、肩はうまく旋回力を生み出すために活用する必要がある。この点については言葉では伝えづらいが、最後の方ではロビンさんから合格をもらえる動きができたので、その時の感覚を忘れずに、明日からの稽古で繰り返し身体に覚えさせていきたい。
新しい技術として最後に1つ学んだのは、ランク3のPDFに掲載されていないものだった。それは、右手でパンチを打つかのようにフェイントをかけ、右手で相手の左手を押さえ——この動きは詠春拳の動きのようで中国語の名前があるようだが、今はまだ名前を覚える必要はないと言われた——、そのまま相手の左手をこちら側に引き付けるようにして、それと同時に左手のクロスパンチを相手の顎目掛けて打ち込み、左手を相手の左肘の上にピンダウンし、すかさず右手でパンチを顔に喰らわす技である。この技の殺傷力は凄まじく、ロビンさんに手本を自分に対して示してもらった時に、これは確実に致命傷を相手に与えるものだと分かった。特に、相手の腕を押さえながら引っ掛けて、それをこちらの身体に持って行く反動力を使ってクロスパンチを顎に喰らわせることの破壊力は凄まじい。端的には、これはこちら側から意図的にカウンターの状況を作り出すようなものであり、カウンターは相手にとって不意打ちであるばかりではなく、その反動力を活かした破壊力が凄まじいのである。この動きについては今夜少しばかり復習をしておきたい。フローニンゲン:2022/11/20(日)19:22
9471. 長い付き合いのドイツ人の友人のことを思い出して
今日のジークンドーのレッスンの帰りにふと、大学時代から付き合いのあるドイツ人の友人のウォルフについて考えていた。彼は随分前に結婚し、2人の子供がいて、デュッセルドルフで過ごしている。以前彼からメールがあって、今度デュッセルドルフに遊びに来てくれと声を掛けてもらった。もし仮に来年ヨーロッパを離れることになったら、その前にウォルフに会いにデュッセルドルフに足を運ぼうと思う。ゲストルームが家にあるとのことだったが、家に泊めてもらうのは悪いような気がするので、近くのホテルに宿泊しようかと思う。ウォルフは自分よりも5歳年上で、お母さんが日本人であることから、日本語がとても達者である。自分が大学2年生の時に、彼は大学院生としてケルン大学からうちの大学に留学して来た。3年生の夏には山口県の実家に招待し、彼と一緒に山口県を観光したり、宮島に行ったりした記憶がとても懐かしい。ウォルフは大のサッカー好きであり、ちょうどワールドカップが目前に迫り、日本対ドイツ戦について話題に取り上げながらメールを送ってみようかと思う。
なんだかよくわからないが、まだ神学大学院から結果が来たわけでもなく、出願も完了したわけではないのだが、ヨーロッパから一度離れる日が近いことを感じる。再びアメリカに戻るという考えはヨーロッパに来た当初からあったが、その思いをこの7年間抱えたままであった。別にそれはヨーロッパでの生活に集中することの妨げになっていたわけではなく、アメリカにどこかのタイミングで帰って、そこからまたヨーロッパに戻ってくることが自分にとってはとても自然のことに感じられていたに過ぎない。今、ヨーロッパを離れることになるであろう感覚が内側から芽生えているのが興味深い。それは虫の知らせのように何か本能的に芽生えるような感覚である。とにかくこの感覚を大切にして、アメリカに戻ることになったら、それは然るべきタイミングが来たのだと思いたい。きっと来年はそのタイミングなのだ。フローニンゲン:2022/11/20(日)19:34
9472. ジークンドーの稽古(133):スパーリング形式の稽古を振り返って
思い立ったら吉日ということで、今し方ドイツ人の友人のウォルフに6年ぶりに連絡をした。メールを確認したら最後に連絡をしたのは6年前の9月ということで、オランダにやって来た最初の年の9月であることに気づいた。今回はメールではなく、 LINEで友人申請をして、LINEから手短にメッセージを送った。
メッセージを送った後に、今日のロビンさんとのプライベートレッスンで最後に行ったスパーリング的な稽古について思い出していた。最近は、毎回この形式の稽古でレッスンが終わる。今回は変わったルールがあり、いつもと同じでキックは無しというものだけではなく、ロビンさんが自分と同じ攻撃を次に仕掛けるというものだった。スパーリングが始まってみると、自分が仕掛けた攻撃と同じものが自分に向かってくることに違和感を感じ、とても興味深く思えた。結局今日もロビンさんからバックフィストを何度かもらい、自分の攻撃は一度もまともに当てられないという結果だった。後半の方では捨て身で向かっていこうとしたが、それでも攻撃をきちんと当てることができず、まだまだ課題の多い稽古になった。この稽古が終わるといつも息切れ状態であり、呼吸を落ち着かせてから、ロビンさんと振り返りを行った。前回よりも改善されていたのは、パニック状態に陥ることはほとんどなく、基本的に冷静な状態を保てたことである。バックフィストを複数回もらったときのパターンとして、自分が攻撃をした直後や、ロビンさんのフェイント的な動きに釣られた後に攻撃を喰らうことが判明した。これは意識の持続が問題のように思える。端的には、一瞬意識が別のところに行ったり、集中力が切れる瞬間をロビンさんは見落とさずに、そのタイミングで攻撃を仕掛けてくるから自分に当たる確率が増すのである。意識を全てに張り巡らせ、集中力を保っておくことの大切さは常日頃から言われていることだが、実践的なスパーリング形式の稽古の中では、思わぬ形で集中力が途切れることがある。ロビンさんはそこを巧みに突いて来ていたのである。集中力を常に持続させることはなかなか難しいが、この点は普段の稽古からもっと意識するべきである。最後に、この稽古の中で、ロビンさんはコントロールした形で自分に打撃を加えようとしていたのに対して、自分はなりふり構わずとにかく打撃を当てることだけを目的にしていたことの違いについても対話をした。端的には、自分のような形で攻撃を仕掛けてくる場合には、打撃に何のコントロールも加わっていないために危険であり、ロビンさんは細心の注意で自分の攻撃をもらわないようにしていたことが判明した。まさに自分の攻撃は、「ラッキーパンチ」狙いのようなものになっていたのである。今後のスパーリング形式の稽古の中でどれだけ実現できるかわからないが、無闇矢鱈に攻撃を仕掛けるのではなく、もう少し冷静になって攻撃を仕掛けてみたいと思う。フローニンゲン:2022/11/20(日)19:58
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