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9320-9324: 日本滞在記 2022年10月28日(金)



No.4103 情熱の大陸_A Passionate Continent


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1931, The Power of Money

The power of money in the capitalistic society is decisive.

The larger the market becomes, the more the power of money gets.

Hikari; 08:20, 10/28/2022


No.1932, A Divine Relationship

Each of us is manifested as a relationship with Kami.

All of us are a divine relationship.

Hikari; 10:24, 10/28/2022


No.1933, Existence and Words

The root of my existence resides in the depth of my words.

Existence and words have a close and deep relationship.

Hikari; 17:10, 10/28/2022


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9320.【日本滞在記】実家滞在の最後の朝に

9321.【日本滞在記】年末年始に過ごすモナコとマヨルカ

9322.【日本滞在記】波音の子守唄を聞きながら

9323.【日本滞在記】文明の夜の中で/自己と時間の二面的包摂関係/緩やかな成熟

9324.【日本滞在記】言葉と存在/この世界を深く生きること


9320.【日本滞在記】実家滞在の最後の朝に


時刻はゆっくりと午前5時半を迎えようとしている。九州旅行を終えて、今日からはまた光市で1日を過ごす。明日の夕方に光を出発するので、実質上今日が実家に滞在する最後の日となる。完全なる自由に投げ出されて以降、自由の刑と自由からの逃走を経て、今は完全なる自由に究極的に寛ぐことができているように思える自分がいる。自由の問題はほぼほぼ自分の中で折り合いがついていて、あとは死の問題だけが自己の深層に横たわっている状態となった。


朝の瀬戸内海の波の音はとても優しい。辺りはまだ真っ暗で何も見えないが、波音がそばにいてくれているという確かな感覚がある。それが安堵の感情を醸成する。ハイデガー的に言えば、まさに人間は実存的な不安を抱えた存在ではあるが、しかしこうした究極的な安心をもたらしてくれる存在を絶えず感じることができていれば、そうした不安は自ずから解消され、安堵感の中で生きていくことが可能になるのではないかと思う。


九州旅行から帰ってきた今朝方は静かな夢を見ていた。夢の中には自分が大切に思う人が現れ、その人と楽しげに話をしていた。夢の世界はほのかに黄色く色づいていて、優しを感じさせてくれた。その優しさの感覚がまだ自分の内側に残っている。


今日もまたいつものように創作活動と探究に十分な時間を充てようと思う。明日はオンラインゼミナールの第3回目のクラスがあり、それに向けた準備をしよう。明日のクラスでは貨幣制度とベーシックインカムを取り扱う。課題図書の該当箇所をもう一度読み返し、クラスで取り上げたいと思う論点の整理をしておきたい。ゼミナールの準備が終わったら、神道における死生観の書籍と神道における生命倫理に関する書籍を再読しようと思う。これらの書籍はオランダに持ち帰る予定だ。実質上実家での滞在の最終日の今日もまた光り輝く充実した1日になるだろう。光市:2022/10/28(金)05:31


9321.【日本滞在記】年末年始に過ごすモナコとマヨルカ


時刻は午前6時半に近づきつつあり、この時間帯になると辺りはもう随分と明るい。自室から見える小高い丘の上がほんのりと朝焼けで色づいている。朝日が拝めるのも間も無くだ。窓を開け、小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、今年の年末年始の旅行について考えていた。まだ日本旅行が終わっていない段階だが、ぼんやりと今年をどこで締め括り、新年をどこで迎えようかと考えていた。昨年はオーロラを見に、フィンランドのラップランド地方にあるロヴァニエミに足を運んだ。今年は、モナコ公国とマヨルカ島に足を運んでみようと思う。モナコは世界で2番目に小さい国で、カジノやセレブが訪れる国としても有名だ。モナコの地中海性の暖かい気候の中で年末を過ごし、年始はスペインの風光明媚な観光名所マヨルカ島に行ってみたい。ここはかねてより足を運んでみたかった場所で、フローニンゲン空港から直通のフライトが出ている。そうした交通の便の良さもあり、マヨルカ島に今回足を運んでみようと思った次第だ。来年の夏から再びアメリカでの生活を始めるかもしれないことを考えてみたとき、ヨーロッパにいる間はヨーロッパの様々な場所をできるだけ巡っておきたいという思いがある。それは義務感のようなものでは決してなく、魂が望むタイミングで魂が望む場所にふらりと出かけていくだけだ。マヨルカ島ではバルセロナで感銘を受けたガウディが建築したパルマ大聖堂を見たい。マヨルカ島はショパンとその愛人のサンドが一緒に過ごした場所でもあり、ショパン記念館にもぜひ足を運んでみたいと思う。年末年始はモナコとマヨルカで過ごし、年が明けたらアブダビに行ってイスラム世界を感じてみようと思う。今年も気づけばあと少しとなったが、毎年人生の充実感が増してきているように感じられることはとても喜ばしいことである。来年もまた今年以上に実り多き年になるに違いない。光市:2022/10/28(金)06:30


9322.【日本滞在記】波音の子守唄を聞きながら


実家に滞在中は朝がいつもより早いので、正午過ぎではあるが、先ほど少し昼寝をした。今日の山口県は天気がとてもよく、気温も23度近くにあるのでとても暖かい。およそ11月目前の気温とは思えず、オランダとの気温差にかなりのギャップがあるように思う。日中は半袖で過ごせてしまうぐらいに気温に恵まれている。仮眠の最中、瀬戸内海の波音が子守唄のように心地良く耳に響いていた。しばらくすると意識がなくなり、夢見の意識状態になった。夢を見ない深い眠りの意識状態を通じて治癒が起こり、先ほど目覚めた。かかりつけの美容師のメルヴィンがメキシコに1ヶ月ほど滞在することになったので、散髪のタイミングがなく、今回は実家に滞在中に近くの美容室で髪を切ってもらうことにした。後ほど散歩がてら美容室に歩いて行こう。海沿いの道を歩きながら、散歩を楽しんでさっぱりと髪を切ってきたい。散歩が終わると、近所の薬局で必要なものを買い、明後日に大阪で叔父に会う予定なので、山口県の和菓子でもお土産がてら購入したいと思う。


実家に滞在中は読書が捗り、実家に届けておいた書籍の初読は全て終わり、中には再読をしたものもある。東北旅行と北海道旅行の道中に購入した書籍や各種の文献(詩集や画集)もすでに再読をしている。そのため、今は再びデスクトップに保存しておいた論文を読み進めている。日本に一時帰国中は随分と日本語に触れていたので、英文を読みたい飢餓感が自分の知的空間に満ち満ちており、今からしばらくは英語の論文を食い入るように読み進めていくことになるだろう。欧州に帰ってきてからは、この夏から秋にかけて購入した300冊を超える洋書の未読のものを一気に読み進めていき、重要文献は精読をしていきたいと思う。この冬が終わるとき、自分の知的空間の大地は随分と肥沃なものになるように思う。光市:2022/10/28(金)12:28


9323.【日本滞在記】文明の夜の中で/自己と時間の二面的包摂関係/緩やかな成熟


時刻は午後4時半を迎えた。今、穏やかな夕日が空に浮かび、優しげな太陽の光が瀬戸内海を照らしている。その光景を眺めていると、ハイデガーが述べた現代文明の夜に私たちは生きていながらも、夜を照らす光を見出すことができることを思う。むしろ私たちはそうした光を見出しながら日々を生きていなければ、充実した生など実現しようがないのではないかと思えてくる。文明の夜を照らすものとして、自然、そして美が体現された人間の創作物は大きな存在である。日常に潜むちょっとした美しい物事を見つめていく姿勢。文明の夜を生きる中で、それは最も重要な在り方である。


私たちは時間を包んで生きることができるだろうか。豊かな時間に包まれて生きることも素晴らしいが、豊かな時間を包みながら生きることもまた素晴らしい。自己と時間の関係性を考えてみると、実は両者の間にはそのような二面的な包摂関係があるのではないかと思う。豊かな時間の中を自分が生きているという感覚だけではなく、豊かな時間を自分が包んでいるという感覚が芽生えるとき、時間に対する愛おしさが増す。すると、時間は応えてくれる。愛情を注がれた時間はさらに豊かさを増すのである。時間は愛によって育つのだ。この現象は大変興味深い。


ゲーテはかつて、私たち人間は自然のように緩やかに成熟していくことを指摘していた。緩やかな時間に包まれ、緩やかな時間を自らが包んだとき、自然と同様の緩やかで確かな成熟が実現されるだろう。それを豊かな成熟と呼びたい。


今日は実家の近くの美容室に行って髪を切った。その後、大阪にいる叔父に会う際に渡す山口県の銘菓を購入した。散歩がてら美容室に向かっていると、答えのない問いを反復的に問い続け、それを通じて自らの経験そのものを反省的に更新し続けていくことは発達の要諦であることを改めて思った。散歩の最中の自らの意識は実に観想的であり、夕方に向かおうとするほのかな雰囲気を放つ世界そのものに溶け込むかのような感覚があった。いよいよ明日は山口県を出発する。日本での滞在日数も残りわずかとなったが、ここからの出会いと時間もまた大切にしたいと思う。光市:2022/10/28(金)16:48


9324.【日本滞在記】言葉と存在/この世界を深く生きること


自己の本質に根ざした言葉、あるいは自己の深層に密着した言葉というのは、自己の存在と分かち難く結びついているがゆえに、自己の存在そのものを保持してくれる働きを持つ。そんな言葉を絶えず発したいものだ。実際に口に出す言葉だけではなく、脳内で発せられる言葉も含めてのことである。


心を打つ創作物は、それとの出会いの瞬間に、これまで自分がいた世界とは異なる世界に自己を連れ出してくれる。そして、ひとたびそうした異世界に足を踏み入れると、その体験の前の自分とは必然的に異なった存在になる。これは何も芸術作品という創作物のみならず、1人の人間もまた創造主による創作物だと見れば、良縁によって出会った素晴らしい人との出会いもまた同様の効果をもたらす。自分がこれまでいた世界ではない世界に連れて行ってくれる人。そうした人とこれからも出会い続けたいものである。


この世界を深く生きるというのは、この世界に隠された種々の霊を見出すことに他ならないとつくづく思う。そうした霊性学的発想を持って自分は生きている。霊そのものを発見し、霊の働きに気づくこと。そして自らの霊を顕現させ、この世界にそれを十全に働かせること。それが霊性学徒に求められる最も根本的な生き方·在り方である。


本来不完全な人間が、完全なるものの部分に触れることを通じて完全を感じ、完全と一体化できるということは驚くべきことではないだろうか。部分と全体の繋がり、そして不完全性と完全性の繋がり。それらの精妙な関係性の中で、あるいはそうした関係性そのものとして自己の存在がこの世界にあること。それに感謝しながら夕暮れ時の瀬戸内海をぼんやりと見つめている。光市:2022/10/28(金)17:06

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