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9253-9259: 日本滞在記 2022年10月14日(金)



No.4103 情熱の大陸_A Passionate Continent


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1895, A Morning Festival

Everyone and everything enjoy this moment.

Every moment is like a festival.

Aomori; 07:17, 10/14/2022

No.1896, Like a Serene River

Time feels like to me a flow of a serene river.

It embraces me gently.

I can be serenity itself.

Aomori; 09:26, 10/14/2022


No.1897, Parasitic Humans

Humans are like fungi in that they are omnipresent in this planet.

Also, they act like a parasite on other creatures.

Hakodate; 13:37, 10/14/2022


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本日の2曲


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タイトル一覧

9253.【日本滞在記】今日の予定/今朝方の夢

9254.【日本滞在記】ゼミナールの開講に向けて/それぞれの宗教の施設の比較

9255.【日本滞在記】存在論と認識論の相互依存関係について考えながら

9256.【日本滞在記】時間と場所と見える世界/「神理」を忘れた現代社会/背後に走る文脈

9257.【日本滞在記】函館を堪能して

9258.【日本滞在記】函館市北方民族資料館を訪れて

9259.【日本滞在記】温泉ソムリエの石井靖史さんとの出会い


9253.【日本滞在記】今日の予定/今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。この時間帯の青森はもう完全に明るくなっていて、今日もまたすこぶる天気が良いこともあって大変気持ちがいい。幸いにも日本に滞在中は天気に恵まれることが多い。確かに東京で小雨の降る日があって、秋田の初日も強い雨が降っていたが、いずれも外を移動することがほとんどない日であった。今日はいよいよ北海道に向かう。まずは函館に2泊3日の旅に出かける。ホテルのチェックアウトを10時ぐらいにして、そこから青森駅に行く。青森駅から新青森駅までは列車で1駅であり、新青森駅から新函館駅まで東北·北海道新幹線に乗る。この新幹線も今回初めての乗車となるため、どのような新幹線なのか楽しみである。新函館駅から函館駅までは列車で2駅で、函館駅からすぐ近くの「WBF函館 海神の湯」というホテルに向かう。秋田と青森には4つ星ホテルがほとんどなかったが、函館と札幌には4つ星ホテルがあったので、今日からの北海道の旅では4つ星ホテルに宿泊することになる。ホテルの快適さとサービスもまた楽しみの1つである。ホテルに到着するのはチェックインの予定時間よりも早いため、もしチェックインができなければ、荷物だけ預かってもらって函館市文学館とその隣の函館市北方民族資料館に足を運びたい。


今朝方は1つ夢を見ていた。実際には2つ夢を見ていたように思うが、片方の記憶はもう薄い。一昨日から記憶に残る夢を見始めていて、それと入眠の速やかさと熟睡と重なっており、それを見る限り、時差ボケから完全に回復したように思う。夢の中で私は、あるアニメの登場人物2人が空を飛んでいるところを眺めていた。2人はまだ少年といった姿であり、とても可愛らしかった。2人の歳の差は確か1歳ほどだが、その年代の1歳の歳の差は体の大きさに与える影響も大きく、やはり少しばかり体格に差があったので、空を飛んで競い合っている2人は少し前提条件が違うように思えた。2人は空を飛ぶ競争を楽しんでいるようだったが、やはり勝負であることには変わりなく、楽しげな表情の中にも本気さが伝わってきた。しかし案の定、年齢が上の方が勝負に勝ち、もう片方は少し落胆しているようだった。だが、勝負に買った方もまた気が優しいため、負けた方の男の子を慰めていた。2人の微笑ましい友情を感じ取ったところで夢の場面が変わった。はて、もう1つはどのような夢を見ていただろうか。それは自分が登場人物として夢の世界にいて、まだ足を運んだことがなく、今日これから足を運ぶ函館の街を歩いていたような気もする。青森:2022/10/14(金)06:36


9254.【日本滞在記】ゼミナールの開講に向けて/それぞれの宗教の施設の比較


時刻はゆっくりと午前8時に近づきつつある。今日の青森の天気は本当に素晴らしい。朝はオランダぐらいに気温が下がっていて、6度ほどであったが、今日は日中に19度ほどになるらしい。函館も天気が良く、日中には20度ほどになるようだ。


先ほどまで、明日からのオンラインゼミナールの開講に向けて、ベーシックインカムに関するテキストを読んでいた。明日は初回のクラスのため、最初に受講生に自己紹介をしていただいたり、改めて今回のゼミナールの開講動機やゼミナールをどのようにしていきたいかを自分の方から説明する必要があるだろうから、本編で取り扱うのは課題図書の第1章だけである。先ほど改めて第1章を読んだ次第だ。今回が3回目の読解のため、随分と内容理解が進んでいる。すでに全体を知っている分、森の中の木の様子がよくわかるといった形だろうか。明日取り扱う箇所を読み終えたので、今度は先日秋田で購入した雑誌現代思想の『神道を考える』という論文集を読み始めた。その中でふと、キリスト教における教会の役割と神道における神社の役割の違いについて気になった。どちらも共通の役割もあるだろうが、大きな違いとしては教会を中心として生活コミュニティーがあるかないかは大きそうだということがすぐに閃いた。教会も神社も、それぞれの宗教が持つ施設であることには変わりなく、各宗教ごとにそれが果たす役割が異なることは興味深い。このテーマについては温めながら、折を見て考察を深めていきたい。この点についてはキリスト教関連の知り合いに尋ねてみるのもいいだろう。そこから、それではイスラム教におけるモスクと神道における神社との間にはどのような違いがあるのだろうかと気になった。現時点における自分のイスラム教の理解の範囲で考えると、モスクは礼拝堂のようなものであり、神社と似ている。そこにはキリスト教の教会のような生活コミュニティーがあるようなわけではなく、機能としても神道の神社と似ているような気がする。そこからさらに、仏教における寺が想起された。出家という制度があるように、寺はどちらかというと教会に近い働きを持つと言えるだろうか。このあたり、それぞれの宗教が持つ施設の役割を比較してみるというのも小さく大きなトピックであり、ここからはそれを意識しながら探究を進めていこう。


それでは今から自重トレーニングをして、青森最後の朝食を楽しみたい。しっかりと筋破壊をして、それを回復させるべくタンパク質を補給しながらも、地元の野菜や果物をしっかり摂りたいと思う。トレーニング後の食事はさぞかし美味しいだろう。青森:2022/10/14(金)07:54


9255.【日本滞在記】存在論と認識論の相互依存関係について考えながら


時刻は午前10時を迎えた。先ほどホテルをチェックアウトし、ゆっくりと歩いて青森駅に到着した。午前中の気温は低くなっているが、今朝方に自重トレーニングをしていたこともあり、歩いていて寒さを感じることは全くなく、むしろカーディガンを羽織る必要のないぐらいに感じた。実際に駅に到着してからはカーディガンを脱ぎ、今は列車の中で半袖でいる。半袖でいるのは自分ぐらいしかいない。青森から新青森に向かう列車はもう24分で出発する。すでに新幹線のチケットを購入しているので、新青森駅でも少しゆっくりできそうである。


先ほどホテルから駅に向かって歩いている間に、存在論と認識論の相互依存関係について考えていた。概念にも存在があり、居場所がある。しかも発達理論と絡めて考えれみれば、概念には階層的な存在場所が存在するのである。概念の複雑性や密度によって、概念的構築物の階層は異なり、それは概念の発達論的階層論である。意識空間ないしは知性空間の中に存在する概念にも階層構造としての居場所があることについて少し先に進めて考えてみると、のっぺりとした平面に概念が存在していないがゆえに、人は概念の深さを感じ、それに心が打たれたりする経験があるのだろう。似たような概念を比較した場合において、そこに質的差異を認めることができるのは、概念の存在論的階層構造が違うからなのだ。では、その実践的な意味はなんだろう。高度な存在論的階層構造を持つ概念を生成するためにはそれ相応のエネルギーが必要であるし、物理学の位置エネルギーのように、概念にも位置エネルギーのようなものがやはり発生する。ゆえに、高度な存在論的階層構造を持つ概念を現実世界で適用すると、その大きな位置エネルギーが発揮されることになるので、その影響力は階層構造の低い概念のそれよりも必然的に大きくなる。そこから、概念群としての領域について考えていた。概念領域に関しても同様の議論が当てはまりそうである。例えば学術領域に応じてその研究の進展に応じて概念の洗練度合いが異なることを考えてみると、概念群は山のように捉えたらいいだろうか。そこでは、1つ1つの概念は山を構成する木に喩えることができるかもしれない。そのようなことを考えていると、あっという間に青森駅に到着した。ホテルから駅までは歩いて5分の距離だった。青森駅:2022/10/14(金)10:23


9256.【日本滞在記】時間と場所と見える世界/「神理」を忘れた現代社会/背後に走る文脈


つい先ほど新青森駅に到着した。繰り返しになるが、今日の青森の天気は見事である。美しい青空がどこまでも遠くに広がっている。時間と場所を変えるだけでこうも見える世界が変わり、自分自身の気持ちも変化することに改めて驚く。時間と場所は、やはり私たちにとって変化の最大の触媒なのだろう。旅をするというのは、触れる時間と場所を大きく変えることを意味し、頻繁に旅をしながら自分の内側に生じている大きな変化を感じる。今日から函館に滞在するが、函館でもまた自分の変化を感じるだろう。函館にも固有の時間と場所が生き物ように存在しているのだ。そうした生き物としての時間と場所との交流を通じて、自分という生き物もまた変化するのはやはり必然である。時間も場所も、そして自己も諸行無常性という1つの共通性の糸で結ばれている。


先ほど列車の待ち時間に神道に関する書籍を読み進めていた。その中で、現代人は単に道理を忘れてしまっただけではなく、「神理」も忘れてしまったのだと思った。道理外れの事柄が現代社会で頻繁に目撃される背後には、神理の喪失が密接に関わっているように思える。神理の回復を通じて道理の回復を実現していくこと。神学探究の実践的な帰結の1つはそこにありそうである。


この世界に生起する現象や言説の表裏関係について。いずれにおいても表で見えているものとその背後に走っている文脈は随分と異なるものである。かつてラッセルはこんな例を持ち出してそれを示唆していた。ある農園で飼育されていたヒヨコはいつも餌を与えてもらっていた。ヒヨコは餌をもらって可愛がってもらっていると思っていたが、若鳥になった日に突然餌を与えられるのがやめられ、その場で首を絞め殺され、食用の存在に成り果ててしまった。これは「予期せぬ形で首を絞められたヒヨコ」の喩えと呼ばれるものだ。これと同じようなことが世の中ではたくさん見られる。現象を生起させる文脈、言説を生み出している文脈を捉える知性を獲得しなければ、上述のヒヨコのような末路を迎えてしまう危険性がある。


そこから、原発等を含めた生殺与奪を司る暴力的なテクノロジーについて考えていた。そこには科学的理性の暴走と自閉性の強化の現象が見られる。現在における重要なテクノロジーは、そのデザインも利用方法も、公共空間に開かれて議論の対象になることは滅多になく、そうした議論をするためには専門的な科学的知識が要求されるという理由で閉じられた形で権威的力を獲得していく様子が窺える。AIやメタバース、さらにはそれ以上に重大な影響力を及ぼすテクノロジーが今後も次々に生み出されてくるであろうこの文明社会において、テクノロジーの公共性をいかに確保し、いかに公共的な対話を実現するかは大きな社会課題になりそうである。社会課題を解決するべく生み出されたテクノロジーに伴ってまた新たな社会課題が生み出されるというのは皮肉だが、課題が課題を生むというのはこの世の摂理でもある。新青森駅:2022/10/14(金)11:03


9257.【日本滞在記】函館を堪能して


時刻は午後5時を迎えた。今、函館で宿泊中の「WBF函館 海神の湯」というホテルにいる。さすが4つ星とあって、東京で宿泊していた丸の内ホテルと同じくサービスがとても良い。ドリンクやアメニティなどのサービスが充実しており、何よりもこのホテルに宿泊した目的の大浴場に後ほど入るのが楽しみだ。館内案内を見ると、源泉かけ流しの天然温泉とのことであり、旅の疲れも吹き飛ぶであろう。楽しみなのはオランダでもジムで必ず入っているドライサウナのみならず、この温泉には塩サウナ(ミストサウナ)があることである。説明書きの塩サウナの楽しみ方によると、まず座る座面にお湯をかけ、体全体に塩を揉み込むように塗るのだそうだ。そこから汗が出るまで5分から10分待ち、汗が出て塩が溶け出したら手で体を軽く撫でて、塩と汗を馴染ませていくのがコツのようである。後ほどゆっくりと楽しもうと思う。温泉とサウナで汗を流すため、室内に備え付けてある北海道産のペットボトルの水を1本持っていき、温泉から出たらすぐに部屋に戻るのではなく、クールダウンルームで休憩がてら読書を楽しもうと思う。


今日も朝食をしっかり摂り、昼は抜いていたこともあって、函館市内の散策からホテルに帰ってくる前に夕食を早めに食べた。函館駅からすぐ近くのどんぶり横丁市場に行った。そこには様々な海鮮屋が乱立していて、その中で「道下商店」というお店を直感的に選んで中に入った。メニューを見ているだけでもうよだれが出てきそうなぐらいに新鮮な海鮮丼が様々掲載されていて、その中で「うに·いくら·あわび丼」を注文した。午後4時過ぎに店に入ったこともあり、自分が最初の客のようだったが、すぐに重そうなリュックサックを背負った男性が1人、そしてそこからしばらくして2人の夫婦が店に入ってきた。あわびが食べたくてそのメニューを選んだのだが、あわびを水槽から出してもらって本当に新鮮なものを食べられるとは思っていなかったので感激であった。美味しいご飯とお味噌汁がおかわり自由とのことだったので、ご飯の進む塩辛とお漬物も添えられていたこともあって1杯だけご飯をおかわりした。料理人の方がとても気さくな女性だったので、その方と会計の際に少し会話をした。とても美味しかったので明日の夜もまた来たい。明日は、カニやエビを食べたいので、5種海鮮丼を注文したいと思う。青森·秋田に引き続き、北海道の海産物は格別である。函館:2022/10/14(金)17:36


9258.【日本滞在記】函館市北方民族資料館を訪れて


この日記を書き留めたら、大浴場に行き、塩サウナに入り、そして温泉の入浴を楽しんでこようと思う。青森から新青森に向かう列車の車内アナウンスで知ったのだが、今日は新橋·横浜間の列車が開通して150周年の記念日とのことである。偶然そんな日に列車を利用したことも何かの偶然だろうか。そして今日は初めて青函トンネルを通った。改めて、鉄道もそうなのだが、こうしたトンネルを作ることにどれだけの人が関わり、どれだけ多くの仕事があったかと思うと感慨深くなる。確かに現代社会は人新生的な観点で言えば、人工的なものがこの地球を覆い過ぎてしまっているが、人が作ったものをあえて別の眼差しで眺めると、やはり無数の作り手の存在とその仕事に感謝の念が生じることがある。今日はそのような気持ちになった。


ホテルに到着したのが午後1時前と早かったので、チェックインはすぐにできず、フロントで荷物を預かってもらい、まずは函館市文学館に向かった。ところが先日から今日にかけて休館であり、明日から開館のようだったので、すぐ近くの函館市北方民族資料館に足を運んだ。ここは大変素晴らしい資料館だった。アニメ『ゴールデンカムイ』を見てアイヌ民族に関心を持っていたこともあり、ここに所蔵されている資料からは多くのことを学ばせてもらった。この資料館では「北方民族」を扱っているということで、アイヌ民族だけではなく、ロシアの民族についても知るきっかけとなった。館内に入って資料を眺めていると、ボランティアのガイドを務めてくださっている女性の方から声を掛けてもらった。その方のお名前は有本さんという。有本さんに親切にも、まずはヘレン·ケラーが函館に来たときの話を聞き、そこからは聞き慣れないアリュート民族について説明を受け、その他にも函館や北海道に関する話を色々と聞いた。恥ずかしい話、五稜郭を古墳だと思っていたところ、五稜郭は墓ではなく、幕末時代に奉行所として使われていた場所とのことだった。そう言えば、小学校か中学校の社会の時間に「五稜郭の戦い」というのを習ったなと思い出し、確かに墓で戦争するのもおかしなことだと思った。おそらく資料集の雰囲気から古墳のような印象を持っていたので古墳だと勘違いしていたのだろう。ガイドの有本さんから1つ信じられない話を聞いた。北海道近くの我が国の海域で獲れる鮭は、漁獲量に応じてロシアに支払いをしなければならないとのことだった。なぜ我が国の経済的排他水域内で獲れた鮭に対してロシアに支払いをしなければならいのか理由を伺うと、ロシアの言い分は、その鮭はロシアの川で育ち、ロシアの川からやって来たからとのことだった。そんな馬鹿げた理由があるかと思ったが、そこに日本の交渉力の無さ、外交の下手さ加減が見て取れた。そんな小話を聞いた後、有本さんにお礼を述べ、そこからも北方民族に関する30分ほどのDVD動画を視聴し、館内の資料をくまなく見ていった。特にアイヌ民族の言語観と死生観は大変興味深く、館内に置かれていた書籍を近くの書店で探してみようと思う。函館:2022/10/14(金)18:03


9259.【日本滞在記】温泉ソムリエの石井靖史さんとの出会い


時刻は午後7時半を迎えた。先ほど、ホテルの大浴場に行き、温泉を堪能してきた。温泉に入ったといっても、屋外の「天然温泉海神(わたつみ)の湯」に入ったわけではなかった。というのも、今日は真っ先に塩サウナに入り、その後に一度シャワーを浴びてからサウナに入ったら温泉に浸かる余裕がなかったのである。水風呂に入ってしばらくすると、1人の男性が大浴場の奥の方に歩いていき、外に出て行ったのを見て、実はその時に初めて露天風呂があることを知ったのである。明日もまた早めに夕食を食べ、少し早めにホテルに戻ってきて、オンラインゼミナールの前にゆっくりと温泉に入りたいと思う。明日はまずお湯で体を流した後、真っ先に露天風呂に入り、そこからサウナに入り、最後に塩サウナに入って水風呂に入るコースを考えている。今日改めて温泉は素晴らしいと思った。父が温泉好きなこともあり、幼少期から温泉を楽しんできたのだが、こうしたところにも父の影響を見て取ることができ、自分の感性に良い影響を与えてくれた父には大変感謝している。塩サウナのおかげで効能通りに肌がツルツルになり、さっぱりして大浴場を後にしようとしたときに、靴脱ぎ場の壁の張り紙に目が留まった。そこには温泉の成分が事細かく記載されていて、自分はこうした物に目がないので思わず足を止めた。張り紙には化学記号と数値がたくさん記載されていて、中学校時代と高校時代の理科では化学が一番好きだったこともあり、大変興味深く成分表示を眺めていた。すると、後ろから客の方が入ってきて、張り紙を見て、「塩化物泉が25.58gかぁ、なかなか濃いいなぁ」(概念名と数値はうる覚えだがそのようなことを述べていたように思う)と述べた。それを聞いて私は心の中で、「すごい、温泉マニアか?」と思い、それは口には出さず、「随分お詳しいですね」と述べた。すると、その方は温泉ソムリエとのことだった。私は自分の知らない分野で知識を豊富に持っている人との会話が本当に好きなので、色々と話を伺った。その方のお名前は石井靖史さんといい、大分県の別府で温泉に関する活動をしておられるそうだ。石井さんから快く名刺をいただいた(名刺には、別府八湯温泉道第99代永世名人と第44代名誉名人の肩書が記載されている)。石井さんが最初呟いておられた点なのだが、石井さん曰く、1kg当たりに25g以上の塩化物が入っているので結構濃く、長く入ると湯当たりしてしまうそうだ。そんなことは温泉の素人である自分にとって初めて知ることだったので、大変参考になった。そこから、父がよく温泉に行くときに「この温泉は掛け流しだ」ということを述べていたのだが、父に聞くことも、自分で調べることもしていなかったので、掛け流しの意味がよくわからないままこれまで過ごしていた。しかし石井さんの説明のおかげで掛け流しがどういう意味なのかがわかった。その他にも成分表を見ながら色々な話を伺い、自分も今後日本に一時帰国する際には、全国の旅館に宿泊して温泉巡りなどをしたいと思っていたので温泉ソムリエの勉強をしてみたいと思った。石井さん曰く、温泉ソムリエになるには資格試験のようなものを受験する必要はなく、講座に参加すれば温泉ソムリエが名乗れるとのことだった。これからも欧米での生活が続く自分にとって、外国の友人や知人と日本を訪れた際に温泉の説明ができると便利かと思うので、ちょっと勉強してみようかと思う。最後に、石井さんに自分がオランダから来たことを伝えると、石井さんはテレビ東京の『Youは何しに日本へ』という番組の第7回で、オランダ人の友人のジャスティンという方と一緒に出演したらしく、それがAmazonプライムで観れるとのことだったので、今からちょっと調べてみようと思う。前回2020年の一時帰国の際にも素晴らしい出会いがたくさんあったが、今回の一時帰国においても本当に素晴らしい出会いに恵まれ、それには感謝が尽きない。函館:2022/10/14(金)20:06


【追記】

その後、調べてみたところ、温泉ソムリエの講習会は日本の各地で開催されていることを知ったが、自分はオランダに活動拠点があるのでそれには参加できないと思って諦め掛けたが、オンラインでも認定講座を受講できるそうなので、この冬かどこかのタイミングで、少なくとも今度日本に一時帰国するまでには温泉ソムリエの講座を受講したいと思う。


温泉ソムリエ認定講座:https://www.n-academy.jp/SHOP/order_onsen.html

函館:2022/10/14(金)20:17

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