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9223-9229: 日本滞在記 2022年10月10日(月)



No.4085 朝光の祭り_A Festival of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1879, Tranquil Impression

My inner world is saturated with tranquil impression.

It is the vast tender sea.

Gentle waves of the sea represent my subtle emotions.

Tokyo; 05:19, 10/10/2022

No.1880, The Most Beautiful Human-Made Creature

Each of us is the most beautiful creature that human can make.

Human cannot make more beautiful existence.

On Shinkansen to Akita; 11:02, 10/10/2022


No.1881, The Value of Idiocy

We can find our diamond not only within integrity but also within idiocy.

Our existential essence is there.

On Shinkansen to Akita; 11:50, 10/10/2022


No.1882, Omnipresent Heaven

Heaven is omnipresent.

It is here and there.

I’ll go there from now.

Akita; 16:18, 10/10/2022


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本日の2曲


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タイトル一覧

9223.【日本滞在記】時差ボケから随分と回復して

9224.【日本滞在記】認知が最も機能する場所へ

9225.【日本滞在記】秋田に向けて

9226.【日本滞在記】日本人がマスクを外す日/福田徳三に関する論文を読みながら

9227.【日本滞在記】福田徳三の思想と取り組みへの共感

9228.【日本滞在記】フーコーのテクノロジー哲学の要点

9229.【日本滞在記】「生存権所得」という言葉/歴史空間について


9223.【日本滞在記】時差ボケから随分と回復して


時刻は午前5時を迎えた。日本滞在の3日目が幕を開けた。この時間帯の東京はまだ暗いが、すでに東京駅は目覚めを迎え、列車が走る音が聞こえてくる。一昨日と同様に、昨夜も午後9時頃に就寝したのだが、一昨日と違って熟睡ができた。今朝の目覚めはすこぶる良く、時差ボケもほぼ解消されたようである。睡眠はとにかくとても大事なので、熟睡できたことを嬉しく思う。認知機能も今日から通常通りに働くのではないかと思う。時差ボケのせいか、一昨日には夢を全く見ていなかった。ほぼ毎日夢を見る自分にしては珍しい。実際のところは、3日前の機内で仮眠を取っているときにも夢を見ていなかった。今朝は薄ぼんやりと夢を見ていて、それが時差ボケからの回復を物語っている。夢の中の世界は薄淡い雰囲気を発していて、誰か見知らぬ日本人の若い女性と話をしていたように思う。また、同じ世界の中で大学時代のゼミの友人と話をしていた場面もうっすらと記憶に残っている。今日を通じてまた時差ボケもより解消されていくであろうし、今夜も早く就寝しようと思っているので、今夜は何か夢を見れるかもしれない。そのような期待がある。期待ということで言えば、今日から初めて東北地方を訪れる。今日からは秋田に数日宿泊し、そこから青森、北海道と移動する。今日の予定としては、これから少し創作活動に取り掛かり、地下1階のホテルとの連絡通路にあるコンビニで水とお茶を購入しよう。そこからコーヒーを飲みながらゆっくりし、午前8時を目安に8階のレストランで朝食ビュッフェを食べる。その前に、自重トレーニングを念入りに行っておこうと思う。一昨日と昨日はよく歩き、それが良い運動になっていたが、それに加えて今日は、歩行では鍛えられない部位の筋力トレーニングを行う。そのトレーニングを行なって程よく筋破壊をした後に、朝食をしっかり食べようと思う。レストランのブュッフェはとても質が高く、アラカルトのメインメニューの1品もとても美味だ。サラダをたくさん食べ、タンパク質もしっかり補給しよう。朝食をゆったり味わったら、また部屋で少し休憩して、午前9時半頃にチェックアウトをしようと思う。東京駅に少し早めに到着し、今日は朝にトレーニングをすることから、昼もお腹が空くことが予想されるので、駅弁でも買って新幹線に乗ろうと思う。今日から始まる秋田の滞在もとても楽しみだ。東京:2022/10/10(月)05:12


9224.【日本滞在記】認知が最も機能する場所へ


さて、時刻は午前9時を向けた。今朝方、ホテルのサービスとして受け取った新聞によると、今日は「スポーツの日」という祝日のようだ。自分は日本人だが、実は日本の祝日は何一つ知らない。これは今に始まったことではなく、小さい頃から祝日の日を覚えるようなことは一切しておらず、それが今の習慣になっている。現在生活拠点のあるオランダにおいても祝日は何一つ覚えていないし、以前住んでいたアメリカにおいてもアメリカ独立記念日すらいつかは正確には覚えていない。覚えなくてもいいことは覚えないこと。それが必要なことを覚えておくことを可能にしているように思う。記憶について考えていると、ふと日本に帰ってきてからの自分の認知機能について考えていた。自分の認知的働きの様子を見ていると、やはり自分が最大限に能力を発揮できるのは母国にいないとき、すなわち国外にいる状況なのだとわかる。これは別にここ数日間は時差ボケの影響を受けていたという話ではなく、どうやら環境からの働きかけとして、自分の認知機能が一番働くのはこの国以外にいるときだということが実感として湧く。認知というのは環境に埋め込まれていて、環境を通じて発揮される。知性というのはそうした環境依存性を持っているのだ。それではこれから秋田に移動したいと思う。東京で発揮された認知と秋田で発揮される認知にも何か違いが生まれるだろうか。環境依存性という性質を踏まえると、きっと何か変化が見られるはずだ。そうした小さな変化も見逃さず、観察に次ぐ観察を続けたい。自分の認知が最も働く場所で生活を営むこと。今後もそれを徹底させ、認知が一番働く場所から日本へ働きかけていきたいと思う。チェックイン前の朝にそのようなことを考えていた。東京:2022/10/10(月)09:12


9225.【日本滞在記】秋田に向けて


今、東京駅の新幹線の待合室の中にいる。ホテルを速やかにチェックアウトし、ホテルから東京駅まで直結の連絡道を歩いて緑の切符売り場でチケットを購入した。これから乗車するのは、秋田まで直通の「こまち」という新幹線だ。東北方面に行くのは初めであり、今回初めて秋田に向かう新幹線に乗車する。東京駅から秋田までは9駅ほどあり、乗車時間は3時間48分だ。乗車時間が十分にあるので、寛ぎながら自分の取り組みに集中して従事できそうだ。今日はまず、デスクトップ上の論文を読み進めていこうと思う。


それにしても今日の東京は蒸し暑い。朝のこの時間帯はまだマシだが、今日と明日は、なんと27度を超えるほどに気温が上がる。それは夏の暑さだ。幸にも秋田は20度ぐらいでちょうどいい気温である。オランダではもう日中でもジャケットを羽織っておかないと寒いぐらいだったが、日本の気候は随分と異なる。時差ボケに合わせて、気温についても適応する必要がある。今、半袖で肩まで服を捲り上げているのだが、自分の体質が欧米人のようになっているような気がする。肌寒い中に半袖でいる欧米人を見たことがある人はきっと多いだろう。


新幹線が到着するまであと30分ある。論文を読み始め、乗車前にトイレに行けばあっという間に乗車時間になるだろう。今朝方に自重トレーニングを念入りに行なったことによって、脂肪が燃焼しており、それで体温が上昇して寒さを感じないのかもしれない。朝にトレーニングをしたこともあって、今日は昼ごはんを食べようと思う。先ほど東京駅内の弁当売り場で、うなぎ弁当を購入した。基本的に自分はベジアリアンだが、魚を食べることは時折ある。日本のように魚介類が美味しい国では、結構海鮮物を食べる。北海道では特に海鮮料理が楽しみだ。今日から始まる秋田旅行は充実した時間になるだろう。東京駅:2022/10/10(月)09:55


9226.【日本滞在記】日本人がマスクを外す日/福田徳三に関する論文を読みながら


先ほど、無事に新幹線はやぶさ·こまちが東京駅を出発した。この新幹線は、盛岡から分岐し、はやぶさは新青森に行き、こまちは秋田に行く。このような形の新幹線に乗るのは初めてのことであり、こまちは11号車のグリーン車から車両が始まる。今、11車両の5Aの座席に座っていて、車窓から見える景色を眺めている。今はまだ東京から程近いところにいるので見慣れた景色だが、そもそも東京も2年振りなので、この景色すら新鮮に映る。仙台からはもう未知の景色であり、それ以降の東北の景色が今から楽しみである。その頃にはパソコンと向き合うのを中断して、窓から景色をぼんやり眺めよう。列車の旅の良さは、こうした窓の景色をぼんやりと眺められることにある。


先ほどふと、日本人がマスクを外し始めるタイミングはいつになるのだろうと思った。日本人は同調圧力と集団意識が強い民族集団であるので、少しずつマスクを外していくというよりも、誰か影響力のある人や国からの発言によって一斉にマスクを外すことが妥当な流れだろうか。おそらくある個人が同調圧力や集団意識を飛び越えていくことは大変であろうから、マスクを外す個人がまばらに社会に現れて臨界点に向かっていくというモデルよりも、非線形的に上からの指導によって一気に全員がマスクを外すような流れが想定しやすい。そのようなことをぼんやりと考えていた。


先ほど、経済学者の福田徳三に関する論文を読んでいた。福田徳三全集は既刊のものは全て日本からオランダに取り寄せたが、まだ積読状態のため、オランダに戻ってきてから来年にかけてゆっくりと読み進めていこうと思う。先ほどの論文の中に、福田が敬虔なクリスチャンであったという記述があった。彼の厚生経済学の思想にキリスト教的な側面がどれほど見られるかは関心の的である。福田は、日本資本主義の黎明期の中で、深い学識を通して福祉に資する経済学を提唱した。福田は時代の課題と向き合い、日本の経済学の発展に尽力した。ドイツで経済学を学び、そこでの学びを日本に還元した福田。そうした彼の姿勢と生き方に共感するものがある。これから続きとして、もう1つ福田に関する論文を読みたいと思う。今、列車は大宮に到着した。秋田に向かう新幹線:2022/10/10(月)10:44


9227.【日本滞在記】福田徳三の思想と取り組みへの共感


時刻は午前11時半を迎えようとしている。オランダでは夕食だけしっかり食べていて、旅行中は朝と夜の2食が基本だが、今日は朝にトレーニングをしたこともあり、小腹が空いてきた。朝食のビュッフェをしっかり食べたのにこのように食欲が湧く自分に驚く。だが、それは健康な証だろう。人間は欲があってこその生き物である。欲に流され、欲まみれになって堕落してしまうのではなく、欲を認め、欲と良好な関係を構築することが良き人生の要諦の1つなのではないだろうか。欲が湧くとき、自分はそこに自らが人間であったことの証を見て嬉しくなる。欲は人間証明の手立てなのだ。


さて、もう間も無く列車は仙台に到着する。何やらそれらしい雰囲気になってきた。仙台は未だかつて足を踏み入れておらず、今回も通過するだけだが、いつか訪問してみたい。


先ほどに引き続き、福田徳三に関する論文を1本読み、ベーシックインカムに関する論文も1本読んだ。明治以降の日本の経済学は福田徳三に始まると言われることがあるらしく、福田は経済学という分野を開拓した偉人である。そして、経済学を通じて日本社会に貢献した偉人でもある。自分もテクノロジー神学やマネー神学に関する学問的基礎を整えることに貢献したいという思いが自然と湧いてくる。今回一時帰国して改めてそのようなことを強く感じる。人や社会、そして学問分野の礎になること。自分はそうした存在でありたい。


福田は、憲法第25条の生きとし生ける者の生存権に多大な関心を寄せて、厚生経済学の基礎を築いていった。彼は従来の経済学を「価格の経済学」と形容し、人間的価値を貨幣尺度で測るその発想を厳しく批判した。福田は人間の復興を第一とし、「生を厚くする」という意味での厚生経済学の創出に尽力したのである。福田の思想で共感する点は多々あるが、私たちの人生観や世界観がことごとく貨幣的な尺度で毒されてしまい、人間の創造性を蝕む貨幣経済社会のあり方を嘆いた。この嘆きに共感する自分がいるからこそ、彼の全集を読み進めようとしているのだろうし、厚生経済学やベーシックインカム、そして歪んだ資本主義的社会の批判に向けて仕事を進めようとしているのだろう。秋田に向かう新幹線:2022/10/10(月)11:31


9228.【日本滞在記】フーコーのテクノロジー哲学の要点


秋田に向かう新幹線が、先ほど突然停止した。安全確認のため一旦停止した列車の中で、どれだけ遅延されるのか少し気になっていた。その時に、この夏にストックホルムを訪れた際の列車の大幅な遅延を思い出した。あの立ち往生は数時間に及び、とんだ災難ではあったが、色々と学ぶことがあった。昼食後だったので、仮眠を兼ねて目を瞑っていると、しばらくして無事に列車が動き出した。幸いにも停止していたのはわずか5分である。


今、車内アナウンスが流れ、田沢湖に到着しようとしている。ここからあと1時間ほどで終点の秋田に到着する。先ほどから自然がとても豊かになってきたことを実感する。今日は小雨が降っているが、秋の雨は穏やかで、緑の世界に輝きをもたらしている。


先ほど、フーコーのテクノロジー思想に関する論文を読んだ。フーコーのテクノロジー思想のユニークな点はなんと言っても、権力というテクノロジーに注目したことだ。言い換えれば、フーコーのテクノロジー思想は、「権力テクノロジー論」とでも形容できるだろう。フーコーは、この社会に存在する統治テクノロジーに注目し、「統治形成性(governmentality)」という性質をそこに見出した。フーコーは、社会の中に存在する生権力としてのテクノロジーに注目し、身体次元での働きかけから精神次元における働きにかけて詳細な分析をしている。社会が個人の身体と精神に対して働きかける目には見えない権力構造が存在していて、それが社会全体の生産·再生産における様々な構築物を形成している。その構築物のことをフーコーは、「権力のエコノミー」と呼んだ。ここでエコノミーとはもちろん経済を表すのではなく、ある内在的原理によって、その構築物としてのシステムの諸要素が配分·制御される総体のことを指す。フーコーのテクノロジー哲学に関する書籍は1冊あり、それはテクノロジーに関するフーコーの講義録をまとめたものだ("Technologies of the Self: A Seminar with Michel Foucault")。その中で、4つのテクノロジー類型が言及されていたのを思い出す。それぞれ、生産のテクノロジ一、記号体系のテクノロジー、権力のテクノロジ一、自己のテクノロジーである。オランダに戻ったら、それらの1つ1つについて改めて特徴を精査しておこうと思う。以上を要約すると、フーコーは近代の資本主義的社会において、統治としての権力テクノロジーの存在とそのメカニズムを突き止め、その主要な特徴として生権力を挙げた。そこでは人間の生そのものが、そしてセクシュアリティが、権力によって働きかけられる対象となり、それらは管理されたものとなる。フーコーのテクノロジー哲学についてさらに学びを継続させていきたい。秋田に向かう新幹線:2022/10/10(月)13:25


9229.【日本滞在記】「生存権所得」という言葉/歴史空間について


時刻は午後8時半を迎えた。今、秋田のホテルメトロポリタン秋田の自室にいる。このホテルは駅から直結しているため、午後の秋田駅に到着した時に雨が降っていたことから助かった。とても立地が良く、内装も綺麗なので、このホテルが3つ星評価なのが不思議なぐらいである。事前に調べてみたところ、秋田駅周辺にはどうやら4つ星ホテルがないようで、このホテルが駅直結であり、尚且つ雰囲気が良さそうだったので今回宿泊した次第だ。このホテルを選んで正解である。部屋の広さは、確かに東京で宿泊していた4つ星に負けるが、とても快適な滞在ができている。


今日の秋田は午後から激しい雨が降り、早めにチェックインできたので夕方に散歩に出かけたところ、雨の強さに驚いた。明日も雨が降るようだが、今日よりも弱い雨であることを祈る。明日は結構な箇所を巡る予定なので、雨ができるだけ降らないことを願おう。


東京から秋田に向かうまでの新幹線に乗っていた時間はとても充実していた。やはりグリーン車は快適であり、集中して何本もの論文を読むことができた。その中で、ベーシックインカムはもとも憲法第25条の生存権に関するものであるから、ベーシックインカムという言葉でなく、「生存権所得」という言葉を使うことを推奨している論文に出会い、その論考を大変興味深く読んでいた。ただの言葉、されど言葉である。言葉によって受け取り方は随分と異なり、それが国全体で採用される言葉であれば尚更言葉の重要性を感じる。そもそもベーシックインカムという呼び方で良いのかということについてもゼミナールの中で議論したい。


東京から秋田にやってくる最中に、歴史空間というのは1つではなく、それは様々な位相を持っている。そして、それぞれの位相には固有の時間的な流れが存在しているのではないかというイメージが降って来た。歴史を学ぶというのは、各位相空間に流れている固有の流れを知ることであり、それをできる限り追体験していくことなのだと思う。また、それは歴史のみならず、実際にはそれぞれの場所に固有の時間が流れていることも改めて思い出したい。そうすれば、明日から訪れる場所に流れる固有の時間を味わうことができるだろうから。秋田:2022/10/10(月)20:46

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