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9214-9218: 日本滞在記 2022年10月8日(土)



No.4071 宇宙からの優しさ_Tenderness from the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1871, The Final Stage of Enlightenment

Once you become you, yourself, you can be united with the one.

That’s the final stage of enlightenment.

JL048 to Haneda; 08:08, 10/8/2022


No.1872, Celebration for the Inner Break

I was celebrated by heaven for the inner break.

It was the precursor of my transformation.

JL048 to Haneda; 08:26, 10/8/2022


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本日の2曲


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タイトル一覧

9214.【日本滞在記】いくつかの久しぶり

9215.【日本滞在記】テクノロジー·リテラシーの向上に向けて

9216.【日本滞在記】内的爆発/テクノロジー倫理に関する続き

9217.【日本滞在記】テクノロジーと変化/福田徳三の経済思想とベーシックインカム

9218.【日本滞在記】『僕が愛したすべての君へ』を見て


9214.【日本滞在記】いくつかの久しぶり


日付を跨ぎ、時刻は日本時間の午前7時を迎えようとしている。今、ヘルシンキから羽田に向かう機内の中にいる。日本に到着するまであと6時間ほどある。つい今し方、朝のコーヒーと、フルーツの盛り合わせを注文した。CAの方にそれを届けていただき、今、コーヒーをすすりながらこの日記を書いている。今回日本に帰るのは2年振りであり、前回はKLMにお世話になっていたので、JALにお世話になるのは3年振りだと思う。正直なところ、2020年に日本に一時帰国したのは鮮明な記憶として覚えているが、その前はいつだったかは覚えていない。2019年の秋にも一時帰国をしたように思うが、その時はコロナでマスクをつけた記憶はなく、COVID-19というのは一体いつから日本で騒がれ始めたのか確認してみなければならない。今回はヘルシンキで治外法権的というか、異国の地の中で日本のルールが適用されるという興味深い体験をした。オランダではもう随分とマスク無しの生活が実現されているが、どうやら日本ではまだマスクをしないといけないらしく、ヘルシンキ空港のゲートから搭乗する時からマスクを着用することが義務付けられた。そこから日本の領土のように思えた。機内でも一応マスク着用が要求されているが、飲み食いなどのために、乗客の大半はあまりマスクをしていない。寝ている人たちもマスクをしていない。その他にも久しぶりに体験したということがいくつかある。どれも他愛もないものなのだが、そうしたことですら今の自分には新鮮に感じられる。こうした新鮮さは、その瞬間を楽しさで溢れる時間に変えてくれることの鍵となる。その1つとして、変換器を使わず久しぶりに日本仕様の電源を活用したことである。今手持ちのデバイスのうち、iPadとスマホはオランダで購入したもののため、電源は欧州規格に準拠したものである。しかし、MacBook Airはこの間の一時帰国の時に銀座で購入したものなので、電源は日本規格に準拠している。その他に久しぶりというのは、機内で今、日本の流行歌を聴いていることだろう。さらには、先ほど仮眠を取る前には、邦画を久しぶりに等倍速で視聴した。改めて、良い映画は当倍速で視聴した方がいいし、可能であれば映画館で臨場感を感じながら見た方がいいということを思った。倍速で視聴するのは、あくまでも良い映画の選別をするための速読のようなものであって、やはり速読だけではなく、熟読や精読といった読みがなければ、知識体系が深まっていかないのと同じく、良い映画も等倍速でじっくり味わうべきだと思った。というのも、感情に訴えかけてくるような映画や、深い考察を求める映画は、映画に固有の時間の流れに自己を晒さなければその契機を失ってしまうからである。そのようなことを思った。それにしても、ヘルシンキを出発してすぐに見えた雲海は見事であったし、眼下に見えたユーラシア大陸の雪山の群もまた見事であった。羽田に向かう機内の中:2022/10/8(土)07:13


9215.【日本滞在記】テクノロジー·リテラシーの向上に向けて


この世界はいつの間にか免疫学的な社会になってしまった。それはコロナのようなウィルスに対して怯えるような社会というよりも、各種の排除の原理に則った社会である。人種や経済的な格差によって人々はいつの間にかセグメント化され、セグメントごとに相手を拒絶するような無意識が醸成され、そうした無意識に準拠した行動が伴うような社会が構築されていることに気づかされる。   

    

今乗っている飛行機が離陸する時、改めてこのような巨大な物体が空を飛行することに驚いた。航空力学に積み重ねれられた知に敬意を払う。一方で、飛行機に関する倫理について考えていた。それはテクノロジーに伴う倫理に関するものである。テクノロジーというのは、その製作段階で倫理的なものを孕む。また、使用段階でも別種の倫理性が生まれる。製作段階においては、製作を企図した者、テクノロジーをデザインした者、そしてそれらに介入した各種関係者の意図が混入する。そこに倫理的な判断が伴う契機が潜んでいる。ここで倫理的な判断をしていくことは重要だが、同時にそこでは結局のところ、製作した後にそのテクノロジーが実際にどのように使われることになるのかということを完全に予測することはできず、予測の限界性という条件の中で倫理的な意思決定をしていく必要がある。実際に、大きな影響力を持つテクノロジーになればなるほど、それがどのように使われることになるのかは事前に予測できないことが多い。今、テクノロジー哲学を探究する中で、倫理に関するテーマは非常に重要なものとして自分に映る。テクノロジーの予測不可能性と同様に、テクノロジーの可能性を考えてみた時に、現在の価値基準でテクノロジーを規制していくというのは避けた方がいいように思える一方で、野放しにするというのもテクノロジーに関する無倫理的な責任放棄である。そうなってくると、テクノロジーがどのように実社会で使用されているのかというのを絶えずモニタリングしていきながら、同時に、テクノロジーの使用に関して、それが私たちの生をより善きものにしていくためにはどうすればいいのかを、公共的な場で広く対話をしていくことが今のところ思いつく策である。それらの策は特に目新しいものではないが、こうした当たり前のことができていないのが現代社会の病なのかもしれない。原発にせよ、SNSにせよ、AIにせよ、それらが実社会でどのように活用されているのかのリアルタイムかつ継続的な観察の試みはほとんど見られないし、それらに関して公共的な討議が広くなされることもほとんど見かけない。どちらも共に、テクノロジーに関する知識や思考方法がなければ実現できないことを考えると、自分の役割はテクノロジー哲学を探究する過程の中で、一般書の執筆を含めた啓蒙活動をし、上述の事柄を市民一丸となって実現できるようなテクノロジー·リテラシーを高めることなのかもしれない。羽田に向かう機内の中:2022/10/8(土)07:30


9216.【日本滞在記】内的爆発/テクノロジー倫理に関する続き


日本に帰る時はいつも自分の中で爆発が起こる。その内的爆発は、自己をまたまだ見ぬ自分に変容させていく。そのようにして自分は、今思っている自分とは全く違う自分にいつの間にか姿を変えている。絶えず未知に向かう連続的な存在としての自己をそこに見る。当然そこには変容に伴う非線形的な飛躍があり、連続的かつ非連続的な存在が自分だ。そうしたことを鑑みてみると、自己は離散的であり、非離散的である。ゆえに自己は微分可能であるが、微分不可能でもある。きっと人間とはそのような生き物なのだ。


先ほど、テクノロジーに伴う倫理について書き進めていると、そこからテクノロジー·リテラシーに関する話題になっていた。しかし、それは本当に大事なテーマだと思う。テクノロジー哲学の重要な役割の1つとして、人間とテクノロジーとの間の関係性を考慮に入れながら、テクノロジーを通じてどのように善き生を実現できるかを公共的に議論するための観点や筋道を提供することがあるはずである。そうでないテクノロジー哲学は、一体何のために存在していると言えるだろうか。自分は幾分プラグマティズム的かつフランクフルト学派的なテクノロジー思想を持っているのだろうか。きっとそうだろう。それらも含んで超えているはずだ。いずれにせよ、いつかテクノロジー哲学に関するわかりやすい一般書を執筆したい。その後に、神学と絡めてテクノロジー神学に関する一般書を執筆したいと思う。その実現に向けて、まずは欧米の学術世界の中に自己を置いて、論文の執筆に勤しもう。


書きたいという衝動。ただただ書きに書き、作りに作るという人生を送りたいという思い。日本に帰る時にはいつもこのようなことが起こる。なるほど、自分が日本に一時帰国する最大の目的は、内的爆発を通じた自己変容をするためだったのだ。煮えたぎる情熱。溢れ出す情熱。熱情の核が自己の前面かつ全面に顕現している。


先ほど考えていたテクノロジー倫理に関する続きに関して、テクノロジーの使用に際しては製作段階においては事前に予測できないことが起こる。それも含めて、まずは製作段階において極限まで倫理的な思考をするということはどのようなことを指すのだろう。再述すると、テクノロジーには不可避に予測不可能性が内包されているのだから、製作段階で極限まで倫理的な思考をするというのは本当にどのようなことを指すのだろうか。最善を尽くした倫理的思考とは何なのだろうか。そのあたりをより明確なものにしたい。テクノロジーは、それを用いる私たちや文化がそれを規定していく側面がある。そう考えるとテクノロジーは、クローズドなシステムではなく、はたまた完全にオープンなシステムでもなく、セミ·クローズドかつセミ·オープンなシステムだと言えるだろう。さらには、テクノロジーをインテグラル理論における右下象限の産物としてあえて眺めるのではなく、左下象限の文化や価値観の延長線上に捉えてみるとどのような新たな気づきが得られるだろうか。テクノロジーには文化固有性があるのだから、テクノロジーを完全に客観的な産物として眺めるのは無理があるだろう。羽田に向かう機内の中:2022/10/8(土)07:43


9217.【日本滞在記】テクノロジーと変化/福田徳三の経済思想とベーシックインカム


機内の中であるし、今飛行している場所との時差の都合上もあって、窓の外は真っ暗である。日本時間の午前9時に近づこうとしている。今日は土曜日のようだ。土曜日の朝を機内で迎えた。羽田に到着するのはあと4時間半ほどである。最後の機内食を食べたら意外ともうすぐだろう。今日は当初の予定では、東京駅近くのホテルに到着したら荷物を置いて、國學院大学の博物館に足を運ぼうと思っていた。しかし、移動が少し大変かもしれず、今日は日本橋の映画館に足を運んで映画でも見ようと思う。明日も実は朝と午後に見たい映画があって、再び日本橋の映画館に朝に行き、午後には有楽町の映画館に行く。


先ほどテクノロジーについて考えていたことの続きとして、あるテクノロジーに介入し、そのテクノロジーを変化させることは、そのテクノロジーと私たちとの間で構築されていた世界そのものを変化させることを意味することを思った。それは関係性の変化であるのと同時に、私たち自身の存在そのものを変容することでもある。テクノロジーに介入して変化を起こすというのはそういうことだ。テクノロジー哲学について探究していると、どうしても欧米の学者の名前ばかりが出てくるが、我が国にも三木清という哲学者がテクノロジーについても哲学思想を展開していた。以前彼の全集を購入しようかと検討していて、購入リストに加えていた。三木は、人間の活動はあらゆる側面において技術的であると述べた。そうなのだ。私たちの活動は全方面的に技術的である。それが意味するのは、私たちの存在そのものが技術的だということなのかもしれない。


そこからは、経済学者の福田徳三に関する論文を読んでいた。福田の厚生経済学的な発想は、ベーシックインカムについて議論する際に有益である。福田の全集は既刊のものは全て購入しているため、まずはベーシックインカムを議論する際に活用できそうな箇所を丹念に読んでいきたい。そのようなことを考えていた。羽田に向かう機内の中:2022/10/8(土)08:58


9218.【日本滞在記】『僕が愛したすべての君へ』を見て


時刻は午後9時を迎えた。今、東京駅近くの丸の内ホテルで寛いでいる。本当に偶然なのだが、おそらく2年前に利用した時と全く同じ部屋に宿泊しているように思う。部屋の窓からは東京駅の姿が見え、この時間帯も時折列車が走っている。今日は定刻よりも30分ほど早く羽田空港に到着し、そこからすぐにモノレールに乗って東京駅に到着し、ホテルにも速やかにチェックインすることができた。羽田空港で1つ感心したのは、前回よりもコロナの検査が圧倒的に早くなっていたことだ。事前にアプリを登録することが義務付けられていて、乗り換えのヘルシンキ空港のゲートですでにアプリのダウンロードを確認していることもあって、乗客たちは速やかに検査を通過していった。おそらく他国からの乗り入れに際しても同じように、出発国でのアプリの提示を義務付けているのだろう。このあたりの対応については感心した次第だ。2年振りに日本に帰ってきて、やはり感慨深いものがある。今日は羽田に到着したこともあり、空港に向かって横浜に面して旋回する際に富士山が見えた。その佇まいはあっぱれの一言であり、日本人として富士山の雄麗な眺めにはやはり感嘆の声が漏れてしまう。空港からホテルまでもアクセスが良く、その点において不便を感じることは一切なかったが、やはり東京の人々のどことなく表情の暗い感じが気になるところである。というよりも、日本人全体として表情がイマイチ冴えないように思えてしまうのはどういった理由があるのだろうか。やはり国内の政治経済的な種々の問題が影を落としているのだろうか。


ホテルに速やかにチェックインをして、少し休憩してから、日本橋TOHOシネマズに行った。時間的に國學院博物館に行けそうだったが、乗り換え等を含めて東京駅から少し距離があったので、今日は映画を見に行くことにした。本日見たのは、『僕が愛したすべての君へ』という作品である。端的には、自分としてはここ数年間で見たアニメ映画の中で一番考えさせられる傑作だった。テクノロジー哲学や心の哲学の観点から見ても面白いが、物質と意識の謎解き以上に、老年学の観点や愛や幸せとは何かという観点からも深く考えさせられる内容だったのである。この作品はセットで、『君を愛した人りの僕へ』という作品も上映されている。それは明日の朝一番で再び日本橋TOHOシネマズに行く予定だ。この作品は本当に素晴らしかったので、オンラインゼミナールの皆さんや他の学習コミュニティーでも紹介したいと思う。今日は空の旅での疲労が溜まっているので、映画館で購入したパンフレットは明日にでもじっくり読もう。東京:2022/10/8(土)21:22

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