No.3949 光のなまず_A Catfish of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1740, The World Written Automatically
The world is being written automatically.
The automatic writing makes the world evolve infinitely.
Groningen; 09:32, 8/26/2022
No.1741, Social Corruption
Social corruption is manifest and omnipresent.
It erodes our soul and the world itself.
Groningen; 20:12, 8/26/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8986. 今朝方の夢
8987. 思わぬ訪問者
8988. 今朝方の夢の続き/着物の購入に向けて
8989. 神道の観点からテクノロジーを考察していくことに向けて/絶えず書かれる世界
8990. 生の充実感を感じさせてくれる武術と芸術の稽古/時間論の研究に関して
8991. 箏の稽古(11): オクターブの間隔と神経系のリハビリ
8992. 箏の稽古(12):箏の演奏とインテグラル理論・古武術との繋がり
8986. 今朝方の夢
時刻は午前5時半を迎えた。辺りはまだ闇に包まれていて、昨日の暑さが少し2階の部屋に残っている。しかし夏は昨日で終わりを告げ、今日からは完全に秋の入り口に入った。今日は1日を通して曇りのようで、正午過ぎに少し小雨が降るかもしれないという予報が出ている。最高気温は21度までしか上がらない。明日以降も20度を少し超えるぐらいの最高気温でしかなく、最低気温も10度ちょっとなので、もう気候は秋のそれである。
秋らしさを感じながら、今朝方の夢について早速振り返ってみたい。夢の中で私は、小中高時代の親友2人(SI & HO)と話をしていた。彼らとは進路について話をしていて、どの大学に進学するのかを話していた。しばらく話をしていると、近くに見知らぬ大人の男性が現れた。その男性が私たちに声を掛けてきて、そこからはその男性を交えて話をすることにした。ところが、その男性が私たちのことを侮辱するような発言をちょこちょこ述べてきた。それに対して私は憤慨し、その男性をジークンドーの打撃技で連打した。それは全て腹に入れ、するとその男性はすぐさま悶絶してその場にうずくまった。自分の右手には、その男性を殴った感覚が残っていて、それは後味の悪いものでは決してなく、むしろ自分は正しいことをしたということを証明する正義の感覚に満ちていた。
次に見ていた夢は、書籍の出版に関するものである。夢の中で私は、これまでお世話になっていた編集者の方と次回の出版書籍について話をしていた。前回の打ち合わせでは、その書籍の出版が決まったと連絡を受けていて、私は喜んでいたのだが、しかし急遽、出版を見合わせるということを編集者の方に言われてしまい、ひどく落胆した。話を伺ってみると、書籍の内容が難しく、それは研究書に該当するようなものであるため、その出版社の出版方針と合致しないとのことだった。それに対して私は言いたいことがあったので、自分の意見をいくつか述べた。すると編集者の方は自分の意見を受け止めてくださり、「確かにそれもそうですね。そうであれば、やはり出版させていただきます」と述べてくれた。最終的に無事に出版されることになって、私はとても安堵した。最後に私は、「この世界は最大化が可能なのか?」という問いをどういうわけか口に出し、その問いに対して自ら考えていた。今朝方はそのような夢を見ていた。
最後の夢に関しては、現在出版予定の書籍については、お世話になっている編集者の方が9月の頭に出版会議に掛けてくださることになっている。まだ出版が完全に決まったわけではなく、どうなるのかは未定だが、少なくとも編集者の方は今回の書籍の原稿を好意的に受け止めてくださっているので、会議が通ることを期待したい。フローニンゲン:2022/8/26(金)05:48
8987. 思わぬ訪問者
時刻は午前6時を迎えた。今、空がダークブルーに変わりつつある。フローニンゲンはこれから目覚めのようだ。起床した時に2階の室内に熱が籠っていたので、3方の窓を開けるとしばらくして、1匹のハチが部屋に迷い込んできた。そのハチを外に逃してあげようとするも、ハチが部屋中を飛び回るので、うまく逃すことが難しかった。結局、今もハチは2階の部屋を飛び回り、壁に頭をぶつけたりしている。こういうことは過去にもあったなと思い出し、無理に逃そうと思っても難しければ、部屋の窓を開けたままにしておいて、自然とハチが外に出ていくのを待ちたいと思う。風が流れ込んでくるタイミングで、きっともうしばらくそればハチは無事に外に逃げてくれるだろう。そのようなことを思っていると、願いが通じたのはハチはいなくなった。その代わりに1匹のハエが部屋に入ってきた。ハエについても同様に、窓を開けて自然に出て行ってくれるのを待とう。
昨夜は少し時間があったので、この秋の日本の一時帰国に関する予約の続きを進めていった。新千歳空港から宇部空港までのチケットの予約を完了し、伊勢での旅館の予約も完了した。これで国内旅行の予約を全て終えたことになり、とりあえずは一安心である。あとはフランクフルト滞在に関する予約とオランダに戻るフライトの予約だけすればいい。それについても今夜と明日の夜をかけて十分に予約できそうだ。フランクフルトでどのようなところを見て回るのかを大まかに決めておいて、滞在日数をまず確定させよう。そうすれば、ホテルとフライトの予約が速やかになる。フランクフルトでは、現代美術館を含め、いくつか美術館を見て回りたいと思っているので、最低でも3泊はしたいところである。
今日もまた午前中と午後にかけて読書に励みたい。昨日は随分と読書が進み、7冊ぐらいの書籍の初読を終えていたのではないかと思う。今月に注文した250冊以上の書籍は日々続々と到着しているが、自分の初読速度が速いこともあり、対して書籍が溜まっていない印象である。今日もまずは洋書の学術の読解から始め、休憩がてら小室直樹先生の執筆した和書を読み進めていこうと思う。夕方には時間を取って、箏の稽古を楽しみたい。今週末にはロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンがあるので、次回のセッションの予約に関するメールも送っておこう。フローニンゲン:2022/8/26(金)06:12
8988. 今朝方の夢の続き/着物の購入に向けて
時刻は午前8時を迎えた。今日は一日中曇りのようであり、朝から曇り空である。しかしそのおかげで、今日から一気に気温が低くなり、朝はとても涼しい。日中も21度までしか気温が上がらず、秋の肌感覚がある。
少し前に、ハチを無事に外に逃がせた。結局ハチは自然に外に出ていかなかったので、キッチンのランプに止まったところをキッチンペーパーで優しく包み、窓から外に逃した。ハチの訪れの後に訪れたハエは行方が知らず、きっとそれは自然と外に逃げてくれたのだと思う。無駄な殺生をせずに2匹の虫を逃がせたことを嬉しく思う。
今朝方の夢はすでに振り返っていたが、夢の続きとして、実際に通っていた高校の1階の渡り廊下のトイレにいる夢があったのを覚えている。和式トイレに入ると、その右の個室とさらにその右との個室に友人がそれぞれ入った。彼らの声が聞こえてきたのでそれが分かった。右隣の個室に入った友人の身長は高く、仕切りから頭がはみ出ていておかしかったが、覗かれてしまうことを恐れて、しばらく何もせず個室の中で待機していた。結局便意を催すことなく個室を後にすることにし、扉を開けて外に出ると、ちょうど2人の友人も外に出てきたタイミングだったので、その場で立ち話をした。そのような場面があった。
先ほど、この秋の一時帰国の際に立ち寄ろうと思っていた男性用の着物専門店のウェブサイトを改めて眺めていた。恥ずかしながら、着物と浴衣がそもそも違うものであるということすら知っておらず、その違いを知るだけでも勉強になった。和服に興味を持ったのは、神道への関心が芽生えたタイミングとほぼ時期を同じくする。日本人であるにもかかわらず、これまでずっと洋服を無意識的に着ていたことへの自覚と反省が芽生え、普段からずっとではないにせよ、何かの機会に和服を着たいと思っていた。それこそ最近は箏の演奏を始めたので、国内や国外で箏の演奏を披露することがあれば、その時には着物を着たい。また、仮に来年アメリカの神学大学院に通うことになったら、そこでの各種のイベントにおいて、着物を着て参加したいという思いがある。そうした場面以外にも、今後日本に一時帰国した際のセミナーの場や、欧米の自宅からのオンラインセミナーにおいても着物を着ることができる。そうしたことを考えてみた時に、着物を1着持っておくことは便利であるし、とても良いことかと思った。できれば今年の秋に京都を訪れた時に、男性の着物専門店である加藤商店さんの店舗に足を運んでみたい。偶然にも同じ名前であることから、何かご縁のようなものを感じる。フローニンゲン:2022/8/26(金)08:17
8989. 神道の観点からテクノロジーを考察していくことに向けて/絶えず書かれる世界
今、本日2冊目の書籍を読み進めている。最初に読んでいたのは、マルクスの資本主義批判とテクノロジー思想を絡めたもので、とりわけデリダとスティグラーに関する章を念入りに読んだ。その章は今後も参照するであろうから付箋を貼っておいた。今読み進めているのは、仏教とAIに関する倫理について論じた書籍だ。この書籍をそもそも購入したのは、宗教とテクノロジーについて考えるためである。そして、自分の研究テーマの1つとして、神道の観点からテクノロジーというものを捉えていきたいという考えがあり、本書は仏教の観点からテクノロジー、とりわけAIという非常に重要なテクノロジー分野について論じていて、そのアプローチを参考にしたいと思ったのである。自分の研究を具現化させるためには、兎にも角にも神道の論理体系を押さえなければならない。神道には確かに聖書のような経典の類は存在しないが、それに類する重要な文献は中世あたりからいくつも存在しており、それが神道神学と形容できる体系を生み出している。まずは徹底的に神道神学の理解を深め、その神学体系を用いて自由自在に様々な現象を分析できるようにしたいと思う。
上記の日記を書き留めてから、本日3冊目の書籍に取り掛かった。それはボードリヤールの“The Perfect Crime”という書籍である。本書を読みながらふと、この世界が絶えず超越的な存在によって書かれることを通じて拡大していることを思った。世界の複雑さが増しているというのはそういうことである。超越的な存在者による自動書記が絶えず行われているのである。世界は絶えず書かれ、書かれることによって無限に拡張していく。世界の永続的な進行もまたそうした書かれるという行為によって担保されている。この社会がなくなっても、地球がなくなっても、世界が消え去ることはない。この社会が消滅することも、地球が消滅することも、超越者の執筆ににおいては折り込み済みのことなのだ。
そのようなことを考えていると、時刻は午前9時半になっていた。朝から2階の3方の窓を少し開けていたが、室内の温度が下がり、風も冷たいので、そろそろ窓を閉めようかと思う。本当に秋がやって来たという感じだ。フローニンゲン:2022/8/26(金)09:37
8990. 生の充実感を感じさせてくれる武術と芸術の稽古/時間論の研究に関して
今日は土曜日だと思っていたが、まだ金曜日だった。辺りの静謐さから週末だと脳が勘違いしていたようだ。今月は書籍を250冊以上注文し、貪るように学術書を読む日々が続いている。本日4冊目としてアセスメントに関する書籍を読み、5冊目はフェミニズムに関する書籍を読み終えた。先ほど、6冊目としてドラッグと資本主義の関係に関する書籍の初読を終えた。6冊目を通した時点でまだ午前10時半である。ここからコーヒーをもう2杯分ほど淹れて、そこからは和書を読もうと思う。小室直樹先生の宗教原論と経済原論の2冊を読み進めていきたい。
ジークンドーと箏に従事していると、生の手応えを感じている自分がいることに今朝方にふと気づいた。どちらも身体を使い、五感を存分に発揮させることが要求され、そうした性質が生の肌触りを明確なものにし、生きることへの手応えを感じさせてくれているように思う。今日もまた武術と芸術の稽古の双方を行う。それが学術研究の仕事に計り知れないほどの好影響をもたらしている。学術、芸術、武術の三位一体こそ、自分のインテグラルライフプラクティスの要諦になっている。
箏の演奏を通じて、間違いなく時間への考察が深まるだろうという確信がある。音楽は時間と密接に関係したものであるから、演奏経験を通じて、体験をもとにした時間論の考察を深めていこう。音楽時間に浸り、それを通じて時間というものについて考察を深めていくことは、芸術と学術の連結でもある。もちろん、武術においても時間は重要であり、とりわけジークンドーにおいては知覚速度の性質を利用した戦術や技があり、武術を通じても時間に関する探究ができる。
そこで、神道において時間はどのように考えられているのだろうかという関心が芽生える。日本人固有の死生観や日本語の言語学的特徴から間接的に神道の時間感覚を導く方法が思いつく。あるいは、ハイデガーやベルグソンなど、時間を扱った思想家の考え方や、現代の先端的な時間論研究を参考にして、神道の観点からそれらの思想や理論を解釈することを通じて、神道の時間感覚を考察していく方法もある。時間を探究するアプローチはいくつもあることが救いであり、そうしたアプローチを念頭に入れながら、日々のジークンドーと箏の稽古から、時間に関する独自の考察をしていきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/26(金)10:41
8991. 箏の稽古(11): オクターブの間隔と神経系のリハビリ
時刻は午後4時を迎えた。つい今し方、今日の箏の稽古を終えた。今日は少し集中力に欠けるところがあり、昨日よりも練習時間を短くした。これからどの時間帯に練習するのかを含め、練習時間を決めていきたい。母は朝と夕方の2回にピアノの練習をしていて、その方式を採用するといいかもしれない。正午前の1時間を練習に当て、夕食の準備までの時間をまた少々練習するという感じで1日に2度自分も稽古に励んでみるようにしよう。
さて、今日の稽古もまた基礎の基礎を徹底して練習した。今日は、「さくら」の練習をするよりも、もっと基本的な指の動かし方を学んだ。特に、オクターブの間隔を指に覚えさせることを優先し、そのための練習を何度も繰り返し行っていった。そして、今最も集中して練習している「合わせ爪」という奏法に今日も取り掛かった。今の自分にはこの奏法を用いて、百発百中同時に音を鳴らすことが難しく、どうしても音が同時ではなくズレて響いてしまうことがある。その原因を分析したところ、どうやら中指の方の音が後に聞こえてくることがわかり、中指からの神経伝達が親指からのそれに比べて遅いことがわかった。そこで、中指の方に気持ち少しばかり意識を向けて見たところ、同時になる確率が増した。中指の神経伝達速度を上げる方法について考えていたところ、そもそも中指はどうやら薬指と動きが完全に分離してしないことに気づいてとても驚いた。手を広げ、右手の親指だけ曲げてみると、親指だけ曲がるのだが、中指の場合はそうはいかないのだ。中指と薬指が完全に分化していないので、中指を動かすと薬指も途中から動きについて来てしまうのである。この驚くべき事実を目の当たりにし、そこからは中指と薬指の分化の鍛錬方法について考えた。とにかく今は意識を集中して中指だけ限界まで折り曲げてみることを何度か繰り返している。この分化の鍛錬と、親指よりも中指に意識を向けることによって合わせ爪の練習をこれからも毎日行っていこうと思う。箏の演奏をすることを始めて、神経系のリハビリをする機会を得たことを嬉しく思う。指の機能を分化させ、微細に指を動かしていけるように、神経もまた微細に機能するように鍛錬していくことを楽しみたい。フローニンゲン:2022/8/26(金)16:30
8992. 箏の稽古(12):箏の演奏とインテグラル理論・古武術との繋がり
箏の稽古を終えてから、少しばかり調べ物をしていた。やはりここからは1本1本の指を自由自在に動かせるようになることが重要だと思い、その鍛錬方法について調べ、色々と考えていた。まずもって、1本1本の指を分離させて自由自在に動かせないないことに少し愕然としたことを書き留めておく。その鍛錬方法として思いついたのは、まずは浴槽に浸かっているときに、1本1本の指を分離させて動かせるようにストレッチをしてみることである。指を動かしてみるとわかるが、骨や腱が動いているところを見ると、その動きを円滑にしていくことが重要になる。それに加えて、それらの動きと神経伝達は結びついているので、両者を鍛えていく必要がある。インテグラル理論の観点で言えば、指と腕の腱や骨はゾーン6の産物であり、腱や骨の中にある神経はゾーン5の産物だと捉えることができるだろうか。ゾーン5とゾーン6の双方を鍛えていくときに、主観的な現象学的意識としてのゾーン1の活用も重要になる。
さて、指のストレッチであるが、これは寝る前と朝起きてからもやってみよう。夜は風呂上がりにジークンドーの型稽古をやっていて、それに合わせて指のストレッチをしよう。それはベッドの上に寝転がってやってもいい。朝の指のストレッチは、早朝の動的ストレッチの後にやってみよう。これを毎日継続させる。
細かなところで言えば、指を1本ずつ動かす訓練としては、まずは右手から、親指、人差し指、中指、薬指、小指と順番に折っていくことをやってみる。親指を握り込んだような状態から、今度は小指から1本ずつ開いていくことをやっていく。同時に指が動かないようにし、とにかく1本1本丁寧に動かしていく。これは本当にゾーン1を活用したゾーン6とゾーン7のリハビリである。今度は、親指からではなく小指から同様のことをやってみる。これを繰り返し毎日やっていけば、随分と指が自由自在に1本1本動くようになるのではないかと思う。こうした鍛錬は家にいる時だけではなく、ジムのサウナに入っているときや、スーパーに出かけている際にもやってみる。
そのようなことを考えていると、箏の演奏と古武術的な身体操作を結びつけてみようと思った。演奏上の姿勢と弦の押し方において、古武術の身体操作の原理が使えるはずである。骨に力をどのように伝達するのかに問題意識を持ってみる。筋肉よりも腱、腱よりも骨を活用した演奏を探究していくことを新たな楽しみとしたい。フローニンゲン:2022/8/26(金)17:37
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