
No.3934 黄金の存在_The Existence of Gold
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1722, A New World
A new world began.
It just began.
It would be a new page of the world.
Groningen; 08:52, 8/19/2022
No.1723, The Entire History
I’m a part of history.
Plus, I’m the entire history, too.
Groningen; 09:35, 8/19/2022
No.1724, Transcendental Rapture
Transcendental rapture occurred to me.
I became euphoric.
I completely united with the world itself.
Groningen; 10:53, 8/19/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8944. 今朝方の夢
8945. 今朝方の夢の続き
8946. 秋の入り口に立って/今朝方の夢の続き
8947. ラスキー博士をお招きするプログラムの説明会を終えて/サウナの楽しみ
8948. 箏の稽古(5):先生に師事することの大切さを実感して
8944. 今朝方の夢
時刻は午前7時半を迎えた。今、燦々と輝く朝日が地上に降り注いでいる。1羽の小鳥がチーチーという可愛らしい鳴き声を上げている。書斎の机の向こう側にある大きな窓から外を眺め、木に止まる小鳥を眺めることができるのだが、今はここ連日の一括注文で届けられた書籍が机の3辺に積み重なり、前方の木が見えないほどになっている。これから少しずつ書籍を読み進めることによって、いつかまた前方の景色の全貌が目に入り、小鳥の姿を見れる日がやってくるだろう。ここからしばらくは、小鳥の姿を見ずして彼らの鳴き声を主に楽しむ生活に入る。それにしても今朝はすこぶる天気が良く、天気予報が外れた形となった。依然として午後からは小雨が降るという予報が出ているが、今の空の様子からすると、それはにわかに信じられない。雲1つなく、秋の朝を感じさせる爽快感がある。
いつものように今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、小中学校時代のある女性友達(MY)と偶然地元で遭遇し、そこで立ち話をしていた。彼女は随分と早くに結婚し、何人か子供がいる。彼女の子供たちは自分たちが通っていた小学校に通っていて、私たちが小学校6年生の時にお世話になっていた担任の先生がその小学校の校長を務めている。彼女と立ち話を始める前に、彼女から名刺を渡された。それは「デジタル名刺」と呼ばれるもので、それにスマホをかざすと、こちらのスマホに彼女のプロフィールがパッと表示される便利なものである。私はその時に初めてそのようなツールがあることを知った。何気なく彼女のプロフィールに目を通したところ、「初年度に130人の男性と付き合い、これまでに1300人の男性と付き合いました!」と書かれていて驚いた。驚くと共に、私は笑った。何やら彼女は、中学校を卒業する間際に恋愛に目覚め、目覚めた初年度は130人の男性と付き合い、以降結婚するまでに合計で1300人ほどの男性と付き合ったそうだ。
「初年度に130人の男性と付き合ったってことは、3日に1回ぐらいのペースで出会いと別れを繰り返したってことだよね?凄すぎるでしょ」
「そこ突っ込まんでっちゃ」
そんなやり取りをした後に、彼女からは自分が今何をしているかを尋ねられた。すると彼女は、自分の外見や社会的ステータスを褒めてくれただけではなく、自分の優しい性格に対して褒めてくれた。そして笑いながら、そうした条件が整っているのに結婚しないのはなぜかを尋ねて来た。真面目に答えると面倒のように思ったので、彼女には申し訳ないが、話を流すようにして適当に答え、別の話題について少し話してから彼女と別れた。フローニンゲン:2022/8/19(金)07:52
8945. 今朝方の夢の続き
8月中旬だが、フローニンゲンの夏はもう終わりを告げた感じがやはりある。昨夜にゴミを捨てに行った時にも、辺りはまだ明るくても随分と肌寒さを感じた。実際に今はもう室内で長ズボンを履いている。今日の気温は24度まで上がるらしいが、それくらいの気温だったらなんとかジムには半袖半ズボンで行けるだろうか。夏らしくなる前の記憶を辿ると、20度を超えていたら半袖半ズボンでも寒くなかったように思える。なのでもうしばらくは、半袖半ズボンでジムに行くことができるだろう。今日も午後にジムに行き、ジークンドーの鍛錬と自重トレーニングをした後に、サウナに入ってこようと思う。先週まではフローニンゲンも暑い日が続いていたのでサウナに入ることはなかったが、今日からまた改めてサウナに入り、瞑想的な意識の中で寛ぎたいと思う。サウナに入ることによって、神経系を整える効能の恩恵に預かろう。今夜少し時間を取って、再来週のアイスランドとアイルランドに行く旅行についての旅程を詰めていこうと思う。すでに日程だけ押さえているが、どんな場所に行きたいかについてはGoogle地図上にお気に入り登録をしているだけなので、それらをピックアップして、どの日にどこに行くのかの大まかな旅程を完成させよう。明日と明後日に、飛行機とホテルの予約をしておきたい。日本に一時帰国する前の最後の旅を大いに楽しみたいと思う。
今朝方はもう1つ夢を見ていたことを思い出した。夢の中で私は、見慣れないビルの大きな1室にいた。そこの壁には色々な張り紙がされていて、そこに戦略系コンサルティング会社のランキング表が貼ってあった。ちょうど近くに大学の後輩がいて、彼がその業界への転職を考えているようであり、私の方からいくつかの会社を紹介した。その中で、ボストン·コンサルティング·グループ(BCG)は業界の2番手であるということを述べたら、突然部屋の扉が開き、大柄な男性が入って来てこちらに近寄って来た。そして私に向かって、「BCGが業界の2番手というのは聞き捨てなりませんな」と笑いながら述べた。どうやらその人はBCGのパートナーらしく、BCGへの愛着とプライドから、BCGが業界で一番であると思っているらしかった。するとその男性は、BCGが2番手であるというデータを示してほしいと述べたので、ちょうど手元にあったどこかのメディアが行っていた調査結果を見せた。すると、「うむむ、そうでしたか、これは失礼」と述べて、来た扉と同じ扉から外に出て行った。後輩と私はぽかんとしながら、今の人は一体何だったんだと笑った。すると、再び部屋の扉が開き、見ると今出て行ったばかりのBCGのパートナーの男性が再度部屋に入って来た。今度は格好が変わっていて、派手な浴衣を着て、足元を見ると、ローラースケートを履いていた。彼に続く形で、会社のメンバーが20人ぐらい続々と部屋に入って来て、部屋の机を片付けて、そこで歌と踊りを突然披露し始めた。ローラースケートを滑りながら歌や踊りを披露するというのは、「光GENJI」を彷彿とさせ、とても懐かしく思いながら、楽しく彼らのパフォーマンスを眺めていた。そのような夢を見ていた。そう言えば、ローラースケートを履いて踊っている中に、小中学校時代に一番背の高かった友人が混じっていたのを覚えている。彼はバク宙をして、スーッと地面をローラースケートで滑り、笑顔を振りまいていた。そんな場面を思い出した。フローニンゲン:2022/8/19(金)08:12
8946. 秋の入り口に立って/今朝方の夢の続き
時刻は午前9時を迎えた。秋の入り口に入ったフローニンゲンの朝はすこぶる爽快である。木々はまだ青々としているが、これから彼らは様変わりをするだろう。優しげな朝日とそよ風に彼らは喜びの踊りを踊っている。その様子を眺めている自分の心また喜びの踊りを踊り、自己は喜びと化す。
先ほど、朝の創作活動を終え、コーヒーを淹れた。いつもデジタル絵画を2つほど描き、曲を1曲作ってからコーヒーを淹れるようにしている。そこからはコーヒーを片手に読書を楽しむのが朝の過ごし方である。今日は午前11時からオンラインミーティングがあるので、それまでの時間を読書に充てていこうと思う。
今朝方の夢を2つほどすでに振り返っていたが、新たに1つ思い出した場面があった。それも取りこぼすことなく振り返りをしておこう。夢を書き出すことそのものがドリームワークとして治癒と変容の効果をもたらす。また、いつの日か、書き出された夢が思わぬ意味を携えて記憶に蘇ってくることもあるだろう。
夢の中で私は、見知らぬ宿泊所に泊まっていた。そこには小中学校時代の数人の友人と宿泊していた。朝起床し、トイレに行こうとすると、父方の祖父がとてもつもなく小さくなって現れた。大きさとしては数センチほどであり、気がつかなければ危うく踏み潰してしまうところだった。小さくなった祖父に話しかけてみると、祖父もトイレに行きたいということであり、トイレに連れて行ったところ、当然ながらそのままで用を足せないので、洋式トイレの便器のふちに祖父を立たせて、そこから用を足してもらうことにした。一応プライバシーを守るために、祖父が用を足している間はトイレの外に出た。しかし、しばらくしても祖父からの応答がトイレからなく、心配して扉を開けてみると、祖父はいなくなっていた。トイレの水だけが流れており、それを見て、祖父はトイレに落ちてしまったのではないかと心配した。トイレの水が流れ着く場所がどこかを突き止めて、すぐさま祖父を助けに向かおうと思った。すると、小中高時代の親友(SI)が目の前に現れ、祖父は無事とのことだった。トイレに流されてしまったのではなく、用を足したら瞬間移動してその場から消えてしまったとのことだった。それをすぐに信じることは難しかったが、祖父が無事だと信じたい自分がいたので、私は親友が言うことをとりあえず信じることにした。その件を一旦頭から忘れようとして、友人たちが雑魚寝している広い畳部屋に行った。自分の手元には箏があり、それをどこかに置いて朝食に向かおうと思ったが、みんなが寝ている部屋に置くと、誰かが間違えて蹴ってしまったりすることもあるかと思ったので、置き場を探した。すると、布団を入れておく押し入れがちょうど良さそうだと思い、そこの扉を開けた時に、そこでちょっと箏の音を出してみようと思った。多くの友人がまだ寝ているので、そっと音を出してみて、その音色を一人味わっていた。そのような場面があった。フローニンゲン:2022/8/19(金)09:31
8947. ラスキー博士をお招きするプログラムの説明会を終えて/サウナの楽しみ
時刻は午後5時を迎えようとしている。昨日の天気予報が裏切られ、今日は結局雨が降らず、穏やかな太陽光が地上に降り注ぐ1日だった。今の気温は24度で、今日は気温としても清々しかった。正午より、オットー·ラスキー博士をお招きするプログラムの最後の説明会を行った。今日は3回目の説明会で、初回と2回目以上に充実した内容になったように思う。毎回の説明会では同じことを話すことはなく、毎回必ず異なった論点や知識が場に生まれるところを見て、説明会というものですら変化と発達という現象が起こるものなのだと改めて実感する。説明会を終えてからは、1つほど補足の音声ファイルを作成した。今回の全6回のセッションのうち、半分はラスキー博士が登壇する英語のセッションなので、英語に関して不安がある方も多く、それに対してのフォローの仕方を含め、改めてこちらの方で説明を補足した。
音声ファイルの作成後、ジムに向かった。先週は嶋内さんが来られる前にジムに行ったきりなので、1週間ぶりのジムとなった。いつものように鏡のある部屋に行き、そこでジークンドーの鍛錬を行った。鏡を見ながら、接触法の21個の技を順に練習し、そこからは1分間のインターバルシャドートレーニングを行った。これは目の前に相手がいることを想像し、その場で即興的に技を繰り出していく練習である。これは心肺機能の強化にもつながり、最近は1分間動き続けていてもさほど息切れすることのない状態になっている。ジークンドーの鍛錬を終えた後、器具やマシーンが置かれた広い部屋で自重トレーニングを念入りに行った。ジークンドーの構えをし、フットワークをするだけで下半身は随分と鍛えられ、いつもどこに行くにしても基本は歩いているので、足腰は常日頃から鍛えられている。そうしたこともあり、自重トレーニングの焦点はもっぱら上半身であり、大胸筋と上腕三頭筋をいつも念入りに鍛えている。とはいえ、武術の動きを鈍らせるような無駄な筋力をつけることはしておらず、あくまでも武術の動きを損ねない程度の自然で強靭な筋力を付けることが焦点である。
トレーニングを終えた後、久しぶりにサウナに入った。単刀直入に、やはりサウナは素晴らしいと改めて思った。サウナによって汗をかき、老廃物を外に出す爽快感に加え、サウナと冷たいシャワーによって、交感神経優位から副交感神経優位になって、深い瞑想実践をしたかのような意識状態になることもまた大きな効能の1つである。フローニンゲンはもう秋の入り口に入ったので、これからは必ずジムでサウナに入るようにしたい。月曜日と金曜日にジムに行くか、火曜日と金曜日にジムに行くリズムを取り戻したいと思う。今日はサウナに入ったおかげで、いつも以上に深い睡眠が取れそうである。フローニンゲン:2022/8/19(金)17:08
8948. 箏の稽古(5):先生に師事することの大切さを実感して
夕食前に今日も箏の稽古を行った。稽古と言っても今は1人で弦を弾いて音を出して遊んでいるような状態である。今日は予定通り、「うさぎ」の曲の練習をした。先ほどジムに行き、買い物からの帰り道にも口笛を吹いてこの曲のイメージをしていて、それをもとにしながら練習を楽しんだ。この曲では1カ所ほど左手を使う箇所があり、最後の方で、4番の弦を弾く際に左手で柱の左り10cmほどを2本の指で押すのだが、左手の奏法が加わってくると、今の自分にとってはもう難しく感じる。カート·フィッシャーのダイナミックスキル理論を活用すれば、今は1つ1つの演奏方法の点を獲得しているプロセスを始めたばかりなので、こんな基礎的なことも自分にとっては線を構築するようなタスクに映るのである。
今日新しく動画を見て知ったのだが、右手の奏法についても色々とあるようであり、左手の様々な奏法と合わせると、随分と多くの奏法があることがわかる。それらを組み合わせれば、表現の仕方は本当に無限大なのではないかと思い、嬉しくなる。当然今の自分はそんな奏法など何一つ正しく演奏できていないのだが、これからの自分がどのような発達プロセスを経ていくのかが楽しみでしょうがない。これは新しい習い事や実践を始めたときに芽生える嬉しい現象である。今日の1人稽古で改めて感じたが、そろそろ赤ちゃんのように音を鳴らして喜びを感じる段階から、実際に先生に師事をして色々と順を追って稽古していく段階にあるように思う。もう目に見えて明らかなのは、1人稽古を続けていても拉致があかないということである。今夜にでもオンラインの体験レッスンの予約をし、そこからアイスランドとアイルランドの旅行の旅程を決めていきたいと思う。今日の箏の稽古では、先生に師事することの大切さを身に染みて実感したことが収穫である。ジークンドーにおいてはロビンさんという素晴らしい師匠との出会いがあった。箏においても素晴らしい師匠との出会いを期待する。ここからはさらに、再び学術機関に戻り、そこでまた学術研究上の新たな師匠と出会えれば幸いだ。フローニンゲン:2022/8/19(金)17:36
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