No.3928 フローニンゲンの落ち着き_Calmness of Groningen
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1715, New Reality
A new word leads me to new reality.
New reality enables me to create a new word.
Groningen; 08:04, 8/16/2022
No.1716, The Real
The real is a gigantic house for us.
It is also a massive school for us.
Groningen; 09:12, 8/16/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8928. 今朝方の夢
8929. 和書の追加注文をして/箏爪のこと
8930. 教養について/言葉の創造に喜びを覚える幼少期の自分を振り返って
8931. フリースタイルラップの刺激をメルヴィンから受けて
8932. 箏の稽古(2):調弦の難しさと爪が無事にはまって
8928. 今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。今、2種類の小鳥が異なる鳴き声を上げている。8月も半ばを迎え、依然として日が昇る時間は比較的早いが、それでも6月末の頃と比べたら、日が昇るのは遅くなっている。気温に関して言えば、フローニンゲンは今日をもって夏を終えるようだ。今日は日中に、28度まで気温が上がるらしい。今は雲1つない快晴の空が広がっているが、昼にかけて部分的に雲が現れ、午後からは曇りがちの1日となる。明日からは一転して天気が崩れ、小雨が降る日々が続く。そのおかげもあって、最高気温は20度前半まで下がるようだ。
朝の冷たい風に触れながら、今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、小中高時代の女性友達の1人(MH)と一緒に何かについて楽しげに話をしていた。最初は学校の勉強のことについて話していたが、途中から話のテーマが変わり、子育ての話となった。彼女には子供がいて、子供の成長ぶりについて色々と話を聞いていた。すると、自分の意識が実際に通っていた中学校の体育館にあった。そこではその場を眺める者として存在していて、体育館で行われている女子バレー部の練習を見ていた。ちょうどそこには、同級生の女子(YY)がいて、彼女がレシーブの練習を熱心にやっていた。私から見ると彼女はバレーがうまく見えたが、本人は運動神経がそれほど良くないと卑下しているようであり、その思いが時々消極的なプレーとなって現れた。彼女にはもっと自信を持ってプレーしてほしいと思ったところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、大学の講義室にいて、大学時代のゼミの友人(TA)と一緒に英語の授業を受け持っていた。教室には20人ぐらいの成人の生徒がいた。私の手元には、何かを包んでいたビニールの包装があり、そこに英文が3つほど書かれていた。そこで私は、それに関して英作文の問題を出題しようと思った。ビニールの包装に書かれている英語を読み上げるのではなく、最初に自分の中でそれを日本語に訳しておいて、その日本語訳を読み上げる形で、みんなには英訳してもらおうと考えていた。いざ日本語訳を読み上げ始めると、急にトイレに行きたくなってしまい、その焦りからか、間違ってビニールの包装に書かれている英語をそのまま読み上げ始めてしまった。冒頭は、“On which”から始まり、途中に“as it is”などの表現が散りばめられていて、意外と訳すのは難しいように思えた。トイレを我慢することに集中してしまい、読み上げる速度は遅く、少し固まってしまう瞬間があり、それに気づいた友人が代わりに文章を読み上げてくれることになり、私は慌ててトイレに向かった。そこで目が覚めた。フローニンゲン:2022/8/16(火)07:02
8929. 和書の追加注文をして/箏爪のこと
ひんやりとした風が2階の部屋の3方の窓から入ってくる。今、1羽の小鳥が元気の良い鳴き声を上げた。
一昨日に小室直樹先生の書籍を7冊ほで追加で購入し、昨日も福田徳三先生の全集を3冊、そして、日本固有の資本主義の性質を理解したかったので、寺西重郎先生の書籍も3冊購入した。さらに、厚生経済学への関心から、元一橋大学学長の蓼沼宏一先生の『幸せのための経済学――効率と衡平の考え方』という書籍も購入した。この夏は、洋書を188冊購入し、和書に関しては35冊ほど購入することになった。確か昨年の夏も200冊ほど一気に注文していたように思うので、数としては昨年と同じぐらいだろうか。ここ数年は、8月に書籍を大量注文し、それ以外の時期においては、今すぐに読みたい本が見つかり次第注文するということを行っていた。昨日購入した寺西先生の書籍は、『日本型資本主義-その精神の源』『経済行動と宗教: 日本経済システムの誕生』『日本資本主義経済史 文化と制度』という3冊なのだが、いずれも仏教という宗教の観点から日本的な資本主義の性質を論じているのが大変興味深い。先生は鎌倉仏教まで遡って論を展開しているが、その時期はちょうど神道界においても大きな変化があり、伊勢神道などが台頭し始め、鎌倉の次の室町時代には吉田神道も誕生している。寺西先生の観点とアプローチを参考しながら、日本の資本主義の発展を神道から眺めてみるとどのようなことが言えるかは、1つの研究テーマとして自分の中にある。これについては、神学大学院に入学後、何か論文を執筆してみたい。自分の研究の中に歴史学的な要素が入り始めたことには自分でも驚くが、自分の研究はこのようにして少しずつ幅と深さを広げていくのだろう。
昨日から新しい習い事として、箏の演奏が加わった。音楽を作ることは2017年から始めていたが、音楽の演奏を始めたのは今回が初めてである。音楽の演奏もまた身体実践でもあるので、ジークンドーを始めたことによって脳の組成に変化が見られたのと同じように、箏の演奏もまた脳に良い影響を与え、心にも好影響をもたらすのではないかと思う。今日の箏の練習の際には、爪を熱湯に浸し、サイズを大きくしようと思う。今使っている爪の形状からすると、自分は生田流の爪を用いているようだ。生田流の爪は角ばっていて、山田流の爪は丸い。爪のサイズがうまく調整できなかったら、この秋に一時帰国した際に、マジックテープで調整できるフリーサイズの爪を購入したいと思う。ここから箏の演奏を毎日行うことを通じて、自分の中にどんな変化が生まれるか、今からとても楽しみである。フローニンゲン:2022/8/16(火)07:23
8930. 教養について/言葉の創造に喜びを覚える幼少期の自分を振り返って
今日は早朝より秋を感じさせてくれる雰囲気が広がっている。ひんやりとした冷たい風、そして優しげな朝日が秋のそれを醸し出している。
先ほど、ドイツの現代思想家ピーター·スローターダイクの書籍を読み終えた。今回の書籍の一括注文に際して、スローターダイクの書籍を何冊か購入していて、彼らの思想体系の全貌を掴もうと思っている。スローターダイクの書籍を読みながら、書籍の内容と直接結びつくわけではないが、自我のリハビリテーションが必要な現代人について考えていた。自我が肥大化した現代人をどのようにリハビリテーションしていくか、それはこれからの探究と実践の焦点でもある。
教養というのは、自らを教え養うという意味があるのではないかという気づきについて。果たして人から教えられるものが教養足り得るのかは甚だ疑問であり、現代においては、教養が誰かから教えてもらえるものと思っている風潮がないだろうか。教養がパッケージ化され、画一化された形で提供されているような社会の有り様が浮かんでくる。教養とリベラルアーツは表裏一体のものであり、リベラルアーツの重要性が叫ばれて久しいが、果たしてどれほどの人がリベラルアーツを身につけ、自らを教え養うということに成功しているのだろうかと疑問に思う。その背後には、教養と同様に、リベラルアーツというものが人に教えられるものだという誤解があるように思えてくる。それらのきっかけになることを提示したり、教示したりすることはできたとしても、教養もリベラルアーツも自ら率先して試行錯誤を通して獲得していく姿勢と在り方が決定的に重要だと思うのは自分だけなのだろうか。
昨夜、言葉を新たに生み出して、人を笑わせたり、喜ばせたりすることが好きだった自分のことを思い出した。今日はこれから、リープラジャパンさんの自己探求ワークであるIFDの第2回目のセッションがある。それに向けて、少し昔を振り返っていた。新たな言葉を生み出すことは、リアリティの認識を新たにすることにつながる。新たな言葉の創造を通じて、これまでとは違った形でリアリティを認識できるようになることは、哲学に従事する思想家としての仕事においては欠かすことのできないものである。新たな言葉の創造を通じて、自分自身が、そして他者が、これまでとは違った形でリアリティを認識できるようにしていくことは、幼少期の頃の自分が喜びを見出していたことに大いにつながる。そんな自己発見があった。フローニンゲン:2022/8/16(火)09:33
8931. フリースタイルラップの刺激をメルヴィンから受けて
時刻はゆっくりと午後5時を迎えようとしている。先ほど、散髪と買い物から自宅に帰ってきて、そこから自重トレーニングとジークンドーの一人稽古を行った。そして、シャワーを浴びてさっぱりとして今に至る。シャワーから出た時にふと、福田徳三先生が東京大地震の復興の際に、倒壊した建物などの有形物の復興の大切さを説いただけではなく、人々の精神といった無形の資産の復興を大切にしていたことがとても印象的である。すなわち、国家における富とは有形なものを通じて測られるだけではなく、人々の精神や文化といった無形なものを通しても測らられるということを先駆的に指摘していた点に感銘を受ける。そのようなことを思いながら、今日のメルヴィンとの会話を振り返っていた。今日は今年の夏を締め括るにふさわしい気温だったので、半袖半ズボンで店に向かった。店の入り口が見えてくると、メルヴィンが店の前のベンチに腰掛けて、ギターを弾いていた。メルヴィンはすぐに私のことに気づき、そこから少しばかり外でギターの話をした。その時に、数日前に箏が届いたことをメルヴィンに伝えると、メルヴィンも喜んでいた。以前より、いつか一緒に即興演奏のコラボレーションをしようと述べていたのである。そこから店に入り、いつものようにエスプレッソを淹れてもらった。
店に入った時に、メルヴィンが情熱的に、3週間前からフリースタイルのラップを本格的に始めたと語ってくれた。それを語っている時のメルヴィンはとても嬉しそうで、喜びに満ちていた。自分も情熱的な人間だと思うが、そんな自分が圧倒されてしまうぐらいの喜びの感情を持ってメルヴィンはラップについて語ってくれたのである。長らくメルヴィンは、美容師としての仕事意外に自分の天命があるのではないかと探求を続けていた。どうやらメルヴィンは、自身のダンスの経験を踏まえ、フリースタイルラップと詩を組み合わせる形で人々に力を与えたいと考えているようで、それが自分の天命なのではないかと悟ったそうだ。そこからは髪を切るよりも先に、早速ラップを数曲ほど披露してもらい、3週間の鍛錬期間とは思えないほどに見事なラップで驚いた。母国語のオランダ語ではなく、英語でラップをしていることにも注目し、それを質問したところ、無意識的に英語でラップをしていたそうだった。メルヴィンのラップには霊感が宿っていて、自分はその霊感に感染し、“spiritual infection”という言葉を造語してメルヴィンに伝えた。するとメルヴィンは喜んで、その言葉を使ってラップをしてくれた。“spiritual infection”と“spiritual connection”という韻が似ている言葉を掛けて、自分も思わずラップを口ずさんだ。散髪をしてもらっている最中にもラップの話で大いに盛り上がり、Spotify経由でラップに用いる音楽集を紹介してもらったので、自分もその曲を用いて夕食を作りながらラップを口ずさんでみたくなった。今日も随分とメルヴィンから刺激を与えてもらったことに感謝したい。フローニンゲン:2022/8/16(火)17:00
8932. 箏の稽古(2):調弦の難しさと爪が無事にはまって
時刻は午後9時を迎え、辺りは随分と暗くなってきている。午後10時を迎えても明るかったことが懐かしく、暮れゆく空を眺めていると、秋の訪れを感じる。夏らしさを感じられるのは今日で最後であり、明日からは午後から天気が崩れ、気温も下がる。今年の夏もまた本当に充実していた。ここから始まる秋と長い冬もまた探究·創作活動と実践活動の双方が充実したものになるに違いない。今日は、オランダアマゾンから書籍が大量に届けられ、おそらく30冊ほど手元に届く形となった。明日以降もまだまだ書籍が届き、来週末までは書籍の受け取りで忙しくなりそうだ。それはもちろん嬉しい忙しさである。忙しいと言っても、書籍をできるだけ自宅で受け取れるように生活時間を調整し、受け取った書籍にその日の日付を書き込んでいくというぐらいのことしかないのだが。
今日も夕食前に箏の稽古を少々行った。昨日初めて調弦して音を鳴らしてみたのだが、その時に薄々感じていたように、うまくチューニングされておらず、1番から13番までの弦を弾いてみたところ、平調子のはずが、文字通り調子が崩れていて、自分でも思わず笑ってしまうほどだった。スマホからチューニング用のアプリをダウンロードし、一音一音確認したところ、やはり音が合っていない柱があり、それを修正していった。まだ完全に音があっておらず、チューニングにはもう少し時間がかかりそうだ。今は音が合っている合っていないにかかわらず、とにかく弦を弾いて音を出すことが純粋に楽しい状態である。まさに赤ちゃんが無邪気に遊ぶのと変わらない純粋な喜びと楽しさの感情が自分の内側を駆け巡っている状態なのである。大人になってもこうしたことを感じさせてくれるのは、楽器の演奏の素晴らしさの1つなのではないかと思う。肯定的な意味での童心に立ち帰れること。それをとても嬉しく思う。それともう1つ嬉しいこととしては、昨日全く指に合わないと嘆いていた爪だが、プラスチックの爪の輪を横に広げてみたところ、随分と広がり、自分の指にもフィットした。自分の指は太くも細くもなく、男性の平均の指だと思っていたので、爪が入らないはずはないと思っていたので、今日痛くならない形で爪が指にはまって本当に良かったと思う。これで、マジックテープのフリーサイズのものを買うのはまた今度でいいと思った。念のため予備としてそれは日本に一時帰国した際にでも購入しておこうと思う。本日やはり思ったのは、先生に師事することを先延ばしにするのではなく、近日中にお試しレッスンを受けてみて、早く先生に師事したいということである。箏の演奏を独学でやるのはほぼ不可能であり、仮にできたとしてもひどく非効率的なように思えたのである。もちろん、何事も試行錯誤と回り道しながらゆっくり進んでいくことは重要だが、そうした試行錯誤と回り道は、自分が演奏したいと思う曲と向き合う際に行えばいいのであって、演奏の基礎技術のところで何もわざわざ非効率的な学びをしなくていいと思った。お試しレッスンの受講と先生への師事は、善は急げである。フローニンゲン:2022/8/16(火)21:27
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