top of page

8885-8889: フローニンゲンからの便り 2022年8月6日(土)



No.3901 星の象徴_A Symbol of Stars


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1693, Continuous Invitation

Silence invites serenity.

Serenity invites bliss.

Bliss invites transcendence.

Transcendence invites the world and me.

Groningen; 09:01, 8/6/2022


No.1694, Technohuman

Humans create technology.

They gradually transform themselves by merging into technology.

They can be called “technohuman.”

Groningen; 16:20, 8/6/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8885. 今朝方の夢

8886. 物象化と客体化能力

8887. 物象化と道具化/テクニカルコード

8888. 今朝方の夢の断片をぼんやりと思い出して

8889. 草むしりを終えて/日本の経済思想と神道思想の比較研究


8885. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。8月を迎えたが、今の気温は12度と低い。今日は、日中は20度までしか気温が上がらず、最低気温は9度とのことである。随分と涼しい1日になりそうだ。明日からもしばらくは今日と同じような気温になるとのことだが、来週の木曜日からはまた28度ぐらいにまで到達する日が出てくる。月間の天気予報を見ると、来週の木曜日から再来週の月曜日にかけて28度ぐらいの日が続き、それ以降はもう気温がそこまで上がることはなく、25度を下回る日が続く。なんと今年は30度を超えるような日が、8月には1日もないかもしれないということに驚く。暑さに悩まされることなく、涼しげに過ごせることは有り難いので、それはそれで好都合だが、これも気候変動の影響なのだろうか。


朝の涼しさを感じながら、今朝方の夢を振り返っておきたい。夢の中で私は、炭鉱のような場所にいた。そこで目にしたのは、小さな子供たちが過酷な労働に従事している姿だった。一体誰が子供たちにそのような過酷な労働をさせているのだろうかと疑問に思った私は、町役場に出向くことにした。そこで話を聞くと、子供たちに過酷な労働をさせている張本人が出て来て、その人に抗議をした。冷静になって相手の話も聞きながら自分の主張をしていたことが良かったのか、子供たちへの労働強制はすぐにやめられることになった。どうやら、この町では代々子供の頃から炭鉱で働くことが当たり前になっていたらしく、その当たり前に自分たちでは気づくことができなかったと役場の人は述べた。それを聞いた時、逆に1つの伝統を喪失させてしまったようで申し訳なく思ったが、とは言え、子供たちに過酷な労働を強いるのは悪しき伝統であると思い、それがなくなってホッとした。まずはそのような場面があった。


次に見ていたのは、作曲を楽しんでいる場面である。作曲を自宅でするのではなく、原っぱが綺麗な近所の公園に行き、そこで寝そべりながら作曲をしていた。そよ風を感じ、太陽の優しい光を浴びながら、作曲をしていると、自宅で作曲を行っている時よりも捗るような気がした。そこにはいつもとは違うインスピレーションがやって来ていると感じていたのである。しばらく作曲をしていると、小中高時代の友人(SS)がやって来て、今作った曲をお互いの好きな楽器で演奏することになった。彼はフルートを持って来ていて、私は箏を持って来ていたので、それらを用いて演奏を楽しんだ。自分が作った曲も演奏も、今ここにいる感覚が滲み出ており、世界そのものと合一しているような感覚があった。フローニンゲン:2022/8/6(土)07:40


8886. 物象化と客体化能力


今日もアンドリュー·フィーンバーグのテクノロジー思想に関する書籍を読んでいる。フィーンバーグ自身がフランクフルト学派の第三世代に属し、マルクスの思想の影響を受けていることもあり、今読み進めている書籍の中ではマルクスの思想と絡めた形でテクノロジー思想が展開されている。その中で、フランクフルト学派の第一世代に該当するジョージ·ルカークス(ゲオルク·ルカーチ)の物象化が掘り下げられていた。物象化というのは、人間そのものが物化されてしまう現象や、人間の行動が物化されてしまう行動、さらには人間関係や人間の能力が物化されてしまう現象を指す。人間そのものや人間の性質、そして人間の行為や人間関係が物化されてしまうという現象は自然発生的に生じてしまうように思えるが、その背後にはどのようなメカニズムがあるのだろうか。人間の意識には、対象を客体化し、自分と区別するという力がある。ひょっとしたら物化の背後には、1つとして人間が持つそうした力が横たわっているかもしれない。まさに人間は、その客体化能力ゆえにおよそありとあらゆるものを物化してしまうのだが、物化しているということに気付けるのもまたその現象を物のように客体化しているからに他ならないのではないかと思う。資本主義においては、資本の増大を実現するためにはこの物化という現象は大変都合がいい。資本主義は、人間の意識の内在性質を巧妙に利用する形で存続·拡大している姿が見えてくる。


先ほど、父からメールがあった。今、リープラジャパンさんの内面探求ワークを進める中で、どうしても0歳から3歳までの記憶は曖昧であり、自分では覚えていないことが多々あるかと思ったので、両親に個別にメールをして、それぞれから自分に関して印象に残っているエピソードを聞いていた。父からのメールを見ると、そこには自分が全く覚えていないエピソードがいくつか列挙されていて、父に尋ねてみて正解だったと思った次第だ。ちょうど来週の週末には両親とZoomミーティングをするので、その時にもまた改めてそれぞれのエピソードについて色々と話を聞いてみようと思う。フローニンゲン:2022/8/6(土)09:59


8887. 物象化と道具化/テクニカルコード


ルカークスが述べる物象化は、人間の心理作用として不可避に生じてしまう現象のように思え、それが起こることは防ぎようがないかもしれないが、少なくとも物化されたものが道具化されることに対しては何か手立てがあるように思う。確かに、物化された対象を道具のようにみなしてしまうこともまある種の心理作用だが、それは客体化を通じて生じる物化よりも、自我の欲求や欲望の作用がより強く混入していると思われる点において、そこに自覚的に介入することはより容易なのかもしれない。物としての対象を道具のように扱いたいという人間の欲求や欲望もまた人間心理の深層的なものかもしれない。道具を作る生き物として、さらには作った道具を使う生き物としての人間にとって、それもまた抗い難い衝動なのかもしれないが、少なくとも物化と道具化は異なる現象として立ち現れるように思う。当然ながら、物化と道具化が一連の流れとして生じることもあるだろうし、むしろそのケースの方が多いのかもしれない。いずれにせよ、物化と道具化を取り巻く人間心理の働きについては更なる調査をしていこうと思う。


この社会の中に暗示的に埋め込まれているテクニカルコード。それは私たちの行動を無意識的に規定しており、社会の運営もまたそのコードに則って自動的になされている。そうした隠されたテクニカルコードの1つ1つに意識の光を当て、それぞれのコードの意味を探究していこう。社会の治癒と変容を実現させるというのは、テクニカルコードの治癒と変容と密接に関係しているだろうから。


また、テクニカルコードに付帯している何らかの価値についても自覚的になろう。テクノロジーには作り手がいて、それを利用する人がいる。テクノロジーの周りには様々な関係当事者が取り巻いていることを考えると、フィーンバーグが指摘するように、テクノロジーは価値中立的ではありえない。そこには何らかの価値が存在していて、それがテクノロジーの性質や利用のされ方を規定する。そうしたところまで含めて、社会に存在する無数のテクニカルコードに着目していこう。中でも、現代社会の病理を形作っているテクニカルコードにはとりわけ注意深く分析と考察を加えていきたい。フローニンゲン:2022/8/6(土)10:36


8888. 今朝方の夢の断片をぼんやりと思い出して


テクノロジーを通じた種々の外部化は、人間の能力を弱体化させる側面がありながらも、外部化を通じてそのテクノロジーと人間が融合して新たな能力が発揮されていると捉えると、あながちそれは能力の弱体化とは言えなくなってくる。それは人間のサイボーグ化の進展を意味するかもしれないが、人間は今ある人間を止める形でこれからの最先端テクノロジーと付き合っていくのだろう。


今日はとても肌寒く、天気予報に反して、天気雨が降って来た。そのおかげで、より一層肌寒さが増している。今日は長袖を着て過ごしたいほどである。今日は午後に気分転換を兼ねて、庭の草むしりをしようと思う。ちょうど明日にアントレプレナーファクトリーの嶋内さんがオランダに来られ、数日後にはフローニンゲンの自宅に招待することになっている。その前に、庭を綺麗にしておきたい。夏の間は雑草が伸びるのも早く、前々回の旅行の後に草むしりをしたばかりなのにもう随分と雑草が生えている。その生命力には驚かされる。


今日もいつの間にかもう正午である。上記の日記を書き留めてから再度読書を進めていたり、作曲実践をしていると、すぐさまこのような時間帯になった。そう言えば今朝方の夢の中で、小中学校時代のある双子の兄弟の同級生のうち、兄の方と少し口論をしていたのを覚えている。口論というのは少し大袈裟かもしれないが、考え方の違いで少し話が平行線を辿っていた場面があった。その場所は、欧州のどこかの城の中の一室であり、その部屋にはお洒落なシャンデリアなどが存在していたのを覚えている。その場所の雰囲気は中世のヨーロッパを体現していて、その雰囲気の中で、彼と意見の不一致に関してお互いの考えをより鮮明に理解しようと努めていた。結局それがどのように解決されたのかは定かではないが、夢の中で自分の攻撃性が発露しそうになったのを覚えている。それを私は理性で押し留め、あくまでも冷静な頭で彼との対話を進めていた。正午を過ぎて今朝方の夢をそのような形で思い出していた。果たしてデカルトはどのように夢の振り返りをしていたのだろうか。昨日読んだ森有正先生のデカルトに関する書籍の中に、そのあたりの記述があるかもしれない。夢の記憶の中にぼんやりと浸り、そこから自由連想的に意味やシンボルのネットワークを拡張させていくこともまた有意義な実践になるかもしれない。午後の草むしりの最中には、今朝方の夢についてぼんやりとそうした想起をしてみようか。フローニンゲン:2022/8/6(土)12:16


8889. 草むしりを終えて/日本の経済思想と神道思想の比較研究


時刻は午後5時を迎えた。今日は太陽の姿を常に拝むことができながらも、とても涼しい1日だった。午後には庭に出て、草むしりに勤しんだ。隣人のサハルが草刈り用の道具を貸してくれると数日前に述べていて、その道具がプラスチックハウスの中にあるとのことだったので、まずはそれを取りに行った。プラスチックハウスに入ってプランターを見ると、そこに赤々とした立派なトマトが実をつけていて驚いた。それはサハルかマークが育てているものだと思った。そこからは草むしりに集中し、小一時間ぐらいの時間をかけて庭と玄関周りを綺麗にした。これでこの夏はもう草むしりをしないで済むであろう。作業が終わると、とても爽快な気持ちになり、環境と心の繋がりを改めて思った。


今日から数日後には、日本の経済思想の歴史に関する書籍が届く。日本には固有の経済学はないと言われるが、経済思想に関してはその歴史がある。今回届けられる書籍の中に、江戸時代から現在にかけての日本の経済思想の歴史を辿っているものがある。日本の経済思想の歴史的変遷と対比する形で、神道の発展を探究していこうと思う。例えば、1つの時代を切り出すとするならば、江戸時代の経済思想とちょうどその頃の国学の特徴と比較してみるというのも面白いかもしれない。今後は、日本の政治思想やその運営方法と神道思想の発展を比較してみるという研究もしてみたい。まずは経済思想に着目して、神道と関連付けた研究に着手していこう。


明日からアントレプレナーファクトリーの嶋内さんがオランダに来られる。空港に迎えに行くのは正午だが、明日は午前9時頃に自宅を出発しようと思う。フローニンゲンの中央駅でコーヒーを購入して少し寛ぎ、列車に乗車して空港駅に向かう。今嶋内さんは機内の中だろう。嶋内さんを空港で迎えた後に、オッテロー村に向かう。嶋内さんが韓国の仁川空港経由のフライトに変更になったため、スキポール空港での待ち合わせ時間が2時間ほど早くなった。そのおかげで、オッテロー村に向かう公共交通機関のアクセスが良くなった。当初の予定は、電車で2回乗り換えをし、バスも2回乗り換えをしなければならなかったが、その必要がなくなり、電車は1度の乗り換えでよく、そこからバスに1度乗ればオッテロー村に到着できる。ホテルには午後3時に到着できるので、速やかにチェックインできそうだ。明日からの嶋内さんとの国内旅行を楽しみにしながら、今夜は早めに就寝しようと思う。フローニンゲン:2022/8/6(土)17:29

Comentarios


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page