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8866-8870: フローニンゲンからの便り 2022年8月3日(水)



No.3890 光の花束_ A Bouquet of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1687, The Technological Reality

Humans have own reality.

So do other animals.

Plus, so do technologies.

Groningen; 09:08, 8/3/2022


No.1688, Unification a Long Time Ago

I unify the world into me.

The reverse is also true.

This unification was actualized a long time ago before I had been born.

Groningen; 19:33, 8/3/2022


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本日の3曲


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楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8866. 今朝方の夢

8867. 着実な探究に向けて

8868. ルイス·マンフォードのテクノロジー思想から

8869. ホセ・オルテガとハイデガーのテクノロジー思想から

8870. テクノロジーとマネーの内在性質に関する相互互恵的探究を意識して/IFDの初回のセッションを終えて


8866. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えようとしている。今、燦然と輝く朝日が地上に降り注いでいる。そよ風がわずかばかりあって、それが青々とした木々の葉を揺らし、葉っぱたちがまるでダンスをしているかのようだ。


今朝方は1つ印象に残っている夢を見た。私は中世ヨーロッパの城のような場所にいて、上の階に歩いて移動していた。その城はとても大きく、中で迷ってしまうほどだった。しばらく歩いていると、城の中には色々な出店があり、宝石を売っている出店の前で足を止めた。その店長と少し会話をして、城の最上階からサッカーの試合が見られるとのことだったので、最上階を目指すことにした。最上階に到着すると、眼下には確かにサッカーの試合が行われていた。見ると、日本代表とリヴァプールが戦っていて、欧州で最も強いクラブチームの1つであるリヴァプールに対して日本はなんと8-0で勝利した。リヴァプール側は決して手を抜いていたわけではなく、ベストメンバーで全力を尽くしていたが、日本がそれだけ調子が良かったのである。特に最後のゴールは印象的であり、中盤の真ん中のポジションの選手からフォワードに絶妙なスルーパスが出され、フォワードがそれに見事に反応してキーパーと1対1になり、冷静にゴールの右隅にボールを流し込んだ。そのゴールが決まった時、スタジアムは揺れんばかりの歓声に染められた。今朝方はそのような夢を見ていた。確かこの夢の前には、牧場にいるような夢を見ていたように思う。その牧場はとても長閑で、どこかスイスの牧場を思わせた。とても涼しい風が吹いていて、空気は新鮮で、寛ぐには最高の場所だった。


今朝方は、昨夜のジークンドーのグループレッスンのおかげもあってか熟睡できた。改めて昨夜のグループレッスンについて思い出している。昨夜の段階で、ロビンさんがレッスンの際に撮影した動画を送ってくれていた。後ほどそのお礼を伝え、動画を見ながら復習でもしようと思う。レッスンに参加していたメンバーたちは本当に良い人ばかりだったので、今後またグループレッスンに参加することができたらと思う。彼らはみんな異なる目的でジークンドーをやっているのだろうが、それを楽しむことは共通していて、それがグループ全体の雰囲気の良さを醸成していたように思う。フローニンゲン:2022/8/3(水)08:06


8867. 着実な探究に向けて


どうにかして神道の観点からマネーやテクノロジーを取り扱っていきたいという強い思いがある。神道神学を通じて、マネーやテクノロジーの内在的な性質を明らかにしていきながら、現代が抱える病の治癒と変容に向けての実施を考えていくこと。それに向けた探究を続けていきたい。今のところはまず最初に、マネーやテクノロジーの内在的な性質について考察を深めている種々の学者の書籍を読み進めている。そして、神道に関しても様々な書籍を読み進めているところだ。両者は今のところ独立した形で行われているが、頭の片隅には絶えずそれらを架橋することを考えている自分がいる。神道における神の取り扱いやコスモロジー、さらには死生観と霊魂観がとりわけ自分の関心主題である。それらの理解を深めていく過程の中で、徐々にそれらを通じた形でマネーやテクノロジーの新たな内在的性質を発見できるのではないかと期待する。ジャック·エラルを始め、キリスト教の観点からテクノロジーの内在的な性質を明らかにしている先人がいることや、フィリップ·グッドチャイルドやニミ·ワリボコのように、キリスト教の観点からマネーの内在的な性質を明らかにしている学者がいることは励みになる。彼らのアプローチを採用しながら、同様のことを神道を通じて実現させていくこと。そこに自分なりのユニークな貢献があるはずだ。こうしたユニークな貢献の目処が立ってくると、いよいよ博士論文の執筆に取り掛かる準備が整ったと言えるかもしれない。来るべき時に向けて探究を着実に進めていく。


テクノロジーと文明の関係性に関する論考で多大な貢献を果たした文明批評家かつ歴史家のルイス·マンフォードは、テクノロジーは実用的な性質を有しているだけではなく、絶えず心理的な性質を有していることを指摘する。この指摘はどこか、テクノロジーの内面領域について見通しているかのようであり、同時に、外部現象としてテクノロジーが私たちの心や文化と知った内面領域に与える影響を見通していたことを示唆している。マンフォードの主著“Technics and Civilization (1934)”は非常に古い書籍だが、再読をしておきたいと思う。今は兎にも角にも、少しずつでいいので、テクノロジーやマネーに関する性質で新たな発見があれば、その都度できるだけ自分の考えを書き留めていこうと思う。書くという行為もまたテクノロジーであるというのはソクラテスを始め、デリダやスティグラーも述べていた通りであり、ソクラテスが警告していたように、書くことが記憶力を弱体化させることに繋がらないようにし、記憶を外側に表出させながらもそれでいてその記憶を強固なものにし、さらなるアイデアの呼び水としたい。フローニンゲン:2022/8/3(水)09:42


8868. ルイス·マンフォードのテクノロジー思想から


文明批評家かつ歴史家のルイス·マンフォードの書籍の大半は昨年の夏の段階で購入しており、すでに初読も終えている。中にはすでに再読を終えたものもある。その中でも、“The Myth of the Machine”という書籍はやはりとても重要なものだと改めて思う。これは2巻に及ぶもので、邦題の副タイトルは「技術と人類の発達」と「権力のペンタゴン」である。そもそものタイトルは『機械の神話』というものであり、とりわけ第1巻の中での論考は、テクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーの思想とも接続可能なものとして映る。とりわけ、マンフォードが、火というテクノロジーを盗んだプロメティウスの神話に対し、それが人間は道具を作る存在であることを示唆する意味付けをしながらも、それに留まるのではなく、火の奴隷になったから人間は人間になったのではなく、火の有用性を発見し、火を通じて人間としての自己の存在を拡張させていった点に人間らしさを見て取っている。


その他にも、マンフォードの書籍の中に書かれていたことで覚えていることと言えば、テクノロジーを2種類に大別していたことである。1つは、テクノロジーを“polytechnics”あるいは“biotechnics”と分類し、これは最も原初的な目的を持つ道具としてのテクノロジーである。それは生活に密着したものであり、例えば飲み物を入れるための陶器や、食材を切るナイフなどが具体例として挙げられる。重要なことは、それは仕事に焦点が当てられたものではなく、あくまでも生活に焦点が当てられたものであるということだ。一方で、もう1つのテクノロジーの分類は、“monotechnics”あるいは“authoritarian technics”と呼ばれるものである。こちらは科学的な知性に立脚しているものであり、量的な生産に向けて活用されるテクノロジーである。経済的な拡張であったり、物質的な拡張、さらには軍事目的で活用されるテクノロジーがこの分類に入る。こうした分類をしながら、マンフォードは、やがて人間は「メガマシーン」と呼ばれる巨大なテクノロジーシステムを生み出し、それが文明を広く覆うことになると指摘しているが、まさにその通りになっている。人新生の時代においては、目には見えない領域においては、テクノロジーでその地層が満たされているという見方もできるだろう。こうしたテクノロジー地層とでも呼ぶべきものの性質をより調査していきたい。引き続き、手当たり次第テクノロジー哲学に関する様々な文献調査をしていこうと思う。フローニンゲン:2022/8/3(水)10:01


8869. ホセ・オルテガとハイデガーのテクノロジー思想から


テクノロジーの探究にせよ、マネーの探究にせよ、今はとにかく点を作っていく段階である。ジークンドーの鍛錬においても強固な点を作っているプロセスにあるのと同様に、それらの学術的な探究においても、基礎基本を大切にしながら、堅牢な点を自らの知識空間の中に毎日少しずつ構築していきたいと思う。日々の読書はその肥やしとなり、重要なことは単に書物を読むだけではなく、絶えず強固な点の獲得に向けて、読んだ内容を自分なりの言葉で説明してみるということである。一連の日記の中では、それを実験的に毎日行っている。この習慣を継続させていき、少しずつ点を獲得していきながら、徐々に線を作っていきたいと思う。


スペインの哲学者ホセ·オルテガもまたテクノロジーについて考察を深めていたことを初めて知った。オルテガは、人間を「工作する人(homo faber)」として定義したが、それは物質的なものを作るだけではなく、オルテガの真意として、人間は霊的な創造性を司った生き物であるという考えがあったことは見逃せない。


今手元には、ハイデガーの“The Question Concerning Technology (1954)”があって、それをパラパラ眺めてみると、ハイデガーがテクノロジーの本質の1つとして、開示する力を挙げていることに気づく。テクノロジーは、これまで隠されていたものを明るみに出すという力を持っているとハイデガーは考えている。ハイデガーは風車と電力発電工場を対比させて、この本質について説明をしているが、テクノロジーが持つ明るみにする力、ないしは暴露する力についてはより考察を深めていき、自分なりの具体例を幾つも見出していこうと思う。また、ハイデガーのテクノロジー思想で重要なのは、“Gestell(ゲシュテル)”という概念である。これは骨組みやフレームワークを表す言葉であるが、それは単に個人の認識の枠組みというよりも、ハイデガーはそれを間主観的な認識の枠組みとして捉えている。端的には、テクノロジーは人間を生産に駆り立てるという認識上の枠組みとして機能する力を本質に持つとハイデガーは指摘している。テクノロジーの持つ、ある種の強制力をハイデガーは“Gestell”という言葉を通じて指摘しているのである。ハイデガーのテクノロジー思想は形而上学的な側面を多分に含んでいて、これからゆっくりと探究をしていかなければならない。テクノロジーの本質は人間存在と同様に、「あること」であるとし、テクノロジーそのものは人間によって克服され得ないと指摘している点は注目に値する。これはテクノロジーが社会を構成しているだけではなく、世界そのものに竿を下ろしていることと関係しているのだろうか。あるいは、テクノロジーが世界そのものに溶け込んでいて、人間は世界そのものにはアクセスも改変もしようがないことを見通して、人間はテクノロジーを超克することはできないと述べているのだろうか。色々と考えさせられる指摘である。フローニンゲン:2022/8/3(水)10:48


8870. テクノロジーとマネーの内在性質に関する相互互恵的探究を意識して/

IFDの初回のセッションを終えて


テクノロジーとマネーの内在性質についての探究がゆっくりと着実に進んでいる。絶えずそれらの性質を関連付けた探究を心掛けたいものである。それらには必ず共通する性質があり、そうした性質を見つけていく。一見するとテクノロジーに固有の性質のように思えるものでも、よくよく考えてみるとマネーにも当てはまる性質がある。その逆も然りである。先ほどハイデガーの「ゲシュテル」という概念について書き留めていたことを思い出すと、ゲシュテルとしてのテクノロジーだけではなく、ゲシュテルとしてのマネーという捉え方もできるかもしれない。テクノロジーが人間を生産に駆り立てるのと同じく、マネーもまた生産、そして消費に私たちを駆り立てる認識上の枠組みとして機能しているとみなせなくもない。このように、テクノロジーの性質とマネーの性質を絶えず相互に関連付けながら考察を深めていこう。


先ほど、リープラジャパンさんの内面探求ワークのIFDの初回のセッションを終えた。当初は1時間の予定だったが、ワークを導いてくださる知人でもある岡内さんのご厚意で、2時間ほどのセッションとなった。JFKに留学して以降、とりわけ幼少期を振り返るワークは様々なものをやってきたが、信頼のおける対話相手と共に過去を振り返っていくことによって、今日は随分と新たな気づきや発見があった。両親に確認してみたいことなども含めて、これまでの自分が見落としていた点にもいくつか気づくことができた。自分の幼少期を根掘り葉掘り尋ねてもらうことは、少なくとも日本語を介しては行ったことがなく、これまでは仮に日本語を媒介させるとするならば、自分1人での振り返りの実践に留まっていたように思う。英語による対話だけでは見えてこなかった自分の内側の微細な歴史や側面にも気づくことができ、次回以降も大いに楽しみである。とりわけ、今の自分の人間関係の構築の仕方に関する癖の形成過程についてより詳細な理解をしたいと思う。それは今後、学術研究を含めて、他者と共に何か研究や実践をしていく際に重要になってくる事柄であるし、私生活においては結婚を含めた人間関係の形成においても大切になってくる。再来週のセッションに向けて、今日のセッションで得られた気づきや発見を深堀していくことをまた意識的に取り組んでみようと思う。ちょうど再来週のセッションの前日に両親とZoomで話す機会があるので、その時に色々と話を伺ってみたい項目があるのでそれらを両親に尋ねてみようと思う。フローニンゲン:2022/8/3(水)13:35

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