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8851-8856: フローニンゲンからの便り 2022年8月1日(月)



No.3883 光魂の輪_A Circle of Light of Souls


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1682, A Butterfly of Morning Light

A butterfly of morning light is enjoying flying.

It leaves a trace of scintillation.

The scintillation is attractive to every other being.

Groningen; 08:58, 8/1/2022


No.1683, A Flawless Flow

A flawless flow is emerging.

My soul is riding on the wave of the flow.

Groningen; 19:51, 8/1/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8851. 今朝方の夢

8852. 明日のグループレッスンに誘われて/資本主義のキュビスム的・シュルレアリスム的性質への関心

8853. マルクスの興味深い指摘/会計学と経済学の虚構性への関心

8854. 虚構の問題解決/現代の搾取/動物的直感

8855. 資本の17の矛盾/社会的な幻想的構築物としてのマーケット

8856. マルクスと神道/表出に駆り立てられて/ジャック・エラルのプロパガンダ分析より


8851. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。今、鳩がホーホーと鳴き声を上げている。今日から新たな週が始まったことに加え、今日からは8月だ。今日は母の誕生日でもあるため、後ほどメッセージを送っておこう。今日から8月を迎えたが、今日も依然として肌寒い。今日の最高気温は19度、最低気温は10度だ。明日から3日間は最高気温が25度を越すが、金曜日からは再び気温が下がり、最高気温は20度前後となる。それくらいの気温が一番過ごしやすいということは確かなので、引き続きこれくらいの気温が続いてくれればと思う。


今朝方は断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、自分のアート作品をどこかに出品しようとしていたことである。いくつかの作品はオークションにかけ、またいくつかの作品は美術館に寄贈しようと思っていた。基本的に自分の作品は全てデジタルなのだが、それが物理的な作品として現れ、自分が過去作った作品に自分でも驚いてしまった。まずはその数に圧倒され、それに加えて、一連の作品を眺めると、そこに作品の発達プロセスが垣間見えたので、大変興味深く思えた。


次の場面として覚えているのは、途轍もなく大きな公園の巨大な池の周りにいたことである。池の周りに沿って、私は愛犬と散歩を楽しんでいた。愛犬はその場に現れた2匹の子犬を不思議そうに眺めていた。それらの子犬は紙でできていたので、本当の生き物ではなかった。なので、動きが少し自然ではなかったのである。愛犬も2匹の犬が本物の犬ではないことにすぐに気付いていたようだが、如何せんその2匹が本物そっくりに作られていたので、愛犬も当惑しているようだった。池の周りを散歩していると、小中高時代の女性友達の2人と偶然出会った。せっかくなのでベンチに腰掛け、3人で少しばかり話をした。思い出話を話すことは一切なく、今の近況についてお互いに話をしていた。そのような場面があった。これらの場面以外にも、今朝方は何か重要な夢を見ていたような気がするが、その記憶はもう薄れてしまっている。環境設定としては、確か何かの建物の中にいたことは覚えている。そこで誰か見知らぬ人と話をしていて、話の内容そのものが重要だったのか、話し終えた後の出来事が重要だったのか定かではないが、感覚として何か大切な夢を見ていたという実感がある。フローニンゲン:2022/8/1(月)08:11


8852. 明日のグループレッスンに誘われて/資本主義のキュビスム的・シュルレアリスム的性質への関心


時刻はゆっくりと午前9時を迎えようとしている。昨日のプライベートセッションの後、ロビンさんから連絡があった。今は夏季休暇の時期なので、レギュラーのグループレッスンで生徒が欠席する人が多く、明日のレッスンに呼んでもらえることになった。先月も一度声を掛けてもらったのだが、その時にはもう夕食を食べた後の直前での声掛けだったので残念ながら参加できなかったが、今回は是非とも参加したいとロビンさんに伝えた。グループレッスンの雰囲気がどのようなものかとても気になっていたし、そもそもどのような生徒がいるのかも気になっていた。ただしグループレッスンは基本的にオランダ語で行われるので、言語の壁は少しあるかもしれない。重要なことはロビンさんが英語で教えてくれるとのことであり、参加している生徒からも英語で話しかけてもらえるだろうからそのあたりは心配ない。ただし、他の生徒たちは普段はオランダ語でトレーニングをしていることを考えると、できるだけ相手に英語を話させないように心掛けたいと思う。基本的にジークンドーのような武術のインストラクションは、確かに言葉が重要なことはあるが、動きを見てそこから何かを掴むことの方がより重要なので、それを大切にしようと思う。普段のプライベートレッスンは、大抵午後3時から始まるため、トレーニングを終えてから夕食を摂るようにしている。しかし明日のレッスンは、午後8時からなので、いつも夕食に食べているものを少し遅めの昼食とし、トレーニングから帰ってきたらバナナを食べるぐらいに留めておこうと思う。明日はそのような食実践とする。


昨日、プライベートレッスンのために道場に向かっている最中に、改めて自分の関心の焦点を定めていた。資本主義の治癒と変容に向けた探究において、資本主義をどのような階層構造からアプローチしていくかについて考えていたのである。そこでふと、絵画の歴史について思い出し、自分が行おうとしているのは、資本主義の具象画的側面を見ていくことではなく、抽象画的側面を見ていくことなのだと改めて思った。とりわけ、資本主義のキュビスム的性質や、シュルレアリスム的性質に強い関心がある。今日の読書もまた、そうした性質の探究を行うものである。ゆっくりとだが着実に、自分の仕事が前に進んでいるのを実感する。フローニンゲン:2022/8/1(月)09:09


8853. マルクスの興味深い指摘/会計学と経済学の虚構性への関心


経済地理学者のデイヴィッド·ハーヴェイがマルクスの思想について解説している一連の書籍を随分と読み進めている。その中で、昨日、“Marx, Capital and the Madness of Economic Reason”という書籍は非常に面白かった。朝の日記で書き留めたように、資本主義のキュビスム的·シュルレアリスム的性質に関心のある自分からすると、ハーヴェイのその他の書籍では自分の関心を直接的に満たしてくれるものはそれほどなかったが、この書籍は随分と洞察を得られた。1つ印象的だったのは、マルクスが、「貨幣制度はカトリック的である一方で、信用制度はプロテスタント的である」と述べていたことである。この意味についてはさらに考察を深めていかなければならないが、確かに貨幣制度においては、ローマ教皇を教会のトップに置くような形で貨幣の発行機関がこの世界に存在している。しかし貨幣に付帯される目には見えない信用は、貨幣の発行元の信用に依存するというよりも、多くの人はそれをさほど気にかけず、むしろ貨幣をやり取りする際には、発行元の存在などどうでもいいかのように、すなわち人間は神以外みんな同じと考え、ローマ教皇を特別な存在とみなさないプロテスタント的な考えで貨幣を活用しているという側面がある。こうした宗教的なものの見方と絡めて資本主義の内在性質を明らかにしていくことは引き続き行っていく。


それ以外にも、マルクスの洞察や、マネー神学者のフィリップ·グッドチャイルドの思想を引きながら、虚構に則った会計システムの性質を暴いていこうと思う。会計システムそのものの虚構性、そして会計学が所与の神話として信奉している虚構の物語について焦点を当てていこう。この探究は、会計学徒であった自分の行うべき重要な事柄として存在している。同様のことを経済学に対しても行っていく。虚構の物語に則った経済学の性質についても合わせて強い関心がある。資本主義を根幹から支えているものとして会計学と経済学は重要な柱として存在している。それらの柱の虚構性を解明していくことは、現代の病理的な資本主義の治癒と変容につながる実践を生み出すことにつながるだろう。会計学と経済学は、どれほど虚構的論理あるいは幻想的物語に立脚しているのだろうか。それへの関心は増す一方である。フローニンゲン:2022/8/1(月)09:53


8854. 虚構の問題解決/現代の搾取/動物的直感


デイヴィッド·ハーヴェイが指摘するように、大手のコンサルティング会社が提供する問題解決案はいずれも、ネオリベの物語の中でのレシピに過ぎない。ネオリベの世界で起こっている問題の根幹を治癒するために、ネオリベの虚構的物語にアクセスするのではなく、その物語は温存したままに、当人たちは根本的な問題解決と述べるだろうが、結局彼らが提供する問題解決案はどれも対処療法的なものに留まるのである。ハーヴェイは、戦略コンサルティング会社のマッキンゼーを例に取り上げながら、ほぼ同様の指摘をしている。コンサルタントの中にはポストコンベンショナルな思考の体現者もいるのだろうか、組織としてはコンベンショナルな思考の枠組みから脱却しておらず、その解決案がいくら精緻なものに見えたとしても、問題を本質的に生み出している物語や大きな構造にはなんらの働きかけもしていないのである。


マルクスは、工場を搾取の場だとみなしていた。現在においても、工場労働が存在し、そこで搾取が行われているのは確かだが、今は工場に留まらず、どんなオフィスでも搾取が行われているし、ビョンチョル·ハンの指摘と絡めてみれば、オフィスのような具体的な場を持たないところでも絶えず自己搾取が行われているのが現代社会である。テクノロジーの発展に合わせてネオリベのシステムがより複雑なものになっていけばいくほどに、搾取は目には見えない形で行われ、搾取が行われる現場は遍満する。さらには、種々の搾取が絡まり合うという複雑な構造も見え隠れしている。


この社会の何かがおかしいという直感。昨日のロビンさんとのプライベートレッスンでも改めて考えさせられたように、違和感を感じ取る直感を大切にしなければならない。また、そうした感性を決して鈍化させてはならないと思う。ある事柄がどこかおかしいと思う動物的な直感を大切にしなければ、私たちはいとも簡単に虚構の合理性に騙されてしまう。社会の虚構性の根幹は言葉で構築されている。言葉に頼ると、いとも簡単にそれに欺かれてしまうのである。自分の問題意識は絶えず動物的な直感から出発し、それを様々な角度からの探究を通じて、人に共有できるだけの明瞭なものにしていく必要がある。フローニンゲン:2022/8/1(月)11:01


8855. 資本の17の矛盾/社会的な幻想的構築物としてのマーケット


マルクスが考察を深めている資本の運動法則をじっくりと辿っていくと、資本というのは動く矛盾であるかのようだ。あるいは、価格と価値の解離を含めた種々の矛盾を餌にして拡張運動を続けている姿が見えてくる。デイヴィッド·ハーヴェイは、“Seventeen Contradictions and the End of Capitalism”という著書の中で、資本主義が内在する17の矛盾を詳細に論じている。ハーヴェイは矛盾そのものが悪であるということは述べておらず、資本主義がそうした矛盾を糧に拡張しているという性質を暴く。それらの矛盾がある閾値に達すると、資本主義は創造的破壊をもたらし、それがまた資本主義を新たな次元で拡張運動させることになる。ハーヴェイの論考として興味深いのは、それらの矛盾は資本主義の矛盾というよりも資本そのものが抱えている矛盾として考察を深めている点である。資本の矛盾について、少なくともハーヴェイが指摘する17個のものを押さえた上で、さらに自分なりの考えを深めていこうと思う。


神学者のポール·ティリックが指摘している点と絡めると、資本は搾取を通じて拡張していきながら、あるところで危機を醸成し、それを通じてさらなる資本拡張運動を続けていく様は悪魔的に映る。そこには破壊と創造の双方が内在している。世間でもてはやされるイノベーションというのも結局のところは、資本の危機醸成運動の一環に過ぎず、イノベーションを通じて資本がさらに悪魔的に膨れ上がっていくことを手助けするものに過ぎない。イノベーションを通じて表面上は、私たちの生活が便利になったり、豊かになったりするように思えるかもしれないが、結局その背後には資本が悪魔的な形でずっと居座り続けているのである。


デイヴィッド·ハーヴェイの書籍を全て読み終えた後、今度はハーバードの神学者のハーヴェイ·コックスの資本主義批判の書籍を読み進めている。コックスは、スイスの神学者カール·バルトやドイツの神学者ディートリヒ·ボンヘッファーに多大な影響を受けている。どちらも20世紀を代表する神学者である。コックスの最晩年の書籍“The Market as God”を読み進めているのだが、マーケットというものが社会的な幻想的構築物であるのと同時に、それがまさに宗教的な神であるかのような無意識的な信仰の対象となり、マーケットが遍くところに様々な影響を与えていることが指摘されていて、1つ1つの論考から考えさせられることは多い。今日はここから夕方にかけて、この書籍と向き合っていくことにしたい。フローニンゲン:2022/8/1(月)14:48


8856. マルクスと神道/表出に駆り立てられて/ジャック・エラルのプロパガンダ分析より


ここ数日は曇りがちの日々が続いていたが、今日は天気に恵まれ、とても穏やかな1日である。今、時刻は午後5時を迎えようとしていて、夕方の優しげな世界が目の前に広がっている。今日もまた読書がとても充実している。読書の中で芽生えた直感的な閃きとして、マルクスの資本の性質に関する分析と、神道の霊魂観を関連づける形で資本主義の新たな側面に光を当てることができないかと考えていた。このためには、マルクスの資本の性質に関する詳細な分析を辿り、神道の霊魂観に関する理解を深めていく必要がある。


自分は何かを表現しているというよりも、何かが内から表出することを邪魔しないようにその媒介役を務めているのだけなのかもしれないとハタと思った。世界そのものからもたらされるアプリオリ的な、すなわち経験に先立つものへ開かれた態度を維持することを通じて、世界から自分に何かがやって来て、それを純粋に表出することを日々行っている。それはこのような日記を通じての場合もあれば、デジタル絵画の創作や作曲実践の形で行われる。絶えず言葉を紡ぎ出す実践や言葉以外の創作活動を通じて、言葉にならない豊かな世界へアクセスする体験の頻度が増加し、そこに喜びや充実感を感じている自分がいるようなのだ。


先ほど、フランスの思想家かつ神学者のジャック·エラルの“Propaganda: The Formation of Men’s Attitudes”という書籍の再読をしていた。本書を通じてエラルは、プロパガンダの詳細な分類に始まり、緻密な分析を行っている。今からおよそ50年前に出版された古い書籍ではあるが、現代のプロパガンダにもまだまだ通用する洞察がいくつもある。煽動型のプロパガンダと懐柔型のプロパガンダなどは現在でも広く行われているものである。前者は、反動的な運動を煽るプロパガンダであり、現代の大衆迎合型のポピュリズムの常套手段として用いられているようなものである。後者は欲望を望む方向に仕向けていくようなプロパガンダであり、それは穏便な形で企業が広く展開するマーケティングの中で見られるものである。文明批判をしていく際に、現代のマーケティング過剰な時代において、そこに潜むプロパガンダに関する詳細な理解を持っておくことは非常に重要なことかと思われる。その点においても、本書は今後も繰り返し参照したい書籍である。フローニンゲン:2022/8/1(月)17:05

 
 
 

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