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8755-8757: フローニンゲンからの便り 2022年7月10日(日)



No.3808 そよ風の波紋_Ripples of Breeze


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1666, Evening Fireworks

Evening fireworks are gradually fading away.

They embody the essential ephemerality of this reality.

Groningen; 19:56, 7/10/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8755. この7年間書き続けてきたこと

8756. 今朝方の夢

8757. 書籍の本文の執筆を終えて


8755. この7年間書き続けてきたこと


時刻は午前7時を迎えた。日曜日の朝はとても涼しげである。今朝は空が曇っていて、少し風がある。その風はとても冷たく、今の気温は14度であり、今日は日中も18度までしか気温が上がらない。週間予報を確認すると、今のような気温は来週の金曜日まで続き、土曜日からは気温が随分と上がるようだ。ただし、その時には自分はもうフローニンゲンを離れていて、スウェーデンにいる。最初の滞在先であるマルメは、今のフローニンゲンのような気温が来週末までずっと続くようだ。その先もまだあまり気温が上がらないのではないかと思う。いずれせにせよ、出発日にせよ、マルメの滞在中は天気に恵まれることは嬉しい限りだ。


今日もまた書籍の執筆に集中したい。今朝方起床した時、書籍の執筆を行えることをとても楽しみにしている自分がいた。それはとても良いことである。執筆への飢えのようなものがあり、その渇きを満たそうとする自分がいるようなのだ。逆に言えば、最後に単著を出版してから5年間の年月がいつの間にか経っていて、その間はまるで断食をしていたかのような形で書くことへの飢えが蓄積していたのだろう。もちろんその間にも日記を通じて文章は書き続けていたが、書籍を書くということに関しては完全に封印された状態であった。今このようにこうしたことをつらつらと書いていることもまた、自分の内側にあるものを外側に形として吐き出すことに貢献している。少なくとも、それをオランダに来る前の日本での1年間の滞在を合わせると、この7年間において続けてきた。この間に書き留めた日記の量は随分と多いものになる。分量だけで見れば、毎月1本の博士論文を執筆してきたぐらいであるということにここ最近気づいた。どうやら日本の博士論文は、12万字以上という規定を設けているところが多いらしく、それでいくと大体毎月12万字ぐらいの量の日記を書いてきたので、この7年間、合計で84本の博士論文に匹敵する量の文章を書き続けてきたことに気づいたのである。書き留めてきた文章の質はさておき、とにかくそうした量をこなす形で、この7年間書くということを継続してきたことは自分にとって大きなことである。日々の書くという営みが、自分に新たな発見を毎日もたらし、そして日々の前進を可能にさせたことは間違いない。それ以上に重要なことは、毎日日記を書くことを通じて、日々が豊かに、そして充実したものになったということだ。これからも毎日日記を書き続けるということを継続していこうと改めて思った次第である。フローニンゲン:2022/7/10(日)07:12


8756. 今朝方の夢


静けさに満たされた朝の世界。それは自分の意識を内省的なものにし、観想的なものにしてくれる。先ほど、この7年間の文章の執筆について振り返っていた。今このようにして書籍を執筆していると、自然と日記の分量が減ることが興味深い。それはおそらく致し方ないのだろう。そもそも書籍の執筆に集中しているので、日記を執筆する時間をあまり取れないということもあるし、執筆はエネルギーを使うので、書籍を執筆していると、日記の執筆に回すエネルギーが減退するということが見られる。これは自然なことなのだと思う。今執筆中の書籍の原稿は、今日か明日には少なくとも一旦全て書き終わるので、日記をまた旺盛に書き始めるのはそれ以降になるだろう。今日もまた書籍の執筆に集中したい。


今朝方の夢について思い返してみると、夢の中に今現実世界で執筆している書籍の内容が染み出していた。具体的には、自分が他者性について誰かに解説している場面があったのである。夢の中で私は、新自由主義的社会の中で、他者性が喪失されていることを問題視し、その復権について見知らぬ数人の人たちに力説していた。それは随分と力がこもっていて、他者性に関する問題は自分にとって非常に重要なものなのだと分かった。説明を終えた後、聞いていた人たちからどのような反応が得られたかは定かではない。しかし、自分が力を込めて説明したおかげか、概念的にというよりも、感情的に何か響くものがあったことは確かのようだった。そのような夢を見た後に、次の場面に移った。次の夢の場面では、私は3人の見知らぬ欧米人の男女が口論している様子を眺めていた。私は夢を目撃する者としてそこにいて、夢の中で展開される場所にはいなかった。3人の欧米人は自分と同じぐらいの歳であり、男性が1人、女性が2人で、全員が白人だった。彼らが口論していた場所は、和風の小さな部屋だった。何ついて口論しているのかをまずは理解することにすると、口論の争点がすぐには見えてこなかった。3人が好き勝手なことを言いながら、お互いを批判しているように思えたのである。まずは口論の内容と構造をクリアにすることが先決かと思ったが、私は夢の中にいたのではなく、夢を観察している者だったので、彼らに念を送るかのようにして、話がより明瞭なものになるように働きかけた。するとそれが功を奏したのか、いやむしろ自分の念が強すぎたのか、口論がピタリと止み、彼らは笑顔になって仲良く談笑を始めた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/7/10(日)07:23


8757. 書籍の本文の執筆を終えて


溢れるばかりの充実感。滲み出す幸福感と感謝の念。夕方の時間にそれを感じている自分が今ここにいる。振り返ってみれば、今日もまた昨日と同様に、一日中書籍の執筆に取り掛かっていた。まさに何かが自分に憑依したかのように筆を進めている自分がいて、気がつけば、最後の章を書き終え、実質上、4日ほどで10万字ほどの文章を書き終えた。これにて、書籍の原稿の本文が全て完成したことになる。改めてその事実を目にした時、静かな驚きの感情が芽生える。同時に、どこかそれはとても自然なことであるかのように思う自分もいる。今回の書籍は、ドイツの思想家のビョンチョル·ハンと、神学者のポール·ティリックの思想を中心に据えて執筆を進めていった。書籍の中ではもちろん、重要な発達論者にも言及したし、ティモシー·モートン、ベンジャミン·ノイス、ニック·ランド、スラヴォイ·ジジェク、マーク·フィッシャー、バーナード·スティグラーなど、これまで自分があまり語ったことのない学者の論考にも触れる形となった。今回の書籍を含め、何か書籍を執筆する際には、テーマを絞って論述していく必要があるため、マネー神学やテクノロジー哲学について詳しく扱うことは本書ではできなかった。最初からそのつもりで書いていた。なので次回また書籍を書くことになれば、その時にはマネー神学やテクノロジー哲学を正面から扱いたいと思う。今日を持って本文の全ての執筆を終え、あとは「あとがき」の執筆だけとなった。また、今回の書籍ではある程度の書籍を参考にしていったので、参考文献リストを完成させようと思う。それらはいずれも明日に取り掛かり、明日のうちに終わるだろうと思う。それをもって原稿の最初のドラフトは完成となり、スウェーデン旅行の期間は寝かせ、旅から戻ってきたら再度じっくり最初から最後まで加筆修正を加えながら読み返していこう。少なくとも2回読み返した後に、編集者の方に原稿を送りたいと思う。フローニンゲン:2022/7/10(日)20:24

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