No.3789 朝影の光_Light of Morning Shadow
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1662, Morning Breath
The morning world is breathing gently.
The breath soothes and nurtures us.
Groningen; 07:39, 7/6/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8741. 書籍の執筆を始めて
8742. 今朝方の夢
8743. 小鳥の鳴き声をアルヴォ·ペルトの音楽/書籍の執筆に向けて
8744. 真実を見ようとする意思
8741. 書籍の執筆を始めて
時刻は午前6時を迎えた。今この瞬間の気温は12度と肌寒い。上には何か羽織るものが必要なぐらいだ。昨日と同様に、今日も最高気温は19度ぐらいになるらしい。今日は1日を通してとても涼しく過ごせそうである。今、遠くの空に朝日が見え始めた。ちょうど、書斎の窓から机に向かって差し込んでくる。顔を上げれば、その先に朝日が待っていて、顔に太陽の光が当たる。今日は昼過ぎからオンラインセミナーがある。全3回のうち、今日は自分がスピーカーとして登壇する番である。大きなテーマは決まっているが、細かなトピックについては何1つ決まっておらず、他の2人の知人の登壇者との対話を通じて、話を形作っていければと思う。そこでは今の自分の関心事項である文明学的な話が中心になる。ネオリベと呼ばれる現代の資本主義の諸問題を様々な角度から取り上げ、それらに対する実践的処方箋を考えていくことができたらと思う。普段1人で考えていては考えられないような観点や領域に話が及ぶことを期待したい。そうすれば、また新たな実践的処方箋が見えてくるだろう。セミナーに向けて特に準備することはないのだが、あえて挙げるとすれば、ビョンチョル·ハンの書籍をざっと読み返し、下線を引いている箇所や書き込みしている箇所を再読して、論点を確認することぐらいだろうか。その他にあるとすれば、ここ最近自分が書いた日記を読み返しておこうと思う。むしろそれを最優先しようか。その中に今日のテーマにつながる話題がいくつもあるように思うからである。
昨日から何か堰を切ったかのように書籍の執筆に取り掛かり始めた。広く多くの人に自分が研究している事柄や関心を持っている事柄を伝えるには、学術書のような堅い書籍はあまり向いておらず、ビジネス書の形態が一番向いていることを改めて思う。早速昨日から書籍を書き始めてみたところ、わかりやすい表現にするために工夫をすることそのものが自分の考えを整理し、磨くことにつながっていると気づく。また、自分の関心事項として50個ぐらいの話題があった場合に、書籍にして一般の人に読んでもらうのであれば、それらの話題は取捨選択をしなければならない。その作業もまた自分にとっては学びとなり、選んだ話題についてさらに深く考えていくきっかけとなる。著述家は執筆過程の中で多くのことを調べ、考え、学ぶのだということを改めて思い、どれくらいのペースか分からないが、自分もまた途絶えることなく、できるだけ継続して書籍を執筆していきたいと思った。今日はセミナーがあるためどれだけ執筆できるか分からないが、明日からまた少しずつ執筆を進めていきたい。フローニンゲン:2022/7/6(水)06:19
8742. 今朝方の夢
うっすらとした雲がかかった朝空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、地元とは違う別の県にいて、高校サッカーの県大会の決勝を観戦しにいくことになっていた。決勝のカードは、両校ともにその県でサッカーが強い名門校だった。どちらが勝ってもおかしくないという前評判であり、熱い試合が展開されるのではないかと期待された。試合会場は、山の上のほうにある高校が指定されていた。会場に向かう道中、山の景色を楽しむことができたのは良かったことである。いざ会場に到着すると、さすがに決勝戦だからか、スタンドには大勢の人たちが応援に駆けつけていた。その雰囲気も良く、熱い熱気が漂っていながらも、高校生の試合だからか、お互いに険悪なムードになっていないことが清々しかった。さて試合が始まると、なんと片方のチームが開始早々に得点を奪い、あれよあれよというままに4点奪った。これは一方的な試合になったなと思ったら、そういえばもう片方のチームのフォワードの選手と以前話をしたときに、相手のチームは試合の序盤に一気に得点を決めてそこで気が緩み、そこに付け入る隙があって、逆転のチャンスが大きくあるということを話していたことを思い出した。まさか決勝で意図的にその方向性で試合を進めることにしたとは思えないが、いずれにせよ結果的に彼が述べているような序盤の展開になったので、ここからどのように試合が動くのか気になった。すると、彼が述べていた通り、大量得点を決めたチームは気が緩み、そこから徐々に得点を奪われ、気がつけば9-6で知り合いの彼がいる方のチームが逆転する形となった。それにしてもすごい打ち合いの試合となり、逆転してからさらに数点得点を重ねるところまでは観客席は大いに盛り上がっていた。実際に試合をしていた選手たちも激しい打ち合いに興奮していたようだが、試合が終わると、お互いを称え合うような光景が見え、それも清々しさを感じさせるには十分だった。
次に見ていた夢は、実際に通っていた大学の新入生歓迎の合宿に参加していたものだ。自分はどうやら新入生と同じ学年のようだった。何やら1年留年したことにより、再び1年生をやり直す必要があり、新入生歓迎合宿にも参加することになったのである。クラスメートは私が今年入学したのだと思っている人が多く、全員に真相を伝えるのは面倒だったが、食事の席で一緒になった人には説明をしていた。ちょうど夕食の際に、4人でテーブルを囲んで食事をすることになり、反対側に座っていたのは2人の女子で、自分の隣には男子が座っていた。彼らにはすぐに自分が昨年入学し、1年留年したことを伝えた。すると彼らは勉強熱心だからか、最初の期末試験について色々と話を聞いてきた。私は、経営学入門の試験のエピソードを紹介し、それはまるで入試の社会の論述のように難しかったと伝えた。彼らもまた入試では、社会の論述をなんとか突破してきているのだが、あのような形での論述が試験問題ならば相当に勉強しなければならないと思ったようだった。食事が終わると、気づけば次の日の朝になっていた。私は小中高時代の友人と偶然その温泉街で遭遇し、彼と一緒に行動するため、合宿から早々に抜けることにした。すると、私のことを慕ってくれていた新入生たちは少し寂しそうにしていたが、またキャンパスで会ったら話をしようと約束し、そこからは親友と一緒に行動を共にした。フローニンゲン:2022/7/6(水)06:36
8743. 小鳥の鳴き声をアルヴォ·ペルトの音楽/書籍の執筆に向けて
早朝には朝日の姿が見えていたが、空にはうっすらとした雲が覆っていて、先ほどは瞬間的に小雨が降った。今は小雨が止み、小鳥たちが静謐な鳴き声を上げていて、それが辺りに響き渡っている。まるで波紋のようにどこまでも伸びていく彼らの鳴き声は、今ちょうど聞いているエストニアの作曲家のアルヴォ·ペルトが創出した「ティンティナブリ様式」で作られた曲の響きを思わせる。自然音の恵みを享受しながら、観想的な意識に誘われる。
先ほど、ビョンチョル·ハンの書籍を少し読み返し、今日の午後からのセミナーに向けての準備を行なっていた。セミナーの準備につながるものとして、昨日から突如始めた書籍の執筆にも少しばかり取り掛かっていた。これまで執筆した日記の中から、書籍としてまとめるに資するものを抽出し、それをより丁寧に紐解いていくことをしている。それは自分にとっても勉強になるし、さらなるアイデアの呼び水にもなる。ここから1、2時間ほど、過去の日記を眺めてみて、書籍の中に組み込めそうなものをピックアップしていき、それらをブラッシュアップすることに着手しようと思う。来週から10日間のスウェーデン旅行が始まるのだが、その間にひょっとしたら書籍の原稿を書き終えるかもしれないという期待と予感がある。まずは、これまで執筆してきた自分の文章を再度読み返し、それによって喚起されるアイデアを付け加える形で文章を書いてみよう。その作業がひと段落したら書籍に立ち返り、論点や観点を追加していく形で、文章に厚みを持たせていこうと思う。まだ書籍として出版されるかは全くわからず、そもそも編集者の方に何も相談してない段階なのだが、今回の書籍の執筆を通じて、著述家としての自分の役割を再認識し、その仕事を細々とでもいいので継続していくことの大切さを感じている。まるでその門出を祝うかのように、空が晴れてきた。優しい朝日が自分の門出を祝ってくれているかのようであり、その祝福の恩恵を今享受している。フローニンゲン:2022/7/6(水)09:31
8744. 真実を見ようとする意思
時刻は午後8時を迎えた。今日は正午過ぎからオンラインセミナーがあり、2時間のセミナーを終えた後も、関係者はその場に残ってしばらく話をしていた。それだけ今日のセッションで話題に上がったことは重要であったし、また逆に話し足りないこともあった。実際に、セッションを終えてから、補足として音声ファイルで話し始めてみたところ、気がつけば2時間弱になっていた。実はそれでもまだ話し足りない気がしているので、この日記を執筆したらもう少し話をしてみたいと思う。
今日のセッションを振り返ってみると、改めて臭いものに蓋をしないことの大切さを思った。そもそもある対象に対して社会から臭いと思わされているだけのことがあり、実際にその匂いを嗅いだわけではないのに、思い込みだけで物事の真実を見ない形で素通りしてしまう側面があるかと思う。そうした無意識的な働きに自覚的になり、あえて臭いと思われているものを見にいくような取り組みもまた、これまでの自分の盲点や社会のシャドーに気づかせてくれることにつながるかと思う。それを少し角度を変えてみると、例えばビョンチョル·ハンがよく引用しているハイデガーやカール·シュミットは、ナチスへの加担の事実だけを持って彼らの仕事がたらいの水と一緒に赤子を流すかのように、彼らの書物を読まないまま毛嫌いして素通りしてしまうことがある。当然ながら、彼らの思想の中に何らかの危うさが内包されていたことは確かかもしれないが、逆に言えばそうした危うさが彼らの思想の魅力を形作っている側面もあり、危うさの自覚をしながら一度きちんとそうした思想家の書物も読んでみるということは重要かと思う。思想というのはなかなか難しいものであり、本当に社会に多大な影響を与えるような思想は往々にしてそうした危うさと魅力の双方を含んでいて、人や社会を大きく動かす側面がある。それこそ、ハイデガーやシュミットだけではなく、最も誤解され、曲解された形で思想が受け止められてしまったのはマルクスであり、その思想の一部が切り取られ、歪んだ解釈がなされる形で人間社会に大きな影響を与えたのは歴史を見れば歴然としている。いずれにせよ、思想における価値と危険性を理解するための分別を獲得することが大切なのだが、それをするためにはやはり色々と勉強をしてみなければ判断の度量衡を作っていくことは難しいかと思う。ここからの探究においてもそのあたりは注意深くありたいと思う。フローニンゲン:2022/7/6(水)20:18
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