No.3763 鐘の音のDNA_DNA of a Bell Sound
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1645, Gathering Spirits
Many spirits are gathering to one spot.
They may celebrate something.
All of the spirits became one suddenly.
Groningen; 08:31, 6/28/2022
No.1646, A True Demon
A demon doesn’t necessarily mean evil.
Rather, it is the existence that can conduct a constructive and destructive action simultaneously.
Today’s society is very demonic.
Groningen; 16:11, 6/28/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8681. 今朝方の夢
8682. 今日の読書計画/今朝方の夢の続き
8683. 継続的な取り組み/今朝方の夢の続き
8684. 熱力学の法則/ポール·ティリックの資本主義批判より
8685. 資本主義の悪魔的な性質
8686. オランダの作曲家サイモン·テン·ホルト/ジークンドートレーニング115:インターバル的なシャドースパーリングの実践
8687. 資本主義の悪魔的性質についての覚え書き
8688. 発達の第3の道
8681. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。今朝は朝から朝日が燦然と輝いていて、光に満ちた世界が広がっている。気温に関しては肌寒いが、今日は雲ひとつない晴れに恵まれるようなので、暖かさを感じられるだろう。最高気温は22度まで上がるとのことなので、日中は暖かそうだ。一方、最低気温は13度なので、まだまだ夜は冷える。
今朝方はいくつかの夢を見ていた。覚えている範囲のことを早速書き留めておこう。夢日記を書き留めることが1日を始めるにあたっての儀式になっており、それをすることで1日が充実したものになっていくのを実感する。夢の中で私は、実家にいた。そこは今の実家ではなく、マンションに引っ越す前の社宅だった。その日はもう夕方になっていて、これから夕食を摂ることになっていた。その前に、私は今日購入した月刊の漫画雑誌を読もうと思っていた。両親もその漫画雑誌を読みたいとのことだったので、自分の分と合わせて2冊購入していた。1冊を早速両親に渡し、もう1冊をその場で読もうとしたところ、いつの間にか両親が友人に変わっていた。そして友人がふと、毎月書店に行って購入するのは面倒だから、いっそのこと定期購読したらどうかと提案してくれた。その提案を聞いた時、書店で中身を確認して吟味する楽しさはあるものの、その日に用事があったり、雨など降って書店に行くのか面倒な日もあるかもしれないなと思い、定期購読することにした。友人が雑誌の入っていた袋を指差し、「ここに電話するといいよ」と述べた。そこには書店の電話番号が書かれていて、早速電話してみようと思ったところ、友人が「あっ、僕が電話するよ」と述べたので、彼に電話を任せた。いざ彼が電話をかけてみると、書店の若い女性が対応してくれたのだが、彼女は今少し忙しそうであり、同時に書店に置くための在庫の確保も必要とのことで、交渉が難航していた。私は思わず苦笑いをし、「たかだか定期購読の交渉で何をもたついてるんだ」と思った。そこで彼と電話を代わり、私が彼女と交渉することにした。交渉の際によくよく考えてみると、定期購読した場合に、漫画が手に入るのは発売の翌日なので、すぐにでも読みたいと思っている私にとってそれは好都合ではなかった。なので結局、定期購読することはやめ、引き続き毎月書店に足を運んで漫画を購入することにした。すると突然、目の前にいた友人が再び両親に変わった。私は両親に定期購読することをやめ、毎月書店に行って購入することを伝えた。そこからはまず父が漫画を読み始め、ある漫画で取り上げられていた絵画作品の話をした。というのも、その漫画で取り上げられている絵画作品を私は毎回書き写していて、父が注目している絵を書き写す際には、影の部分や光の当て加減の部分に注意して書き写してほしいとリクエストを受けた。確かに父の言う通り、その点は自分もあまり意識しておらず、少し課題感を感じていたので、今回からそれに注意して書き写してみることにした。フローニンゲン:2022/6/28(火)07:32
8682. 今日の読書計画/今朝方の夢の続き
朝のこの時間帯はすでに燦然と朝日が輝いているのだが、今日は特に冷えており、半袖では寒いぐらいである。少し上に何か羽織るものが必要かもしれないというぐらいの気温だ。今週の金曜日からは7月を迎えるが、まだまだ肌寒さの残るフローニンゲンである。
昨日、ビョンチョル·ハンの書籍の一連の書籍を全て読み終えたが、ここからも精読を続けていこうと思う。いや、3回目の読書はもう一度全ての書籍の全体と重要な箇所を把握するような読み方を採用し、4回目の読書の際に精読していくことにしたい。今日はハンの書籍に加えて、昨日届いたポール·ティリックの資本主義分析及び資本主義批判に関する書籍“Capitalism as Religion”を読み進めていこうと思う。その前に、再読になるが“Cryptocommunism”を最初から最後まで丁寧に精読しておこうと思う。この書籍は、ハンのネオリベ批判の補助になるだろう。
先ほどの日記では今朝方の全ての夢について振り返ることができなかったので、残りの夢についても書き留めておきたい。夢の中で私は、見慣れない駐車場にいた。そこは高速道路のサービスエリアだったので、駐車場は広く、数多くの車が止まっていた。私は父が最近購入した車を借りて、ドライブに出かけていた。運転の休憩がてらサービスエリアで何か飲み物でも買おうと思って車を出て、売店に向かおうとしたところ、財布の入った小さなカバンを車の中に置きっぱなしであることに気づき、すぐに振り返って車のドアを開けた。するとなんと、運転席に見知らぬ若い外国人の男性が座っていて、彼が車を発車させようとしていたので驚いた。どうやら私が鍵をかけようとした瞬間に運転席側のドアを開けていて、中に侵入したようだった。私はすぐに彼に何をしているのかと少し荒い口調で尋ねた。すると、彼は無反応であり、無表情のまま前を見つめまま、引き続き車の運転をしようとしていた。そこで私は、彼がナイフやピストルを持っていると少し厄介だなと思いながらも、彼を車の外に追い出す方法について考えた。日本語と英語の両方で言葉を掛けても一切無反応だったので、いよいよ私は強硬な手段に出るしかないと思い、ジークンドーの技を仕掛けることによって彼を外に追い出そうとした。それを実行する前に、逆に彼が逆上して私を殺しかねない危険性を思ったが、相手がナイフやピストルをもし持っていたら、それを取り出す前に決着をつけようと思った。そしていざ、ジークンドーの護身上の技を発動したところ、彼は運転席のドアから外に転げ落ちた。その瞬間に、後続のトラックに彼は轢かれそうになったが、轢かれる瞬間に彼は消えた。そのような夢の場面があったのを覚えている。ジークンドーの鍛錬を始めて以降、夢の中でちょくちょくジークンドーの技を用いる自分が現れている。これは鍛錬の成果が無意識の次元に浸透していると見えなくもないし、また別の見方も可能かと思う。今のところは、学習の成果が夢の中に現れていると肯定的に捉えているが、他の見方についても考えてみようと思う。フローニンゲン:2022/6/28(火)07:46
8683. 継続的な取り組み/今朝方の夢の続き
今朝は少し濃い目にコーヒーを煎れ、今煎れたてのコーヒーをゆっくり味わっている。今朝は少し冷えるので、コーヒーの温もりに有り難さを感じる。先ほど、ELSAを使った英語の発話能力の鍛錬を行なっていた。今でも継続して毎日このアプリを使っていて、少なくとも朝の活動を本格的に始める前に10個ほどのコンテンツを消化し、夜の入浴前にもう一度15分ほど集中してこのアプリを使っている。それ以外には、トイレに行く時間をこのアプリの使用に充てているので、合計すると毎日30分ほどこのアプリを使っているように思う。英語の発話能力についても、それを放っておくと進歩が止まってしまうし、下手をすると退化してしまうので、今の調子で毎日30分ぐらいの時間を英語の発話能力の鍛錬に充てたい。それは発話能力の向上だけを目的にしたものではなく、新しい語彙や言い回しを獲得していき、表現力を拡張させると言う目的もあることを忘れないようにする。
午前9時を迎えたところで、今朝方の夢の続きについて思い出した。夢の中で私は、ある1人の小さな少女と話をしていた。彼女はまだ3歳ぐらいだったが、口が達者で、大人と話をしているような感じがした。だが、体はまだ小さく、見た目は本当に子供だったので、そのギャップには驚かされるものがあったが、逆にそのギャップが微笑ましくも思えた。彼女と話をしていたのは、学校の廃墟のような場所であり、彼女としばらく話をした後に、私は廃墟の外に出た。するとそこには空き地が広がっていて、コンクリートの円柱の塊が3つほどピラミッド型に積み重なっているのを発見した。そこに近づこうとしたら、後ろから誰かが襲いかかって来た。見るとそれは有名な昔の映画俳優の男性だった。彼は私を襲おうとしたと言うよりも、悪ふざけで私の上に乗り掛かってきたと述べ方が正確だ。地面に倒された私は、彼の体重が意外と重く、びくともしないことに驚かされた。すると、別の俳優の男性がやって来て、私たちが戯れ合っているように見えたらしく、笑っていた。私としては上に乗っている彼には早くどいて欲しかったのだが、ずっと彼が上に乗ったままだったので、その重さに内臓が圧迫され、苦しくなってきた。すると突然彼は私から飛びのいて、今から映画の撮影をするのだが、参加してみてはどうかと述べた。その前に確認があると彼は述べた。
「ちなみに君は左かね、右かね?」
「政治思想がと言うことですか?」
「そうだ」
「そうですね、僕は左でも右でもなく、強いて言えば、このあたりでしょうか」
そのように私は述べながら、空き地の地面に枝で左と右と書き、それを1つの線分で結んで、自分の政治思想の位置を示した。極右ではなく、右寄りなのだが、左と右の中間の点と、極右の点のちょうど真ん中あたりであることを示した。すると彼は笑い、「そうかそうか、それは面白い」と述べて、そこからは何も言わず、これからの撮影に向けての準備を始めた。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2022/6/28(火)09:20
8684. 熱力学の法則/ポール·ティリックの資本主義批判より
どういうわけかふと、フローニンゲン大学で行なっていた複雑性の科学を適用した知性発達研究について思い出していた。そこからさらに、マルクス、ベルグソン、テイヤール·ド·シャルダン、バタイユ、フロイト、ニーチェ といった学者たちが軒並みダイナミックシステムについて、とりわけ熱力学の法則について熱心に探究していたことを思い出した。当然彼らは熱力学の法則の応用先がそれぞれ違ったわけだが、彼らが等しくそれに関心を示していたことが興味深い。確かに、政治経済システムも、宇宙の生成進化も、人間の無意識もまた熱力学の法則に適った形で運動を続けている。そうした特性に改めて自分も関心を示した次第である。ちょうど昨夜にも似たようなことを考えていて、その時の考えが今改めて形となって現れたのだろう。
先ほどから、ポール·ティリックの資本主義批判に関する書籍を読み始めた。カール·バルトもまた偉大な神学者であったが、自分はバルトよりもティリックの方向性に共感をする。ティリックは神学者としての仕事の出発点から、神学的な思考を絶えずその時代の社会や文化に適用していた。その姿勢に共感の念を覚えるのである。興味深いのは、ティリックは組織神学の大著の中ですら、人間の合理的な思考というものが単なる機械的な思考に陥りがちになり、それが人間疎外を引き起こすことを見抜いていたことであり、同時にその主張はフランクフルト学派の指摘と重なることである——ティリックとフランクフルト学派の創設者であるマックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノは良き親友であった——。フランクフルト学派の批判理論とティリックの神学的な観点からの社会批判を架橋させながら読解を進めていこう。そういえば、機械的な思考の罠については、ティリックよりも先に生まれ、同時代に活躍していたマックス·ヴェーバーも同様の指摘をしている。とりわけ、資本主義の根幹的な特性の1つとして、計測的な思考に強く立脚した人々の活動の姿を見抜いていた。
歪んだ擬似的宗教としての資本主義。その歪みをティリックの神学思想の観点から分析していこう。それと同様の試みを川面神道神学の観点から行なってみて、ティリックの思想をもとにしたアプローチと川面の思想をもとにしたアプローチの差異と共通性をまずは明らかにしてみよう。フローニンゲン:2022/6/28(火)11:34
8685. 資本主義の悪魔的な性質
ポール·ティリックの資本主義批判の中で1つ面白い洞察として、ティリックは資本主義は悪魔的な力を内包しているという。悪魔的な力とは、破壊の力ではなく、むしろ逆にその創造の力であるという指摘が興味深い。当然ながら資本主義は間接的に生態系の破壊や、時にその構造的矛盾によって金融市場を破壊したりするが、製品やサービスの生成に関していえば、日々絶え間まなく無限の創造を続けているという性質を持っている。神学者であるティリックの眼にはどうやら、その様子が悪魔的に映っていたようである。ビョンチョル·ハンの思想とも絡めてみると、確かに、多くの人々が自らの貴重な時間とエネルギーを盲目的に労働に全力投下し、しかもハンの指摘にあるように、偽りの自由の名の下に自己搾取を徹底させていく姿は地獄絵図的な悪魔的なものに映る。もう1つ悪魔的な側面を挙げるのであれば、資本主義に立脚した経済圏というものが他の存在圏を席巻していることだろう。テイヤール·ド·シャルダンが提唱した物質圏、生物圏、知性圏の全てが経済圏の多大な影響を受けていて、それらの圏がまるで経済圏の傘下にあるような状況である。それほどまでに支配的な力を持ち、様々な圏に侵食していきながら内部から腐敗をもたらす姿は確かに悪魔的である。
ハンの思想をもとに個人的に思うのは、さらに悪魔的なのは、資本主義は共同体を破壊しながらも、ある種異様な連帯感を生み出していることである。すなわち、人々が達成や成長という1つの方向に向かって邁進するという1つの方向性をまるで提示しているかのような働きがあり、人々が無意識的な連帯感のもと、1つの方向に向かって行進·奔走を続けていることである。それが悪魔の手招きのように自分には映る。それらの悪魔的な働きかけの中で人々は、善意に自らのためを思って行うことがすべからず自己腐敗と自己破壊をもたらすものであるという点もまたひどく悪魔的である。例えば、休息というものが自らの生産性を高めるための休息に成り下がっていたり、健康維持というのもまたすべからくより良くカネを稼いだり、より良いパフォーマンスを発揮して社会を生き抜くためのものに成り下がっていることなどを列挙することができる。これからの自分の探究の焦点は、悪魔的な力の特定とその生成メカニズムの解明にあるだろうか。そのようなことを考えていると、気づけばもう正午を迎えようとしていた。フローニンゲン:2022/6/28(火)11:58
8686. オランダの作曲家サイモン·テン·ホルト/ジークンドートレーニング115:
インターバル的なシャドースパーリングの実践
時刻は午後4時を迎えた。先ほどジムから帰ってきた。今日は天気がすこぶる良く、気温も清々しい感じで、ジムまでの行き帰りの道のりは大変心地良かった。ちょうどジムに行く際に自宅の門の前でオーナーのペイトラさんに出会った。ペイトラさんはワイヤレスのヘッドホンで音楽を聴いていて、何を聴いているのか尋ねたところ、オランダ人の作曲家のピアノ曲を聴いていたということだった。先日は、オーナーのフレディさんに、エストニアの作曲家アルヴォ·ペルトについて教えてもらい、今日はサイモン·テン·ホルト(Simeon ten Holt: 1923-2012)という作曲家をペイトラさんに教えてもらった。自宅に戻ってきて早速Spotifyを経由して調べ、今テン·ホルトのピアノ曲を聴いている。音楽を聴きながら、今日のジムでのジークンドーのトレーニングについて振り返っている。先日のロビンさんとのセッションは、コーチング的な意味合いも強く、日々の練習の質や方法を見直す上で非常に有益であった。今日のトレーニングの中でふと気づいたことは、サンドバックを叩いてトレーニングをするのはあまり意味がないのではないかということだった。サンドバックを叩いていると、トレーニングをした気になるのだが、それはある意味錯覚であって、サンドバックを叩く快感は得られても、それ以上のことが得られにくいように思ったのである。そもそも、サンドバックは呼吸をするだろうか?サンドバックはこちらに反撃するだろうか?サンドバックは決して生身の人間ではないのである。この当たり前のことに気づいたとき、サンドバックを中心にして稽古をすることの不毛さを思った。当然ながら、サンドバックに技を当ててみることもときに重要だろう。しかしサンドバックを叩くことばかりを行っていると、随分と色々なことが蔑ろにされてしまうのではないかと思ったので、鏡を見てフォームを確認しながら精度を高めていく練習を中心にしていくことを改めて思った。とりわけジムの鏡のある部屋は、自宅の鏡のある洗面所と違ってスペースがあるので、そのスペースを活かして、鏡と向き合いながらあたかも目の前に誰かがいるかのようにして、シャドースパーリングを中心にしていこうと思った。実際にわずか1分集中してシャドースパーリングをやってみると、心拍数が上がり、息も切れた。それを何セットかやってみて、今後もこのようにインターバル的なシャドースパーリングをジムの鏡のある部屋でやっていこうと思った。自宅ではゆっくりとした動きの鍛錬を続け、ジムでは思いっきり動けるスペースがあるので、鏡を見ながら、1人、ないしは複数人を想像したシャドースパーリングを中心に稽古していこう。フローニンゲン:2022/6/28(火)16:24
8687. 資本主義の悪魔的性質についての覚え書き
ポール·ティリックが資本主義の悪魔的な性質を批判する際の悪魔的な性質についてより詳細に理解していき、同時に神道における悪魔的なものについても調査をし、その対比を通じて資本主義に内在する悪魔的な性質をより明瞭に理解していきたい。端的に述べれば、ティリックが悪魔的と述べるものは、創造と破壊の双方の働きを同時に内包しているもののことを指す。神道的な観点で言えば、創造のカミと破壊のカミが結合しているような存在が悪魔的なものだと言えるだろうか。そして、悪魔的というのは直ちに悪を意味しないということもティリックが述べる悪魔的なものの特徴として挙げられる。
ジムのサウナに入りながら、ティリックの指摘する資本主義の悪魔的性質について引き続き考えていた。それは破壊と創造の双方を内在性質に持っていて、人々に創造の甘美さを味わせながら地獄列車をどこまでも走らせる。ビョンチョル·ハンが指摘するように、現代社会においては人々は自己搾取を無意識的に行っている。良かれと思ってやっていることが自己搾取的な形で進行していることに気づかないのである。現代人の多くが乗っている地獄列車は、最初の停車駅として燃え尽き症がある。その次に鬱病という駅が待っていて、最終停車駅に自殺が待っている。この構造はやはり恐ろしく、なんとかしなければならないという思いに駆られる。サウナから上がってからもしばらくこの点について考えていて、できれば早急にこうした問題を指摘するような書籍を執筆したいのだが、もう少し調査と考察を重ねてから書籍の執筆に取り掛かったほうが良いのではないかという思いもある。それらの思いに揺れながら、どこかのタイミングで必ず今関心を持って探究していることを書籍の形にまとめて共有したいと思う。フローニンゲン:2022/6/28(火)16:49
8688. 発達の第3の道
今夜はまた、川面凡児全集を読み進めていこうと思う。この全集が明治期に書かれていたことから、日本語が擬古文的であったり、あるいは完全に漢文であったりと、読解が進めづらいのは確かだが、毎晩この全集を読むことによって、少しずつその文体に慣れている。川面凡児の社会主義批判の論考以外にも、資本主義批判の論考があれば嬉しいのだが、そうした論考がないかをより意識的になって全集を読み進めていこうと思う。今のところ、川面凡児の神道神学を自分の学術研究に応用しようとすると、一工夫、あるいは二工夫ぐらい必要である。それぐらいに応用には工夫を要し、西欧の学者や神学者の論考のようにすんなりと応用をさせてくれない性質がある。それは自分の関心が文明論的なものであるのと同時に、テクノロジーやマネーといった、川面が直接的に言及していないものに強い関心があるからだ。今のところは、川面よりも、ポール·ティリックの文明批判の観点の方が採用しやすいが、ティリックの論考を頼りに、川面の神道神学をなんとしても文明批判に接続させていきたいと思う。
昨日届いた“Capitalism as Religion? A Study of Paul Tillich's Interpretation of Modernity”は、非常に洞察深い学術書であり、今朝方から食い入るように読み進めている。先ほども本書を読み進めていて、改めて発達の第3の道について考えさせられていた。発達においては、確かに自助努力をするという自力の道(autonomy)は重要であり、それに加えて、他者かの支援という他力の道(heteronomy)もまた重要になる。しかしながら、それらはいずれせによ、立脚点が自我(エゴ)にあり、両者の道にだけに依拠していては、本質的な発達は実現しないように見える。最終的に必要なことは、自我の姑息な計らいを捨て、超越的な存在に自己を明け渡すことであるように思う。ティリックの言葉を用いれば、それは神力の道(theonomy)と言えるだろう。厳密にはこの言葉は、「神律」という訳になるだろう。発達において重要なことは、自律、他律、神律の3つが存在し、それらが相互に影響を与え合うことによって実現されるもののように思える。ここでもビョンチョル·ハンの考察を引用するのであれば、現代社会においては自力の道も他力の道も疲弊と搾取を助長するものに成り下がっているので、なおさら神力の道の存在と意義を見つめ直したいところである。フローニンゲン:2022/6/28(火)17:34
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