No.3728 新自由主義の癌_Cancer of Neoliberalism
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1615, A Corridor of Time
I’m walking along a corridor of serene time.
The corridor is made by my own Kairos.
Why do most people walk along a corridor made by Cronos?
Kaunas; 08:28, 6/16/2022
No.1616, Lonely Crowd
The previous lonely crowd becomes the lonely crowd 2.0.
Perhaps, they will become the lonely crowd 3.0 in the near future.
Is this really what we can call human development?
Kaunas; 08:32, 6/16/2022
No.1617, Sounds of the Kankles
I’m being healed by the sounds of the kankles at this moment.
The sounds also inspire me about playing the koto.
Kauno Miesto Muziejaus; 12:14, 6/16/2022
No.1618, Archive of God’s Memory
Every artwork is a manifestation of God.
All artworks collaboratively create one gigantic archive of God’s memory.
Kaunas; 15:35, 6/16/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8620.【カウナス旅行記】カウナス滞在の最終日の朝に
8621.【カウナス旅行記】旅情と発達/今朝方の夢
8622.【カウナス旅行記】朝の雑感
8623.【カウナス旅行記】文明崩壊学/時の回廊
8624.【カウナス旅行記】カウナス民族音楽博物館とカウナス写真ギャラリーを訪れて
8620.【カウナス旅行記】カウナス滞在の最終日の朝に
時刻は午前5時半を迎えた。早いもので、今日は実質上、今回の旅の最終日となる。明日は正午過ぎにオランダに戻る。アイントホーフェンを経由してフローニンゲンに戻るのだが、明日のアイントホーフェンは30度を越す暑さになる。フローニンゲンも27度まで気温が上がるようであり、真夏日である。明後日からは再び涼しい日々が続くようなのだが、このような暑さの日が現れ始めたところを見ると、夏の訪れを感じる。
さて、カウナス滞在の最終日の今日は、ゆっくりと朝食を摂った後に、午前11時ぐらいを目安にホテルを出発して、2カ所ほど巡りたいと思う。まず最初に民族音楽博物館に足を運びたい。ここはカウナスに到着して見つけた場所であり、世界各国の民族音楽に関心のある自分にとっては大きな発見をもたらしてくれる場所だろうと思う。ここを訪れた後は、カウナス写真ギャラリーに行く。写真よりも絵画を鑑賞することの方が好きなのだが、それでも写真には固有の魅力や価値があることは確かであり、写真を通じて開示される真実や感覚を得に、このギャラリーを訪れようと思う。今日はこの2カ所だけに足を運び、そこからのんびりとカウナスの街を散歩しながらスーパーを経由してホテルに戻ってこようと思う。せっかくなので行きと帰りは道を変えて、行きはおよそ2kmの道のりを30分弱かけて街並みを眺めながら散歩を楽しもうと思う。帰りは運河沿いを歩いてホテルに戻ってくることを考えている。
昨日は1つ嬉しいことがあった。昨日、オランダの郵便局からスマホにテキストメッセージが届き、川面凡児全集がようやく船便でオランダの税関に到着したとのことだった。なので、関税の支払いをオンライン上で行い、いよいよ川面凡児の全集が読めることに胸が高鳴った。当面は、川面凡児の神道神学の探究と、ビョンチョル·ハンの思想の探究に時間を多く費やしていくことになるだろう。今はそれら2つの研究は独立していながらも、研究の過程の中でそれらは相互に影響を与え合い、いつか2つは必ず統合されると確信している。研究というのもまた人間の発達と同様の発達プロセスを持つのだから。カウナス:2022/6/16(木)06:01
8621.【カウナス旅行記】旅情と発達/今朝方の夢
——旅愁とか旅情とか、全て旅をしている感じを指すものは、こうしてある場所に自分を見出すことから発している——吉田健一
アイントホーフェンに見出した自己。そして、カウナスに見出す自己。旅は、訪れたその場所が機縁となり、新たな自分をそこに見出すことを促してくれる。今回の旅を通じても、自分はどれだけまた新しい自分を見出しただろうか。発達とは、このようにして新しい自己を見出し続けていくプロセスなのだ。その際に、場所が持つ力は大きく、旅がもたらしてくれる働きの大きさは途轍もない。旅のそのような力を感じる時、そこに旅情のような感情がふと芽生える。
今朝方は2つほど夢を見ていた。最初の夢の中で私は、天空に近い場所にあるバンジージャンプの台のような場所に命綱無しで立っていた。足元は自分の足が置けるぐらいの広さしかなく、命綱が無かったので、少しでもバランスを崩せば、全く何も見えない地上に落下してしまう危険性があった。そうした状況の中、私は至って冷静であり、最初の頃は自分が地面に落ちることなど全く考えておらず、その場に静かに佇んでいた。少し風が強くなり、一度強風で体が煽られたが、それでも体のバランスを崩すことはなかった。天空に近いその場所は、雲より高い場所にあり、そこからの眺めを楽しんでいた。眺めと言っても地上は何も見えないので、自分の目線は絶えず水平方向か上にあった。すると突然、絵も言えない恐怖心がやって来た。私はようやくそこで、自分が1人であり得ない高さの場所にいて、しかも命綱をしていないことに気づいたのである。それに気づいた時、足元がふらつき、危うく落ちそうになったが、再び冷静さを取り戻そうと呼吸を落ち着けると、なんとか先ほどの状態に近い状態に戻った。そこでまた景色を眺めたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は実際に通っていた日本の大学の西キャンパスの講義棟の中にいた。講義棟は歴史がある建物で、廊下は少し暗く、ひんやりとした雰囲気を持っているのが特徴的だった。廊下をしばらく歩いていると、ある教室から聞き慣れた声が聞こえて来た。教室の前を通りかかる時にふと教壇を見ると、そこには有名な社会学者の先生がいた。その先生の授業は楽しそうであり、先生の授業を聴講したいと思ったが、自分はこれから自らが受け持つ授業があったので、なくなく自分の教室に向かうことにした。歩きながらふと、自分は授業を受け持ちながらも、同時に授業を受ける学生の立場でもあり、第二外国語の履修についてどうしようかと考えていた。どの言語がいいかをそろそろ決める必要があり、言語を選択したら、最初にレベルを測る簡単な試験を受ける必要があった。廊下では何人かの新入生たちがそのことについて話し合っていて、その話が聞こえて来た時に自分もまたどの言語を学ぶかを真剣に考えないといけないと思った。すると、廊下の向こうから、高校時代のサッカー部の副キャプテンの友人が歩いてくる姿が見えた。まさか彼が同じ大学にいるとは知らず、彼に挨拶がてら声を掛けた。彼の方も自分がここにいることを驚いているようで、今はお互いに時間がなかったので、挨拶だけをして別れた。彼と別れた後、教室に向かう前にトイレに行っておこうと思い、トイレに向かう途中で、彼が同じ大学にいることの意外さや、第二外国語のことなど、色々と考え事をしていた。今朝方はそのような夢を見ていた。カウナス:2022/6/16(木)06:20
8622.【カウナス旅行記】朝の雑感
ホテルのレストランは午前7時から開いているので、先ほど、エスプレッソとブラックコーヒーをブレンドしたものをもらいに行き、それを部屋に持ち帰って来た。コーヒーの香りと味わいを楽しみながら、アイントホーフェンの旅の最中に購入した書籍“Stuck on the Platform: Reclaiming the Internet (2022)”を読み進めている。その書籍を読みながら、思想というのは本来、その時代の歴史的事象との応答によってある種必然的に生まれてくるものなのだと思った。例えば、ハンナ·アーレントは、第二次世界大戦という歴史的な事象と対峙することを通じて、政治思想を生み出したことが想起される。時代と格闘して思想が生み出される例は枚挙にいとまがない。ブレグジット、トランプ政権の誕生、COVID-19という歴史的な事象が連続する時代の中で、自分もまたそうした時代が突きつけてくるものと向き合うことは不可避であり、その過程の中で少しずつではあるが、自分なりの思想のようなものが芽生えて来ている。それが今、自分を文明学への探究に向かわせている。
今回の旅を通じて、Post-COVID-19の世界が始まっていることを実感している。以前とは違う日常が今ここにある。COVID-19を経て、ソーシャルメディアやZoomなどのテクノロジーを活用する人々の在り方に変化が見られ、ますますテクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーやアンドリュー·フィーンバーグの思想の重要性を感じる。彼らの思想は、Post-COVID-19のテクノロジー時代の諸問題を考察する際に非常に参考になるのである。色々と読み返したい書籍が溜まって来ており、旅から帰ったら、旺盛にそれらの書籍を読み返していこう。時代が突きつける課題と向き合うこと。旅の最中にあって、改めてその大切さを思う。カウナス:2022/6/16(木)07:39
8623.【カウナス旅行記】文明崩壊学/時の回廊
世界を席巻するプラットフォーマーによって生み出されたアルゴリズム的ネットワークを対象化し、それに自覚的になることを通じて、そのネットワークに取り込まれないこと。そうしたネットワークの外にある人的ネットワークを大切にすること。アルゴリズムによって生み出されたネットワークに埋没させられてしまうと、見えない疲弊が蓄積していく。疲労社会の一端には、ネットワークがもたらす疲弊の構造が見える。
朝の読書の中で、“collapsology”という学問分野があることを知った。日本語訳としてどのような言葉が当てられているのかは知らないが、単純に直訳すると、「崩壊学」とでもなるだろうか。これは、産業文明の崩壊プロセスやメカニズムを研究する学問分野である。この分野はまさに自分が文明学の探究をしていく際の柱になると直感的に思った。その内容からすると「文明崩壊学」と訳した方が正確かもしれない。少し調べてみたところ、文明崩壊学の提唱者であるPablo ServigneとRaphaël Stevensが共著で“How Everything Can Collapse: A Manual for our Times (2020)” という興味深い書籍を出版していることを知った。この書籍は必ず読まなければならないし、彼らのその他の書籍も調べてみようと思う。
加速度的な現代文明に毒されていない時の回廊を歩くこと。それを通じて、加速度的な現代文明に毒された時の回廊の解毒をすること。そのようなことを行っている自分の姿が想起された。それと同時に、先日訪れたラトビアの首都リガのリガ大聖堂の回廊を歩いていた時の記憶が喚起された。その記憶を辿ると、現代社会には確かに、まだ加速度的な文明の魔の手から逃れた時の回廊が存在することを確信している。昨年の年末に訪れたフィンランド北部のラップランド地方にあるロヴァニエミにも緩やかな時の流れで作られた回廊があった。
静謐さ。朝の静謐さがそよ風やひんやりとした空気と相まって煌めいている。カウナスの朝は穏やかである。自室からレストランを眺めると、何人かの人たちがゆっくりと朝食を味わっている姿が見える。泡沫としての旅。泡沫としての人生。その泡沫は、自らの実存的な輝きと霊的な輝きで満たされなければならない。泡沫を汚す社会の病理。泡沫の輝きを維持するためにも、そうした病理と向き合い、それを治癒していかなければならない。
デューク大学の文明批評家のキャサリン·ヘイルズの言葉を借りれば、現代人は無意識がハイジャックされていることに加えて、意識が喪失したかのようなゾンビ的状態に置かれている。無数のゾンビが加速度的な時の回廊をそぞろ歩きし、行ったり来たりを繰り返している。そのように進行していく人生とそれで終わる人生。果たして私たちの人生は、そのようなものでいいのだろうか。私たちの人生をそのような形に貶める時代の精神と構造に立ち向かっていく必要性を強く感じる。カウナス:2022/6/16(木)08:19
8624.【カウナス旅行記】カウナス民族音楽博物館とカウナス写真ギャラリーを訪れて
時刻は午後3時を迎えた。幸いにも、カウナスの滞在期間中は一度も傘を差す必要がなかった。小雨が降る時間帯があったことは確かだが、自分が観光に出かけている時には一切雨が降らなかったのである。今日も夕方から夜にかけて雨が降るようだが、今はもうホテルの自室に戻って来ている。今日はまず最初に、カウナス民族音楽博物館を訪れた。ここはこじんまりとした博物館でありながらも、体験型の展示がなされていて、実際に様々な楽器を鳴らすことができた。特に、リトアニアの箏である「カンクレス」を演奏できたことは良い経験になった。様々ある楽器の中でも、この楽器の展示物が一番関心を引き、それぞれの展示物の説明文は隅々まで読んだ。このような弦楽器がリトアニアにあることを知らず、これから箏を演奏しようと思っている自分にとって嬉しい発見であった。どうやら、ラトヴィアやエストニアにも箏のような弦楽器があり、それぞれ呼び方が少し違うようだった。やはり弦楽器の音色は自分の魂に響くものがあり、しばしば即興的に演奏を楽しんでいた。この博物館には、16世紀あたりのゴシックスタイルの小さな建物の分館があって、そちらにも様々な貴重な楽器が置かれていた。博物館で記念に小冊子を購入し、その後、カウナス写真ギャラリーに向かった。民族音楽博物館から写真ギャラリーまでの道のりは歴史を感じさせる建物と通りが続いていて、趣き深かった。ギャラリーに到着し、今回の展示が「金持ちと貧乏人」というテーマであることをそこで初めて知り、50枚ほどの写真をじっくり眺めていった。写真は言葉よりも雄弁に何かを物語ることがあり、金持ちであっても幸福そうではない表情を浮かべている人や、貧乏人であったも幸福そうな表情を浮かべている人たちがいたことに加えて、興味深かったのは、どちらも共に何か共通した実存的課題を抱えているように思えたことである。それはこの現代文明が私たちに突きつけている集合的なものであり、その課題の前では、金持ちか貧乏人かどうかなど一切関係がないのだと思わされた。そうした社会経済的な属性が無意味である実存的課題に投げ出されているのが私たち現代人なのかもしれない。そんなことを思わせるには十分であった。これにて今回のカウナス滞在の最後の観光を終え、写真ギャラリーからゆっくりと運河沿いを歩いてホテルに帰って来た。明日はいよいよフローニンゲンに戻る。明日からはまた新しい日々が幕を開ける。カウナス:2022/6/16(木)15:24
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