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8587-8590: アインホーフェンからの便り 2022年6月10日(金)



No.3717 宇宙の天秤_A Balance of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1592, Going on a Trip

I’m going on a trip to Einthoven and Kaunas from today.

I look forward to fortuitous encounters during the trip.

Groningen; 09:36, 6/10/2022


No.1593, The Essence of Travel

Time during a travel gives off a special scent.

It also has a special flavor, too.

This is the essence of travel.

On a Train for Eindhoven; 14:27, 6/10/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8587.【アイントホーフェン旅行記】出発の朝

8588.【アイントホーフェン旅行記】出発の朝に見た夢

8589.【アイントホーフェン旅行記】豊かな香りを放つ旅の始まり

8590.【アイントホーフェン旅行記】自動化・画一化された現代の時間


8587.【アイントホーフェン旅行記】出発の朝


時刻は午前7時半を迎えた。今、小鳥たちが鳴き声を上げ、朝の世界を祝福している。今日から旅が始まり、小鳥たちはそれも祝福してくれているかのようだ。アイントホーフェンに向けて出発する今日は、今のところ予定している出発の時間あたりに小雨が降るかもしれないという予報が出ている。最寄り駅まで歩けばあとは雨に濡れるような場所を歩かないので、雨が降ってもさほど問題はないが、できれば雨が降らないで欲しいと思う。今日から3泊4日でアイントホーフェンに滞在するのだが、その際には中央駅と空港に近いHotel NH Collection Eindhoven Centreという場所に宿泊する。アイントホーフェンの近くにあるデンボスの本格的な観光は明日からにしようと思っているので、今日はゆっくりとアイントホーフェンに向かえばいい。アイントホーフェンの方では小雨が降ることもなく、天気が良いそうだ。幸いにも滞在中は全ての日に晴れマークが付いているので、観光がとてもしやすいことを嬉しく思う。今列車の路線を調べてみたところ、午後1時に自宅を出発すれば、午後4時頃にアイントホーフェンに到着できる経路を見つけることができたので、それで行こうと思う。当初は、ルーワーデンを経由しなければいけないかと思っていたが、そうではなく、3時間ほどでアイントホーフェンに入れる経路があったので、その列車を活用する。フローニンゲン中央駅からまずはユトレヒトに行き、ユトレヒトで乗り換えてアイントホーフェンに行く経路なので、事前に調べていたものよりも乗り換え回数が1回ほど少なくて快適である。午後4時過ぎにホテルのチェックインをしたら、荷物を置いて、近くのオーガニックスーパーに買い物に出かけて夕食と朝食を購入しようと思う。 明日はアイントホーフェン観光として、ファン·アベ美術館にまずは行き、その足でフィリップス博物館に行ってみようと思う。特にファン・アッベ美術館を楽しみにしていたので、こちらの美術館に長く滞在することになるだろう。日曜日はデンボスに足を運んで、ヒエロニムス·ボス美術館や北ブラバント美術館に行く予定である。


さて、自宅を出発するのが午後1時なので、午前中は普段と同じように過ごしたいと思う。もちろんまだ荷造りをしていないので、午前中にさっと荷造りをし、また部屋全体に掃除機をかけておこうと思う。今回の旅ではどのような出会いがあるだろうか。昨日旅のセミナーをしたこともあり、旅に向けての期待が高まる。こうした気分にさせてくれることもまた旅の良さだろうか。できればこうしたワクワク感を絶えず毎日感じたいものだ。フローニンゲン:2022/6/10(金)07:47


8588.【アイントホーフェン旅行記】出発の朝に見た夢


時刻はゆっくりと午前8時に近づいている。旅に向けた出発の朝である今朝方は、いくつかの夢を見ていた。それらを早速振り返っておきたい。夢の中で私は、ゼミの友人たちとどこかの旅館に宿泊し、勉強合宿をしていた。その旅館は郊外にあって、周りは森もあってとても落ち着いていた。ちょうどその日は私の誕生日で、ゼミの友人は前年の誕生日は盛大にお祝いをしてくれたので、今年もそれがあるのかなと少し期待していた。ところが蓋を開けてみると、祝福は一切なく、みんな自分の誕生日を忘れているかのようだった。なので自分の部屋で1人でゆっくりしておこうと思ったところ、携帯に何通か電話があった。それらは全て、ゼミの中で一番仲の良かった友人からであり、どうやら実際にはみんな自分の誕生日を忘れていたのではなく、サプライズでお祝いをしてくれようとしていたのだと気づいた。彼からの電話に出ることはできず、その日は結局何もしないまま自室で過ごし、早々と眠ってしまった。翌朝、朝食の席で、友人が何回も電話をした件について話を持ちかけてきた。自分が電話に出なかったことを彼は別に起こっておらず、ただ心配だったそうだ。昨日の電話は、サプライズでのお祝いがあるということを伝えようとしたものではなく、旅館の食堂のおばさんが面白いゲームを持っていて、それを一緒にやろうという誘いだったことを知った。彼曰くそのゲームは、のめり込むほどに面白いとのことだった。だけど、1時間ほどしかゲームができないという条件があるとも教えてくれた。彼がそこまで勧めるゲームなので、ぜひ後ほど食堂のおばさんのところに行き、そのゲームをやらせてもらおうということになった。すると気がつけば、私は見慣れない教室にいた。そこには人がほとんどおらず、座っている席からふと後ろを振り向くと、そこにゼミの男性友達が1人、女性友達が2人座っていた。男性友達の方はアメリカの名門大学院に留学し、MBAを取得していて、彼の顔を見たときに、1つ思い出すことがあった。自分もまた来年に再度アメリカの大学院に行くことを3人に伝え、その際に、先日受けたスピーキングの問題の回答の中で、男性友達の彼が英語の発話能力を上げるためにしていた努力とその苦労のエピソードを話させてもらったことを伝えた。彼は少し照れ臭そうにしていたが、彼の具体的なエピソードを取り上げたので、とても話やすく助かったことを伝えた。そこからは少し話題を変え、引き続き雑談を楽しんだ。


この夢以外にも、高校時代のクラスメートの女性友達が現れた夢もあった。場面は教室で、彼女が横に座っていた。私たちの手元には絵本のようなテキストがあり、そのテキストのそれぞれのページには絵が描かれていて、絵の中に数字が隠されているとのことだった。その数字を発見する遊びを彼女としていた。後ろの席にもちらほらと生徒がいて、彼らも同じテキストを持って同じ遊びに取り組んでいた。いざその遊びを始めると、彼女は高速でページをめくっていき、次々と数字を発見していった。一方の私は、要領を掴むのがなかなか難しく、苦戦しながら数字を見つけていった。彼女は早々と全てのページの数字を見つけ終え、苦戦している私を助けてくれた。途中でどうしても数字が見つけられないものがあり、彼女曰く、それは目をどこかに固定して、そこを消失点として、その点を中心にして視界をぼやかせることがポイントだと教えてくれた。それを試してみたところ、凝視していては見えなかった数字がパッと浮き上がってきたので驚いた。コツを教えてくれた彼女に感謝し、そこからはまた自力で取り組んでみようと思った。そのような夢を今朝方見ていた。特に後者の夢については、ひょっとしたら視点を一度固定させながらも、その視点に囚われるのではなく、全体を眺めるために視点そのものを溶解させていくことの大切さを暗示しているかのように思われた。今日から始まる旅においても、様々な視点を取得していくだろうが、それらに囚われることなく、視点を超えていくことができれば、これまで見えてこなかった何かがパッと浮かび上がってくるかもしれない。そうした体験との出会いもまた旅の楽しみの1つである。フローニンゲン:2022/6/10(金)08:10


8589.【アイントホーフェン旅行記】豊かな香りを放つ旅の始まり


たった今、ユトレヒト行きの列車に乗り込んだ。どういうわけか、フローニンゲン北駅のチケットマシーンがうまく機能せず、フローニンゲン中央駅でチケットを購入して、今、ユトレヒトの行きの列車の出発を待っている。あと1分後に列車は出発する。今回の旅は、まずはオランダ国内の移動であるからか、旅に向かう気分が少し違う。さらには、出発が正午過ぎであることも影響しているように思う。フローニンゲン北駅はいつも落ち着いていて、列車を待っている人たちの表情も穏やかである。駅周辺も雰囲気が良く、耳を澄ませば小鳥たちの鳴き声が聞こえてくることがよくある。今日は、ちょうど近くの教会が時刻を知らせる鐘を鳴らしていて、その音色に耳を傾けていた。幸いにも、自宅を出発する時に小雨は降っておらず、傘を差さずして駅まで来れた。自宅を早めに出発した際に、偶然オーナーのフレディさんと鉢合わせ、今日からの8日間の旅について言及した。その時に、フレディさんにチュルリョーニスについて紹介したところ、フレディさんはこの芸術家のことを知らないようだった。その代わりにフレディさんからある1人の芸術家の名前を教えてもらい、私はその芸術家の名前を知らなかったので、後ほどアイントホーフェンのホテルに到着したら調べてみようと思う。ひょんなことからフレディさんに教えてもらったその芸術家が、自分の人生をまた新たな方向に導いてくれるかもしれないのだ。そのような偶然の出会いを大切にしたい。


つい今し方、列車はフローニンゲン中央駅を出発した。いつも国外旅行に行く際には、デン·ハーグ行きの列車に乗ってアムステルダム国際空港に行くのだが、今日はプラットホームが異なるロッテルダム行きの列車に乗った。ただし、途中まではどちらの列車も同じ街を通過していくので、その分岐点まではいつもの景色を眺めることになるだろうか。ふと窓の外を見ると、もうすでに牧場が広がっていて、牧場で牛や馬たちが美味しそうに草を食べている。その光景はいつも心を和ませる。遠くの牧場には羊たちの姿が見える。今日のこの時間帯の列車は全く混んでおらず、一等車両は随分と空いていて快適である。列車の中でみんな思い思いに自分の時間を過ごしている。その様子がとても好ましく映る。ちょうど今、時間について言及したが、今回の旅は珍しく、書籍を3冊ほど持参した。それら全てがドイツの現代思想家のビョンチョル·ハンの書籍だ。その中の一冊がまさに時間を扱っていて、“The Scent of Time”というものだ。日本語に翻訳すれば、『時の香り』とでもなるだろうか。先ほどフローニンゲン駅のプラットホームで列車を待っている最中に初読を始めたので、“scent”に関しては他に良い訳語があるかもしれない。これから本書を読み進める中で、タイトルの意味の解読と時間についてゆっくり考察したいと思う。豊かな香りを放つ旅が今始まった。ユトレヒトに向かう列車の中:2022/6/10(金)13:26


8590.【アイントホーフェン旅行記】自動化・画一化された現代の時間


列車は順調にユトレヒトに向かっている。ビョンチョル·ハンの時間論に関する書籍は、旅という非日常的な時間をもたらす事柄の中で読み解くことによって、時間に関する自分の考え方を新たな方法と方向で深めてくれる。現代の時間は、自動化の流れによって、ますます画一化されてしまい、事物と時間の結びつきが極度に崩壊してしまっている点に問題の1つを見出せる。例えば、本来は季節の運行によって時間を計ったり、植物の生育のプロセスによって時間を計っていたりしたところから、現代人は具体的な事物と時間を結びつける習慣を剥奪されてしまい、それぞれの事物に固有の時間を感じる機会が喪失されてしまっている。そうなってくると、今ここを生きよという伝統的宗教の説く教えなども、ほぼほぼその意味を持たなくなってしまっているのではないかと思う。そうした教えを聞く個人にとっては、もはや全てが自動化され、画一化された時間の中に生きているので、何が今ここなのかを感覚として捉えることができなくなっているのではないだろうか。頻繁に耳にすることとしては、今ここを生きる実践をしようと思っても、すぐに今ではないどこかに意識が向かってしまうということを聞く。そうした人たちは往々にして、将来に対する絵も言わぬ捉え所の無い不安を感じていて、不安に縁取られた未来に意識がすぐに向かってしまう。あるいは逆に、過去の否定的な経験に基づく後悔などの方向に意識が向かってしまう。そう考えてみると、現代人にとっての今ここというのはもはや、そうした不安や後悔に彩られた未来か過去か、はたまた固有の時間感覚が剥奪された標準化された味気のない今という時間なのかもしれない。とりわけ後者の時間に身を置いている時には今ここということを意識しない。その時間を生きている時に人は、自らの自己搾取的プロジェクトの達成に向けて邁進しているため、今ここを感じる余裕などない。そこでは自らが時間を味わい、時間の中を生きているというよりも、画一化された時間によって酷使されているような状況が見える。ここからハンの書籍を読み進めていく中で、時間についての考えを深めていこう。旅はその最良の機会である。ユトレヒトに向かう列車の中で:2022/6/10(金)13:53

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