No.3711 宇宙の無意識の中_In the Unconsciousness of the Universe
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1587, Self-Help as Self-Exploitation
Self-help in this society does not help us.
Instead, it exploits us.
Self-help in this society is self-exploitation.
It is weird that modern people are willing to exploit and exhaust themselves.
Groningen; 09:21, 6/7/2022
No.1588, True Mindfulness Practice
Mindfulness practice does not mean that we throw ourselves away and become better us.
Rather, it enables us to realize who we are.
Groningen; 09:32, 6/7/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8575. 今朝方の夢
8576. 今朝方の夢の続き
8577. マインドセット、マインドフルネス、セルフヘルプの歪み
8578. 何気ない日常にある愛しさと尊さ
8575. 今朝方の夢
時刻は午前8時を迎えた。早朝に小雨が降っていたが、今はそれは止み、うっすらとした雲のしたに静かな朝の世界が広がっている。雨上がりの木に1羽の小鳥が休みに来ている。天気予報を確認すると、昨日から変化があったようで、今日は雨に見舞われることなく、一日中曇りのようだ。昨日の段階では雨の予報だったので有り難い。今日は午後に、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行くことになっていたので、雨の煩わしさに巻き込まれることはなさそうだ。外に出かける際には雨を避け、自宅にいる時には雨の風情を味わうというのはどうも調子の良いことだが、雨との付き合い方はそのように二枚舌的であることを許してもらおう。メルヴィンの店から帰ってくる際にはスーパーに立ち寄り、旅行前の最後の食料品の買い足しをしようと思う。いつも旅行が近づくと、計算しながら食事をしているが、今回はリンゴが余りそうなので、旅行に持っていこうと思う。そうすれば、旅先の朝食として食べることができるだろう。今回は、アイントホーフェンのホテルでは朝食をつけることをしなかった。カウナスに出発する日の朝が早く、その日には朝食が食べられないだろうから、そうであれば全ての日の朝食もなしにしたのである。なので、アイントホーフェンのホテルでは普段のように、何か果物を食べ、ホテルの備え付けのコーヒーを飲む形で朝食としたい。
いつものように今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、2人の見知らぬ兄弟の喧嘩の仲裁をしていた。彼らは実は人間ではなく、光の化身が宿ったものであり、その喧嘩は壮絶なものがあった。彼らが持っている力は途轍もなく、周りのものを全て破壊するぐらいの力があったのだ。彼ら兄弟は旅館を経営していて、そこは代々経営されてきた歴史のある旅館だった。どうやら旅館の経営方針に関して意見が合わず、喧嘩に発展したらしかった。私は2人の言い分を聞くよりもまず、2人を引き離して場を収めようと思った。それくらいに緊迫していたし、すでに激しい喧嘩が行われていた。彼らの喧嘩は殴り合いというレベルを超えて、自らの光のエネルギーを放出する形で、光と光のぶつかり合いとして行われていた。旅館が壊れてしまうことをむしろ心配したが、彼らの旅館もまた光の産物なのか、とても頑丈で、彼らの喧嘩によって壊れることはなかったので少し安心した。彼らは全力で喧嘩をした後、しばらくすると全てを出し切った解放感からか、喧嘩が収まった。そこで私は2人の間に入り、そこからは話し合いをすることができた。どうやら全力で喧嘩をしたことによって、意見の違いはもはや気にしておらず、2人でうまくやっていけるとのことだった。彼らの言葉に嘘はなく、彼らの表情を見ていると、彼らであればきっとうまくやっていけるだろうと思った。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2022/6/7(火)08:23
8576. 今朝方の夢の続き
今、書斎の窓の外に広がる穏やかな朝の世界を眺めながら、それを味わっている。先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢の続きがまだあるので、それについても振り返っておきたいと思う。夢の中で私は、実際に通っていた中学校のグラウンドにいた。そこで友人たちとサッカーを楽しんでいた。しばらくサッカーを楽しんだ後、友人の1人(HO)が、以前自分が所属していた発達測定の研究機関であるレクティカで働くことになったと述べた。ちょうど今から、レクティカの設立者のセオ·ドーソン博士とZoomで話をすることになっているらしかった。すると、すぐにドーソン博士とZoomが繋がり、友人はドーソン博士と話を始めた。私はドーソン博士とあまりうまく関係を作れずに組織を去ったので、ドーソン博士と話をしたいと思わなかったが、ドーソン博士が自分のことを覚えていてくれ、過去のことは何もなかったかのように笑顔で話しかけてきてくれたので、少し彼女と話をすることにした。すると、過去のことは水に流したのか、ドーソン博士の方からまたレクティカで働かないかと持ちかけてきてくれた。それそのものは有り難い申し出だが、やはり私は組織の中で誰かの下で働くことはできないと思い、丁重にその申し出を断った。すると、ドーソン博士も友人もその場から消えていて、グラウンドでは引き続き友人たちがサッカーをして楽しんでいた。ドーソン博士との今のやり取りはなんだったのだろうと思いながら、気持ちを切り替えるために、友人たちに混じって再びサッカーをすることにした。サッカーを十分楽しんだ後、ある友人(AF)が運動後のお菓子として面白いものを持って来たと述べた。それを食べるためにグラウンドを引き上げ、校舎の方に向かった。私たちは靴箱付近に荷物を置いていたので、そこまで行って、彼が自分のカバンから変わったお菓子を取り出した。それは見たことのないお菓子で、彼の説明が必要だった。彼曰く、これはみたらし団子のような見た目をしているが、熱いお湯に溶かすことによって食べるお菓子なのだそうだ。私がちょうど熱いお湯が入ったポットを持っていたので、コップにお湯を注ぎ、彼から1つその団子のようなお菓子をもらって、お湯に浸してみた。すると色が変わり、形も変形して、団子が柔らかくなったようだった。友人がそろそろ食べてみてよと述べたので、恐る恐る口にしたところ、とても美味だった。その味は形容できないほどに新しい味で、しばらくその味を味わっていた。そこからも夢はしばらく続いていたが、その続きを思い出すことはできない。確か、校舎の中に入って、別の友人が合流し、数人で何か話をしていたのではないかと思う。フローニンゲン:2022/6/7(火)08:45
8577. マインドセット、マインドフルネス、セルフヘルプの歪み
朝の静けさの中で、現代社会の闇を見つめている自分がいる。世間で喧伝されているポジティブなマインドセットというものの中身を精査してみれば、それがいかに自己破壊的かつ自己搾取的な性質を持っているかがわかる。本来、ポジティブなマインドセットは、その人の人生を豊かにするような心の有り様のはずだったが、現在喧伝されているものは、何か成功するため、あるいは何かを達成するために必要なものとして捉えられている。それはまさに「物」であるかのように扱われ、自らの不安を埋め合わせ、虚構の成功を実現するために獲得せねばならない物として追い求められている。結局そのようにして獲得された物としてのマインドセットは、それが物であるがゆえに、より良い物としてのさらなるポジティブなマインドセットの獲得に向かわせるという構造も見え隠れてしている。こうした事柄はマインドセットのみならず、マインドフルネスの実践にも色濃く現れている。本来マインドフルネスは、より良い自分になることを目的としておらず、自分が何者であるかを気づかせてくれるものだった。ところが現代のマインドフルネスの実践は、際限のないより良き自分になるための道具に成り果てている。たたでさえより良い自分を追い求めることに終わりはないのだが、現代の資本主義社会においては、能力主義·実力主義(meritocracy)のもと、絶えずより良き自分に向かって駆り立てられる。現代人はまさに、過労状態に加えて、絶えず自己をより良きものにしていこうとするプロジェクトに参画させられてしまっているのである。現代人の多くは、ハッスルカルチャーの善良な参画者なのである。ここで非常に厄介な問題は、より良き自己に向かっていくということそのものが持つ肯定的な感情である。確かに、劣等感や不安という感情が深層には存在しているはずだが、ハッスルカルチャーに駆り立てられている人間たちは、そうした深層的な感情を対象化することができず、「自分は成長している」「自分はより良い自分に向かっている」という錯覚的な肯定感情に突き動かされているため、鬱や燃え尽き症候群になるまで自分を破壊的·搾取的に駆り立てていくのである。結局のところ、世の中で言われている自己啓発関係の書籍もセミナーも、大概金稼ぎや何かを達成すること、あるいはより良い自分を実現していくことと結びついていて、自己を助けるという意味のでセルフヘルプではなく、自己を搾取するという意味での「セルフエクスプロイテーション」に過ぎないものになっていることに気づく必要があるのではないだろうか。本来セルフヘルプは、自己の囚われから自らを解放することであり、自己救済と合わせて他者の救済や社会の救済に向かわせるものだったはずである。いつから現代のような利己的な形のセルフヘルプになってしまったのだろうか。現代社会への批判的な眼差しが深まる一方である。フローニンゲン:2022/6/7(火)09:59
8578. 何気ない日常にある愛しさと尊さ
時刻は午後4時半を迎えた。かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、先ほど自宅に戻って来た。幸いにも今日は雨に見舞われることなく、曇りがちではあったが、フローニンゲンの街の穏やかな雰囲気を感じながらメルヴィンの店に行って来た。店に到着すると、メルヴィンは見知らぬ男性とソファで寛いでいて、どこか見覚えがあるなと思ったところ、そこにいたのは以前メルヴィンに写真で見せてもらっていた彼の弟のリックだった。リックは元々法律関係の仕事をしていたが、ここ最近クリエイティブな仕事にキャリアチェンジをしたようであり、前々からメルヴィンからリックに関する話を聞いていたので、いつか会ってみたいとずっと思っていた。メルヴィンが述べていたように、リックもまた非常に人格に優れ、興味深い人物であることがフィーリングを通じてすぐにわかった。リックは午後からはのんびりするとのことであり、別れ際に、今度一緒にバスケをしようという話になった。これからフローニンゲンは良い季節になるので、ストリートバスケをするのにはうってつけである。リックとメルヴィンとバスケをすることが楽しみだ。リックと話した後に、メルヴィンにプレゼントとして、ビョンチョル·ハンの“Capitalism and the Death Drive”という書籍を渡した。ハンについてとこの書籍について簡単に紹介すると、メルヴィンは目を輝かせながら自分の話を聞いてくれていた。そもそもこの書籍をメルヴィンにプレゼントしようと思ったのは、メルヴィンの関心に合致し、今後のメルヴィンのライフワークにも通じるものがあったからである。メルヴィンもすぐにそれを察知してくれていたようであり、そこからはいつものように様々な話題について話したが、それらの話の節々でハンの思想と絡めた説明を自分の方から行った。メルヴィンは現在読みかけの書籍があるとのことだったが、ハンの上記の書籍を優先して今夜から読んでみると述べてくれた。次回の散髪の際に、ぜひこの書籍を取り上げて話をしたいねということを述べて別れた。メルヴィンの店を後にし、今日は中央市場がやっている日なので、その前を通って行った。市場が醸し出す独特の賑わいと生活感のある雰囲気が好きで、今日もその雰囲気の中、何かを購入するわけではないが、市場の出店を色々と眺めながら、市場に身を置くことを楽しんでいた。こうした何気ない日常風景の愛しさと尊さを最近よく噛みしめるようになった。日常の中に絶えず潜んでいる幸福を見つける楽しみと、それを味わう楽しみの双方がある。文明批判と文明の治癒と変容は、自分のライフワークになるのだと思うが、馬鹿なことをする人間とそれらの集まりである社会に対して、究極的には愛の眼差しが自分の中に絶えずあるのだと思う。フローニンゲン:2022/6/7(火)16:45
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