No.3707 宇宙の人面_A Human Face of the Universe
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1575, A Sunny Spot
A cat is resting at a sunny spot.
It looks just happy very much.
Its happiness is mine, too.
Groningen; 09:31, 6/4/2022
No.1576, Escape
I don’t know how much I can do that,
But I try to escape the probabilistic tendency of the society as much as possible.
Because my existence is essentially beyond probabilities.
The self is constructed by happenstance.
Groningen; 10:23, 6/4/2022
No.1577, A Philosophical and Theological Poet
The man is a philosophical and theological poet.
His words contain his philosophy and theology, which are totally unique and novel.
His poems contribute to the world by their uniqueness and novelty.
Groningen; 10:44, 6/4/2022
No.1578, Shinto’s Role in this Era
What can Shinto do for the requirements of this civilization?
I’ve been always thinking about it.
Groningen; 11:24, 6/4/2022
No.1579, Shinto as the Origin of the Coordinate Axes
Shinto is the origin of the coordinate axes of my existence.
I can return to it anywhere anytime.
Groningen; 11:50, 6/4/2022
No.1580, No Coincidence
Why have we met each other?
Any coincidence has certain necessity.
Thus, there is no coincidence in this reality.
Groningen; 20:39, 6/4/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8559. 集団的サイコパスと適合的知性の蔓延
8560. 驚愕の夢
8561. 最良の自己表現形式としての詩
8562. 座標軸の原点としての神道/記憶と新自由主義的な社会
8559. 集団的サイコパスと適合的知性の蔓延
時刻は午前6時半を迎えた。今、朝日が燦然と輝いている。ここ数日間は、眩いほどの朝日を書斎から眺めることができている。それだけで幸せな感じがする。朝日に触れている植物たちもうれしそうであり、地面を歩いている猫もきっと嬉しいのだろうと思う。今朝はそよ風があって、生命たちはそよ風に揺られて気持ちよさそうだ。このように、まるで他の生命たちが何をどのように感じているのかを想像できることは重要なことかと思う。まさにそうした能力こそ共感能力というのだろう。ところが、現代社会には、他人の痛みや苦しみがわからない人が増えている。現代人は、集団的サイコパスに患っているかのようだ。ここ最近見ている邦画においても、まるでサイコパスであるかのような人が登場することがよくある。大抵そういう人は権威主義的パーソナリティも併せ持っていて、権威の言うことに従順であり、法律や規則にがんじがらめになって、自らの頭で物事を考えることができない。そうした人たちが年々増えているように思うのは自分だけだろうか。
そのようなことを考えながら、既存の不健全なシステムに巧妙に適合していく知性と、そうしたシステムの構造的な問題を発見し、その解決に向けてアクションを行う知性は全く異質のものであるということを昨夜考えていたことを思い出した。現代社会を覆う病理的なシステムは、人々をそれに適合させる巧妙な仕組みを持っていて、人々の知性はそれを実現する適応的なものになっている。ごく少数、病理的なシステムの問題を見抜いたり、それに適応することに違和感を覚える人がいることは確かであるが、そうした人たちは、システムへの不適合者の烙印を押され、社会から弾かれる傾向にある。この点も上記と同じく、ここ最近見ている映画の中でも取り上げられている隠れたモチーフである。歪なシステムの構造に違和感を持つというのは本来健全なことであり、自然なことのはずだが、現代社会においては、そうした感覚を持つことがまるで異端であるかのように扱われる。そして異端者は、社会から追い出され、諸々の機会や権利を喪失することさえある。この絵図はまるで狂気だが、狂気が正気になっていることがまた脅威である。そのようなことを考えていたのは昨日だった。今日も、現代の文明社会に関する探究を粛々と進めていこう。昨日注文したビョンチョル·ハンの書籍も今日中に届くようなので、明日からそれらの初読をしたいと思う。文明学の探究と創出に向かう自己を自分は強く励ましたいし、その支援を怠ることはない。その自己と一緒に歩みを共にしていく覚悟である。フローニンゲン:2022/6/4(土)06:50
8560. 驚愕の夢
時刻は午前7時を迎えようとしていて、引き続き穏やかな朝の世界が広がっている。朝の静けさの中で、今朝方の夢を振り返っている。今朝方は、1つ興味深くもあり、怖い夢を見ていた。夢の中で私は、両親と一緒に日本のどこかの県の旅館に宿泊していた。その旅館は落ち着いていて、周りの雰囲気も良かった。その日は、旅館から車を走らせて近くの町を観光していた。観光を楽しんだ後に旅館に戻ってくると、まずはゆっくりと温泉に浸かった。温泉から出て3人で話をしているときに、母のスマホから不気味な音が聞こえてきた。誰かが叫んでいるようだったのだ。それは助けを求めるような叫びであり、何事かと思ったところ、母はしまったという表情を浮かべ、スマホをサッと隠した。母のそのような行動を見たときに、母が何か大切なことを隠していると思い、スマホを見せてもらうようにお願いした。横にいた父は黙ってその様子を見ていて、気づかれてしまったものは仕方ないという表情をして、母に合図を送っていた。母はその合図を受けて、私にスマホを見せてくれた。その時に、今から見せる写真や動画の説明を簡単にしてくれた。それらが撮られたのは、私が生まれてからすぐの頃のようだった。当時の自分をとても可愛く思っていた両親は、たくさん写真や動画を撮っていたとのことだった。ところがある日、ある奇怪なことが起こったそうだった。その出来事が収められている写真や動画があるとのことであり、それらをこれまで自分に隠していたと母は述べた。私は母に、これまでそれらを隠していたことを責めたりはせず、むしろそれを隠さずに今話してくれたことに感謝し、感謝の言葉を述べた。すると母は、恐る恐るスマホを渡してくれた。ただし、再度念押しとして、今から見る写真や動画に驚かないで欲しいと言われた。母が相当に怯えているようだったので、ただ事ではないと思いながら、恐る恐るまずは写真を眺めた。すると、なんの変哲もない写真がそこにあり、安心したのと同時に拍子抜けした。それらの写真は、自分が小さい頃に友達と遊んでいるものや誕生会の写真などであった。ところが、次の一枚を見た時に、驚愕してしまった。そこには自分が赤ちゃんの頃の写真が写っているのだが、それはまるで小さなミイラのようだったのだ。だが、写真からでもわかったのは、ちゃんと呼吸をしているようだった。眼はほとんど開いておらず、ミイラのような奇妙な生き物を見たような気がして、少し背筋がゾッとしてしまった。そこから次の写真を見ようと思ったら、次は動画だった。動画の再生ボタンを押した瞬間に、再びミイラのような赤ん坊の自分が映し出された。いや、正確には何か人間とは違う生命体、そう宇宙人の赤ちゃんのような生き物が映し出されていたのである。時刻はどうやら夜のようであり、辺りは真っ暗であった。両親は車の中にて、車内でその動画を撮影しているようだった。宇宙人のような赤ん坊でも両親は愛情を注いでくれているようであり、それが動画から伝わってきた。すると突然、雷のような強烈な光が天から降ってきた。両親は思わず叫び声を上げた。そして父が持つビデオカメラに映し出されていたのは、車の後ろに立っている宇宙人だった。それは一瞬だけしか映されていなかったが、紛れもなく宇宙人がそこにいたのである。宇宙人の姿を見た時、私はもはや言葉を失っていて、驚きと恐怖の混じった感情の渦の中にいた。だが、そこからふと、自分の中の謎が解けたような気がした。自分が発揮している超人的な能力の秘密は、自分が宇宙人だったからだということがわかったのである。自分は、両親と宇宙人の3人から生まれた子供だとわかった時に、何か納得したものがあったが、現実としてそれを受け止めるのはすぐには無理だった。そこから少し沈黙の時間が続き、両親と私は何かお互いに心の整理が必要のようだった。そのような夢を見てハッと目覚めると、目覚めた自分も何か納得しているようだった。同時に、まだ知りたいことがあったので、再度夢の世界に入っていき、それを確かめようとして再び眠りについたのを覚えている。夢の中に現れた宇宙人は、決して両親や私に危害を加えることはなかった。ただし、やはりその外見がとても奇妙で、怖くもあった。夢の中の自分が考えていた通り、自分の中に地球人ではない何かの血が入っているように思うことが成人以降時々ある。生誕の前に宇宙人から血を分けてもらったのか、幼い時に宇宙人に誘拐されてそこで不思議な力を授けてもらったのかわからないが、そうした事柄があってもおかしくはないと思う自分がここにいる。フローニンゲン:2022/6/4(土)07:19
8561. 最良の自己表現形式としての詩
土曜日の朝の世界がゆっくりと散歩を楽しむかのように進行している。その様子は、自分の心をすこぶる穏やかにしてくれる。今朝方見ていた、宇宙人に関する夢の印象がまだ自分の内側に残っている。自分の内側に眠る超人的な力。その源泉は、地球とは違う星にあるのかもしれないし、そもそも物理場を超えて、目には見えない高度な知性圏からもたらされているのかもしれないということを思う。
先ほどふと、来週の金曜日から旅が始まることを有り難く思った。本当に最適なタイミングでそれがやって来たと感じたのである。旅から旅の間には、日々探究活動と創作活動に明け暮れていて、創作活動については旅の最中でも行っているが、書物を読むという意味での探究活動は、旅の期間は少し休憩となる。そのような休息の期間がちょうど必要な頃に次の旅がやって来るのは有り難い限りだ。そのようなことを思いながら、日本語においてはこのように日記の形式で文章を執筆していくことが一番自分に合っている表現形式だと思った。一方英語においては、英文詩の形式が一番自分を表現しやすい方法であると思う。英語においては詩の形式が一番自分にしっくり来るというのは興味深い。もちろん、ここからは再び英語で学術論文や書籍を執筆していくことになるだろうが、それでも一番自分に合った表現形式は詩なのだと思う。それが最も自分の思考や感覚を自由に表現することを可能にしてくれる。詩の形式が持つ魅力と効能についてはより考察を深めていきたいものである。
それでは、引き続きビョンチョル·ハンの書籍の続きを読み進めていきたい。再読がもう時期終わりそうなので、そこからはバーナード·スティグラーの書籍の続きを読む。それでもまだ時間があれば、何か和書を読んで自己の肥やしにしたいと思う。フローニンゲン:2022/6/4(土)10:37
8562. 座標軸の原点としての神道/記憶と新自由主義的な社会
時刻は午後8時を迎えた。今、夕方の穏やかな世界を眺めながらこの日記を書いている。今日もまた読書と創作活動に明け暮れる1日だった。平日も週末も関係なく、日々は自分が取り組みたいと思う事柄に従事する形で進行していく。
午後にふと、自分にとっては神道は座標軸の原点のようなものであると思った。自分はいつでもどこでもその原点に戻ることができるのである。そして、新たな出発が始まる。そこは休息地点でもあり、出発地点でもある。そしておそらく、終着地点でもあるのだろう。自分にとっての原点としての神道の意味をそのように捉えている自分がいた。神道は日本人の文化や伝統に深く関係しているものだが、私たちの文化や伝統は、長期記憶の存在の上に成り立つという側面がある。ところが、注意を搾取し、短期記憶を刺激する形で運営がなされる新自由主義的な社会の中にあっては、文化や伝統が根底から溶解してしまう危険があるのではないかと考えていた。事実、現代においては記憶というものまでもが搾取や改変の対象になっており、それは映画のモチーフになっていたりもする。記憶というのは個人的にも注目しているテーマであり、それがどのようなメカニズムと仕組みによって搾取·改変され、現代人の記憶がどのようなものに変質しているのかを探求していこうと思う。
夕方に買い物に出かけた時に、隣人のサハルの家族と会った。ちょうどサハルのお母さんがインドからやって来ているようで、先日までは家族でフランスにいたそうだった。サハルのお母さんはとても優しそうな方で、以前オーナーのフレディさん夫妻の家でスマホ越しに顔合わせをしていた時と同じく良い印象を受けた。買い物から帰って来ると、昨日注文していた書籍がサハルの自宅に届けられたようで、サハルのお母さんから14冊の書籍を受け取った。これから梱包を解き、ざっと中身を眺めてみようと思う。本格的に初読を始めるのは明日からとし、それは明日以降の最大の楽しみでもある。フローニンゲン:2022/6/4(土)20:15
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