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8351-8356: フローニンゲンからの便り 2022年5月8日(日)



No.3629 朝の抽象_Morning Abstraction


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1499, Invitation from Simplicity

I received invitation from simplicity.

It dissolves all sufferings that derive from complexity.

Groningen; 07:53, 5/8/2022


No.1500, In the Sublime Sun

I’m in the sublime sun.

I united with it and became it.

Groningen; 11:43, 5/8/2022


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本日の3曲


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タイトル一覧

8351. 6月の旅行と7月の旅行について

8352. 今朝方の夢

8353. 意識の純化と夢日記の執筆/今朝方の夢の続き

8354. 朝の至福さに包まれて/新たな経験の場の顕現

8355. 自刻と執筆/夢日記と観照的態度

8356. 詩的世界の中で/6月の旅行に向けた各種予約を完了して


8351. 6月の旅行と7月の旅行について


時刻は午前6時半を迎えた。今、遠くの空に朝日が輝き始めている。今朝方は気温が低く、今日の日中の最高気温も13度までしか上がらないようだが、今日は雲ひとつない快晴に恵まれるようだ。こうした日にはいつものように、日光浴を存分に楽しみたいと思う。太陽の優しい光を浴びながら、読書を楽しむことは1つの習慣になった。


今日もいつもと同じように、創作活動と読書をしながら過ごしていこうと思うが、午後には旅行に向けた各種予約をしておきたい。二転三転して、今回はポーランドのクラクフに行くことをやめ、再びリトアニアに行く。昨日の日記にも書き留めていたように、リトアニアに呼ばれている感覚があるのだ。その感覚に従って、今回はリトアニアの第二の都市カウナスに足を運ぶ。カウナスに行く飛行機の便を探していたところ、アムステルダムのスキポール空港からは良い便がなく、その代わりにアイントホーフェンから直行便が出ていることを知ったのは偶然であった。アイントホーフェンはまだ一度も足を運んだことのないオランダ南部の都市であり、周辺には敬愛するヒエロニムス·ボスの美術館があるデンボスの街もあったので、アイントホーフェンに宿泊することにした。アイントホーフェンに滞在中は色々と動き回るであろうから、ホテルは朝食付きにしようかどうかを考えている。ただし、カウナスに出発する日は朝が早いので、その日はホテルの朝食を摂れなさそうであることを考えると、朝食なしでホテルを予約しておいて、チェックインの際に出発日を除く2日分だけ朝食を付けてもらうようにするのが良いかもしれない。そのようなことを考えている。いずれにせよ、今日の午後の段階で、昨日調べた両都市のホテルと航空券を予約しようと思う。


6月の旅行が終わると、そこからまた1ヶ月も経たないうちに、スウェーデンのヨーテボリに行く旅行がやって来る。これは偶然、協働者の方が息子さんのサッカーの大会でヨーテボリに来られることになり、フローニンゲンからヨーテボリまでは近いので、せっかくなので自分もヨーテボリに行き、そこでお会いさせていただくことになった。7月の旅行はヨーテボリにしか滞在しないため、そのぶん滞在期間を伸ばして、6泊ぐらいしようかと考えている。ヨーテボリ旅行に関する各種予約は、カウナスから帰ってきてからで十分間に合うだろう。フローニンゲン:2022/5/8(日)06:56

8352. 今朝方の夢


今夜の気温は2度まで下がるそうだが、明日からは20度を超えるような日が少しばかり続く。それ以降も15度を超える日が続くとのことであり、フローニンゲンも随分と暖かくなってきた。とは言え、ここからはもうそれほど気温が上がらない形で夏を迎え、夏になってもさほど気温が上がらないのがこの土地の特徴である。この土地においては冬の期間があまりに長いので、夏がどのようなものであるかいつも忘れてしまう。さて、今年の夏はどのような夏になるであろうか。


そのようなことを考えながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、見慣れない海岸沿いを歩いていた。そこの海は穏やかだが、空には雲がかかっていて、少し不穏な雰囲気があった。雨も降ってきそうな気配がしており、晴れやかではない気分で海岸沿いを歩いていた。すると、何かけたたましい音が海の方から聞こえてきて、そちらの方を見ると、小さな船がひっくり返った状態でモーターを動かしながら浅瀬に向かってきていたのである。私はすぐに近くの岩場に登り、その船を眺めた。沈没しかかった船からは、姿は見えないが人が唸っている声が聞こえてきて、乗船している人はまだ生きているらしいことがわかった。その船は、ひっくり返ったままの状態で浅瀬の方に突っ込んでいき、障害物にぶつかって爆発した。その一部始終を眺めていると、自分にはどうしようもなかったことに一瞬絶望感がよぎったが、隣にふと現れた男性の声によって、それは仕方なかったのだと諦めがついた。一応、船に乗っていた人が生きていないかを確認しようと思って岩を降り、浅瀬に向かったところで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、前職時代のオフィスに私はいた。前職時代のボスや上司などを中心に、懐かしいメンバーがそこにいて、私は懸命に働いていた。上司は全員自分に対してとても親切であり、人間関係上の問題はなく、大変働きやすかった。ちょうど昼食の時間になったので、2人の上司と一緒にオフィスを後にすると、オフィスの目の前に、大変お世話になっていたシニアマネジャーの方がいた。その方は、私たちに気づいておらず、転職先の数名の人たちと仲良く話をしていた。その方に声をかけて挨拶をしようと思ったが、話が盛り上がっているように見えたのでは挨拶することはやめ、名残惜しい感覚を持ちながらその場を後にした。


1つ目の夢においては、沈没した船がけたたましい音とともに浅瀬にやって来る際には恐怖感があった。未知なものがやって来る際の恐怖感を感じさせ、それは今の自分がまた新たな未知なものに向かっていく際に無意識の領域で感じていることなのかもしれない。顕在意識の方には一切の恐怖はないが、やはり無意識というのは現状を好むがゆえに、未知のものに対する内在的な恐れが不可避に生じるのだろう。フローニンゲン:2022/5/8(日)07:10


8353. 意識の純化と夢日記の執筆/今朝方の夢の続き


時刻は午前8時半を迎えた。今、小鳥たちが日曜日の穏やかな朝を祝福するかのように鳴き声を上げている。彼らの鳴き声に癒されながら、ここ最近の意識の純化過程について考えていた。


意識の純化は、夢日記の継続的執筆にも多分に影響を受けていることがわかる。むしろ、夢日記がなければそれは実現しなかった可能性すらある。夢日記を執筆すればするほどに、無意識の古層が少しずつ純化している。そこから本質的な治癒と変容が生まれている。無意識の古層には、癒しと変容を司る水源があり、そこから水が少しずつだが確実に滲み出ている。この間の身体が黄金エネルギーに包まれる体験というのは、その水源から霊水が溢れ出たからだろう。


夢日記の効能について思いを寄せていると、今朝方の夢の続きを思い出した。そう言えば夢の中で、土産物屋に入って買い物をしようとしたところ、2枚のクレッジカードがうまく機能しなかった場面があった。確かにアメックスは欧州では受け付けない店も結構あるのだが、マスターカードは拒否された試しがない。店ではまず最初にマスターカードを試してみて、うまく機械に読み取られなかった。その際にはコンタクトレスな形で支払いをしようとしたので、今度はマスターカードを読み取り機に挿入してみたところ、それでもうまくいかなかった。マスターカードが使えない店がアメックスを使えることは基本的にないので、ダメもとでアメックスを機械に読み取らせてみたところ、やはりエラーメッセージが現れてしまった。店の店員も困った表情を浮かべていた。ところが、どうやら試した3回ともうまく機械が読み取っていたらしく、時間差でレシートが出てきた。なので私は、最初にマスターカードで試した2回分の払い戻しをお願いし、無事に払い戻しをしてもらったところで店から出た。


その他にも、温泉に入っていた夢があったのを覚えている。そこには大浴場があり、そこで旧友たちと一緒に会話を楽しみながら風呂に入っていた。風呂から上がった時に、小中学校時代の2人の友人(HY & KS)と一緒に背伸びをした。すると、彼らの身長が見る見るうちに伸びていき、背伸びのストレッチ効果を目の当たりにした。どうやら背伸びによって、背骨の軟骨に隙間が生まれ、それが身長を伸ばすことにつながっているようだった。自分もやってみたところ、幾分身長が伸び、世界を見る視線が少しばかり高くなったのを実感した。最後の夢においては、物理的な視座の高さと精神的な視座の高さの関係性をほのめかしているように思えなくもない。また、精神的な視座を高めるための背伸びと同じ効果をもたらす実践が何かも気になるところである。おそらく自分の日々の行動は、知らず知らずのうちに、精神的な視座を高めるものになっているような気もしている。フローニンゲン:2022/5/8(日)08:45


8354. 朝の至福さに包まれて/新たな経験の場の顕現


朝のこの時間帯は、一段と至福さが増す。朝日の輝きも増し、小鳥たちも引き続き鳴き声を上げていることもまた至福さを高めてくれることに貢献しているが、自分で煎れたコーヒーを飲むことが至福さを一段と高めてくれているのだ。コーヒーミルを使って自分の手でコーヒー豆を挽き、フレンチプレスを用いて味わい深いコーヒーを煎れることは朝の日課である。今、フレンチプレスを通じてコーヒーが濾過されていくのを待っていて、その際に漂うコーヒーの香りは素晴らしい。


ここ最近の内的変容について何度も文章を書くことによって、その足取りを確かめながら、同時にその足取りをより強固なものにしていこうとしている自分がいる。内的変容は、時に爆発的に起こるが、全体としては緩慢なプロセスである。まるで火山が大噴火し、溶岩がゆっくり流れるかのように進行していく。緩やかに流れていく溶岩に着目してみると、そのおかげで山の裾野は拡大していく。自分の内面世界もまた全くそれと同じように、視座と視野を拡張させていく。


ここ最近は、本当に新たに学習·研究領域が開かれ、新たな実践が目の前に現れて来る。神道の研究はその一例であるし、箏の演奏もまたその一例だ。内的変容は、新しい経験の場を顕現させる。というよりも、新たな経験の場が顕現することが内的変容だと言えるかもしれない。こうした新たな経験場が生じることは、ヨーロッパとの接触がなければ実現しなかったであろう。また、ヨーロッパに来る前にアメリカとの接触がなければ実現しなかったであろうことを思う。過去の全ての体験が意味を持った形で堆積され、それが新たな経験の場を生み出している。今、その姿を自分の内側に見出している。ここからも、自分の内側ではまだまだ新たな経験の場が開かれていくだろう。火山の大爆発はまだまだ起こる。先日の内的体験もまたその一例であり、今年と来年にかけて行う集中的な旅は、その呼水になるように思えて来る。大地に根を張りながら、天上世界と繋がり、自分の道をゆっくりと形成していこうと改めて思う次第だ。フローニンゲン:2022/5/8(日)09:27


8355. 自刻と執筆/夢日記と観照的態度


書くことを通じて、自分が刻み出されていく。そして、自分を刻み出していくことを通じて、自己は自我は超越していく。書くことの脱自的かつ超越的な力について改めて考えていると、再び夢日記の執筆に考えが及んだ。夢日記を綴り始めてからというもの、それを愚直に継続させればさせるだけ、夢と現実が非常に近しいものになってきているのを感じる。元々は両者は分離状態にあったように思えるが、それらが夢日記の執筆に応じて徐々に近接し始め、今となっては両者は一体のものになっているとすら感じられる。これは夢と現実の区別がつかない分裂症的なものではなく、夢と現実が交流することによって織り成す豊かな世界体験として自分の内側に現れている。それは自分の内側に現れているだけではなく、自分がすっぽりとそうした世界の中にいることも感じられる。これは不思議な感覚である。普通は夢の中でしか現れないようなビジョンや感覚も、覚醒している現実世界の中で感じられるのだから不思議である。こうしたことが起こり始めたのは、全て夢日記の継続的な執筆という実践のおかげかと思う。


夢日記の際に大切にしていることがあるとすれば、それは夢日記に対してフロイト的な夢分析をしないことである。そのような分析は、今の自分にとってはもはや重要性を持ち得ず、重要なことは、夢を通じて顕現したものを観照するということである。分析と観照の違いをここでは詳しく述べないが、自分の中では明確に差異がある。前者は、単なる知的理解で留まることがほとんどあるのに対し、後者はむしろ知的理解の衝動を限りなく緩め、夢全体をあるがままに受け止めようとする。また、前者は夢を外側から眺めるだけなのに対し、後者は夢を外から眺めたり、時に内側に入って夢そのものを深く味わうことを可能にしてくれる。さらには、夢は不思議な性質を持っていて、分析をしようとすればするほどに、夢はその本質部分を隠す。一方で、観照的態度を持って夢と接してみると、夢はその無限の生成力を遺憾なく発揮し、どんどんと新たなものを生み出す形で夢を紡ぎ出していく。こうしたことからも、自分は分析的な態度ではなく、観照的な態度で夢と接することを望んでいるようなのだ。今夜の夢は、またどんなものを生み出してくれるのかとても楽しみである。フローニンゲン:2022/5/8(日)09:47


8356. 詩的世界の中で/6月の旅行に向けた各種予約を完了して


この世界は一編の巨大な詩そのものである。そのようなことを思わせてくれるのに十分な夕方の世界が広がっている。依然として太陽は空高くに上がっているが、夕方の光は穏やかである。世界全体が詩として輝きを放っている。自分は、こうした巨大な詩に触れながら、常に詩的な情感に浸っていたいという思いがある。これは空想的な現実逃避でもなんでもなく、世界そのものが詩であることがわかってくれば、当然の思いなのかもしれない。現代は、想像性と創造性を人間から奪う方向で進行しているが、なんとしてもその動きには抗いたいものである。


夕方に、6月の旅行の各種予約を終えた。今回、アイントホーフェン空港を初めて使う。フローニンゲン空港は以前利用したことがあり、そこはとても小さな地方空港だった。果たしてアイントホーフェン空港はどうだろう。直感的に、フローニンゲン空港よりも大きいような印象を与える。それは実際に行ってみればわかることだが、こうしたところにも想像力をふと働かせてくれることに旅の力と魅力を見る。まずはアイントホーフェンからカウナスへの往復の航空券を無事に確保した。その後、カウナスの旧市街地近くのホテルを予約し、アイントホーフェンのホテルの予約を完了した。これにて、6月の旅行に向けた各種の予約を終え、準備は整ったと言える。7月の旅行の予約はカウナスから帰ってきてから行い、8月に控えるアイスランドとアイルランドの旅行もまた楽しみである。そこから9月にはスイスのアスコナとドルナッハを訪れる旅が控えている。その後に日本への一時帰国とフランクフルト旅行が控えていて、非常に楽しみな旅で目白押しである。当初の予定通り、今年の年末年始はモナコ共和国でゆっくりしようと思っている。その旅行に関する予約は夏の間にしておこうと思う。


夏に関して言えば、今年の8月を迎えると、オランダ永住権と欧州永住権の資格が得られる。幸いにもフローニンゲン大学で取得した2つ目の修士号が、オランダ語で取得したことになっていて、永住権取得に際してのオランダ語の試験が免除されることになった。これはすでに以前移民局に行った際に、卒業証書を持って職員に確認していたので、間違いないことかと思う。今のところ、来年からはアメリカに戻れればと思っているが、アメリカに渡って10年以内に再び欧州に戻って来ることが予想されるので、このタイミングで欧州永住権を取得してしまおうと思っている。申請に関する手続きもそれほど煩雑ではないようなので、尚更この夏にその手続きを済ませようと思っている。そのような計画がこの夏にある。フローニンゲン:2022/5/8(日)17:16

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