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8242-8249: バルト三国からの便り 2022年4月20日(水)



No.3564 精霊の本質_The Essence of a Spirit


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1457, Morning Serenity

Morning serenity of Vilnius is angelic.

The atmosphere is heavenly peaceful.

Vilnius; 09:55, 4/20/2022

No.1458, A Symbol-Making Creature

All of us might be a symbol-making creature.

We always create a certain symbol and live in a symbol-saturated world.

Vilnius; 09:57, 4/20/2022


No.1459, Invitation from Tunisia

I just received an invitation from Tunisia.

I’ll follow my intuition to visit there someday.

The exotic and bright color world enthralls me.

Mo Museum in Vilnius; 11:46, 4/20/2022


No.1460, Peacock

A peacock is always standing by me in my reality.

It symbolizes transformation and ephemerality.

Mo Museum in Vilnius; 11:51, 4/20/2022


No.1461, This Moment and a Spirit

This moment is always open to heaven.

A spirit is the custodian.

Once we find and respect it, we can enter the heavenly world.

That’s for sure.

Mo Museum in Vilnius; 12:02, 4/20/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8242.【バルト三国旅行記】ミカロユス·チュルリョーニスとの邂逅

8243.【バルト三国旅行記】今朝方の夢

8244.【バルト三国旅行記】今朝方の夢の続き

8245.【バルト三国旅行記】聖者と異端者

8246.【バルト三国旅行記】ふと立ち寄ったギャラリーで

8247.【バルト三国旅行記】ミカロユス・チュルリョーニス記念館を訪れて

8248.【バルト三国旅行記】リトアニアのピアニストRokas Zubovas氏と過ごした時間、そして受け継いだもの

8249.【バルト三国旅行記】第2の都市の魅力/潜在意識の涵養/武芸という言葉


8242.【バルト三国旅行記】ミカロユス·チュルリョーニスとの邂逅


時刻は午前6時を迎えた。この時間帯はもう夜明けを迎え、ヴィリニュスの朝に光が感じられる。今はあまり雲が見えないが、今日もまた午後には小雨が降るようだ。


オランダではもう公共交通機関においてもマスクをつける必要ないのだが、リトアニアでは公共交通機関においてはマスクの着用が義務付けられている。さすがに街中でマスクをしている人は皆無だが、そのあたりにコロナ対策に関する各国の違いを見る。


コロナ対策の一環で、昨日の朝食は自室で摂ることになった。チェックインの際に朝食のメニューを決め、それを自室に届けてもらったのだ。今日も同様かと思って昨日観光から帰ってきた際にホテルの受け付けに行くと、朝食の食器類を下げてくれた女性がそこにいて、笑顔で明日の朝食について話をしてくれた。


私の部屋番号を覚えてくれていて、明日は自室での朝食ではなく、通常通りレストランで摂ることになった。確かに自室で朝食が摂れるというのは便利だが、ビュッフェスタイルであれば好きなものを好きだけ取ることができるので、そちらのスタイルの方が自分の好みであることは確かだ。なので今日の朝食がレストランで摂れるようになって嬉しく思う。朝食の時間は昨日と同じで午前9時頃にしようかと思う、


朝食を摂り終えたら、今日はまず最初に現代美術館(MO Museum)に足を運ぼうと思う。この美術館に行くかどうかは少し迷っていたが、リトアニアの古典的なアートは昨日見たこともあり、リトアニアの現代アーティストたちがどのような感性と問題意識を持っているのかを掴むためにも現代美術館に足を運んでみようと思った。


この美術館については昨日ナショナル·ギャラリー·オブ·アートの帰り道に場所を確認していたこともあり、迷わず行けるだろう。ホテルからは歩いて10分なので非常に近い。


現代美術館を訪れた後に足を運びたいのはミカロユス·チュルリョーニス記念館である。ミカロユス·チュルリョーニス(1875-1911)は昨日偶然知ったリトアニアの芸術家である。


彼は短命であったが、短い生涯の間に約300点の絵画と約200点の楽曲を世に残した。このような画家かつ作曲家がいたのかと嬉しくなり、早速彼のピアノ曲をSpotifyを経由して聴いて見たところ、音色に引き込まれるものがあり、彼のことをもっと知りたくなった。そうしたこともあり、彼の記念館に足を運んでみようと思ったのである。


チュルリョーニスが他の芸術家に与えた影響は大きい。知らなかったのだが、画家としての幻想的な画風はカンディンスキーに影響を与えている。音楽に関して言えば、作家のロマン·ロランや作曲家のオリヴィエ·メシアンにも影響を与えている。


彼の絵画作品に関しては、カウナスにあるリトアニア国立チュルリョーニス美術館に多くの作品が所蔵されているとのことである。


まさかこのような画家かつ作曲家に出会えるとは思って見なかった。旅にはこうした思わぬ邂逅があることが魅力であるとつくづく思う。ヴィリニュス:2022/4/20(水)06:22


8243.【バルト三国旅行記】今朝方の夢


天気予報では今朝方は曇りとのことだったが、今は朝日が差し込んでくるぐらいに晴れ間が広がっている。このような形で午後の天気予報も外れて欲しいと思う。古代人はおそらく特殊な意識状態を通じて雲に対して働きかけることが可能であり、雨を降らせたり、雨を止ませたりすることができたのだと思う。


おそよ現代人の感覚からすると信じられないことだが、古代人が現代人とは全く異なった感覚と能力を持っていたことは考えられることであり、そうであればそうしたことも可能だったのではないかと思う。感覚と能力以外にも、心のあり様についても異なるところがあったのではないだろうか。


おそらく古代人は現代人ほどに自己中心的ではなく、小さな自我に囚われることなく祈りを天に捧げていたように思う。もちろん古代人の中にも自分のために雨乞いをしたり、晴れ乞いをしたりする者もいただろう。だがそうした形での祈りは天に届かなかったはずである。


自己中心的な願いではなく、世のため人のための祈った願いであれば、天はそれを叶えた可能性があるように思える。そのようなことを考えさせてくれる今朝のヴィリニュスの空だ。


今朝方はいくつか夢を見ていたのでそれらについて振り返っておきたい。夢の中で私は、大学時代のゼミのメンバーと一緒にバスケをしていた。バスケットコートがある場所は、リトアニアのヴィリニュスを思わせる街の一角にあった。


バスケットコートの周りは趣があり、コートまでの散歩がとても贅沢な時間であったことを覚えている。コートに到着すると、ゼミのメンバーだけではなく、小中高時代の親友(HO)もいた。そこからチーム分けとなった時、親友の彼は相手チームとなり、相手チームには大学のバスケ部に入っていた身長の高いゼミのメンバーがいた。


3対3で試合をしようと思った矢先に、もう2人ほど見知らぬ男性がやってきて、彼らはゼミのメンバーの誰かと知り合いのようだった。彼らを交えて4対4で試合をしようと思ったら、またしても1人見知らぬ人がコートにやってきた。彼もまたゼミの誰かの知り合いだったので、それであれば3人のチームを3つ作って交代で試合をしていこうということになった。


いざ試合が始まると、私は小中高時代の親友をマークすることにし、試合開始早々からハイプレスをかけ、彼は30秒間身動きをすることができず、攻撃に要する時間を使い果たしてしまい、こちら側のボールとなった。こちらのチームのボールで試合が再開しようとした時に夢の場面が変わった。


バスケつながりでいくと、中学校時代のバスケ部の2学年下の後輩たちと話をしている夢の場面があった。うちの部活には顧問はいたが、先生はバスケについては全く知っておらず、練習メニューは全てキャプテンの自分が決めていく必要があった。


1学年下の後輩たちとはよく練習をしていたが、2学年下になるとあまり面倒を見てあげることができず、彼らには悪いことをしたと思った。ところが、彼らは彼らなりに練習を重ね、最初の新人戦で2連勝し、準決勝まで進んだという話を聞いて嬉しく思った。


失礼ながら彼らは初戦敗退だろうと思っていたので、それは嬉しい驚きだった。これから準決勝があるとのことだったので、応援に行こうと思った。そこで夢の場面が変わった。ヴィリニュス:2022/4/20(水)06:38


8244.【バルト三国旅行記】今朝方の夢の続き


時刻は午前7時を迎えた。先ほどいつもの通り朝の呼吸法と体を目覚めさせるエクササイズを行った。昨夜は2回に分けてジークンドーのトレーニングをしていて、旅先であってもこのようにいつもと同じ習慣を継続することができている。


川面神学にあるように、存在の入れ子の基礎構造である身体を蔑ろにせず、身を通じて神的世界に参入していくこと。そのためには身体の鍛錬が欠かせない。


今、ホテルの自室に取り付けられているネスプレッソを通じてコーヒーを飲んでいる。なかなかに美味のコーヒーであり、この味わい深い濃さは朝の目覚めにちょうどいい。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、もう1つ覚えている夢がある。夢の中で私は、幻想的な円形闘技場にいた。観客は誰1人としておらず、辺りが霧に包まれている雰囲気はなんとも言えない感覚を引き起こした。


闘技場の地面には10人ぐらいの日本人がいた。今から彼らはそこでトレーニングをするようだった。すると、私たちの背後から英語が聞こえてきた。


“Hey, Jap!!(おい、日本人ども!)”という野次が聞こえてきたのである。後ろを振り向くと、屈強そうなアメリカ人男性がこれまた10人ぐらいいて、彼らはどうやら囚人のようだった。


その中でも一際大きな声で私たちを罵倒していたリーダー格のがたいのいい男性の体には、タトゥーが随所に刻まれていて、見るからに怖そうな人であった。しかし、大抵そうしたよく吠える人に限って気が弱かったりするので、仮に彼らが襲ってきたら、真っ先に私はそのリーダー格の男性を潰しにかかろうと思った。


すると案の定、その男性はこちらに勢いよく向かって来た。私は「来たな」と思い、ジークンドーの構えを取って、撃退してやろうと思った。ところが、彼は私の方に向かってきたのではなく、太った日本人男性を標的に向かってきたのであった。


その太った男性は学生時代にラグビーをやっていたそうであり、そこから相撲取りになったとのことだった。今はもう相撲界を離れているのだが、依然として力士のような体格をしていた彼だけが狙われる形となった。


私は彼を救おうと思って、そのアメリカ人の強面の男性の気を逸らそうとした。するとそれがうまくいき、気がつけばアメリカ人たちは全員どこかに消えていた。すると闘技場の地面に自転車の駐車場が現れた。同時に、私たちは何か財宝を入手したようであった。


その財宝を持って帰るのは何か悪いことのように思えたので、私たちは闘技場の思い思いの場所に財宝を隠すことにした。私は駐車場の屋根に登って、屋根の中に財宝を隠すことにした。今朝方はそのような夢も見ていた。


ヴィリニュスに滞在中の夢は、どことなしかフローニンゲンで見ている夢とは感覚的に異なる。夢というのもまた場に影響を受けるものなのかもしれない。人間の無意識が場に作用されることを考えれば、それは当然のことなのかもしれないと改めて思い、今いる場を通じて立ち現れる夢を引き続き書き留めていくことを続けることによって、何かまた今気づいていない無意識の特性やパターンに気づけることができるような気がしている。ヴィリニュス:2022/4/20(水)07:31


8245.【バルト三国旅行記】聖者と異端者


——聖者はいつの時代も最初、異端者の姿をして現れる——西脇順三郎


穏やかな朝の世界が広がっている。今、ホテルの自室の窓の外にあるリトアニア国旗が風ではためいている。


旅の最中で目にする取り止めもない光景は、何かの拍子に重要な意味を自分に与えてくれたり、新たな発見をもたらしてくれることがある。


ヴィリニュス市内を走るバスの路線表示をする電光掲示板には、リトアニアはウクライナを支援しているという文言が掲示されている。それを見て、旧ソ連から独立を勝ち取ったリトアニアがウクライナの支援に積極的なことが歴史的に良くわかる。ヴィリニュスの街にはウクライナ国旗が掲げてある家や建物が散見され、市民もまたウクライナの支援に積極的なことが窺える。


風が吹き、そこに道ができて、また風が吹く。風は精霊を運んできて、道と一体となる。


昨日、リトアニアの新旧の首都ケルナヴェとヴィリニュスを結ぶ国際河川であるネリス川沿いを歩いている時にそのようなことを思った。自らの存在は風そのものであり、道そのものである。さらには精霊そのものなのだ。


“spirit”の語源を考えると、人間が風であり精霊であることが見えてくるし、人間が自らの足でこの地上に立つ存在であることを考えると、人間存在が道と同一のものであることも見えてくる。


昨日、ナショナル·ギャラリー·オブ·アートの建物が見えてきた時に、自分は異端者であることを改めて思った。社会的に異端者である自己の存在を思うと、いつも笑みが溢れる。誰しもの中に存在する聖者としての性質を発見し、それを目覚めさせるには、私たちは一度どこかのタイミングで異端者にならなければならないのかもしれない。


西脇順三郎の指定する通り、確かに聖者はどの時代も最初異端者だったのだ。聖者とは自分固有の生命を見つめ、自分固有の霊性に目覚めることを通じて世の中に貢献した人のことを指すのであれば、それらの固有性を発見するためには異端者でなければならないことが見えてくる。


異端であるというのは、1人1人の人間の固有性から考えると、むしろ自然なことなのだと思う。異端であることはむしろ正常であり、異端でないことはむしろ異常なのではないかとさえ思う。


ヴィリニュスで過ごす今日という日も、自らの異端性を涵養する上で非常に重要な役割を果たすだろう。こうした日々の積み重ねが異端者への目覚めを促し、自分の内側に存在する聖者としての性質をゆっくりと成長させてくれる。ヴィリニュス:2022/4/20(水)07:50


8246.【バルト三国旅行記】ふと立ち寄ったギャラリーで


時刻は午後3時を迎えた。先ほど観光からホテルに戻ってきて、いつものように20分ほど仮眠を取った。やはり天気予報の通り午後から小雨が降り始めたが、観光にはそれほど支障がなかったので幸いである。


今日の観光もまた非常に充実しており、ここ最近は連続して幸運な出会いに恵まれている。昨日と同じく何か縁のようなものを感じることが今日もあった。


ホテルの朝食を摂り終えて1曲作曲をした後にホテルを出発し、まずは現代美術館(MO Museum)に向かった。散歩を楽しみながら美術館に向かっていると、ふと足を止める瞬間があった。“Ligoninės”という狭い通りを歩いていると、右手の建物の窓越しに何やら興味深い絵画があることが目に入ったのである。


そこでふと足を止め、通りの外から中を覗いてみると、そこがギャラリーであることがわかり、ドアのブザーを鳴らして中に入れてもらった。そこはリトアニアに所縁のある様々な画家の作品を所蔵しているギャラリーで、オーナーと思われるが比較的若い女性が親切に所蔵作品について色々と説明をしてくれた。


地下には展示されていない作品が数多くあり、それらの絵を購入しにくる目利きの人がいるとのことであり、それらの作品についても見せてもらった。それらの作品と合わせて、1階に展示されている作品からインスピレーションを得させてもらった。


このギャラリーを通じて、Pranas Gailius (1928–2015) という画家を知ることができたことは幸いであった。彼の抽象画には惹かれるものがあったので、彼の画集を2冊ほど購入した。それらの画集の説明はリトアニア語だったが、特に問題なく、画集に掲載されている作品からは言語を介さずに伝わってくるものは伝わってくる。


随分と親切に色々と作品を見せてくれたオーナーの女性に感謝をし、ギャラリーを出て、現代美術館に向かった。美術館に到着し、受け付けに行くと、どうやら今は3階が改修中のようであり、2階の展示品しか見られないということでディスカウントでその展示物を見た。


そこで私は改めてロマ人の歴史と風習を目の当たりにすることになった。ロマ人に関しては色々と誤解があるとの説明が書かれていて、その1つにはロマ人はエジプトに起源を持つというものだった。私もそのように思っていたのだが、厳密には彼らの起源はインドにあるらしかった。


また、「ジプシー」というのは彼らの蔑称であり、ロマ人は「ロマ」という言葉に特別な意味を持たせているとのことだった。この美術館では、作品そのものというよりも、美術館の2階にある資料室で、昨日ナショナル·ギャラリー·オブ·アートで出会ったカジミェシュ·スタブロウスキの画集を閲覧することができたことが最大の収穫だった。


その画集のタイトルは、“Kazimieras Stabrauskas: M. K. Ciurlionio Mokytojas”というものであり、リトアニア語と英語の両方で解説がなされている。どこかのタイミングでこの画集を購入したいと思う。ヴィリニュス:2022/4/20(水)15:36


8247.【バルト三国旅行記】ミカロユス・チュルリョーニス記念館を訪れて


時刻は午後4時を迎えようとしている。先ほどまで今日購入した画集などを眺めて楽しんでいた。それらを眺めることは感覚の涵養·滋養をもたらし、それこそが自分にとっての画集を購入して眺める目的のように思える。


今日最大の出会いはミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875-1911)である。現代美術館に足を運んだ後、このリトアニアが誇る偉大な画家かつ作曲家の住んでいた家に向かった。そこは今は記念館になっていて、昨日チュルリョーニスを知って是非とも足を運びたいと思ったのだ。


記念館に到着すると、そこは自動扉などはなく、建物もからも歴史を感じさせ、ブザーを鳴らして扉を開けてもらって中に入った。扉まで出迎えてくれたのは、年配の小柄な女性であり、扉を開けてもらった時に、彼女が片言の英語を話して何かを伝えようとしていたのだが、彼女はあまり英語が得意ではないらしく、すぐには意味がわからなかったが、何やら今、記念館の中でレクチャーが行われているとのことで、静かに館内に入る必要があるとのことだった。


その女性に館内に入れてもらうと、館内閲覧のためのチケットを購入しようと思ったのだが、なんと無料で閲覧できるとのことだった。入り口に寄付箱があったので、帰りに寄付をして帰ろうと思った。


レクチャー中の部屋には途中から入ることができないようだったので、その女性の方に付きっきりでチュルリョーニスについて色々と教えてもらった。彼女の話す英語は確かに片言のものだったが、それでも彼女が何を言っているのかは大体分かった。


館内には、チュルリョーニスの絵画作品や彼に所縁のある人物の古い写真が飾られていて、それらについて色々と説明をしてもらった。そこからは、館内に所蔵されているチュルリョーニスに関する文献を色々と見せてもらった。


私が日本から来たことを伝えると、その方はうれしそうにして、日本語の文献を本棚から持ってきてくれた。それが非売品であったことは非常に残念だが、もしそれが売られていたら確実にその場で購入したと思う。今度日本に一時帰国した時には、それらの文献を購入したい。備忘録がてら、2冊の書籍のタイトルを記しておくと、『リトアニア世紀末の幻想と神秘(1992)』と『チュルリョーニスの時代(2009)』というものだ。


自分がチュルリョーニスの何に惹かれているかというと、かの偉大な作曲家であるモーツァルトと同じく35歳という若さで夭折しながらも、その短い人生の間で命を燃やし、数多くの優れた作品を残したことであった。


チュルリョーニスはロマン·ロランやオリヴィエ·メシアンに影響を与えた優れた曲を数多く残しただけではなく、ワシリー·カンディンスキーにも影響を与えた非常に幻想的な絵画作品もたくさん残している。それらの作品群を通じて、彼の持っていた固有の霊性の輝きに自分は惹かれているのだと思う。チュルリョーニスは日本ではあまり知られていない作曲家かつ画家だと思うが、是非とも多くの人に彼の作品に触れて欲しいと思う。ヴィリニュス:2022/4/20(水)16:15


8248.【バルト三国旅行記】リトアニアのピアニストRokas Zubovas氏と過ごした時間、そして受け継いだもの


午後に観光から戻ってきた帰りに道にスーパーに立ち寄って今夜の夕食を購入したのはよかったが、水を購入するのを忘れてしまっていたので、先ほど軽くジョギングをしてスーパーに行って水を買ってきた。この時間帯はもう小雨が降っておらず、とても過ごしやすい。ラトヴィアに向かう明日は雨が降らないようなので、折り畳み傘はスーツケースの中に仕舞ったままで良さそうだ。


さて、買い物に出かける前にミカロユス·チュルリョーニス記念館に関する日記を書き留めていたように思う。実はそこでの体験は先ほど書き留めたのよりもずっと豊かなものだったので、もう少し加筆をしておきたい。


記念館に訪れた時に行われていたレクチャーが終わったら、奥の部屋にも案内してくれることになっていたので、記念館に通してくれた女性の方としばらく会話をしていた。自分が作曲をすることを彼女に伝えると、そこからはチュルリョーニスの音楽に関する話を色々と聞かせてもらった。


その方がチュルリョーニスの絵画作品と音楽に関する興味深い資料を色々と見せてくれたので、それが購入できるような書店が近くにないかを尋ねた。すると、この記念館の中でもいくつか購入できるものがあるとのことだったので、レクチャーが終わってからそこに案内してもらうことになった。


しばらくすると、ピアノ演奏混じりのそのレクチャーが終わり、ピアノのある部屋と各種文献資料が購入できる場所に案内してもらった。ピアノのある部屋に飾られていたチュルリョーニスの絵画作品がまた見事であり、その作品に目を奪われてしばらく鑑賞させてもらうことにした。


レクチャーが行われている時に、チュルリョーニスのピアノ曲を見事に演奏しているピアニストの方がレクチャーをしていることが部屋の外からわかり、どのような人なのか気になっていた。レクチャーが終わると、先ほどまで案内役を務めてくださっていた女性の方がそのピアニストの男性にリトアニア語で私について説明してくれているのがわかり、そのピアニストの男性は笑顔で握手を求めてきて、そこから話をする機会に恵まれた。


その方は、リトアニアの音楽界では非常に著名なピアニストの方で、名前はRokas Zubovas(1966-)という。Zubovas氏の英語はとても流暢で、以前アメリカの音楽院で教鞭をとっていたことがあるそうだった。


先ほどホテルの自室で調べて初めて知ったのだが、Zubovas氏はなんとチュルリョーニスのひ孫にあたり、彼はチュルリョーニスの曲の演奏とチュルリョーニスの研究に関して、リトアニアでは非常に権威のある方だと知った。


そこからは贅沢にもZubovas氏が自分に付きっきりで、チュルリョーニスの音楽について色々と教えてもらった。文献が購入できる部屋で実際にチュルリョーニスの楽譜を眺めながら、実際のピアニストかつ研究者から色々なことを教えてもらえたのは本当に贅沢だった。


Zubovas氏が権威であることは、手元の全ての楽譜の編集長を担当していることからも分かった。結局、2冊の楽譜集と1冊の立派なハードカバーの画集に加え、チュルリョーニスの絵画作品と音楽作品を架橋させる形で解釈した非常にユニークな学術書“Musical Paintings: Life and Work of M.K. Ciurlionis”も購入した。


こちらの書籍にも、Zubovas氏は冒頭でコメントを寄せている。Zubovas氏はとても親切で気さくな方で、帰り際に、彼が編集を務めた楽譜の1冊にサインとメッセージをもらった。


Zubovas氏は、チュルリョーニスの生涯を描いた伝記的映画の“Letters to Sofija”の作中のピアノ曲演奏を担当している。Zubovas氏が演奏するチュルリョーニスの曲は、Spotifyを経由して聴くことができる。今、まさにそれを聴いているのが、自分の心に響く演奏である。


お勧めは、6枚組のCD “M. K. Čiurlionis. Kūriniai Fortepijonui”だ。このタイトルでSpotifyから検索するか、Rokas Zubovas氏の名前で検索すれば、彼の演奏を聴くことができる。


別れ際にZubovas氏と握手をしっかり交わした。その硬い握手を通じて、曽祖父にチュルリョーニスを持つZubovas氏から、チュルリョーニスがこの世界で放った創造的な力と霊感を受け継いだように感じられた。今日は忘れられない日になるだろう。ヴィリニュス:2022/4/20(水)16:57


8249.【バルト三国旅行記】第2の都市の魅力/潜在意識の涵養/武芸という言葉


時刻は午後7時を迎えた。先ほど夕食を摂り終え、明日のリガへの出発に向けてバスや飛行機の時間を確認しておいた。


明日は時間に余裕があり、午前11時をめどにホテルをチェックアウトしよう。そこから来た時と同じ「夜明けの門」の前のバス停で88番のバスに乗って空港まで移動する。フライトは午後2時のものであるから、早めに空港に到着して空港のラウンジでゆっくりしたいと思う。


今日はミカロユス·チュルリョーニスが実際に生活をしていた家が記念館になった場所を訪れ、そこで彼の絵画作品を実際に見たが、チュルリョーニスの作品はリトアニアの第2の都市であるカウナスの国立チュルリョーニス美術館に多数所蔵されているそうなので、いつか必ずこの美術館に足を運ぼう。


カウナスを含め、スウェーデンのヨーテボリやポーランドのクラクフなど、その国の第2の都市も非常に魅力的だということを感じる。ヨーテボリに関しては今年の7月に足を運ぶ予定であり、クラクフについてはカウナスと合わせてどこかのタイミングで訪れようと思う。


今日は改めて、自らの潜在意識を教育し、涵養していくことについて考えていた。潜在意識を涵養していくことは、自然治癒力を高め、自分の内側に眠っている種々の能力を呼び覚ますことにつながる。


人間の脳にはまだまだ未知な事柄がたくさんあり、かなり多くの開発余地があることを思うと、古代や中世の時代における呪術、妖術、神仙術の類は色眼鏡なしできちんと探究した方がいいと思うようになっている。古代や中世における精神風土と相まって、その時代の人々の感性や意識の有り様などによって、実際にそうした術は現実的なものとして機能していたに違いない。一昨日か昨日あたりに雨乞いの話をしていたが、それもこの話とつながる。


旅行中もジークンドーのトレーニングをホテルの自室で行っているが、そこで改めて、言葉の質感として、「武道」や「武術」よりも「武芸」という言葉の方がしっくりきている自分がいることに気づく。そうした感覚も今後変化するかもしれないが、今のところは自分の感覚に純粋に従い、武芸という言葉を用いて、自分の一側面として武芸者としての自己を認識しておこうと思う。武芸という言葉には、道としての武道と術理としての武術の双方の意味が内包されているように感じるのだ。そんな小さな気づきを得ながら、ヴィリニュスの静かな夕方の世界を味わっている。ヴィリニュス:2022/4/20(水)19:26

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