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8182-8191: フローニンゲンからの便り 2022年4月12日(月)



No.3513 円の飾り_A Flower Ornament


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1423, A Feeling of Deep Fulfillment

I have a feeling of deep fulfillment right now.

It tells that today was wonderful to me.

Tomorrow will be the same.

Groningen; 20:44, 4/11/2022

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8182. 今朝方の夢

8183. 今朝方の夢の続き

8184. 夢のお告げによって出会った「ELSA」という優れた英会話アプリ

8185. ELSAにハマって

8186. 今朝方の夢を改めて振り返って

8187. 太陽の恵みを感じながら

8188. 川面凡児に惹かれる理由の覚え書き

8189. 夢想と観想/宗教体験ないし超越体験の有無

8190. 神学と芸術の現代的な意義

8191. あの世について/マネー神学と経済神学への関心の継続/不動産の国有化について


8182. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。今日からまた新たな週を迎える。


いよいよ来週の今日からバルト三国旅行が始まる。フライトは正午前なので時間に余裕があり、当日の朝はゆっくりできる。午前8時ぐらいに出発すれば空港に10時ぐらいに到着でき、そこからセキュリティーを抜けて、1時間ぐらいラウンジで寛ぐことができるだろう。詳細についてはまた旅行の前日ぐらいにでも詰めておこうと思う。


今朝方はいくつか夢を見ていたので、早速それらについて振り返っておこう。夢の中で私は、アメリカ人の女性英語教師から発音とプレゼンの仕方についてマンツーマンでトレーニングを受けていた。確かに自分はすでに欧米での生活を10年ほど送っているが、このタイミングで今一度、英語のスピーキングやプレゼンに磨きをかけておこうと思ったのである。


その英語教師の女性はとても親切であり、教え方が非常にうまかった。自分でも気がつかないような発音上の癖を指摘してもらえたことは有り難く、それはネイティブによるフィードバックが不可欠だった。いくつか発音上の癖を特定し、それを矯正していくと、もうネイティブスピーカーの域に達することができると先生から言われ、あと少しのところに自分がいることがわかった。


先生は最後に、マンツーマンの指導も何度も行うことができないであろうから、今後気になる発音などがあれば、AIが搭載された発音矯正アプリをダウンロードしてみることを勧めてくれた。そのようなアプリがあるとは知らず、それはAIが発音を認識し、色々と助言をくれる仕組みらしい。


何やら、TOEFLのスピーキングセクションで導入され始めたAIに近しい性能を持っているようだと推測された。先生と別れた後に早速そのアプリをダウンロードして使ってみたところ、思っていた以上に面白いアプリであり、AIが自分が読み上げた単語やセンテンスを採点してくれ、発音に関して矯正の余地のある箇所を色分けして教えてくれ、どのように発音すればいいのかのサンプル音声とポイント解説があり、とても良いアプリだと思った。ここからもしばらくはそれを使って、自分のスピーキングの癖を見つめ直し、発話能力に磨きをかけていき、よりネイティブに近づいていこうと思った。


今朝方はその他にも、前職時代のメンバーの方々と従業員旅行に出かける夢も見ていた。場所は伊勢かどこかだったように思う。自分が神道に関心を持っているので、伊勢は最高の場所だった。


伊勢の街を散歩していると、そこで同期と鉢合わせとなり、彼は私に言伝をして、どこかに消えてしまった。彼はコンビニのある方に向かって消えていき、残された私は、彼の言伝の意味を少し考え、他のメンバーが待つ旅館に戻ることにした。


この夢に関して覚えていることは少ないが、伊勢の雰囲気がとても良かったことが感覚としてまだ内側に残っている。幸いにも自由行動の時間が多く、自分は神道に関する調査を伊勢の街で行っていた。いつか伊勢にまた訪れ、夢の中で行っていたのと同様の調査をするかもしれない。夢は神託であり、それは現実世界での具体的な行動を不思議な力で後押ししてくれる。フローニンゲン:2022/4/11(月)07:29


8183. 今朝方の夢の続き


時刻は午前7時半を迎えた。今、空には雲が覆っているが、雲はこれから晴れていくようであり、今日は天気に恵まれるとの予報だ。天気の良い午後に、ジョギング兼散歩がてら買い物に出かけようと思っている。バルト三国旅行がいよいよ1週間後に迫ってきたので、スーパーで購入する食べ物の量を調整することを意識していこうと思う。


今朝方に見ていた夢にはまだ続きがあるので、それについても書き留めておこう。夢の中で私は、学校の教室の廊下にいた。もう少ししたら授業が始まるので、少し早めに教室に入っておこうと思った。前のドアから教室に入ると、教室の雰囲気はどこか異様だった。


何が異様な雰囲気を作り出しているのかと思ったら、教室の左隅で喧嘩のようなものが行われていた。見ると、とてもがたいの良い不良のような男子生徒がいて、彼は私たちのクラスの生徒ではなく、他のクラスに所属している野球部の問題児だった。


彼が一方的に暴力を振るっている光景が目に飛び込んできて、私がその場に佇んでいると、彼は私のことに気づき、突然こちらに向かってきた。彼の眼光は鋭く、私にも暴力を振るうような勢いがあった。


私はゆっくり移動し、教壇の上に立つと、彼はそこまで詰め寄ってきて、私は黒板に背中を押し付けられる形になった。私は彼を落ち着かせようと話を聞いてみた。すると、彼は少し調子を狂わしたようで、すぐに私に暴力を振るうことをせず、そこから少し会話が可能になった。


彼とのやり取りが数回ほど行われると、それだけでも随分と彼の気持ちは鎮まっているようだった。とは言え、彼は依然として気持ちが高揚しているようであり、会話をしている最中もずっと私を黒板に押さえつけたままだった。そして、私のおでこを払うような仕草をして、先ほどまで暴力を振るっていた相手のところにまた戻ろうとした。


すると、他のクラスメート全員が教室に入ってきて、先生も教室に入ってきた。すると彼はもう暴力を振ることをせず、席に着いた。


先生は教室で喧嘩が行われていたことを察し、その件をクラス全員で取り上げることにした。幸いにも私はおでこを手で払われただけであり、大した怪我はなかったが、彼の爪がおでこに当たったようで、かすり傷のように少しだけ血が出ていた。隣に座っていた女性友達が親切にもティッシュを一枚すぐにくれたので、それで止血した。


すると、後ろに座っていた別の女性友達が、私に話しかけてきた。彼女の言葉は私をハッとさせるものであり、「なんでジークンドーの技を使わなかったの?」というものだった。


あの場で私は確かにジークンドーの技を彼に使うこともできたが、それをしなかったという見方もできれば、それができなかったという見方もあると思った。自分の中では、彼は自分と同じ学校に通っている知り合いでもあり、彼を傷つけたくないという思いがあり、あえてジークンドーの技を使うことは封印したのだと思った。


しかし私は頭の中で、試しにジークンドーの技を使っていたらどうなっていたかをその場で想像した。すると、教室に入って、彼がこちらに向かってきて手を出してきた瞬間にカウンターの攻撃を彼の顎に入れ、そこから肘打ちを彼の頬に入れ、彼の顎と頬の骨が完全に粉砕されてしまうという姿が想像された。


それ以外にも、手を出してきたときにサイドキックで彼の足を止めるかのように打つと、彼の膝は即座に壊れ、彼は立てなくなってしまった。私は、彼が問題児でありながらも野球部で活躍していることを思うと、彼の体を壊すことをあえてしなかったのだと思った。それは賢明の選択だったとやはり思った。フローニンゲン:2022/4/11(月)07:48


8184. 夢のお告げによって出会った「ELSA」という優れた英会話アプリ


時刻は午前10時を迎えた。新たな週を迎えること、そして新たな1日を向けることに対して静かな喜びがある。これは川面凡児の神学思想で言えば、「感謝神学」と形容されるものを体現した生き方を自分が行っていると言えるかもしれない。小鳥たちのさえずりは美しく、朝日は輝きのダンスを踊っている。


今朝方見ていた夢は神託的な意味をやはり持っていた。先ほど書き留めていたように、夢の中でアメリカ人の女性の英語教師にマンツーマンでスピーキングの指導を受け、彼女からAIが搭載されたアプリを勧めてもらった。先ほど、現実世界でそれを調べてみたところ、本当にそのようなアプリがあったので驚いた。


夢の中で試しに使ってみたアプリと瓜二つのものとして、「ElSA」というアプリを発見した。説明書きを読み、すぐにダウンロードしたところ、デザインや機能が大変素晴らしく、ゲーム感覚で1つ1つのコンテンツないしはタスクを楽しむことができる。


このアプリの魅力は幾つもあるが、最大のものとしては当然ながらAIによる発音の分析及びフィードバック機能である。この間TOEFLを受験し、その後に改めて半年後にもう一度TOEFLを受けてみようと思っていて、そこに向けてスピーキングにさらに磨きをかけたいという思いがちょうどあったのだ。


また、そうした短期的な話ではなく、英語は今後一生使っていくであろうから、やはりネイティブと同様の発音にまでさらに磨きをかけていこうと思った次第だ。欧米生活の11年目が始まるこのタイミングで初心に帰ることができて、大変嬉しく思う。


英語の発話能力というのは、他の能力と同じで、意識的な実践を積み重ねていくと共に、他者からのフィードバックが必要である。そうであるにもかかわらず、この10年間において、スピーキングについて何か日々意識的に取り組んでいたかというとそうではなく、確かに一時期集中的に発音記号の音を正しく発音できるように修練したぐらいであり、他者から特別なフィードバックを受ける機会というのもほとんどなかったように思う。


そうしたことから、結局のところ、いつまで経ってもネイティブ並みの発音に至ることはなかったのだと思う。ここで述べているのは、本当にネイティブ並みのレベルを想定していて、ネイティブとほぼ変わらないレベルの発音はすでに体得されているのだが、そこで満足してしまわないようにすることが重要かと思った。


これから再びアメリカに戻って学術研究をしようと思っているし、海外の大学で英語でレクチャーすることもあるだろう。そして、これから一生英語を話して生きていくことを考えると、徹底して発音を見つめ直すのはとても良いことかと思ったのである。


もう1つこのアプリの魅力を挙げるとするならば、初級者向けでなく——もちろん初級者であっても活用できる——、中級者さらには上級者まで使えるものだということだ。自分のようにTOEFLで105点から110点ぐらいにいる者であっても、十分に学びがあり、先ほど使ってみたところ、自分の発音に関する自己発見が多々あった。


また、コンテンツとしてもTOEFLではないが、IELTSの対策のためのコンテンツがあり、それを試してみたところ、自分がこれまであまり使いこなせていないような単語や会話表現を学ぶことができ、とても意味のあるアプリかと思った。


このアプリは非常にお勧めであり、夕食後にはゲーム感覚でこのアプリを使って、スピーキング能力の磨きをかけていこうと思う。それはリスニング能力をさらに洗練させることにもつながるはずだ。フローニンゲン:2022/4/11(月)10:26


8185. ELSAにハマって


時刻は正午に近づいている。夢のお告げに従って、AIを活用した英会話アプリの「ELSA」をダウンロードして早速使ってみたところ、実に面白く、ゲーム感覚でコンテンツに飲めり込んでしまい今に至る。


AIからの細かなフィードバックが大変素晴らしく、自分にとって学びの多いアプリだと実感する。最初無料版で楽しんでいたのだが、コンテンツが限定的なので、早速Proにアップグレードした。


年契約と一生使える契約形態があり、ELSAのコンテンツは日々拡張されているようなので、せっかくなので後者のプランを選択した。ちょうど大きな割引がなされていたので有り難かった。


英語はこれからも一生涯付き合っていく言語であり、英語の発音をネイティブレベルに引き上げるための細かなフィードバックをAIが行ってくれるという面白さもあり、一生使えるプランを選択した。


本当はこのアプリを使うのは、1日の活動を終えた後の夕食後にしようと思っていたが、Pro版を契約していじってみたところ、とても面白くためになるコンテンツが目白押しであり、結局1時間半ほどアプリを使っていた。肯定的な意味で、中毒性のあるアプリかと思う。このアプリはゲームが持つ中毒性を見事に応用した学習上の中毒性を上手く刺激していて、学習の本質にある喜びと楽しさを体現している。


自分のような上級者でも楽しめる英会話アプリと出会えて嬉しく思う。TOEFLに特化したコンテンツはなくても、その代わりにIELTSに特化したコンテンツが充実していて、それはTOEFL対策にもなるのでお勧めである。そのコンテンツで取り上げられるテーマやトピックは、TOEFLでもよく出題されるようなものであり、上級者もためになる内容が多々ある。


先ほどかなりの時間をこのアプリを使って過ごしていたので、今日はそれくらいにして、明日からは夕食後に楽しみながらこのアプリを通じて、発話能力にさらなる磨きをかけていきたいと思う。フローニンゲン:2022/4/11(月)11:59


8186. 今朝方の夢を改めて振り返って


今日は天気に恵まれていて、今は燦然と輝く太陽の光が上空に見える。正午過ぎには陽だまりでしばらく日光浴を楽しんでいた。全身に太陽の光を浴びることによって、心身のエネルギーが増幅されたかのようである。


早朝にいつものように夢を振り返って後、そこから英会話アプリのELSAを用いて学習を楽しんでいた。それに随分と時間を費やしたので、今日はこれから本格的に読書を始める。


先日届けられた経絡に関する書籍を読んだ後に、神道に関する辞書を再読しようと思う。そこから和書の神道関係の書籍に目を通していく形で夕食までの時間を過ごそうと思う。それと今日は天気が良いので、夕方に近所のオーガニックスーパーに足を運ぼうと思う。


そう言えば、今朝方の夢について1つ振り返っていなかった場面があった。夢の中で私は、河辺にいて、そこに作られていた雨除けの下にいた。それは日本原産の何らかの木で作られたことが雰囲気からわかり、懐かしい香りもした。


しばらくその下で休憩をしていると、何やら雨除けの屋根の部分からジリジリとした音が聞こえてきた。私はすぐに、火が雨除けに移ったのだと気づき、すぐに雨除けから離れることにした。すると、それは火によって崩れてしまい、河に沈んでいってしまった。


実は雨除けの下には数人ほど見知らぬ人がいて、自分が真っ先に異変に気づいたのでそれを彼らに伝え、彼らも無事に難を逃れることができた。そこから私たちは、河辺に置いてあった一艘のボートを使って河を下っていくことにした。そのような夢を見ていた。


この夢においても火と水の双方がモチーフになっている。両者は共に神道において重要な意味を持つ性質だ。そして、河を下っていくということもまた重要な意味合いを持っているように思う。


河の流れは穏やかだったことを見ると、それは今の自分が人生という河を平穏に進んでいることを示唆していると解釈できなくもない。一方で、火が象徴することはなんなのだろうか。それは新しい情熱を注ぐ対象が見つかったことと何か関係しているかもしれない。


雨除けに火が飛び移ってきたとき、不思議と身の危険を感じなかった。ただ直感的にそこから離れた方がいいと思っただけであり、それは自分を新たな場所に向かわせてくれるきっかけのような現象だと見なせなくもない。ここ最近関心を持った箏の演奏は、人生の火付け役の役割を果たし、それが夢にこのような形で現れたのかもしれない。フローニンゲン:2022/4/11(月)14:00


8187. 太陽の恵みを感じながら


時刻は午後4時半を迎えた。夕方の太陽の光はまだまだ強く、活力を与えてくれるような太陽の光が燦然と地上に降り注いでいる。先ほどは、その太陽の恩恵を存分に受ける形で買い物に出かけた。


いつも近所のスーパーにはジョギングで行き、帰りは散歩をして楽しんでいる。今日は天気が良かったので、ノーダープラントソン公園にはたくさんの人たちが各々の活動をしながら寛いでいた。


気温は13度ぐらいでそれほど高くはなかったが、雲ひとつない快晴の空だったので、半ズボンで買い物に出かけることにした。明日は午後にジムに出かけようと思っていて、明日は気温が上がるようである。


来週の月曜日のバルト三国旅行に向けて、買い物で購入する食品の量を調節している。旅から帰ってきたらいつものように断食を行う予定なので、冷蔵庫をちょうど空にするような形で旅行に出かけたい。


先ほどふと、「目には見えない(invisible)」という形容詞が即座に「怪しい(dubious)」という形容詞として捉えてしまう現代人の感性の貧困化を思った。霊学研究を進めていけばいくほどに、目には見えない世界への感性が高まるのを実感する一方で、現代人の感性との著しい乖離を感じる日々である。


買い物に出かける前に、神道関係の書籍を随分と読むことができた。手持ちの洋書の神道関係の辞書は、論文執筆の際の注記などの説明において役に立ちそうだと思った。これまでの論文執筆においてはあまり注記を使うことはなく、本文において説明していたが、神道関係で英語の論文を執筆していくとなると、専門用語については注記があった方が分かりやすくなるだろうと思い、今自分が持っている何冊かの辞書的な学術書はその際に力を発揮してくれるのではないかと期待する。


今日は川面凡児に関する書籍を読んでいたわけではないが、改めて川面神学への関心が強まるばかりだ。川面は稜威(みいつ)会という組織を作ったが、黒住教や大本教のように教派神道とみなされるような宗教団体を作らなかった点が自分にとっては興味深い。もちろん、当時の時代の情勢の影響もあるだろうし、そもそも多くの人たちが川面神学の存在を知らなかったり、神学思想を理解できなかったことも影響しているだろう。


そもそも川面の神学思想として、特定の宗教団体を設立しない意思を持っていたことが窺え、そのあたりにも色々と共感することがある。今、改めて神道関係の書籍を再読しており、バルト三国から帰ってきたら、洋書·和書共に神道関係の書籍を買い増ししようと思う。


旺盛な探究がこれからも継続していく。それは河の流れのように止むことを知らない。フローニンゲン:2022/4/11(月)16:45


8188. 川面凡児に惹かれる理由の覚え書き


川面凡児が自分にとって特別な神道家に映るのは、川面がウィルバー的なものを持っているからのように思えてくる。すなわち、理論一辺倒の生粋の理論家でもなく、実践一辺倒の生粋の実践家でもなく、非常に奥深い理論体系と実践体系を提唱した点に自分は川面凡児に惹かれているのだと思う。


今現在、船便で日本からゆっくりとオランダに向かっている川面凡児全集の目次をすでに確認したところ、この全集は川面神学の全貌を掴む上でなくてはならない資料になるだろう。


川面もまたウィルバーと同様に旺盛な執筆者であり、膨大な著作物がある点も共通している。彼らは書くことを通じて、理論体系と実践体系をより精密·堅牢なものにしていったと言えるだろう。


今、神道に関する一般書や学術書を読み進めているが、それは神道に関する基礎的な知識をつけるためであり、専門的な知識は当面は川面神学のものになるだろう。神道を通じて日本史を再度学習することも併せて行っていて、こちらも焦ることなく、ゆっくりと進めていこう。


また、箏への関心の高まりから、神道と雅楽の関係を探究したり、神道芸術に関する英文の資料集ないしは画集を購入し、これらの分野についてもゆっくりと研究を進めていこうと思う。自らが芸術活動に従事していることもあり、神道と音楽および絵画芸術は、非常に関心の高い領域だ。


また川面凡児はシュタイナー的でもある点も関心を引く理由である。シュタイナーは実に幅広い領域に自身の霊性思想を展開していき、神秘家でもありながら地に足の着いた実践者でもあった。川面もまたそうである。


その他に重要なことは、その神道家がどれだけ自らの霊性を開発していたかという点も鍵を握る。その点で言えば、川面の霊性の開発度合い(発達段階)は驚くべきほどであり、彼の言葉にもそれが体現されていることが窺える。


神道研究は、あまりに広い大海のようなものであり、非常に限定したテーマや領域で研究を進めざるを得ない。そうした特性ゆえに、自分の場合は、まずは川面神学から研究の船出を行う。そこから徐々に神道という大海ないしは宇宙を探究していけばいいのである。川面神学の研究は、自分にとって広大無辺な神道研究における重要な羅針盤になるだろう。フローニンゲン:2022/4/11(月)17:10


8189. 夢想と観想/宗教体験ないし超越体験の有無


古来、夢というのは神仏のメッセージを受け取り、神仏との交感を実現するためのものだと考えられていた。夢の世界は神仏のメッセージに溢れ、神仏と共に踊る場だったのだ。


自分自身が夢日記を長く執筆することを通じて、夢が神仏と自分を繋ぐ回路としての役割をますます果たしているように思える。夢を通じて、自己及び深淵世界を認識していく方法を「夢想」とでも表現できるかもしれない。


それとは別に、「観想」の実践があるが、こちらは目の前に広がる現象世界の表面的な側面に囚われることなく、現象世界の背後にあるものを捉えようとする実践だと説明できるだろう。川面神学の言葉で言えば、それは「裏観」と呼ばれるものに対応していると言えるだろう。


引き続き自分は、夢想と観想の実践を日々行っていく。それによって、現実世界の見通しはさらに明るくなり、現象世界の背後にある霊的世界の認識がより磨かれていくであろう。


そのようなことを考えながら、先ほど川面凡児に惹かれる理由に関する覚え書きを書き留めていたことを思い出した。そこで書き留めていなかったこととして、一つ重要なことがある。


決定的に重要なことは、その人がある種の宗教体験あるいは超越体験をしているかどうかという点である。そうした直接体験が無い者の言葉には霊力とでもいうべきものが感じられず、魅力に乏しいのだ。


川面凡児の言葉には非常に強い霊力が感じられる。それは兎にも角にも、彼が超越的な宗教体験を経験しているからに他らないないだろう。このあたりは、言葉が体験に関する嘘をつけないということの証左なのではないかと思う。


その観点で言えば、ケン·ウィルバーやルドルフ·シュタイナーに自分が惹かれたことも同様の理由によると言えるだろう。これは芸術家においても当てはまることだ。自分が心を奪われる作品を残している芸術家は例外なく、宗教体験ないしは超越体験をしていることを伺わせるのだ。


彼らの作品を見聞きすれば、それは瞬時にわかることである。いずれにせよ、自分が関心を持つ人物は皆、何かしらの宗教体験あるいは超越体験を積んでいるということだ。それが彼らの言葉や表現物から滲み出してきて、自分の心、そして魂を魅了するのである。フローニンゲン:2022/4/11(月)17:43


8190. 神学と芸術の現代的な意義


3匹の黒猫が、とても楽しそうに戯れ合っている。夕暮れ時の今、辺りはまた涼しくなり、黒猫たちは尻尾を振って共に遊戯を楽しんでいる。3匹は一旦離れ、今はお互いを少し距離を空けて見つめ合っている。


そう言えば、猫は亡くなった飼い主の魂が見えるかのように、飼い主の死後、どこか虚空を仰ぎ見ることがあると聞く。きっと彼らには人間には見えない何かが見えているのだろう。少なくとも、そうしたものを感知しているのだと思われる。


この世界は極めて複雑で、その予測はいつも当てにならない。これはよく言われることであり、自分もまた社会科学の領域で経済モデルを用いたり、あるいは人間の知性の成長·発達をシミレーションモデルで研究したりしていた。


社会科学の知、そして自然科学の知は確かに重要なのだが、現代はそれらの知を太らせることに一生懸命であり、人間の知が及ばない世界の探究が疎かになっている。社会科学も自然科学も、人間中心主義的な発想が根幹にあり、それが現代の種々の問題の大元にあるように思える。そして、そこに神学探究の現代的な意義を見出す。


神学は人間中心主義的な発想を取らない。あくまでも神の視座を取る。そして、社会科学や自然科学が対象とするようなごくごく一部の合理的な世界ではなく、神学はある種不合理の世界を探究する。そこは人間の理を超えた世界であり、そこは神の理で動いている。


こうした神的な世界、あるいは超越的な世界の理を探究することは、現代の種々の問題に光を照らすことになるのではないかと思う。それが直接的に実現されなくても、必ずや間接的な貢献がああるはずだ。


私たちはこの世界が合理的な理屈ではない形で動いていることを経験上知っているはずである。ところが私たちは、あくまでも合理的な知性を懸命に働かせ、合理を超えた不合理な、あるいは超·合理的な世界について視線を向けようともしない。その結果が現代の閉塞的·自滅的な世界のあり様を導いている。神学的な視座を持っておくことは、合理一辺倒の狭い世界から私たちを救い出し、この世界の真の治癒と変容に向けて力を貸してくれるだろう。


神学のみならず、芸術もまた超越的なあの世を垣間見させてくれることがある。優れた芸術であればあるほどその力は強い。


傑出した芸術はいずれも合理的な説明を寄せ付けず、それが生まれたプロセスもまた非合理的なものである。合理を超えた超·合理的な形で生まれた芸術作品と向き合うこともまた、私たちを合理が蔓延る窮屈な世界から解放させてくれる。自分の中で神学と芸術の新たな意味が紐解かれた瞬間だった。フローニンゲン:2022/4/11(月)19:37


8191. あの世について/マネー神学と経済神学への関心の継続/不動産の国有化について


時刻はゆっくりと午後8時を迎えようとしている。この時間帯はまだ明るく、空は青々としている。スカイブルーに輝く空に、今日一日の感謝の念を伝える。


今日もまたとても充実していた。日々が充実感の数珠繋ぎとして進行していることに感謝以外の何ものものない。充実感という宝珠を授かった自分は、それを絶えずこの世界に返礼していく。それが自分の役割であり、同時にそれが自分の生き方である。


これから川面凡児の霊魂観や死生観の探究を進めていこうと思っているが、あの世に関する自分なりの意味づけが随分と変容し始めていることに気づく。あの世というのはこの世ではない世界のことであり、別に難しく考えなくても、今この瞬間に顕現していない世界はあの世に包摂されているものなのではないかと思う。


また、この世を縛る合理的な世界を超越した世界はまさにあの世と形容できるものであり、それが先ほど執筆した日記の内容と重なってくる。合理を超えた超·合理的な世界をあの世と捉えるのであれば、芸術が描く世界もまたあの世の世界であり、純粋数学や音楽が描く世界もまた等しくあの世である。


先ほど、ロシアとウクライナで起こっている戦争のみならず、過去から現在にかけての全ての戦争は必ず経済的なものと密接に結びついていることを考えていた。その観点でいけば、経済の仕組みと経済思想の変革は急務であり、神道神学の観点からそれらに何か貢献できないかと考える。


このテーマに関する研究と実践をぜひとも推し進めていきたいという思いがあり、川面凡児の神学思想とシュタイナーの社会経済思想を参考にしながら、引き続きマネー神学や経済神学とでも呼べる領域の研究を細々とでも着実に進めていこうと思う。マネー神学や経済神学は、とりわけ昨年熱心に読み進めていたフィリップ·グッドチャイルドの書籍を念入りに読み返していこう。


最後に、川面凡児が不動産の国有化について言及していた点を思い出した。不動産の私有を認めるのではなく、国あるいは天皇にその所有権を認めるような発想が川面にあった。これは当時においては見向きもされない発想であったし、自分も最初その考え方を聞いた時に、その意味や意義がよくわからなかった。


しかし、現代においては土地に宿る目には見えない歴史を含め、土地の神聖さが極端に貧困なものとなり、土地に内在する神性を蔑ろにして競争的な乱開発が進んでいる姿を見ると、川面の考え方は非常に慧眼かと思った。不動産の国有化を実現するのは確かに現実的には難しいだろうが、その発想の背後にある重要な洞察については少なくとも汲み取っておく必要がある。


暗号資産を通じたヴァーチャル空間における土地の所有は、現実世界における単なる土地の所有論理とはまた違った論理で動いているのかもしれず、現代は依然として土地(領土)をめぐって戦争をしているような状態なので、このテーマについては引き続き考えを深めていきたい。フローニンゲン:2022/4/11(月)20:07

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