No.3490 霊的な芽_A Spiritual Bud
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1402, A Golden Chirp
A small bird was singing a song this morning.
Its twitter was shining goldly.
Groningen; 08:50, 4/4/2022
No.1403, May All Beings Be
May all beings be blissful.
May all beings’ divinity be recognized and respected.
Groningen; 09:49, 4/4/2022
No.1404, Theopoetics
The world is theopoetic.
The reality is theopoetic.
I am theopoetic.
Everything is theopoetic.
Groningen; 10:43, 4/4/2022
No.1405, Omnipresent and Omniscient Nature
Nature is omnipresent.
Nature is omniscient.
Nature gives us divine wisdom with which we can know everything.
Groningen; 16:33, 4/4/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
8137. 学びの結合
8138. 今朝方の夢
8139. 神道におけるエコ神学の探究に向けて
8140. 宗教とエコロジーの問題について
8141. 箏の音に癒されて
8137. 学びの結合
時刻は午前7時を迎えた。今朝方は起床した時に小鳥たちの鳴き声が聞こえていて、どういうわけか彼らの鳴き声が黄金色に輝いて聞こえた。それは直感的なものだったが、確かに黄金色の粒が見えるかのような形で彼らの鳴き声が響いていた。今もまだ彼らの鳴き声が辺りに響き渡っている。
今、強い風が吹いていて、そこに雨も混じっている。どうやら雨風の強い状態が正午まで続くようだ。そこからも今日は小雨が降る時間帯が多く、一日中天気が悪い。今週1週間は晴れの日がほとんどなく、天気の悪い日が続くようである。
昨日は読書がとても捗っていた。読書をしながら研究ノートを取ることによって、血肉化される知識が随分と増えたように思う。これまでも似たような試みを何度もしていたが、工夫が足りず、うまく継続することができなかった。しかし今は、論文を執筆するという明確な目標があるし、それを前提として書物からの刺激によって生まれた自分の考えをまとめていくことに大きな喜びと楽しさを感じている。
おそらくは論文を執筆するという目的以上に、後者の感情面の方が重要かと思う。喜びと楽しさを感じているがゆえに、研究ノートはこれからも継続していくことができるだろう。
今日もまた、夕食までの時間は英語の学術書を旺盛に読んでいき、夕食後には休憩がてら神道関係の和書を読むようにしたい。
昨日の読書の中で、昨年探究していたテクノロジーに関する研究が思わぬ形で宗教とエコロジーの探究に結びつきそうで嬉しく思った。実際に、ハーバート·マークーゼの書物を読んでいると、テクノロジーと宗教とエコロジーを架橋させた形で論じてくことが可能かもしれないという嬉しい予感があった。
宗教の観点からだけエコロジーの問題にアプローチすることには限界があり、その限界を補完する意味で、テクノロジーの観点からエコロジーの問題についてアプローチしていくことは有益である。それを行う際に、昨年研究していた事柄が活きてくる。引き続き、テクノロジーの観点からエコロジーの問題を見つめていき、そこに宗教を絡めて議論を構築していこうと思う。
これまで学んできたことは決して無駄ではなかったのだ。思わぬ形で過去の学びが結びついていく。まさに点が有機的かつ自発的に繋ぎ合わさっていく感じがする。それは起こそうと思って起こすようなものではなく、本当に自然に起こるものなのだと思う。その条件があるとするならば、学びを楽しみ、学びに没頭することかもしれない。フローニンゲン:2022/4/4(月)07:10
8138. 今朝方の夢
時刻は午前9時を迎えた。早朝の強い風は収まり、雨も小雨となった。確かにすっきりと晴れた朝は気持ちがいいが、こうした雨模様の朝もまた一興である。
今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、それを振り返ったら今日もまた読書に励みたいと思う。研究ノートを取り始めてから、読書がまた一段と面白いものになってきた。そこには発見の喜びがある。
夢の中で私は、夏の山に登っていた。私は山の神様に会いに行こうと思ってその山に入ったのである。その山には知る人と知る山の神様がいて、神様との対話が必要だと直感的に思った。またそれが可能な自分がここにいると思っていた。
山に入ると、人があまり通っていない道がたくさんあり、そこを通りながら木々から吹き抜けてくる心地良い風を感じていた。しばらく歩くと、目の前に滝が現れた。滝に近寄ると、滝の水しぶきがとても気持ちよく、辺りは清々しいオーラで満ちていた。その爽快感を感じたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、現在アメリカのプロサッカーリーグで活躍しているある日本人選手と話をしていた。その選手は昔日本代表に入っていたこともある選手だ。その選手とトレーニングの質と量について話をしていた。そのバランスをどれくらいにするのかは、その選手もいつも苦労しているとのことだった。
私の方で自分が実践していることをもとに1つ提案をしてみた。すると、その提案はその選手にとって響くものがあったらしく、早速トレーニングに取り入れてみると述べてくれた。今朝方はそのような夢を見ていた。
最初の夢は、ひょっとすると自分の内側にある山岳信仰と関係しているかもしれない。それは修験道的な信仰とも言えるし、神道的な自然に宿る神を大切にする信仰とも言えるかもしれない。いずれにせよ、今朝方の夢はそれほど覚えていることは少なかったが、どこか静かな余韻をもたらすものだった。
夏の山の神様。それは今年の夏に何らかの形で姿を現し、夏の山の神様との交流が実現するかもしれない。フローニンゲン:2022/4/4(月)09:24
8139. 神道におけるエコ神学の探究に向けて
時刻は正午に近づこうとしている。早朝に引き続き小雨が降っていて、また風が強くなってきた。窓を閉めているが、窓の隙間から部屋に冷たい風が流れ込んできているのがわかる。今日は一日中家にいることになりそうだ。
午前中は2冊ほど書籍を読み終えた。いずれもエコロジーと宗教に関する書籍である。ちょうど先ほど3冊目の書籍の初読を始めたところである。
午前中の読書を通じて考えていたことを書き留めておこう。キリスト教神学において、「エコ神学(ecotheology)」という領域があるように、神道神学においてもエコ神学の領域の研究が求められるように思うが、文献の少なさから察するに、現段階においてその要請に十分に応えられていないという印象を受けざるを得ない。
当面は、死生観の探究と合わせて、神道におけるエコ神学の探究をしていこう。数は少ないが、英語の論文を少数見つけているので、まずはそれらを読み、それらの論文で引用されている論文や書籍を読んでいくことにしょう。
如何せんこの領域における文献は少なさそうなので、ある論文から派生させる形で文献を読み進めて行こう。それが最も効率良くこの分野の土地勘を涵養させる方法だろう。
それにしても、神道の研究は随分と閉鎖的だと感じる。日本では優れた研究がなされているにもかかわらず、言語の壁によって——それ以外にも要因はあるだろうが——それらの研究が国外に紹介されていないことは非常に残念である。改めてそこに自分が貢献できることを見出す。ゆっくりとだが着実にこの分野で貢献を積み重ねて行こうと思う。
先ほど読み始めた書籍に加え、今日はもう1冊ほどエコロジーと宗教に関する書籍を読めそうだ。今は、“Routledge Handbook of Religion and Ecology”という書籍を読んでいて、同じくハンドブックシリーズとして定評のあるオックスフォード大学出版の“The Oxford Handbook of Natural Theology”を次に読んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/4/4(月)11:57
8140. 宗教とエコロジーの問題について
時刻は午後3時を迎えようとしている。今日は一日中雨が降っている。そして、気温も低く、家の中にいても寒さを感じる。
地球環境そのものは所与として与えられたものだが、地球環境問題というのは社会的な産物である。それは自然発生的に生じたのではなく、間違いなく人が介入して人間の力が作用して生み出した社会的な産物なのだ。
哲学者のティモシー·モートンが提唱するような自然なきエコロジーという発想は、自然というものが人間の力や認識を超えて存在しているという点において成り立つかもしれないが、地球環境問題を脇に置くようなエコロジー思想は、そうした問題が実際に私たちに突きつけられた社会的産物であるという点において非常に無責任に思える。また、地球環境問題を直視しないエコロジー思想からは何も実践的な処方箋は導かれないだろう。
そのようなことを考えながら、死生観の問題については宗教的なアプローチだけを採用して当面研究ができそうであるが、エコロジーの問題についてはそうもいかない気がした。エコロジーの問題に関する学術書を色々調べていると、もちろん宗教の観点からのアプローチも柔術しており、それらについては主要な学術書の大半を購入した。
昨年においては経済学の観点からエコロジーの問題にアプローチしている学術書を随分と購入していた。その中にはマルクスのエコロジー思想に関するものなどもある。
今日は改めて、エコロジーの問題を取り巻く政治について関心を持ち、政治学的なアプローチでエコロジーの問題を取り上げている学術書をいくつかリストアップした。それらについての書籍も読みながら、改めて昨年購入した経済学的な観点からエコロジー問題を取り上げた書籍を読み返していこう。
また、フランクフルト学派の批判理論をもとにしてエコロジー問題へアプローチしている書籍がないかも調べてみよう。昨日、それに類するハーバート·マークーゼの書籍を読み、随分と洞察を得たので、同種の書籍をさらに読み込んでいきたい。
このように考えてみると、エコロジーの問題に対するアプローチは一筋縄ではいかない。もちろん、死生観についても多様なアプローチができるが、宗教の思想からの研究はわりかし行いやすいように思える。死生観に関する学術書や論文も引き続き調査をしていき、またどこかのタイミングで一括注文をして集中的に読み込んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/4/4(月)14:55
8141. 箏の音に癒されて
時刻は午後8時を迎えた。今日は多くの時間帯で雨が降っていたが、夕方頃から雨は止み、今はとても穏やかな雰囲気が辺りに漂っている。明日も小雨が降るようだが、明日はジムに出かけ、帰りにスーパーに立ち寄ってこようと思う。
今日も読書が随分と捗った。夕方には神道に関する書籍と、イスラム教のエコロジー思想に関する分厚い書籍が届けられた。今夜はまだ時間があるのでそちらの書籍を覗いてみようと思う。
昨日決めていたこととして、夕食後は神道に関する和書を読んでいくことを習慣にしようと思っていたが、未読の書籍が残っているうちはその習慣を強制しなくてもいいように思う。むしろ、読みたいものを読むというのが一番であり、それが最も吸収力が高く、学びが多いのだ。
今のところ洋書を読んでいる時に研究ノートをつけているが、神道に関する和書を読む際にも同じことをしてもいいかと思う。ただし、同じ研究ノートに英語で要約しておくことが重要であり、日本語ではその研究ノートはつけない。自分にとって学術研究で用いる主言語はやはり英語なのだ。
これからは、自分の関心テーマである神道の死生観やエコロジー思想に焦点を当てて研究ノートにまとめていこうと思う。また、中世の神道全般や、注目している特定の神道家に関する事柄も積極的に研究ノートにまとめていこうと思う。
それらの文献はやはり和書が充実しているので、和書で書かれている内容を咀嚼し、それを英語でまとめていく。それは単に書籍の要約ではなく、そこに自分の考えを付け加えていくことが重要である。確かに要約そのものにも自分に固有の関心事項や問題意識が現れているが、そこに自分の考えを付け加えてこそ自分なりの貢献を実感できる。
夕方にふと、自分が癒されることもあって、今日からピアノの音ではなく、しばらく箏(こと:常用漢字で「琴」)の音を使って作曲していくことにした。ピアノ曲として作った曲を箏の音に変えてみたところ、雅楽的な響きがなんとも言えず自分の魂を癒してくれた。
雅楽的な音を求めている自分にとって、箏の音は素晴らしい。箏は、奈良時代に唐から伝わったらしく、 平安時代には貴族の楽器として使われていたという歴史がある。そうした歴史の重みを感じさせてくれるのも箏の音の良さかと思う。フローニンゲン:2022/4/4(月)20:09
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