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8133-8136: フローニンゲンからの便り 2022年4月4日(日)



No.3481 光の万華鏡の断面_A Cross Section of a Kaleidoscope of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1400, A Concentric Circle

Everything emerges and expands in a concentric way.

This world is a gigantic concentric circle.

Groningen; 09:46, 4/3/2022


No.1401, Deification and Theosis

Everything is the deification of God.

Everything follows the transformative process of theosis.

Groningen; 14:38, 4/3/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8133. 文章の棲み分け/研究ノートの作成

8134. 今朝方の夢

8135. 仏性と神性に関する問題

8136. 研究ノートの効能を実感して


8133. 文章の棲み分け/研究ノートの作成


時刻は午前8時を迎えた。先ほど、突然あられが降ってきた。家の屋根や家の前の車庫にあられが弾けるように降ってきて、その音は小さなドラムのようであった。


今日も朝から冷えていて、今の気温は1度だ。部屋に自動的に入るヒーターには依然として世話になっていて、今背中や腰を温めている湯たんぽも依然として大活躍である。


天気予報を確認すると、もうしばらく寒い日が続くようである。2週間後のバルト三国旅行の際にはまた少し暖かくなっていることを期待する。


昨夜、改めて自分の中での文章執筆について考えていた。これからも日本語で日記を執筆し続けていくが、英語で積極的に学術論文や学術書を執筆していくことも明確な意思としてある。単純に言えば、文章に関してそのような棲み分けがなされていくように思う。


今のところ英語で日記を書くつもりはなく、また日本語で学術論文や学術書を執筆する気もない。どちらもそれ相応の鍛錬を受けていないのだ。逆に言えば、日本語は長らく日記を執筆し続け、英語を用いて学術論文を執筆してきたという蓄積された経験があるゆえに、それらの能力が自然と高まっていた。


一般書については日本語で書くことがあってもいいかもしれない。これまで出版してきた書物はどれも一般書であり、一般書を執筆する経験と能力なら多少ありそうだ。


昨日から、また1つ新たな試みを始めた。将来の英語での論文の執筆に向けて、洋書を読んでいる際に読書ノート兼研究ノートをワードファイルでつけることにした。和書を読む際いも、それが英語の論文の引用に耐えうる学術書であれば同じように英語で読書ノート兼研究ノートをつけてみるのもいいかもしれないと思った。


最初から論文の執筆を見越して、APAスタイルでノートをつけていくことにしたのである。書籍の著者名とタイトル、そして出版社をAPAスタイルで書き留め、そこからは読書の中で興味深いと思った箇所をそのまま引用したり、そこに自分の考えを付け加えたりする形で、今後論文を執筆する際の材料を今から蓄えていくのに最適かと思った。


とても地味な実践だが、これを毎日少しずつ愚直に続けていけば、大きな実りがあるように思う。論文の執筆に困ることはなくなってくるかもしれない。


このワードファイルを開けば無数の書籍に対するノートが現れ、それらを組み合わせれば無限に論文を書いてくことができるかもしれないという期待がある。そうした収穫に向けて、今は種まきを楽しみながら懸命に行っておこう。いつかそれが無限の実りをもたらしてくれるだろう。フローニンゲン:2022/4/3(日)08:28


8134. 今朝方の夢


時刻は午前8時半を迎えた。小鳥たちの澄み渡る鳴き声が聞こえてきて、癒しを得ている。


空には先ほどあられを降らせたと思われるような雲が所々があるが、晴れ間も見える。今日もまた創作活動と読書に励みたい。読書においては、昨日からつけ始めた研究ノートを充実させて行こう。


研究ノートをつけていく過程で、自分のライティング能力はさらに向上するだろう。また文章を頭の中で生成してそれを外部化することによって、スピーキング能力の向上にも影響を与えているはずである。研究ノートは副産物的にそうした英語運搬能力も高めてくれるだろう。


今朝方は2つほど夢を見ていた。夢の中で私は、イギリスのオックスフォード大学を思わせる大学内の敷地の中にいた。厳密には、大きな芝生の中にある大学宿舎で生活をしていたのである。


時刻はちょうど朝であり、朝日が昇る時間帯だった。私の部屋は宿舎の1階にあって、とても広々としていて綺麗な部屋だった。ベッドは窓際にあって、朝日が差し込むと、ベッドに降り注ぐようになっていた。その恩恵を受ける形で、私は優しい朝日に撫でられるようにして目覚めた。


窓の外の芝生をぼんやり眺めていると、小さなリスが地面を楽しげに飛び跳ねながら歩いていた。その姿はとても可愛らしく、大きな癒しを得た。


そこで夢の場面が変わり、次の夢の場面では、私は以前協働していた知人の女性の方と見知らぬ女性と一緒に話をしていた。話の内容は旅行に関する話であり、ちょうど知人の方が今度中国に行くことになっていたので、中国について話が盛り上がった。


中国の飛行機や列車事情について私はあまり知らなく、イメージとしてまだ未発達なのかなと思いつつ、同時にそれらのインフラが発達している場所もありそうだなと想像していた。3人で中国の話をしていると、気がつけば私は中国のある街にいた。そこは大都市とまではいかないが、中規模の都市であり、結構な数の人がいた。突然ではあったが、せっかく中国に来たので、その街を散策することを楽しもうと思った。そこで夢から覚めた。


実際のところは、今日はその他にも夢を見ていたように思う。上記2つの夢は、いずれも落ち着いている雰囲気だったが、その他に見ていた夢にはスリリングなものもあったように思う。その夢の情景を思い出すことはできないが、感覚としてまだその夢の感覚質が残っている。それを手がかりに、また何か思い出すことができたら書き留めておこう。フローニンゲン:2022/4/3(日)08:42


8135. 仏性と神性に関する問題


日曜日の朝は静かで穏やかである。優しい朝日が書斎の窓から差し込んでいる。


全ての存在に仏性を認める発想と、全ての存在に神性を認める神道的な発想について先ほど考えていた。そうした発想を採用するのであれば、今ロシアとウクライナで起こっている戦争にも仏性や神性があると言えるのだろうか。また、原発や資本主義(ここでは歪んだ資本主義を想定している)などにも仏性や神性を認めることができるのだろうか。


おそらくそれは仏性や神性の定義によって回答が変わりうるかもしれないが、仮に仏性や神性というものを、それを生成した働きやそれを在らしめている働きのようなものだと定義すると、戦争や原発、そして資本主義にも仏性や神性があると言えるかもしれない。


しかしながら、道元が述べている「仏性非善不善」の発想を採用すれば、戦争や原発、そして資本主義に宿っている仏性や神性が善きものであるかの判断はできない。なぜなら、仏性というのは良し悪しの議論を超えたものであるからだ。しかしながら、仏性非善不善の発想を採用して議論を終えることはできない。


重要なことは、戦争、原発、資本主義といった事物そのものと、それらの事物を私たちがどのように生み出しているかや、どのようにそれらを付き合っているかというアクションを峻別することだろう。すなわち、事物に宿っている仏性や神性は善悪を超えたものであると述べて議論を終わりにするのではなく、それらの事物に伴う私たちのアクションを規範的に議論していくことが求められるのではないだろうか。


現在継続しているロシアとウクライナの戦争においても、どちらの国が善でどちらの国が悪だという議論は問題の解決につながらず、重要なことはいずれの国にも仏性や神性を認めながらも、善悪という二分法的な発想を超えて、両者の関係の改善に乗り出していくことだろう。


そのようなことを考えながら、先ほど、オックスフォード大学出版から出版された“Japanese Environmental Philosophy (2017)”を読み終えた。本書の中には非常に短い論文もあり、それらを見ていると、神学大学院に進学した際には、コースワークで課せられる論文を元に、こうした学術書に寄稿できるだけの論文を執筆していくことができそうだというイメージを持つことができた。


コースワークで執筆した論文をより洗練させていけば、こうした学術書にも寄稿できそうだという思いを新たに持ち、研究ノートの執筆にも自ずと良い意味での力が入る。フローニンゲン:2022/4/3(日)10:51

8136. 研究ノートの効能を実感して


時刻は午後3時を迎えた。昨日からつけ始めた研究ノートは思わぬ学習効果をもたらしている。学んだことを書き出していくことによって、その定着率は随分と異なり、書くことによって知識のネットワークが堅牢になるだけではなく、さらに拡張されていくのを実感している。


本日読み終えた2冊の書籍に関して研究ノートを随分と取った。確かにノートを取りながらだと、1冊を読み終えるのに時間がかかるが、ノートを取る一手間はその何倍もの効能をもたらすと実感している。


そもそも自分の場合は、これから再び学術論文を旺盛に執筆していこうと考えているので、その最良の準備になる。


細かな話で言えば、研究ノートは書籍を読んだ順番に番号を振って並べていくのではなく、著者の名前をアルファベット順にして並べている。そちらの方が検索がしやすく、同じ著者の書籍をスクロールして読みやすいのである。


初読、再読、再々読を通じて、どんどんと新しいアイデアを書き足していこうと思う。とにかく毎日少しずつ研究ノートを書き続けていくことが重要である。そのプロセスそのものに喜びと楽しみをすでに見出すことができている。


研究ノートを取っていると、新たな発見や洞察がもたらされ、あるトピックについて新しい考えが芽生えることに無上の喜びと楽しみがある。ここから夕食までの時間まではまだ時間があるので、途中で一度ジークンドーのトレーニングをするが、夕食の準備までは旺盛に読書に励もうと思う。研究ノートの執筆によって、思わぬ形で読書がより実りあるものになっていることを嬉しく思う。


本日読み終えた2冊の書籍は、いずれも宗教とエコロジーに関するものであり、書籍を読みながら、人間を中心として発想する中央集権的な発想から、人間以外の他の生命にも配慮をした非中央集権的な発想をすることがこれまで以上に重要になってきていると感じる。


非中央集権的な発想は、ちょうど暗号資産の領域で見られるように、この発想は少しずつ社会の中で芽生えつつあるように思う。宗教とエコロジーを架橋したここからの自分の研究と実践は、当該領域における人間中心的な発想からの脱却を促し、非中央集権的な発想を集合的に醸成していくことに繋がればと思う。今から行う読書もそこに向けた一歩になるはずだ。フローニンゲン:2022/4/3(日)15:19

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