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8111-8114: フローニンゲンからの便り 2022年3月30日(水)



No.3462 光の扇_A Fan of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1392, A Spiritual Guidance

I’m always receiving a spiritual guidance from somewhere transcendental.

My intuition makes me just follow it.

Groningen; 09:02, 3/30/2022


No.1393, A Magical Wind

A warm wind blows.

The mildness calms me down.

I can fly anywhere on the wind.

Groningen; 15:39, 3/30/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8111. 旅行に関するスキル領域

8112. 霊的象徴主義と今朝方の夢

8113. 未熟な人類/才能を支える無数の屍

8114. ジークンドートレーニング91:集中したトレーニング/今後の旅行について


8111. 旅行に関するスキル領域


時刻は午前7時を迎えた。今、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げているのが聞こえてくる。


天気予報を見ると、今日は1日を通して曇りのようだ。一昨日ぐらいからまた気温が低くなり始めていて、今日の最高気温は7度、最低気温は1度である。明日は最高気温が3度までしか上がらず、雪が降るかもしれないという予報が出ている。季節は一旦冬に逆戻りしたかのようである。


昨日は幸いにも、バルト三国旅行の全ての予約を完了した。旅の計画を立てるのも慣れたものであり、ひょっとしたらそれもまた1つのスキル領域なのかもしれないと思う。確かにそうだ。


旅の計画を立てるためにはいくつもの考慮しない要素があって、それぞれに対して意思決定をしていく必要がある。そもそも要素の抽出と整理に慣れていなかったり、意思決定基準がなければ旅の計画は速やかに行えない。こんなところにも1つのスキルが隠れていたとは驚きである。


出発の日まで3週間を切った。出発の日は、ちょうどロビンさんとのジークンドーのプライベートレッスンの翌日であり、トレーニングを楽しんだ後の旅となるので、旅がまたより充実したものになる予感がしている。


ここから旅に向けては、バルト三国のそれぞれの国の歴史について簡単に調べておこうと思う。もちろん、それぞれの国の歴史がわかるような博物館にも足を運ぶ予定だが、その前に調べられることは調べておきたい。


最初に訪れるのはリトアニアの首都ヴィリニュスであり、ここは町そのものが世界遺産に登録されているそうである。町の美しさから小さなローマと呼ばれているらしい。ヴィリニュスの建造物はゴシック·ルネサンス様式やバロック様式で作られているものが多く、それらを眺めるだけでも美的喜びを楽しむことができるだろう。


今回は、バルト三国を南から北上する形で、リトアニア、ラトヴィア、エストニアと旅をする。どうやら三国は言語的な違いや宗教的な違いもあるらしく、そして経済的にも発展度合いが違うようなので、そのあたりの違いを汲み取ることができたらと思う。そのためには色々と自分で調べてみることと、実際にそこを訪れて色々と体験をしてみることが大切になる。


その双方の姿勢は、およそ全てのことに当てはまる。学術探究においてもどんな実践においても、調査と思索、そして直接体験を積むことが大切であることに変わりはない。それが学びの本質であり、成長·発達の本質なのだ。フローニンゲン:2022/3/30(水)07:31


8112. 霊的象徴主義と今朝方の夢


再び冬の寒さを感じさせるフローニンゲンだが、そうだとしても自分にできることはこれまで通りの生活リズムで自分の取り組みに従事し続けることだけである。


今日は午後からジムに行く予定なので、その前に午前中に部屋の掃除をしておこうと思う。1階と2階の双方に掃除機をかけ、綺麗にしておきたい。部屋の掃除は自分にとって、祓いの儀式でもある。後ほど窓を開けて換気をする予定だが、それもまた祓いの一種である。


昨日、霊的象徴主義的な自分が芽生えていることに気づいた。デジタル絵画を描き終えてみて、ふと最近の作品群を眺めて見たときに、作品がますます霊的象徴的なものになっていることに気づいたのである。


大変興味深いのは、霊的シンボルを描こうと思って描いているわけではなく、筆を取ると勝手に手が進み、まるで霊的シンボルが降りてきているかのようなのだ。自己はそれを受信する器のようなものであり、降りてきたものを表現することに徹している自分がいる。


夢もまた霊的シンボルの産物なのだろう。今朝方はあまり印象に残る夢を見ていなかった。覚えていることがあるとすれば、豆腐の上に辛子を乗せると、その豆腐が動き出し、その作用を利用して豆腐をどこかに運ぶというものだった。


そのメカニズムを見つけたときは驚いたが、それをうまく活用して豆腐をどこかに運ぶことは重要な課題のようだったので、夢の中の私は随分と集中していた。表情も真剣だったように思う。


その他にも、ある見知らぬ人が、誰かにとって理想の物理的環境を提供するにはどうしたらいいかという質問を受けた場面があったのを覚えている。それは例えば、家の内装であったり、カフェの内装であったりと応用範囲が広い質問だ。さらに拡張させれば、町づくりにもつながってくる質問だ。


私はその質問に対して、誰かにとって理想の物理的環境を提供するには、実際にその人にそうした環境を望むように作らせてみたらいいのではと述べた。するとその見知らぬ人は、ハッとしたような表情を浮かべた。どうやらその人は、自分がそうした環境を作ることを念頭に置いていたらしく、作ることを明け渡すという発想がなかったらしいのだ。


もちろん、そうした環境を作るには知識や技術がいることは間違いないが、少なくともこちらが一方的に作ったものを押し付けるのではなく、作ることの一端を任せてみたりすることによって、協働して創作に当たることが重要なのではないかと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/3/30(水)07:50


8113. 未熟な人類/才能を支える無数の屍


いまだ意識の発達が未熟である人類にとって、人類の保全と大宇宙の保全という二者択一を迫られたら、間違いなく人類の保全の道を選び、大宇宙を蔑ろにする選択的行動に出るであろうことがたやすく予想される、ということを窓辺に佇みながら考えていた。


結局、人類は依然として人間中心主義的な発想から逃れられていないのだ。宇宙中心的なコスモロジカルな発想など到底期待できない。いや、昨今のロシアとウクライナの問題、その他グローバル規模で展開される政治経済の問題を見ていると、結局のところ、広義の自民族中心主義的な発想で人間が行動していることが手に取るようにわかる。なるほど、人類はまだ人間中心主義の次元で物事を考えることにすら到達していないのである。


昨日、才能について少しばかり考えていた。そこからふと、ある人間の才能は、無数の屍の存在によって成り立っているという側面があることに気付かされた。


ある個人の才能が育まれ、それがこの世界の中で発揮されるというのは、実はその背後には無数の屍の存在があるということを忘れてはならないのではないかと思ったのである。卑近な例で言えば、数日前にアメリカの神学大学院を調べていると、神学大学院というプロフェッショナルスクールの授業料は、アメリカのビジネススクールやロースクールのような他のプロフェッショナルスクールの授業料よりは格段に安いが、それでも修士レベルであればそれなりの金額を支払うことになる。


ところが、名門校の博士課程になると、授業料の免除は愚か、博士論文を書き終えるまでのおよそ5年間の生活費や研究に必要な費用の全てが支給されることが通常である。そこでふと、修士課程に進む人たちが払ったカネが博士課程に進む人たちに流れている構造を見て取った。


圧倒的多数の一般人がその道で才能を持った人を支えているという関係性がそこにある。欧米の名門校の博士課程に進学する場合、それは当然ながら学術的な才能と情熱を持っていることは重要であるが、それ以上に、自分の学術研究が目には見えない多くの人たちによって支えられているという感覚を持っておくことは極めて重要なのではないかと思う。そうした感覚がその人間をより一層謙虚にし、自らの学術研究を社会に還元させていく動機になるのではないかと思う。


今の自分もまた無数の屍の上に活動をしていて、誰かの活動の屍になることを思う。屍を認識する力と、自らもまた屍になる形で誰かの支えになるという信念のようなものを持つことは重要なのではないだろうか。


この話は、輪廻転生の思想ともつながっているものがあるだろう。また、自我の極小化のプロセスや公共的知的資本の創出にもつながる話かと思う。フローニンゲン:2022/3/30(水)09:54


8114. ジークンドートレーニング91:集中したトレーニング/今後の旅行について


時刻は午後4時を迎えた。つい先ほど、ジムから戻ってきたところである。


今、夕方の穏やかさを楽しむかのように、小鳥たちが優しげな鳴き声を上げている。ジムから帰ってくるときには太陽の姿がうっすらと見えていて、太陽の光を浴びることができた。また、小鳥たちの小さな合唱による癒しの恩恵も受けた。


今日のジムでのジークンドーの自主トレーニングは、先日ロビンさんから習ったランク2の種々の技に加えて、ランク1の技も復習していった。ここ最近は長い時間をかけてトレーニングするのではなく、短い時間に集中してトレーニングをするようにしている。


無駄に長くトレーニングをして、疲弊した状態で稽古をすると、悪癖がつきやすい。それは避けなければならない。


前回のロビンさんとのトレーニングですぐにうまくいかなかった技も、自分であれこれと考えながら鍛錬を積んでいくことによって、少しずつ技が磨かれているのを実感した。毎日の鍛錬の成果を確認することができている。


やはりジムでのトレーニングは鏡を見ながらなので、短い時間であっても得られるものは実に多い。当面の間特に磨きをかけたいのは、防御とカウンターの技の17番目のものになる。次回のロビンさんとのセッションにおいても、この技については再度確認をお願いしよう。


トレーニングを終えてからのサウナも実に気持ちよかった。サウナルームでは一緒に入っている人と何気なくコミュニケーションが生まれるのが良い。今日はファーストラウンドにおいては自分1人でサウナルームを使っていたが、セカンドラウンドから1人加わり、その男性と話をしていた。


サウナを出て心が整った状態で静かに座していると、昨日のメルヴィンの話を思い出した。メルヴィンの説明によれば、スロヴァキアはオーストリアやイタリアの文化の影響を受けているらしく、自分はロシア的な影響が色濃いのではと想像していたので意外だった。そこからスロヴァキアに関心を持ち、いつか旅行してみようと思った。


そして、この夏にはアイスランドとアイルランドに訪れてみようとも思ったのである。そこからも今後旅行したい国について色々と思いを巡らしていた。その思いをいつか必ず実現させよう。フローニンゲン:2022/3/30(水)16:12

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