No.3317 心の中の蘭の花_A Flower of Inner Orchids
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1276, My Epistemology
All of my knowledge and skills are constantly renewed and reconstructed at every moment.
That is my epistemology.
Groningen; 10:09, 2/25/2022
No.1277, Various Heavens
I came back from one heaven to another.
This world consists of various heavens.
Groningen; 16:11, 2/25/2022
No.1278, Follow Our Inner Voices
It’s worthwhile paying attention to our inner voices.
We should always follow them.
They never betray us.
So, we shouldn’t betray them.
Groningen; 16:15, 2/25/2022
No.1279, Nothingness as No-Thingness
Nothingness is No-thingness.
It is a process of constant creation.
It is a formless flow.
Groningen; 20:55, 2/25/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
7909. 換気の爽快さ/今日の動画撮影に向けて
7910. 昨夜のこと/今朝方の夢
7911. 絶え間ない再構築を繰り返す知識とスキル/自分の専門領域とTOEFL対策
7912. クルミを再び食べ始めて/マーシャルアーツに関する動画の撮影
7913. 尊厳と絆/食生活の変化/自由と遊び
7909. 換気の爽快さ/今日の動画撮影に向けて
時刻は午前8時半を迎えた。このところは少しずつ晴れの日が増えてきていて、季節の変化を感じる。もちろん、フローニンゲンの最低気温はまだまだ低く、0度や1度の日が多く、明日はマイナス1度となる。しかし、太陽の姿を拝む機会が増えているためか、不思議と寒さが和らいでいるように感じる。
数日前から、朝の換気をするようになった。今の自宅には空調システムが備わっており、絶えず自動で動いているので、わざわざ窓を開けて空気の入れ替えをすることはないのだが、空調システムに頼るのではなく、家の両側の窓を開けて空気を通す方が気持ちいいことがわかったので、意識的に空気を入れ替えるようにしている。
以前から、掃除機をかける際にはこのように両側の窓を開けていたのだが、朝起きてすぐに窓を開けることは最近始めた習慣である。確かに外気は冷たいが、ひんやりとした空気が部屋を通り抜けていくと、部屋が浄化されたかのような感覚がする。そうした意味もあって、これから毎朝空気の入れ替えと家の浄化のために窓を開けて換気をしようと思う。
今のところ、今日も雲がほとんどない快晴の空が広がっている。ひょっとしたら昼過ぎぐらいに小雨が降るかもしれないが、それもすぐに止むという予報が出ている。そこからは再び晴れになるようなので、午後にジムに行く際には太陽の光を浴びられるかもしれない。
今日もジムでジークンドーの自主トレーニングをしようと思う。その際には前回と同じく、Go Proという撮影機材を用いて、自分のトレーニングの様子を動画撮影しようと思う。
今、護身術の紹介や心身の健康を促進する身体操作や身体の話をする動画の企画を協働者の方と立てていて、その一貫で動画を撮影している。前回動画を撮影し、外付けマイクがないと音量が小さく聞こえたが、編集によって随分と音量が増した。
今日の撮影では、自分の立つ位置に気を付けたいと思う。前回の撮影では、少し頭が画面からはみ出してしまう瞬間があったのだ。
その他に気をつけることは、Go Proはバッテリーの消費が早いので、充電器を持参し、充電しながら撮影をすることである。充電しながら撮影をすれば、バッテリーの残量を気にすることなく話をすることができる。
今日は前回からの続きとして、2種類ほどのパンチを紹介し、その後、キックを数種類紹介していこうと思う。そしてそこからは、前回紹介した4つの防御·カウンターの技に加えて、さらに4つの防御·カウンターの技術を紹介しようと思う。
ジークンドーに関しては25本かあるいは30本ぐらいの動画を撮影することができるだろうか。ジークンドーに関してとりあえずそれくらいの動画を撮影したら、システマについても自分が行っているエクササイズをいくつか紹介していき、その他にも自分がルーティーンで行っている動的ストレッチも紹介していけばと思う。フローニンゲン:2022/2/25(金)08:58
7910. 昨夜のこと/今朝方の夢
青空の爽快さ。ライトブルーの朝空をぼんやりと眺めていると、次第に心がよりリラックスしてくる。
目の前の裸の木のてっぺんあたりの枝に小鳥が止まっている。その小鳥もまた青空を眺めてくつろいでいるのかもしれない。
朝日の差す方へと向かう魂。魂は光を求めているようだ。光を養分とし、光を生成しながらこの世界を照らすこと。自分の魂はそうした役割を担うことを宿命づけられているらしい。
昨夜は寝る前に寝室で、神道の音楽を聞いていた。心身を深くリラックスさせ、暗い部屋の中で音楽に耳を傾けていると、音楽が魂に浸透していく感覚があった。そして、そこで深い共鳴が起こっていた。
寝室には外に出られるドアがあり、寝る前に寝室を換気することを兼ねてドアを開けて夜空を眺めると、星空が広がっていた。そうなのだ。フローニンゲンは天気が良い日の夜は満天の星空を眺めることができるのだ。それをすっかり忘れていたような気がする。
神道の音楽を背に、しばらくその場で星空をぼんやりと眺めていた。そこから就寝に向かおうとしたら、雑念が消えていて、寝つきがとてもよかったように思う。今日からも同じような形で就寝に向かおう。
寝る前に入浴するのであれば、体を冷ます意味も含めて、ドアを開けて星空を眺めよう。そして、神道の音楽を聴きながらストレッチをしたり、少しばかり座禅を組んだりする。そうすると、雑念が沈静していき、入眠が速やかになる。
小さく習慣を変えていくと、自分が小さく変化していく。習慣と変化の関係は興味深い。
何か自分の中で変化を起こしたいと思うのであれば、習慣という日々の行動を見直し、それを変えていかなければならない。改めてそのようなことを思う。
昨夜のことを振り返っていると、今朝方の夢を思い出した。夢の中で私は、小中高時代の親友(NK)と何か楽しげに話をしていた。お互いの最近の近況だけではなく、趣味の話で盛り上がったことを覚えている。
話を終えると、彼と一緒に車でどこかに出かけて行った。彼の運転する車は乗り心地が良く、車窓から見える景色も自然に溢れていて、寛ぎの時間がそこにあった。
その次に見ていた夢としては、中学校時代の部活の先輩たちと一緒にバスケをしていたものがある。場所は実際に部活で使っていた学校の体育館だった。
私の学年からは私だけが1学年上の先輩に混じって練習に参加していて、今から紅白戦を行うことになった。私はサブ組の方で出場するのかなと思ったが、なんとレギュラー組の方で出場することになった。それは初めてのことだったので、嬉しさと適度な緊張感の混じる気持ちになった。
いざ紅白戦が始まると、普段通りのプレーができた。それは同じレギュラー組の先輩が自分にちゃんとパスを回してくれ、レギュラー組の一員だとみなしてくれていたことが大きいかと思う。
そう言えば紅白戦の前に、スリーポイントシュートの練習をしている場面があった。その日の自分は調子が良く、9連続でスリーポイントシュートを決め、10連続に向けて次のボールをもらったら、そのボールの表面の触り具合が良くなく、別のボールにしてもらおうと思った。
すると、もう近くにボールがなかったので、仕方なくそのボールでスリーポイントシュートを放ったら、打つ前からわかっていたが、案の定シュートは外れてしまった。自分にとって、ボールの触り具合というのはシュートの成功率に大きく影響する。そのため、今打った古びたボールだとシュートが外れてしまうことは事前になんとなくわかっていた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/2/25(金)09:16
7911. 絶え間ない再構築を繰り返す知識とスキル/自分の専門領域とTOEFL対策
自分の知識とスキルは、絶え間なく続く今この瞬間の中で再構築されていく。過去の知識とスキルをもとに、ある特定の状況や環境の中で実践や学びを行うことを通じて、知識とスキルはどんどんと新たなものになっていく。絶えず環境と相互作用しながら、知識とスキルの体系が自己産出する巨大な生き物として躍動している。そんな姿が脳裏に浮かんだ。
今日はこれからいつものようにTOEFL対策をしようと思う。まずはスピーキングの対策から始めたい。
対策を始めてから毎日新しい問題のセットを解いてきたので、初見の問題に対する対応力も随分と磨かれてきた。スピーキングにおいては、新しい問題を解くだけではなく、必要な能力を構築するために、過去に解いた問題のセットを毎日復習するようにしていて、それも学習の相乗効果を生んでいるようだ。
新しい問題を解くことによって、初見の問題に対する対応力が養われたり、獲得したスキルが果たして新しい問題に対して通用するかの確認になっている。また、過去の問題を解き直すことによって、果たして自分はどれだけスピーキングのセクションで求められる能力を獲得しているのかの確認になり、スキルというものがある特定のコンテクストと特定の課題に対して発揮され、伸びていくものだという観点からすると、こうした復習はスキルの定着上非常に重要だ。
TOEFL対策において、自分の専門領域の知見が大いに役立っている。過去のTOEFL受験においては、なぜ自分の専門領域の知見を学習に活かさなかったのか不思議である。それは活かさなかったのか、あるいは活かすことができなかったのか、そのあたりには大きな違いがある。
ひょっとしたら、当時の自分は発達理論というものを発達理論の狭いコンテクストの中で探究していたに過ぎないのではないかということに気づく。今、発達理論の世界から離れることによって、ようやくその知見が他の領域に広く活用され始めているのではないか。そのようなことを思う。
さて、今日のTOEFL対策の楽しみは、スピーキング対策だけではなく、リスニングとリーディングの対策においてもある。リスニングに関しては毎日2問ほど問題を解いていて、リーディングは1問ほど問題を解いている。
リスニングの方は小問に分けると、11問から12問であり、リーディングは新制度になってから各大問に10問ほどの小問がある。このように、毎日少しずつ日々の発見や工夫を適用しながら対策を進めることによって、着実な進歩が見られる。
確かに、リスニングとリーディングは点数においてはもう上限に来ているが、そうした点数における進歩ではなく、点数に現れない形の英語運搬能力が高まっていることを感じられることは喜ばしい。これはTOEFL対策における副産物であり、過去12年間においてはあまり意識されることのなかったものだ。
おそらく、104点を超えるまでは点数を上げることに焦点が当てられていて、104点を超えてくると、もはや対策する必要などないという意識を持っていたことが影響しているのではないかと思う。今はもう点数云々ではなく、TOEFLという貴重な機会を使って、自分の英語力を多角的に見つめ直し、微細なスキル領域を伸ばす材料にしているというのが現状だろうか。フローニンゲン:2022/2/25(金)10:23
7912. クルミを再び食べ始めて/マーシャルアーツに関する動画の撮影
時刻は午後5時を迎えようとしている。今、穏やかな夕方の世界が目の前に広がっている。
先ほどジムから帰ってきて、クルミを少々食べた。以前はクルミやアーモンドなどのナッツ類をよく食べていたのだが、いつしかそれらを食べなくなった。
ところが昨日ふと、ナッツ類が恋しくなり、クルミを買ってきてそれを少々食べている。おそらく、クルミに含まれる何かしらの栄養を自分の身体が欲していたがゆえにクルミをまた食べ始めることにしたのだろう。クルミは実に様々な栄養が豊富に含まれていて、小腹が空いた時に少しだけつまむために今後もクルミを常備しておこうと思う。
今日は午後にジムに行ったのだが、今日もまた天気が良く、ジムの行きと帰りには太陽の光を浴びることができた。日光に当たることによって、生命力が活性化される感じがする。もちろん日光に当たりすぎることは良くないが、この土地における冬の時期には日光は本当に貴重である。
一昨日に引き続き、今日もジムでジークンドーのトレーニングに関する動画を撮影した。幸いにも今日は、いつも使っているトレーニングルームが空いていて、誰も部屋を使っていなかったので、心おきなく動画の撮影ができた。
一昨日にGo Proの不要な機能をオフにしたことによって、バッテリーの持ちも良くなったので、充電しながら撮影することもなく、不自由なく撮影をすることができた。どれくらいの数を撮影したのかわからないが、おそらく15本弱の動画を撮影したのではないかと思う。それでも今日で全ての動画を撮影し切ることはできなかったので、月曜日にジムに行く際にまた動画の撮影を進めていきたい。
一昨日と同様に、やはり人に説明することは自分の学びになっていることを実感する。人に説明してみて初めて、自分の理解が浅い点に気付いたりするし、説明をして初めて得られる発見や気づきなどもある。今は動画を撮影することに新たな楽しみを見いだしている。
引き続き、マーシャルアーツシリーズの動画を撮影していきたいと思う。ジークンドーに関する動画の撮影が落ち着いたら、今度はシステマについて自分がこれまで習ってきたことを紹介するような動画も撮影したい。フローニンゲン:2022/2/25(金)17:06
7913. 尊厳と絆/食生活の変化/自由と遊び
——私たちは年老いたから遊ぶのをやめてしまったのではなく、遊ぶのをやめてしまったから年老いてしまったのだ——ジョージ·バーナード·ショー
1日が深い充実感と共に終わりに向かっている。1日が終わるということ、そして新たな1日が明日からまた始まるということに関して、感動に似た気持ちが静かに湧き上がる。
先ほど、『湯を沸かすほどの熱い愛(2016)』という邦画を見ながら、家族の絆、いや家族を超えて、人と人との絆について考えていた。
今日は世界にとって大きな日であった。ロシアがウクライナの首都であるキエフに本格的に攻撃を仕掛けたのである。
人間は自らの小さな自我に縛られ、自我に固執する形で様々な悪行をなす。尊厳の保護と絆の醸成。現代以上にそれらが求められている時代はないのかもしれない。
意識が再び今に戻ってきた。今日はジムのサウナで良い汗をかき、今日も熟睡ができるだろう。
昨日からクルミを食べ始めたことに加え、今日は近所のオーガニックスーパーで、普段食べないものを食べてみようと思った。例えば、カボチャを自分で料理して食べることはこれまでほとんどなかったが、料理に使いやすい形ですでに切られているものがあり、それを購入したり、タイカレーのルーをいくつか買ってきて、先ほどの夕食で早速1つ食べた。
種々のスパイスが効いていてとても美味だった。スパイスの効能は素晴らしいものがあるので、時折カレーのルーを買ってきて、そこにいつも食べている茹で野菜を入れて食べようと思う。今度はグリーンカレーやイエローカレーのルーを買ってこよう。
その他にも、これは昨日や今日からではないが、キムチと納豆を食べるようになっていて、2つを混ぜて食べると美味であり、混ぜることによって両者が相乗効果を生んでいるように思う。このように、自然と食べるものが変わってきているということ、新たなものを食事に取り入れようとしているところを見ると、自分が確かに変化を欲しているのだということがわかる。
身体が必要な栄養を欲していて、身体の声に耳を傾けると、自ずと何を食べたいのか、食べる必要があるのかが見えてくる。絶えず内側の声に耳を傾けること。それは何も食べ物の選択だけではなく、人生全般において重要なのではないかと思う。
日々の充実感の背後には、自分が自由を享受しているということが挙げられるだろう。幸いにも、経済的にも時間的にも自由を享受することができていて、それが日々の充実感の源になっている。そして、自由に自分の好きなことに従事し続けているという点もまた見逃せない点だろう。
日々は遊戯と喜びと感謝の念を通じて進行している。戯れとしての日々。これからもずっと全身全霊で遊び続けるということを忘れないようにしたい。フローニンゲン:2022/2/25(金)19:48
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