No.3013 輝きの紋章_A Symbol of Brightness
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1089, A Rainbow Road
Now I’m walking on a rainbow road of the morning.
It is shining beautifully.
It encourages my soul to shine more.
My spirit is radiating.
Groningen; 07:28, 12/8/2021
No.1090, Beauty and Value
Beauty and value are closely intertwined.
Here, value doesn’t mean functional and numerical.
Instead, it means existential and spiritual.
Beauty is the embodiment of existential and spiritual value.
Groningen; 21:01, 12/8/2021
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本日の2曲
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タイトル一覧
7544. 今朝方の夢
7545. 真正な仕事/魂の望む方へ
7544. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。今、ヒーターが自動で動いている。季節はもうめっきり寒くなり、そろそろ最低気温がマイナスに入ろうとしている。
深夜雨音で一度目を覚ましたのだが、その時の雨はひょう混じりだったかもしれない。
夢はどこに向かっているのだろうか。夢を見させているものはどこに向かっているのだろうか。そのようなことを考えていると、夢は何かに向かって行っているような感覚がした。
今朝方の夢は欧州を舞台にしていたように思う。確か舞台はスペインだったのではないかと思う。
私はスペインの名門サッカーチームのスタッフとして働いていて、その日は午前中から練習があった。練習に向けてコーチを含め、スタッフ一同色々と準備に奔走していた。
私は監督と少し話があったので、監督がいる部屋に行った。そこで監督と英語ではなくスペイン語を通じて話をしていた。
監督との話を和やかにし終えると、そこからはコーチと練習のメニューについて最終打ち合わせをした。この夢の中では、確か選手とも話をしていたように思う。その時に、趣味か何かで意気投合し、今度その選手が自分を自宅に招いてくれることになった。
今朝方はその他にも夢を見ていたように思う。確かもう1つの夢の方では、これまたスペインかポルトガルの海岸線を歩いているようなものがあった。そこには人はおらず、私は1人で思い思いに海岸線をゆっくりと歩いていた。そんな夢があった。
2つの夢はそれぞれにどこかに向かっているのだろうか。はたまたそれらは1つの夢の総体としてどこかに向かっているのだろうか。
夢にも方向性があるのかもしれない。しかしそれは人生と同じく、どこに向かっているかはわからない。ただし有限な人生と同じく、終着地点に向かって歩んでいることは確かなように思える。
今日も昨日に引き続き、読書に力を入れていこう。バーナード·スティグラーの書籍の音読がようやく終わる。それは午前中に終わるだろう。
そのため、午後からはアンドリュー·フィーンバーグの書籍を音読し始め、それが終わったら、神学者かつテクノロジー哲学者のジャック·エラルの“The Technological System”の音読を始めようと思う。日々静かに自分の探究が前に進んでいることを嬉しく思う。フローニンゲン:2021/12/8(水)06:33
7545. 真正な仕事/魂の望む方へ
時刻は午後9時を迎えた。今日は少し遅くに振り返りの日記を書く。
午前中の活動から思い出してみよう。今日は午前中に、4つの団体に少額ではあるが寄付をした。それらはそれぞれ異なる団体であり、活動内容も違うのだが、それらの団体が掲げるビジョンと活動内容に共感したために微力ながら寄付をした次第である。
寄付という行為ももまた、社会貢献の一環としての意味を持ち、こうした慈善活動も自分の中で大切にしたい活動であることを再認識した。今後も無理のない範囲で自分にできる寄付活動をしていこう。
今日の読書を通じて、ハイデガーは、真正な仕事とは自己を忘却させ、自己が他者になることを促すものだと述べていることを知った。これは大変共感する指摘だ。
真正な仕事は利己的になされるものでは決してなく、自我が溶解するほどの利他心に溢れた形でなされるのかもしれない。いや、そこにはもはや利他的な精神すらないのだろう。
自己と活動する精神が完全なる一致を果たし、それを通じてなされるのが真正な仕事なのだ。それを通じて自己は他者となり、世界そのものとなる。
魂の望む方へ進もう。激しい探究とそれに基づいた自分なりの種々の実践は魂が深く強く望んでいることである。
自分の人生は魂の燃焼過程なのだ。それを通じて魂は絵も言わぬ喜びに包まれる。今日もそのような形で進行していく1日だった。
今日の読書はテクノロジー哲学に関するものばかりだったが、その中で改めて、仏教がテクノロジーをどのように捉えているかに関心を持った。直接的にそのような言及がなかなか見つからないのだが、今後もアンテナを張って調査をしていこう。
仮に直接的な言及がなかったとしても、仏教の思想を敷衍して考察を深めていく。その際には、ジャック·エラルを含めた神学者がどのようなアプローチでテクノロジーを考察していたのかが参考になるだろう。
明日か明後日にはエラルの主著を再読することができるであろうから、そのあたりの関心を持って再読を進めていこう。フローニンゲン:2021/12/8(水)21:22
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