No.2956 炎症_An Inflammation
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1044, A New Journey
A new journey will start soon.
Everything passes by constantly.
So does this new journey.
Groningen; 06:52, 11/25/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7508.【ベルリン旅行記】ベルリン旅行当日の朝の夢
7509.【ベルリン旅行記】スキポール空港に向かう列車から
7510.【ベルリン旅行記】可能な社会変容/デジタルネイチャー/教育神学
7511.【ベルリン旅行記】巨大なゲームに投げ出された現代人たち
7512.【ベルリン旅行記】離脱・超越体験を振り返って
7508.【ベルリン旅行記】ベルリン旅行当日の朝の夢
時刻は午前6時を迎えた。先ほど、ベルリン旅行前の最後の洗濯を始めた。
今日は自宅を11時過ぎに出発する予定である。どうやら午前7時から10時にかけて小雨が降るようだが、幸いにも出発する頃には雨が止んでいるようだ。
そう言えば、結局昨日は掃除機をかけることができなかったので、午前中に掃除機をかけておきたいと思う。あと忘れてはいけないのはゴミ捨てであり、それも出発前にやっておこう。
今朝方は1つ印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、大学のカフェテリアにいた。そこはカフェテリアかつ図書館になっていて、ちょうど期末試験の時期だからか、図書館のエリアには学生がかなりの数いた。
自分も勉強しようと思っていて席を探したのだが、どうにも空いている席を見つけることができなかった。1階から4階ぐらいまでのどのフロアの席も埋まっていたのである。
かろうじて4階に空いている席があったが、そこは少し周りがうるさいように思えたので、結局私は図書館ではなくカフェテリアのエリアに戻り、そこで勉強することにした。
すると、大学時代のゼミの友人数名に声を掛けられた。すっかり忘れていたが、今日はこれからゼミ対抗でのサッカーとソフトボールの大会があった。
大会にエントリーするために、各自がスマホから個人情報の登録をする必要があり、その期限は午後1時半だった。ゼミの友人の1人が今回の大会の幹事を務めていて、事前に全員にかなり念を押して個人情報の登録を時間までにするように述べていた。
ところが私は、ちょうどその期限である午後1時半に起床しており、まだ登録をしていなかった。今からでも間に合うかわからなかったが、慌ててその登録をすることにした。
そうこうしていると、試合会場へ移動することになり、そこからはゼミの友人と全員で会場に向かった。会場に到着すると、まずはサッカーの試合から行うことになった。
相手のチームのメンバーはどういうわけか全員ブラジル人だった。全員ではないが、中にはサッカーが上手そうな人が数名いたが、相手チームの人数は少ないように思えた。
いざ試合が始まってみると、不思議と相手チームのブラジル人が日本人に代わり、ゴール前には女性も数名いた。さらには、小さな子供も混じっていた。
私はリフティングをしながら相手を巧みに抜いていき、ゴール前まで1人でボールを運んだ。そしてゴール前にいた女性たちを交わし、最後は無人のゴールにボールを転がして先制点を奪った。
そこから追加点を狙おうと思って再び積極的にプレーをしたところ、なぜかフィールドと住宅地が混ざり合い、自分がドリブルをしている最中に、どこかの一軒家のドアのガラスを壊してしまった。
すると、その家に住んでいた老婆が怒って外に飛び出してきて、ガラスを割ったのは誰かと叫び始めた。私はすぐに路地裏に隠れ、老婆が過ぎ去るのを息を潜めて待っていた。
しかし、大会中の種々の事故に対して、大学側から補償されるのではないかと思い、後からその申請をして、その老婆の家のガラス代をちゃんと支払おうと思った。ベルリン旅行の当日の朝の夢はそのような内容だった。フローニンゲン:2021/11/25(木)06:18
7509.【ベルリン旅行記】スキポール空港に向かう列車から
時刻は午前11時45分を迎えた。今、フローニンゲン中央駅に停車中の列車にいて、もう3分後に列車はスキポール空港に向けて出発する。
ここまでのところ、計画通りに時間を過ごすことができている。部屋の掃除や浴室の掃除を午前中に行い、帰ってきたときに気持ちよく過ごせるようにした。
朝は少し時間があったので、テクノロジー哲学者のアンドリュー·フィーンバーグの書籍を音読したり、発達理論マスターコースの音声ファイルを作成したりしていた。気づけば音声ファイルは切りよく300個に到達し、ベルリン旅行の出発前の思い出となる音声ファイルを作成した。
コミュニティー内の投稿文章を今朝方読んだとき、もう少し補助音声を作ったほうがいいかと思ったので、ベルリンのホテルに到着したらまた少しだけ音声ファイルを作成しようと思う。
今、列車の汽笛が鳴り、いよいよ列車が出発した。今日のフローニンゲンは天気予報と異なり、結局小雨が降らなかった。なので折り畳み傘はスーツケースにしまったまま移動することができた。また気温に関しても今日は比較的暖かい。
そういえば、明日からの本格的な観光に向けて、具体的にいつどこに行くのかを決めていなかった。訪れたい美術館と博物館の候補はすでに列挙してあり、それぞれの開館·閉館時間については調べているので、いつどこに行くかを今から少し決めていこう。
明日は午前中にオンラインミーティングが1件あり、それを終えて午前11時過ぎから観光を始める。明日は、ハンブルク駅現代美術館とベルリン絵画館に足を運んでみようか。
今、手元でGoole Mapを開くことができないので、それぞれの美術館の位置関係がわからない。できれば1日に2カ所ほど美術館や博物館を巡りたい。その際に、できるだけ距離が近い組み合わせで巡って行こうと思っている。
そのため、ホテルに到着したらもう一度それぞれの位置関係を調べておこう。また、今回訪問する予定の10箇所の美術館や博物館のうち、8箇所はベルリンのミュージアムカードが使える。これは3日間のフリーパスであり、明日の朝にフリーパスを購入して、明日からの3日間をこのカードを利用して巡りたい。
毎回のことだが、旅に出かける際の車窓の外には長閑な田園風景が広がっている。放牧されている牛や馬が、思い思いに草を食べたり、寛いだりして過ごしている。彼らのように思い思いに今というこの瞬間を過ごして行こう。スキポール空港に向かう列車の中:2021/11/25(木)11:59
7510.【ベルリン旅行記】可能な社会変容/デジタルネイチャー/教育神学
スキポール空港に向けて進んでいく列車に揺られる自己。この自己はこの世界の中にいて、社会の中にいる。
社会の存在を否定するような新自由主義的なものの見方を否定するかのように、自分がある特定の社会の中にいることを実感する。そこでは確かに個人を超えているが、一方で世界と述べてしまうにはあまりにも個別具体的な特徴を持った働きかけがある。社会構造とそれが自分に作用する確かな力があるのだ。
批判的実在論の提唱者であるロイ·バスカーや、批判的実在論を社会学的に拡張させたマーガレット·アーチャーの思想に基づくながら、私たちは社会そのものへ働きかけ、その構造的力と構造そのものを変容させていくことができるのだ。
社会の下部構造と上部構造は、社会の構成員である私たちと絶えず相互作用し合っているのだから、私たちからの働きかけによってそれらの構造を変容させていくことができるのだ。この点を見逃してしまうと、社会的参画も社会的関与も虚しく無意味なものと感じてしまうだろう。
社会を覆う無関心と自暴自棄的な態度には、上述の点を見出すことに失敗していることに1つの要因があるように思う。
窓の外に広がる長閑な風景。そこには人工的なものと自然なるものの調和がある。いや、オランダの田園風景においては、人工的なものはとても控えめで、自然なもののへの敬意の念を伺える。
それに対して、私たちのネット社会はどうだろう。インターネットの世界はよく「デジタルネイチャー」という表現をされることがある。果たしてこれは本当に自然と呼べるようなものなのだろうか。
それを自然と認めてしまった時、上述のような形で、ネット世界の歪みや横暴に対して人々は無関心になってしまうのではないか。ネット上の病理や暴動が、まるで自然災害であるかのように諦めの念を持って受け入れてしまうような状況が想像される。もうすでにそうした態度が見え隠れしている。
そもそも昨今の自然災害の要因には人為的なものが見出せることがよくあるのだから、自然災害もまた人災の一種なのではないかとすら思えてくる。そう考えてみると、尚更私たちは責任逃れをしようとする自己のあり方を正す必要があるのではないかと思えてならない。
今、列車はちょうど中間のズヴォレに到着した。ここからスキポール空港までは1時間ほどだ。
先ほどふと、テクノロジー神学を集中的に探究した後はマネー神学及び経済神学を集中的に探究し、そこから教育神学を探究したいと思った。教育哲学だけではなく、教育と神学思想を絡めた探究をしたいと思ったのである。
それに加えて、今から1時間前にフローニンゲンノース駅で列車を待っている最中に、テクノロジーを東洋思想の観点から探究していきたいということを考えていた。これはマネーや教育に関しても当てはまる。
やはりどこかのタイミングで神学と東洋思想を体系的に学ぶことが求められているように感じる。そして、それを望む深層的な自己がある。
旅が刺激となり、これから進む道がまた少し明瞭なものとなった。スキポール空港に向かう列車の中:2021/11/25(木)12:50
7511.【ベルリン旅行記】巨大なゲームに投げ出された現代人たち
時刻は午後3時を迎えた。今、スキポール空港のAspireラウンジにいる。
空港に到着後、速やかにセキュリティーを抜け、いつものようにこのラウンジでくつろいでいる。AMEXのクレジットカードに付帯しているサービスにPriority Passというものがあり、このサービスのおかげで世界中の空港の提携ラウンジを無料で使うことができる。
スキポール空港を使って欧州内の他国に行くときはいつもこのラウンジを利用している。日本に帰国する際にはビジネスクラスを利用するようにしていて、その際にはKLMのラウンジを使うことができる。
こちらのラウンジはおそらくスキポール空港の中で最も広く、そして飲食を含めたサービスが最も充実しているように思う。いずれにせよ、Aspireラウンジでも十分に寛ぐことができて、いつも助かっている。
今少し軽食を摂り終えた。昨日の夕方に1時間ほどの筋力トレーニングを行い、そこから少なくとも48時間から72時間は筋肉の合成が活発であり、同時に脂肪も燃焼していることに伴って腹も減りやすい。
先ほど軽食を摂りながらラウンジを見渡してみると、意外と人が多いことに改めて気づいた。厳密には、これはラウンジに入った瞬間に気づいたことでもある。
現在、欧州各国はコロナの規制を再び厳しくし始めているが、ラウンジのこの状況を見ると、欧州内を移動する人が結構いることがわかる。空港全体を見ても、昨年の秋に日本に一時帰国した際の閑散とした状況とはちょっと違う。
ラウンジの人々がどのような形で時間を過ごしているのかを観察すると、本当に思い思いに過ごしているといった感じだ。少し離れたところにアメリカ英語で話をするアメリカ人らしき男性がソファーに腰掛けて商談をしているようだ。
イヤホンマイクを付けながら話をしている彼の言葉に耳を傾けていると、ユーロやドルの話が頻繁に出てくる。商談をしているこのような人以外には、食事を楽しんでいる人、パソコンで動画を見ている人、パソコンで仕事をしている人、眠っている人など様々だ。一方で、ラウンジ全体の人々を観察している自分のような人間はあまりいないようだ。
人々の様子を眺めていると、それぞれが結局何らかのゲームをしているかのように見えてくるのが滑稽である。人々はそれぞれが固有のゲームの中にいて、ゲームをしているという自覚なくその世界で時間を過ごしているのである。
人々のそれぞれのゲームは独立しているようでいて、きっとどこかでつながっているのだろう。あるいはそれは1つの巨大なゲームと言えるかもしれない。
文明が巧妙にこしられた1つのゲームの中に人々は無自覚に埋没しており、自ら率先してそのゲームを楽しんでいるようでいて、きっとどこかで見えない空虚感や不安を埋め合わせるためにそのゲームに従事しているのだろう。
創造主がこうも不完全な人間たちを生み出したことを不思議に思う。人間たちの行動はどれも不完全なのだが、それが1つの完全なる調和を作っているかのように見えるのは自分だけだろうか。
文明が生み出した巨大なゲームというのはまさに1つの完全なる調和の産物である。不完全なのだが完全なるこの世界。完全なのだが不完全なこの世界。
人々はそのような世界に投げ出され、そうした世界に投げだれているということに無自覚なまま幻想的なゲームに狂信的に没頭している。人間はかくも愚かで滑稽な存在であることが明瞭に自覚される。そこに人間の愛らしさがあると言えなくもないが。Aspireラウンジ@スキポール空港:2021/11/25(木)15:13
7512.【ベルリン旅行記】離脱・超越体験を振り返って
時刻は午後10時に近づいて来ている。普段はもうベッドに入っている時間だが、今日はこの時間帯に日記を書いている。
今、この日記を執筆しているのはベルリンのホテルの自室からだ。先ほどまで発達理論マスターコースの音声ファイルを1時間弱作成していて、そこからベルリンに到着した最初の印象を含めて日記に書き留めておきたかった。
アムステルダムからベルリンには無事に到着し、フライトはわずか65分だった。離陸から着陸まで本当にあっという間だったように思う。
いつもながら、離陸後の楽しみとして、普段生活している国を物理的に高い次元から眺めることを行っていた。窓の外から見える街並みが徐々に小さくなっていく姿を眺めていると、普段自分がそこで生活している1人の小さな人間であるという自覚が芽生えてくる。
不思議なのは、高い視点から日常自分が生活をしている空間そのものを眺めるのと同時に、記憶とイメージの残像としてのそこで生活する自己を高いところから眺めるような感覚があるのだ。
これはある種の離脱体験と言えるかもしれない。別の表現で言えば、ある種の超越体験である。
飛行機に乗る際にちょっと意識するだけでこのような体験が得られることに驚きを覚える。同時にこれは飛行機に乗る1つの意義や価値のようなものかもしれないとすら思う。
再び空からの眺めについて思い出してみると、地上で人々が集まることによって固有の文化が形成されることを改めて面白く思う自分がいたことを覚えている。町全体を眺めることによって、そこに生起している目には見えない集合意識が知覚されるような感覚があるのだ。まさにそうした集合意識は文化の源泉になるものである。
飛行機が雲の上に出たとき、息を飲むような美しい夕日が見えた。夕日の光が何ものにも遮られることなくどこまでも遠くに放射されていた。
その光景を見たとき、空(そら)としての自分を思った。同時に、それを自覚するとき、空(くう)としての自分に気づいた。
自己は空(そら)のように全てと繋がった存在である。それは地上とも天上とも繋がっている。
自己はまた、地上の全ての存在と、天上の全ての存在と繋がっている存在なのだ。そのような気づきが贈り物のようにやって来た。
そのような贈り物としての気づきを抱きしめながら、気づけばもうベルリンに到着していた。ベルリンの空港に到着すると、迷うことなく列車のターミナルに行くことができ、そこから目的駅に向かった。
時間にして30分弱で目的駅に到着できたのだが、その道中、とりわけベルリン市内に入って来ると、煌びやかなネオンが目に留まり、ベルリンは先月訪れたボンやトリアーとは異なって、やはり大都市なのだということが実感された。それが真っ先に思ったベルリンに対する第一印象だった。
明日からの観光により、ベルリンの様々な表情が浮かび上がってくるだろう。それを楽しみにしながら、今日はもう寝ることにする。今日はいつも以上にぐっすり眠れそうだ。ベルリン:2021/11/25(木)22:09
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