No.2902 光の波紋_Ripples of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1017, Mental Attitude
I made sure of my mental attitude for my work.
Whenever I engage in my work, my preparedness should be enough.
Groningen; 05:28, 11/7/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7466. 今朝方の印象的な2つの夢
7467. 今日を振り返って
7468. 今朝方の夢/ふと思い出した重要な体験
時刻は午前4時半を迎えた。今朝はいつもより早く起床した。
今、ベッドカバーと布団のシーツを洗濯している。今朝方は起床前に、断片的な夢を見ていた。どこか外国の島が舞台になっていて、そこはまだ完全に観光地化されておらず、手付かずの自然が残っていて美しかった。
その島のビーチの上を歩きながら、ふと空を仰ぎ見た。そこには鮮やかな青色をした空がどこまでも遠くに向かって広がっていて、その大空を呼吸しているような感覚があった。
そこで私は、空を味わうというのはそういうことなのだと納得したのである。そこから私は、当てもなくビーチをさらに歩き続けることにした。そのような夢の場面があった。
この夢の中で味わった、なんとも言えない爽快感の余韻がまだ自分の内側に残っている。
昨夜ふと、中学校1年生の冬にとあることで1週間ほど入院をしたとき、同じ病室の隣のベッドにいた方がその道の親分のような方であったことを思い出した。なぜこの記憶がふと蘇って来たのかわからない。
それはもう忘れ去られてしまっているかのような記憶だったはずなのだ。それがなぜか突然蘇って来たのである。
隣のベッドに横たわっているその方が上半身裸になるときに、たまたま背中を見てしまったところ、彫り物があった。そこで私は、その方がその道の人だとわかったのである。
しかもそれは入院して早い段階で分かったことであった。そこから私は、世間におけるイメージがあったから、なんの恐れもなかったかというとそうではない。やはり内心不安があったことは確かである。
その方の見舞いにくる方も当然その道の方だったので、私は横で寝たフリをしながらも、どんな話をしているのか聞き耳を立てていた。すると、そこでなされていた会話は特に恐ろしいものではなく、むしろその方の優しさが垣間見れるような内容だった。
端的には、その方の組みの他のメンバーの様子を気にしているような内容だったのだ。その方に対する私のイメージはそれを機に変わっていったように思う。
そこから入院の期間中において、私はその方と一切会話をしなかったのだが、私が退院するときにはその方が笑顔で送り出してくださったことを覚えている。そこで初めて、挨拶程度ではあるが、会話を交わしたのである。
この体験を通じて、世間一般にその道の人たちに対して言われていることと、実際の人間性は随分異なるということを学んだように思う。そんな体験をふと昨夜思い出した。
何かこの体験は、今の自分にとって大切な意味を持っているように思う。社会が一方的に張り付けたレッテルを通じて人を見ることがいかに馬鹿げたことであるかを改めて思う。
その人の人間性というのは、その人に触れてみて初めてわかるものであり、それをしないまま人を判断することが持つ危険性を思う。この体験は、自分にとっては社会のアウトサイダーを間近で見る印象的なものであり、それは今の自分の思想やあり方に少なからぬ影響を与えている。フローニンゲン:2021/11/7(日)04:54
7469. 時間の流れと同一化して
時刻は午後7時を迎えた。つい先ほど夕食を摂り終えた。
今週も静かに終わりに向かっている。毎週このような気持ちを持っているように思う。
日々が静かに進行していき、気がつけば週末を迎えていて、気がつけば新しい週がやって来ているのだ。
時間の流れを意識しない形で時間が過ぎ去って行っているということ。それはおそらく、自分が日々絶えず今という瞬間に留まり続けていることの証かもしれない。
その瞬間に充実感を絶えず感じているから気がつけば時が流れていたことに気づくのかもしれない。いや厳密には、その瞬間に充実感を感じる余地すらないほどにその瞬間と自分は同一化している。
時と完全に同一しているからその瞬間においては時が流れていないかのような感覚になり、どこかでふと気づいた時に時間が随分と経っていたことに気づくのだろう。
今日は早朝から読書に勤しんでいた。昼前まで読書に励み、そこから少しばかり発達理論マスターコースに関する音声ファイルを作成していた。
昼の休憩を挟み、仮眠を取った後にも少しばかり音声ファイルを作成し、そこから夕食まではずっと書籍を音読していた。今取り掛かっているのは引き続きテクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーの書籍である。
それはスティグラーが中国の南京大学でレクチャーした4年分の講義録がまとめられたものであり、分量は多いが、随所に洞察が散りばめられている。新しい発見や、今後の考察を深めていく際のヒントが無数にあり、音読をしているとそれらとの出会いを通じた喜びを実感する。
いかんせん量が多いこともあり、ひょっとしたら明日に一日中音読しても全てを読み終えることができないかもしれない。そうだとしても焦る必要はない。であれば明後日に持ち越して、ゆっくりと音読を進めていけばいいのだ。
ここからはまだまだ再読したい書籍が山のように待ってくれている。次に音読をしていくのは、テクノロジー哲学者のアンドリュー·フィーンバーグがハイデガーとマークセーぜの思想を比較したものである。こちらは比較的早く再読の音読が終わるのではないかと思う。
この本を読み終えたら、多くのテクノロジー哲学者に影響を与えたフランスの思想家ギルバート·シモンドンの書籍を再読していく。そこからは再び神学に戻って来て、ポール·ティリッヒの“Theology of Culture”を再読しようと思う。
ゆっくりとではあるが着実に深まっていく自分の探究。全く焦ることなくマイペースで探究を進めていこう。そうすれば今の時間感覚のように、気づいた時には自分は想像を遥かに超えたところに辿り着いているだろう。フローニンゲン:2021/11/7(日)19:16
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