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7429-7431: フローニンゲンからの便り 2021年10月21日(木)



No.2842 宇宙での逗留_A Sojourn on the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.985, A Graceful Morning

A graceful morning is embracing me now.

I can hear a merry song from somewhere.

It’s the song that nature and my inner world co-create.

Groningen; 08:08, 10/21/2021


No.986, Decentralization and Recentralization

Our life is in a continuous process of decentralization and recentralization.

I was thinking about in which phase I am now.

Also, I was reflecting what kind of base I’m departing or landing.

Groningen; 17:34, 10/21/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7429. 今朝方の夢/民俗学への関心/魂のケアが欠如した会計学

7430. 特別な誕生日

7431. これからの活動拠点/善き死/テクノロジー神学について


7429. 今朝方の夢/民俗学への関心/魂のケアが欠如した会計学


時刻は午前7時半を迎えようとしている。早朝から雨が降っていて、それは夕方まで降り続けるようだ。辺りは真っ暗で外は何も見えないが、強い風と冷たい雨が降っていることだけはわかる。


今日の最高気温は11度とのことであり、今の時間帯がちょうどその気温だ。最低気温は7度まで下がる。夏に秋らしさを感じていて、今となってはもうすっかりと冬に入って来た印象だ。


今朝方の夢の中で、自分が英語で何か重要なメッセージを主張しているものがあった。それは誰に向けて発信したものかわからないが、詩的な表現と学術的な表現の双方が融合していて、妙に説得力があった。


この夢以外には、知り合いの誰かが登場し、その人と話をしているものがあった。いまいち場面は思い出すことができず、話の内容も思い出すことができない。


昨日ふと、民俗学の分野にも関心が及び、文献を少し調査していた。英語の学術書だけではなく、今度日本に一時帰国した際には柳田國男の民俗学の本を購入したいと思った。


そこから柳田國男について調べていると、兵庫県福崎町というところに柳田國男·松岡家顕彰会記念館があることを知り、いつかそこを訪れてみたいと思う。これから行う欧州旅行だけではなく、来年の一時帰国の際にどこに足を運びたいかのリストも出来つつある。次回の一時帰国もまた楽しみだ。


昨日は、神学を通じて会計学を少しばかり考察していた。神学の観点から会計学を見たときに、本来無償の贈与というものがあって然るべきなのだが、資産=負債=0として計上する会計学の既存の枠組みの中に、キリスト教における隣人愛的な発想や仏教における相互扶助的な発想が貧困なことを見て取る。


無償で贈与したはずのものや贈与されたものが必ず測定の枠組みの中に入ってしまうことに違和感を感じ、それが現代の会計学の枠組みに基づく経済活動の歪みを生み出しているように思える。それは神学者のニミ·ワリボコの考え方を用いれば、「魂のケア」から乖離した経済·金融活動を生み出す。


もちろん、測定の俎上に乗せないと無償の利益供与の形でマネーロンダリング的な現象や賄賂のような現象が横行してしまうというのは問題だが、測定至上主義のような形で会計学が形成されているように思えてならない。無形資産を含めて、会計学的測定の俎上に乗らないものが重要なことは多々あることを改めて思う。


人間の解放に向けて、経済学思想の枠組みの歪みに加え、会計学思想の枠組みの歪みについても探究していく必要がある。その際に、ニミ·ワリボコやフィリップ·グッドチャイルドの神学を通じた経済学·会計学批判の観点はとても参考になる。


今日もまた読書を旺盛に進めていこう。気がつけば机の上に積読されていた書籍はもうほとんどなくなっている。今月中に全ての書籍を読み終えることができそうだ。


そこからは再読すべき書物を再読し、それがひと段落する頃に再び書籍の一括注文をしようと思う。旺盛な読書を行う今年の冬は、とても充実したものになるだろう。フローニンゲン:2021/10/21(木)07:37


7430. 特別な誕生日


時刻は午後8時を迎えた。今夜はとても冷え込んでいて、2重窓の内側を閉じ、カーテンレースを閉めた。これによっておそらく室内の寒さも変わるだろう。


ふと気づいた時、今日が自分の誕生日であったことを思った。先ほどメールを確認したときに、母から祝いのメッセージが届いていた。そして、フローニンゲン大学からは毎年のことだが、誕生日を祝う一遍の詩が贈られた。その詩を読みながら、こうして自分の誕生日を祝ってくれる人がいることの有り難さを思った。


今、突然激しい雨が通り過ぎて行った。本当にそれは一瞬であった。


今日は朝方に雨が降っていて、天気予報よりも早く雨が止み、午後には太陽の光が差し込む瞬間があった。


誕生日という観点で言えば今日は特別なのかもしれないが、何も特別ではないようにも感じる。そして、このようにいつもと変わらない毎日がどこか特別のように思えてくる。


そう考えてみると、人生もまた同じようなものなのかもしれない。日々はいつもと同じようでいて特別で、人生もまたありふれているようでいて特別なのかもしれない。


やっぱり人生は特別なのだ。そして、毎日も特別なのだ。なぜなら、日々を生きる自分自身が固有の特別な存在だからだ。


そんなことを誕生日の夜に思いながら、今日の午後のことを思い出している。今日は午後に、アメリカ西海岸時代にお世話になっていたセラピストの方と話をした。その方は自分よりも少し年上で、自分にとっては兄貴分ようなところもある。


その方にお世話になっていたのは9年前のことであり、その方も同じ大学院に私よりも前に通っていたこともあり、色々と共通の知人もいて、すぐに親しくさせてもらった。


9年前にその方に、カフェレストランでモーニングを奢っていただいたことや、最後に1対1で話をしたのは9年前のセラピーのセッションだったことを改めて話していた。


その方とは結局2時間ほど話をし、当時セラピーのセッションで取り上げていた話題の中に、今の自分の関心の根に当たるようなものを見つけ、嬉しい驚きがあった。それはその方に言われるまで気づかなかったことだったので、今日その方と話ができたことはやはり何か運命の導きのように思えなくもない。


当時セッションで取り上げていたトピックが個人的な原罪だけではなく、人間に宿命づけられた集合的な原罪につながるものであったことを思いださせてくれ、それは今の自分が神学へ関心を持っていることと密接につながっている。


今の自分の関心の芽がすでに9年前や8年前の自分の内側にあったことに驚く。そしてそれが9年や8年という時をかけてゆっくりと成熟し、関心の芽がヨーロッパの地で生活する中で突如として開いたことに驚きを隠せない。


人生は本当に何が起こるのかわからない。どこに向かっていくのかなんて予想はできないのだ。


とにかく一つ一つの縁や出会いを大切にしながら、自分のペースでゆっくりと歩んでいくことが大切なのだ。いや、ときにゆっくりとそこに立ち止まっていてもいいのである。


それは立ち止まっているようでいて、後々振り返ってみると、それは大きな前進になくてはならないものであり、とても大切な時間だということがわかるだろう。


今年の誕生日は何か特別だった。とても小さな幸せが詰まった日であった。


なるほど、自分にとっては毎日が誕生日なのだ。なぜなら、日々自分は生まれ変わっていて、毎日小さな幸せで満たされているからだ。


そう、日々は絶えず特別な1日なのだ。だから「特別」というのだ。1日として同じ日はない。そうか、それが自分の人生における日々の姿だったのだ。


ここまで生きてこられたこと。そして明日からもまた人生が続くであろうことにただ感謝の念が溢れ、祈りに似た気持ちで今この瞬間の自分は満たされている。フローニンゲン:2021/10/21(木)20:15


7431. これからの活動拠点/善き死/テクノロジー神学について


1つ前の日記を書き終え、再び筆を取った。何かがそうさせた。それをさせたのは自分を超えた何者かの存在である。


気がつけば、オランダで6回誕生日を迎えた。もうそんな回数になるのかと自分でも驚く。アメリカでは4回ほど誕生日を迎えた。欧米ですでに10回も誕生日を迎えていたのである。


今日の午後に話をしていたセラピストの方はアメリカにおよそ15年ほどいた。使命と運命によってその方は拠点を日本に移したのだが、自分もこれからどうなるのかは本当にわからない。


今この瞬間においてはなんとなく人生を終えるのは日本ではないような気がする。気がつけば欧米で迎える誕生日の数が日本で迎えるそれよりも上回る日がやって来るような気がしている。


自分がこれからどこに拠点を置いて生活をするのかはわからない。仮に再来年にアメリカに戻ることがあって、そして再びヨーロッパに戻ることがあれば、ヨーロッパ内に拠点を2つほど設けたいという考えがある。


夏に過ごすのは北欧かオランダで、冬に過ごすのはマルタ共和国かポルトガルのリスボンがいいかもしれないということを考えている。今まで実際に旅で足を運び、そこの雰囲気を味わってきた直感からすると、そのような拠点の候補が見つかっている。


これから来年にかけては、ヨーロッパ内での生活拠点を見つけるという意味合いも増す。来年予定しているバルト三国への旅もその一環である。


午前中に、善き死とは何かについて考えていた。地球という惑星の命を守っていくことは大切であり、消極的な保全ではなく、地球が活力を取り戻す形での積極的な涵養が必要だが、惑星もまた命であるがゆえに、いつかは滅びる運命にあるように思う。


そのときに、悲観的な形でそれを捉えるのではなく、自分たちを含めて、地球という惑星がどのように命を終えていくのが善き終末なのかを考えることは大切なことのように思う。これは宗教的な意味での終末論につながってくる話であり、このテーマについて神学はどのような洞察を私たちに授けてくれるのだろうか。


そんなことを考えていた。善き死というのは自分の中でとても大切なテーマだ。次回の書籍の一括注文の際には、死生学(thanatology)に関する学術書も購入する予定だ。


フランスの進学者のテイヤール·ド·シャルダンはテクノロジーに関する言及もしていることを今日の読書を通じて知った。シャルダンは自身のテクノロジー神学において、テクノロジーを通じた楽観的終末論を提唱していた。一方、フランスの神学者のジャック·エラルは、テクノロジーに関する悲観的終末論を提唱していた。


どちらの思想もナラティブであり、どちらの考え方も自分の思索を深めるための装置であり、決してドグマではないことを改めて肝に銘じる。2つの対極的なテクノロジー神学思想を通じて自分なりのテクノロジー神学思想を彫琢していく。明日の読書もそこに連なるものになるだろう。


誕生日の今日に考えていたのはこれからの活動拠点、善き死について、そしてテクノロジー神学についてであった。そして毎日が誕生日のように特別であることを考えていた。フローニンゲン:2021/10/21(木)20:32

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