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7413-7415: フローニンゲンからの便り 2021年10月15日(金)



No.2825 またたきと共に_With Twinkling


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.970, A Joyful Dance

Early morning light is enjoying dancing.

I’m infected with the joy.

I spontaneously started to dance.

Groningen; 07:50, 10/15/2021


No.971, A Deepening Autumn

I’m perceiving a specific geometric pattern of a deepening autumn.

It is beautiful.

It is revelational.

As autumn deepens more, I can see more such a beautiful divine pattern.

Groningen; 17:37, 10/15/2021


No.972, The Demiurge

The self is the demiurge of the world.

The world is the demiurge of the self.

The self is the world.

The world is the self.

Groningen; 19:51, 10/15/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7413. 今朝方の夢

7414. 知的ダークウェブ/様々なコンディショニング/ギルバート·シモンドンの良書と出会って

7415. ヨハン·ホイジンガへの親近感/言語の制約について


7413. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えようとしている。辺りは真っ暗で、今この瞬間、激しい雨が降っている。どうやら雨は午前10時頃まで降るらしく、そこからは晴れるようだ。


このところは随分と気温が下がっていて、昨日から寝るときに湯たんぽを使い始めた。湯たんぽでお腹を温めたり、足先を温めたりして眠ると快眠だった。


一昨日から入浴習慣を改め、昨日からは湯たんぽを使い始めたところ、体をかくことが減り、肌の状態も回復していくだろう。それと昨日からは、夕食後にリラックスできるヨギティーを一杯飲むようにし、それが良い作用をしてぐっすり眠れたのだと思う。


良い睡眠を取っている最中に見ていた夢を思い出している。夢の中で私は、見慣れない野球グラウンドにいた。そこでノックの練習を受けていた。


私が守っていたのはサードであり、小学校の時に地区のソフトボール大会ではこのポジションを任されていたこともあって、サードは好きなポジションだった。


自分はサディストの側面だけではなく、マゾキストの側面もあり、右利きのバッターの速い打球がサードに飛んでくることがあり、それを受け止めるのが好きだった。


最初ノックは見知らぬ中年の日本人男性が担当してくれていた。その方は野球経験者のようであり、どこかの少年野球チームのコーチにいそうな人だった。


ノックの打球はランダムに、まずはセカンドに跳び、次にライトに飛んだ。ライトに飛んだノックの打球はかなり際どいものであり、ライナー性の打球がファールギリギリの線上を飛んで行き、ライトを守っていた人は、グローブにボールを当てながらもそれを取り損ねた。


次にセンターに向かってノックをするのだろうなと予想しながらふとバッターボックスを見ると、ノックを担当していた中年男性は消え、なんとそこに立っていたのは外国人の小学生だった。なかなか体格が良く、野球をやっている感じの少年だった。


今度は彼がセンターに向かっていざノックをしようとした時、バットでボールを打つのではなく、なんと彼はセンターに向かってボールを思いっきり投げた。彼の肩はなかなかであり、ノックと変わらない打球がセンターの方向に飛んで行き、それはセンター深くまで飛んでいったのだが、センターを守っていた人は見事にそれをキャッチした。


さて今度はサードにボールが飛んでくる番かと思い、私はボールを補球するイメージトレーニングを行なった。目をしっかり開けて、グローブにボールが収まる最後までしっかり見ることを意識すればボールをキャッチできるはずだと思った。


今度はその少年はバットでノックをし、サードに飛んできた瞬間に、その場が実際の試合の場面になった。9回1アウト満塁の最後のバッターがボールを打った先は、私が守っているサードだった。


サードに速い当たりが飛んできて、私はイメージ通りにそれを補給した。そして、二塁から三塁にやって来ていた人にタッチをして1アウトを得て、一塁ではなくてホームベースのキャッチャーに向かってボールを投げた。


そしてキャッチャーは、三塁からホームに戻ろうとしていた人にタッチをし、そこでゲームセットとなった。


会場は立派な球場であり、観客は満員だった。ゲームセットの瞬間、観客が一斉に歓喜を上げ、グラウンドにいた私たちも一斉に喜んだ。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/10/15(金)07:09


7414. 知的ダークウェブ/様々なコンディショニング/

ギルバート·シモンドンの良書と出会って


時刻は午前8時半を迎えた。空にはうっすらとした雲がかかっているが、先ほどまで降っていた雨が止んだ。当初は午前10時頃に雨が止むことを想定していたので、それよりも早くなった形だ。


昨夜ふと、知的ダークウェブ(intellectual dark web)について考えていた。基本的に多くの知識は公共的なものとして公開されているが、中にはそうでは無いものもある。


アカデミックの世界で行われている研究というのもそうした類のものだ。確かに多くの知識は書籍や論文の形で公開されているものもあるが、そうではなく、まさに知的なダークウェブを構成するかのように、一般人には触れることのできない知識というものがある。


人間の発達に関する知識もそうした側面がある。知的ダークウェブに眠る人間の解放につながる知識を倫理観を持って共有していくこと。それが自分の果たす1つの役割だろう。


人々がこうした知識に容易にアクセスできないことは解放の妨げになっているのである。


人々を縛る無数のコンディショニング。人々は、制度的コンディショニングと文化的コンディショニングのみならず、さらには時代精神的なよりマクロなコンディショニングを受けている。


こうしたコンディショニングによって社会が回っている側面があるが、それらは解放の足かせであることは確かだ。人間を制約している諸々のコンディショニングについては、イギリスの社会学者マーガレット·アーチャーの書籍がとても参考になる。彼女の書籍をまた読み返そう。


昨日読んだ書籍の中で、とりわけギルバート·シモンドンの“Individuation in Light of Notions of Form and Information”という書籍が秀逸だった。思わず唸ってしまう箇所がいくつもあり、本書は4~5回ぐらい通しで繰り返して読むべき書籍のリストに入った。


シモンドンの仕事がなぜ多くのテクノロジー哲学者に参照されているのか、その理由が本書を読めばよくわかる。シモンドンの書籍で英語に訳されているものは全て購入したが、本書が今のところ一番洞察に溢れているように思う。


今日もこれから読書に励むが、どのような良書と出会えるか、今からとても楽しみである。喜びと楽しさの感情と共に進んでいく探究生活。


探究の進む方向は自分でも未知だが、喜びと楽しさの感情があることは、きっと自分なりの正しい方向に探究が進んでいくのではと思わせてくれるのに十分だ。フローニンゲン:2021/10/15(金)08:49


7415. ヨハン·ホイジンガへの親近感/言語の制約について


時刻はゆっくりと正午に向かっている。起床直後の激しい雨が嘘であるかのように、晴れ渡る空が広がっていて、辺りはとても穏やかである。


そよ風に揺られる木々の葉をふと眺めてみると、もう随分と紅葉していることに気づいた。私たちが見ていないところで、季節は着実に進行しているのだ。そして、私たち自身が変容の歩みを絶えず継続していれば、それは私たちの気づかないところで常に起こっているのである。


午前中は3冊ほどの書籍の初読を終えた。その中でも、アメリカの文明批評家のルイス·マンフォードの“Technics and Human Development: The Myth of the Machine”という書籍が大変素晴らしかった。


本書の中で、オランダの歴史家ヨハン·ホイジンガの洞察が紹介されていた。ホイジンガは、綿密な史料調査の末、人間文明を形成するのに非常に重要な役割を果たしたのは、仕事よりも遊びだったことを発見した。ホイジンガはそこから人間を「ホモ·ルーデンス(homo ludens:遊ぶ人)」と呼んだことはよく知られている。


ホイジンガは、晩年はオランダの名門ライデン大学で学長まで努めたが、元々はフローニンゲン生まれであり、フローニンゲン大学を卒業し、フローニンゲン大学の教授も務めていたことを知り、親近感が湧いた。


また、ホイジンガが歴史研究に転じる前はサンスクリット語の研究をしていたこと、さらには仏教やバラモン教に関心を持っていたことなどを知り、その点にも親近感を覚えた。ホイジンガへの親近感から、“Homo Ludens: A Study of the Play-Element in Culture”を改めて読んでみようと思う。


人間発達の探究が随分と進んできたこの時点において、改めて人間とは何かという問いが重要性を帯び、それがゆえにマンフォードやシモンドンの書籍に惹かれるものを感じているのかもしれない。


また、神学やトランスヒューマン(およびポストヒューマン)に関心を持っているのも、人間とは何かという問いが理由になっている。この問いに答えるために探究を続けていくことは、人間解放に向けての実践と密接に関わっている。


今朝方、私たちが種々のコンディショニングによって制約されて生きていることについて言及していたように思う。そこから改めて、言語というものが文化の重要な容器として機能している点に着目していた。


人間が文化的なものに縛られているという側面から考えてみると、文化の容器としての言語的な制約からどれだけ脱却できるかが文化的なコンディショニングからの解放において重要になる。


そのときに、かつてゲーテが「外国語を理解しない者に母国語はわかり得ない」と述べたように、外国語を学習することを通じて母国語による言語的制約を客体化することは、言語的な縛りから解放される道として、そして文化的な縛りから解放される道として重要だ。


上記で言及したマンフォードの書籍の中でも言語の話題が取り上げられており、人間の解放と言語の性質は深いつながりがあることがわかる。フローニンゲン:2021/10/15(金)11:49

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