No.2820 無意識の積み木_Building Blocks of the Unconsciousness
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.966, Habit
I just came up with an idea to change one of my habits.
If I changed the habit, my life would get much better.
Groningen; 07:33, 10/13/2021
No.967, A Spiritual Navigator
One of my best Dutch friends is a spiritual navigator for me.
I talked to him today.
The conversation with him always sheds light on my spiritual path.
I had the experience today, too.
I just appreciate his being and his energy.
Groningen; 16:10, 10/13/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7407. 今朝方の夢
7408. 場所からの呼びかけ/入浴習慣の見直し
7409. 綴ることとアナムネシスとヒポムネシス/意識の発達と想像力
7407. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。ここ最近はもう見慣れた光景になったが、この時間帯はまだ真っ暗である。そして、もう1つ聞き慣れたこととしては、この時間帯に自動で暖房が入ることである。その音が今室内に響いている。
昨日に引き続き、今朝方は印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた中学校のグラウンドにいた。そこで数人の友人たちとサッカーをしていた。
最初は人数が少なく、シュート練習のようなものをしていた。ある友人にキーパー役を務めてもらい、シュートの練習をしばらくしていると、徐々にサッカーをやりたい友人たちが集まってきた。
紅白戦をするぐらいの人数が揃ったので、そこからは2つに別れて試合をすることにした。その際に、どちらのチームにも1学年下の後輩が何人か入っていた。
いざ試合を始めたところ、早速こちらのチームが得点をした。ところが、すぐさま同点に追いつかれてしまった。
そこからは少し硬直状態が続いたが、またしてもこちらのチームが得点を奪い、1点リードした。だがリードしたのも束の間、こちらのチームの後輩と相手のチームの後輩が私たちのいないところで勝手に試合を始め、試合が混乱した。
というのもグラウンド上に2つのサッカーボールが現れたからである。私は後輩に声を掛け、そっちのボールを使わないようにお願いした。
実は後輩たちが試合を混乱させている間に、こちらのチームは相手のチームに得点を奪われたのだが、私は相手に事情を説明し、3分前の状態から試合を仕切り直すことをお願いした。なので、得点は2対1から試合が再開することになった。
この夢の中で、相手のチームにはサッカーの上手い親友(NK)がいて、彼と1対1で対峙する瞬間があったのを覚えている。攻撃を仕掛けるのが私で、友人が守備をしていた。
その他にも、こちらのチームがコーナーキックのチャンスになった時、誰もキッカーを務めようとしなかったので、自分がキッカーを務めることにした。ボールを蹴る前に、こちらのメンバーにはスペースに飛び込むように指示をした。
ちょうどある友人(KF)がフリーになったので、すかさずそこにグランダーのボールを送ると、彼は見事に合わせてゴールを奪った。それがこちらの2点目だった。
今朝方はその他にも、大事なことを自分が誰かに対して主張している夢があった。それは性愛に関するものだったように思う。
相手の男性は自分の主張に驚いているようだったが、自分の主張には一理あるということを納得してくれ、これからの性愛にそれを活かそうと思うということを述べてくれていた。現代社会においては性愛というのも歪んでいて、その歪みを正すような知識を伝えていくことも自分の役割かと思った。
今朝方はそのような夢を見ていた。それでは今日はいつもより早い時間帯にオンラインセミナーがあるので、それに向けて少し準備をしよう。準備といっても朝風呂に入ったり、身支度をしたりするぐらいなのだが。フローニンゲン:2021/10/13(水)07:18
7408. 場所からの呼びかけ/入浴習慣の見直し
時刻は午後5時を迎えた。先ほど、親友の美容師のメルヴィンの店に行き、髪を切ってさっぱりして帰ってきた。
美容室にいく道中、フローニンゲンは随分と寒くなったことを改めて実感した。みんな大抵暖かいジャケットを着ていて、中にはもうマフラーを巻いている人もいるぐらいであった。
そんな寒さの中で店に向かったわけだが、気分はどこか晴れやかであった。いつもメルヴィンとの対話は示唆に富んでいて、今日もそれが楽しみだったのだ。
店に到着して扉を開けると、メルヴィンがいつも以上に嬉しそうにしていた。表情から何か安堵感と喜びが感じられ、尋ねてみると、新しい引っ越し先が無事に決まり、契約をしたところとのことだった。
新居の場所を聞いてみると、なんと嬉しいことにメルヴィンが近所に引っ越すことを知り、ご近所同士になることをお互いに喜んだ。
メルヴィンが新居に選んだ場所は、物件見学の際に300人の候補者がいたそうだが、なんとそのうちの1人にメルヴィンが選ばれたとのことだった。300人中の1人になるというのはなかなかすごいことだ。
メルヴィンがふと、「自分がこの場所を選んだというよりも、この場所が自分を選んでくれたんだと思う」ということを笑顔で述べた時、その言葉にハッとさせられるものがあった。
おそらくそうなのだろう。私たちは自ら生活する場所や活動する場所を選んだと思いがちだが、それもまた人間中心主義的な発想、あるいは自己中心的な発想と言えるかもしれない。
超越的な視座からすれば、それは場所の方が私たちを選んでくれたという見方ができる。そうした見方で場所を見ると、場所への敬意が生まれ、場が宿している力の恩恵に授かることができるのではないか。そのようなことをメルヴィンの発言から思った。
メルヴィンとの対話を楽しみ、自宅に戻ってくると、少し早いが入浴をした。実は新居に引っ越してから、入浴の習慣に変化があった。
以前までは夕食前に入浴をしていたのだが、新居に引っ越してからは、夕食を食べ終えて数時間経ち、寝る前に入浴をしていた。体温が上がり、それの方が入眠しやすいかと思ってそのような習慣に変えていた。
ところが最近気づいたが、元々自分はアトピー体質があるので、体温が上昇していると皮膚が敏感になり、寝ている間に体をかいてしまう現象がたびたび起こっていた。当初は食のせいかと思っていたが、普段から食には気を遣っていて、どうもそうした内側の要因ではなく、外側の要因として、体温上昇がもたらす皮膚の過敏現象が痒みを引き起こしていたようだと思った。
実際に調べてみると、ただでさえ寝る前には体温が上昇するので、アトピーの人は寝る前に入浴をあまりしない方がいいということが書かれていた。今日から入浴の習慣を少し変えてみることにしたのはそのためだ。
以前と同じく、夕食を作る前に入浴をする習慣に戻してみて、就寝中の体の痒さにどのような変化が見られるかを観察してみようと思う。フローニンゲン:2021/10/13(水)17:12
7409. 綴ることとアナムネシスとヒポムネシス/意識の発達と想像力
穏やかさ。今この瞬間の世界を表現すると、その一言に尽きるかもしれない。
今日もまた綴られることによって今日という日が確かにここにあったという感覚がある。それは自分の存在証明でもあるかのようなのだ。
日々を綴ることは、日々の存在証明であるのと同時に、自分がこの世界に存在していることを証明してくれるものでもある。その観点において、日々を綴るというのは、日々に起こる出来事や自己を深く知るという認識論的な作用のみならず、世界と自己の存在を如実なものにするという存在論的な作用もあるのだ。
それをただただ深く実感させられる。そう、今この瞬間の感覚も綴ることによってこの世界に明らかなものとして形を取って存在し始めたのである。
いや厳密には、そうした感覚は綴られることに先行して存在していたのだ。先行して存在していたものを確かなものとして存在させるために綴るという営みがあるのだろう。
この綴るという行為は、人類が長く行ってきたことである。テクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーの言葉を借りれば、綴ることを通じて自己の記憶を保持·涵養していくという「ヒポムネシス(hypomnesis)」の考え方が重要だ。
古代ギリシャ哲学者が述べたように、自発的に想起するという意味での「アナムネシス(anamnesis)」は発達において重要な役割を果たすが、それと同じく、書き残した文章や写真、さらには映像を通じた記録を活用しながら記憶を辿るという意味でのヒポムネシスも重要になる。
後者は、外部記憶装置を活用しながら記憶を維持·涵養·伝承していくことを特徴とする。自分が日々日記を綴っているというのは、綴られる対象をアナムネシスし、時には過去の記憶をアナムネシスしながら、同時に綴るという行為を通じてヒポムネシスする営みだと言えるだろう。
意識の発達と記憶は密接に繋がっている。その観点で、アナムネシスとヒポムネシスをどれだけ意識的に行えるかは重要だと言えるだろう。
これはひょっとすると、想像力と関係している点もあるだろう。想像力を働かせる際に、記憶という素材が土台になって、そこからジャンプする形で発想の飛躍現象が起こり、それが想像力というものの正体なのかもしれない。
想像力の限界は、意識の発達の限界でもあるのだ。言い換えれば、意識の発達の限界は、想像力の限界を指す。
意識と視点取得能力は密接不可分に発達していくのだが、視点取得能力の基盤に想像力がある。目には見えない相手の気持ちやこの社会がどのようなメカニズムや世界観で動いているかを理解する際には、必ず想像するという行為が不可避に生じる。
そう考えてみると、想像力が乏しいというのは、視点取得能力が乏しいということを指し、意識の発達もどこかで停滞してしまうに違いない。そして、想像力というのは創造力にも密接に関わっていることもまた忘れてはならない。
意識の拡張とは、知覚できるものの広さと深さが増大していくことであり、想像力はそれと密接に関係している。想像力を養う美的実践や創作活動というのは、意識の発達を実現していくための鍵を握ることを改めて思う。
想像力を養い、創造力を養っていく日々。それが明日からもまた続いていく。フローニンゲン:2021/10/13(水)17:33
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