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7376-7378: トリアー旅行記 2021年10月2日(土)

更新日:2021年10月6日



No.2786 ベートーヴェンの記憶_Beethoven’s Memory


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.945, A New World and a New Journey

A new world has just emerged and begun.

I entered it and started a new journey.

At the end of today, I’ll be a different person.

Trier; 08:09, 10/2/2021


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本日の3曲


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楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7376.【トリアー旅行記】今朝方の夢

7377.【トリアー旅行記】筆の赴くままに

7378.【トリアー旅行記】トリアー市立博物館とマルクス博物館を訪れて


7376.【トリアー旅行記】今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えようとしている。トリアー滞在の2日目が始まった。今この瞬間の外の世界は真っ暗であり、静寂に包まれている。


どうやら今日はこれから午前中にかけて雨が降るらしい。幸いにも昼頃に雨が止むとのことであり、ちょうど今日は正午ぐらいにトリアー市立博物館に行き、そこからマルクス博物館に行こうと思っていたので雨に悩まされることはなさそうだ。ただし、念のために折り畳み傘を持参しておこう。


今朝方は印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、小中高時代の2人の友人(AF & TK)と話をしていた。


2人は中学校時代にテニス部に入っていて、タッグを組み、学年で一番強いコンビだった。そんな彼らは迫っている大会に向けて練習の追い込みをしていた。


片方の友人はプロテニスプレイヤーとして活躍しているのだが、年齢もあって、ここ最近は年俸が随分と下がったと述べていた。彼はテニスができるだけで満足ということを述べていて、年俸の金額はさほど気にしていないようだった。


もう片方の友人に彼の年俸をそっと尋ねてみたところ、それはプライバシーの問題上、教えられないとのことだった。すると、そばにいた彼は隠すことなく年俸を教えてくれ、630万円ほどとのことだった。


確かにプロテニスプレイヤーとしては随分と低い年俸だと思った。何やら全世界のプロテニスプレイヤーの年俸を確認することができる関係者専用のデータベースがあるらしく、極東の日本人プレイヤーの年俸をどのように調べているのか気になった。するとそこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は画家の友人のイベントの手伝いを何人かの友人と一緒に行っていた。最初私は、その友人のイベントを成功させたいとかなり力を入れて手伝っていたのだが、その友人から感謝の念が伝わってこず、本気で手伝う気持ちが萎えていってしまった。


プロデューサーの方と話をし、そこからイベントで必要な大量の機材を運ぼうとしていると、それがもう面倒になったので、私は手伝うことをやめ、その場を後にすることにした。その時に、小中高時代の親友(HO)も一緒にその場を離れることにした。


私たち2人は、アフリカ系アメリカ人が経営するアンダーグラウンドの探偵事務所に所属していて、今からある任務をこなすことになった。親友と私は、小高い丘を走る車の中にいて、車の運転をしているのは見知らぬ若い男性だった。


彼の運転が危なかしくてしょうがなく、道から外れ、大木にぶつかりそうになることや、対向車にぶつかりそうになることもしばしあり、私たちは彼の車から早急に降りたいと思った。


なんとか車から脱出すると、親友は1人任務の遂行に向けて別行動することになった。また後ほど会おうと声をかけて別れた。


1人になった私は、丘から下りてくる1台の車の姿が見えたので、横断歩道の前で止まり、その車を先に行かせることにした。すると、その車を運転しているのは広島出身の予備校時代の3人の友人だった。


彼らは私のことに気づいたが、車はそのまま右折していき、どこかに消えていった。私は彼らが向かう方向に行くか、彼らとは反対の方向に行くかを少し迷っていて、彼らの車に乗せてもらえばよかったと思ったが、やはり単独行動をして彼らとは反対側の方向に向かうのが良いだろうと判断した。


すると気づけば私は飛行機の中にいて、どうやら親友と取り組んでいた任務を無事に遂行したようだった。私たちのボスにあたる探偵事務所のアフリカ系アメリカ人の男性に連絡をすると、彼が今回の任務の遂行に対して12ポイントを付与してくれた。


親友と私はそれを大いに喜んだ。というのも、彼とは前から一緒にサンフランシスコに行こうと述べていて、この12ポイントを使えば、ロサンゼルスからサンフランシスコに行けるからであった。


今年遂行できた任務はその1つしかなかったが、サンフランシスコに旅行し、また来年も任務の遂行に向けて励もうと心に誓った。トリアー:2021/10/2(土)06:46


7377.【トリアー旅行記】筆の赴くままに


静けさに包まれたトリアーの朝。時刻は午前7時を迎えようとしているが、日の出はまだ先のようだ。欧州のサマータイムが終わるのは今月の最後の日曜日であるから、それまでは特に日の出が遅く感じられるかもしれない。


今日から本格的にトリアーの町を観光する。トリアーはどこか考古学的な町だと昨日思った。トリアーの町は古代遺跡が豊富に残存するアテネを思い出させてくれる。町の規模はアテネの方が圧倒的に大きいが、歴史的建造物が町に溶け込んでいる感じがどことなく似ているのだ。


そう言えば昨日、トリアーに向かっている最中に、迷彩色の軍服を着たドイツ人の若い男性をちらほら見かけた。ボン中央駅にも彼らの姿をちらほら見かけ、トリアーの駅でも見かけた。今の時期に徴兵でも行われているのだろうか。


ふとGoogle Map上の博物館の開館情報を見た時に、明日はドイツにとって重要な祝日であることがわかった。東西ドイツの統一を記念した重要な日のようだ。もしかしたらそれを祝うセレモニーの護衛に彼らが駆り出されたのかもしれないとふと思った次第である。


東西ドイツが統一されてまだ30年そこらしか経っていない。それがにわかに信じられない。


今トリアーで宿泊しているホテルの朝食は、どうやらビュッフェ形式ではないようだ。レストランで注文するような形を取るらしい。


昨日チェックインをした際に、朝食の時間を尋ねられ、最初は8時半をお願いしたが、1時間刻みでしか予約ができないとのことだったので、9時にしてもらった。さてどのような朝食が出てくるのか楽しみである。


それではいつものように、これから創作活動をし、朝食まで時間があれば、読書をしたいと思う。今日の観光でまたどのような気づきと発見が得られるのか楽しみである。トリアー:2021/10/2(土)07:14


7378.【トリアー旅行記】トリアー市立博物館とマルクス博物館を訪れて


時刻は午後5時を迎えた。先ほど観光から戻ってきて、少し仮眠を取っていた。


今日の観光は大変充実したものだった。幸いにも天気が持ち、折り畳み傘を持参する必要がなかった。


実は今日の朝食は嬉しいことにビュッフェ形式だった。チェックインの際にホテルの朝食の時間を尋ねられていたので、てっきりビュッフェではないと思っていたため、嬉しい形で予想が裏切られた。


レストランのウェイターに席を案内してもらうと、席の真ん前の大きなガラス窓の向こうに、ユネスコの世界遺産のポルタ·ニグラが拝めた。とても素晴らしい席に案内され、朝食を食べている最中は四六時中この古代遺跡を眺めていた。


朝食後、トリアー市立博物館に向かった。トリアー市立博物館だと思って入館したところが、なんとポルタ·ニグラであり、思わず笑ってしまった。先ほどまで朝食を摂りながら眺めていた遺跡の中に入り、門の最上階まで上り、そこからの見晴らしを楽しんだ。


その後に隣にあるトリアー市立博物館に足を運んだ。そこでゆっくりと展示品を眺めた後、今回のトリアー訪問で一番楽しみにしていたマルクス博物館に向かった。


トリアー市立博物館からマルクス博物館までは歩いてすぐであり、そこはマルクスの生家だったことから大きさとしてはそれほどではないが、展示資料が非常に充実していて、2時間ぐらいそこに滞在していた。


展示されている資料からいくつか得られた気づきがあったので、備忘録として書き留めておきたい。まずマルクスはユダヤ人家系に生まれ、幼少期こそユダヤ教を信奉していたが、両親がプロテスタントに改宗したことをきっかけにして、マルクスも宗教を変えた。その後にはカトリックへ移っていったことを考えると、マルクスは宗教の変遷を通じてアイデンティティの変容を経験したのではないかと思われる。


また、トリアー時代のマルクス一家は貧困に喘いでおり、マルクスは生涯を通じて経済的には恵まれず、そうした自身の経済状況が資本主義への批判の原動力になったのではないかと思われる。マルクスの支援者であったエンゲルスは幼少期から裕福であり、彼は自社の株式を売却することによって資産家となり、マルクスの思想上のパートナーとしてのみならず、マルクスの執筆活動を経済面からも支えていた。


マルクスの資本主義批判で採用されているアプローチは、まさに資本主義の生産システムの構造矛盾を突いたものであり、構造を知ることによって初めて人はその状況を変革できるという発想は、発達理論の考えに通じるものがある。


マルクスが一連の仕事を通じて成し遂げたかったことは、2つの意味での自由を実現することだった。1つは資本主義による搾取からの自由であり、もう1つが生きることの自由と自らの潜在能力と喜びに基づいた労働の自由だった。これらの自由を実現するというのもまた発達理論の果たす1つの役割であることを考えると、マルクスの思想の重要性が自ずから浮かび上がってくる。


博物館を十分に堪能した後は、ミュージアムショップでマルクスの関連資料を購入し、その後、いくつかの古代遺跡を眺めてからホテルに戻ってきた。


明日は特に博物館に行く予定はなく、トリアーの少し郊外を散策してみようと思う。トリアー:2021/10/2(土)17:35

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