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7363-7365: ボン旅行記 2021年9月28日(火)



No.2766 青き精霊の華_A Flower of an Azure Spirit


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.937, Full Readiness

Ripples of serenity have come to the morning in Bonn.

The city is slowly waking up.

I’m fully ready to for whatever happens today.

Bonn; 07:15, 9/28/2021


No.938, Recuperation

I just became relaxed in Bonn today.

My body was totally recuperated.

From tomorrow, I’ll be active again.

Bonn; 22:04, 9/28/2021


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

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タイトル一覧

7363.【ボン旅行記】今朝方の夢

7364.【ボン旅行記】ボン滞在の3日目の朝に

7365.【ボン旅行記】ドイツ歴史博物館を訪れて


7363.【ボン旅行記】今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。ボン滞在の3日目を迎えた。


昨日と同様に、今朝の目覚めは素晴らしく、体調はいつものように万全である。こうして健康な体でいられること。それに優ることはないように思う。体が健康でなければ、精神の健康は難しく、改めて体の健康がどれだけ重要なことかを思う。


今朝方は夢によって目覚めた。夢の中で私は、ロサンゼルスの空港にいた。


今から日本行きの飛行機に搭乗する必要があり、搭乗まであと少しだった。実際にはすでに搭乗が始まっていて、私が搭乗する予定のクラスは優先的に搭乗開始となった。


私は母と一緒に日本に帰ろうとしていて、荷物カウンターで荷物を預ける際に、大きなスーツケースを1つ預けた。カウンターを抜けてセキュリティーゲートにたどり着いた時、後ろから前職時代の同僚の女性がやって来る姿が見えた。


どうやら今その女性と一緒に仕事をしているらしかったが、その案件に自分が関与するのは今年までであり、彼女に引き継ぎをする必要があった。母もその女性に仕事関係で伝えたいことがあったようなので、私たちは彼女が歩いて来るのを待ち、そして彼女に話しかけた。


彼女は旅行にやって来ていたので、私たちが挨拶もそこそこに仕事の話を切り出すと、今は勘弁してほしいというようなことを笑いながら述べた。母と私は、確かにそれもそうだよなと思い、そこからは仕事の話をせず、他愛のない話をすることにした。


セキュリティーチェックを通り抜けると、彼女がふと、今回のような大型の飛行機に乗るのは初めてだと述べた。彼女が仕事の話を避けたのは、大きな飛行機に初めて乗ることに対する緊張からだったのだとその時に気づいた。


初めてということであれば、私は飛行機の特徴の説明を彼女にしてあげようと思い、1番の見どころである大きな車輪を近くで見てみようと持ちかけた。彼女は嬉しそうにしていたが、そうこうするうちに搭乗が始まった。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は外国の見慣れない町にいた。前の夢とつながっていたのか、その町はどこかロサンゼルス郊外の町のように思えた。道がとても広く、ヤシの木などが道路の横に生い茂っていて、どこかそのようなことを思わせたのである。


私はアメリカ人の女性と彼女の息子と一緒に住宅地を散歩していた。そして彼女の家まで帰って来た時、一台の超巨大なキャンピングカーのような車が彼女の家の車庫の前に止まっていた。


するとその車の中から、1人の中年のアメリカ人男性が降りて来て、彼女の車をそのキャンピングカーの中に入れるように指示した。そのキャピングカーにはナンバープレートが付いておらず、どことなく怪しい雰囲気があった。


一応その男性は彼女の知り合いということであったが、風貌と雰囲気から、あまり信用できない人物のように思えた。彼女はそんなことはお構いなしに、その男性に言われた通りに、車をキャンピングカーの中に入れた。


キャピングカーの中に、やはりその車が偽りの車であることを思わせるような証拠品があり、私は彼女にそっと警告した。しかし、人間とは怖いもので、一度何かを信じたり、信頼したりすると、疑いの念を持つことが難しくなってしまう生き物のようだ。


彼女は私の言葉に耳を傾けず、彼を信頼し切っているようだった。万が一何かったとしても、それは自分の責任であるということさえ述べていた。


彼女を説得するのはもう無理だなと思ったので、私は彼女とその息子に挨拶をして、その場を去ることにした。その後、そのキャンピングカーはやはり違法車両であり、どこかでその車が爆発し、彼女と息子、そして運転手の男性は亡くなったようだ。ボン:2021/9/28(火)06:49


7364.【ボン旅行記】ボン滞在の3日目の朝に


時刻はゆっくりと午前7時に向かっている。ボンの朝もフローニンゲンの朝と同じく、この時間帯はまだ随分と暗い。日の出の時間はもう少し後である。


昨日は夕方に小雨が降ったが、その時にはすでにベートーヴェン·ハウスから戻って来ていたので、雨の影響は全くなかった。それは本当に少しの時間だけそっと降るような雨だった。


今日は天気が良いとのことなので、折り畳み傘を持っていく必要はない。気温は18度まで上がるそうなので、上に何かを羽織る必要もなさそうである。


ボンは観光の街であることを改めて思う。ドイツも引き続きコロナ対策を行っていて、それはオランダよりも少し厳しい。ホテルの中や店の中ではマスクをしなければならず、外でマスクをしている人もちらほら見かけるほどである。


オランダでは外でマスクをしている人などほぼ皆無であり、店の中でももうマスクなどしなくなって随分と経つ。オランダで唯一マスクをしなければならないのは公共交通機関に乗る時だけである。そうした状態に慣れていたので、ドイツでは少し堅苦しさを覚えるが、日本の知り合いに聞くと、日本ではもっと徹底してマスクをしているそうだ。


昨日、ベートーヴェン·ハウスを訪れて、昨年がベートーヴェンの生誕250年だったことを改めて知る。そういえば、実際のところは昨年にボンに足を運ぶ予定だったが、コロナによって延期をせざるを得なくなったことをふと思い出した。だが逆に1年遅れたことによって、ボン市内が混んでいなくて良かったように思う。


今日は昼前に協働者の方とのオンラインミーティングがある。それは毎月の月末に行っている定例ミーティングであり、今日はボンからそれに参加する。明日もまた別件でオンラインミーティングがあるが、テクノロジーの進化によって、旅行中であっても何の問題もなくこうしたミーティングが行えるのは有り難い。


毎月の仕事に充てる時間の少ない自分にとっては、こうした協働上のミーティングは刺激になり、毎月に2~3件あることは理想的である。それを有り難いことだと述べているのは、そうした刺激による。


オンラインミーティングをするのは旅行中であっても問題ないが、これが普段働き詰めでバカンスのための旅行であれば話は別なのだろう。いつでもどこでもオンラインミーティングができるようになり、いつでもどこでもメッセンジャーを通じてやり取りができるような状況は、旅先で心の底から寛ぐことを不可能にさせるはずであり、それは旅の効能を奪ってしまう。旅がもたらす非日常感や寛ぎを奪い去ってしまう可能性があるのだ。


今日のミーティングは正午に終わり、今日はドイツ歴史博物館へ足を運ぼうと思う。ホテルの受付でもらった公共交通機関の乗り放題のチケットが今日から力を発揮し、ホテルと目と鼻の先にあるボン駅から列車に乗れば、速やかにドイツ歴史博物館に辿り着けるようだ。今日もまたボンの観光をゆったりとした気分で楽しもう。ボン:2021/9/28(火)07:12


7365.【ボン旅行記】ドイツ歴史博物館を訪れて


時刻は午後8時を迎えた。今日は正午に終わったオンラインミーティングの後に、ドイツ歴史博物館に訪れた。


当初は“Kunstmuseum Bonn”と“Kunst- und Ausstellungshalle der Bundesrepublik Deutschland”という2つの美術館のうちの片方を訪れようと思っていたのだが、調べてみると2つの美術館を合わせて訪れることができる割引チケットがあり、片方は明日に行く予定だったので、いっそのこと2つの美術館に行くことを明日に回した。


そうしたこともあり、今日はドイツ歴史博物館を訪れたのだが、この博物館が想像以上に良かった。てっきり1時間半ぐらいで全て見ることができると思っていたのだが、結局3時間ぐらいこの博物館にいて、くまなく展示資料を眺めていた。


最初に特別展示の“Hits & Hymns: The Sound of Contemporary History”から展示物を眺めていった。ここでは1960年代から現代にかけてのドイツの音楽史を辿ることができ、実際に音楽や映像を視聴する展示も数多くあったので、かなり時間を使って展示物を眺めていった。


その中でも、ベートーヴェンがどれほど難聴だったかが体験できる装置があったのが興味深かった。そこではベートーヴェンの代表作品である交響曲第5番と第9番が取り上げられ、第5番の作曲時においても難聴が既に現れていたベートーヴェンがどれほど音が聴きとりにくかったのかを第5番の演奏を聴きながら体験する装置があった。


そこではまだ低音の音は聞き取れたが、高音を発する楽器の音は既にもうほとんど聞き取れないような状況だった。そこから次に聞いたのは第9番なのだが、ここではもう低い音ですら聴き取れないぐらいであった。何か耳の鼓膜に音波の振動があるぐらいにしか音を認識することができなかったのである。


そこで比較として第9番を難聴モードではない形で聞いた時、その音と曲の美しさに思わず涙ぐんでしまった。音の雲が一気に吹き飛び、あの勇ましく力強い合唱が聴こえて来た時、自分の内側の何かに触れ、いや何かを突然目覚めさせ、それが涙ぐむという反応をもたらしたのだと思う。


普段音が聞こえることを当たり前のように思っている自分がいたことに気づかされ、この世界に満ち満ちている音に感謝した。当然ながら悪音や醜音が蔓延る現代社会であるが、それでも小鳥のさえずりや、小川や森のせせらぎなどを含めて自然には素晴らしい音があるし、ベートーヴェンの音楽のような美音がこの世界には存在しているのだ。


自分はそうした奇跡のような音たちに感謝の念を捧げたい。そして、そうした音に囲まれてこれからも毎日を過ごしたい。それは自分の切なる願いである。


もう1つ印象的だったのは、ベートーヴェンの未完の曲、交響曲第10番の草稿が展示されていて、その作りかけの部分まで聴けたことである。第9番は全人類のために捧げた曲のように思えるが、ひるがえって第10番は、説明文のドイツ語の意味がほとんど理解できなかったが、どちらかというこの曲は国歌のような意味合いで作られていたのではないかと思われた。この点についてはまた調べてみよう。


特別展示を後にすると、今度は常設展示を見ていった。こちらがかなりボリュームのある展示で驚いた。そう、これほど資料が充実しているにも関わらず、なんと入館料が無料だったのだ。建物も本当に立派であり、この博物館を無料で見学できることに最初驚いてしまったのである。


常設展示では、第二次世界大戦中の1945年から、2010年代後半までのドイツの歴史を工夫が凝らされた数々の展示と共に辿ることできる。文明論の観点、及びテクノロジー哲学の観点から、戦中から現代までのドイツの歴史を辿ってみると、色々と考えさせられることがあった。


備忘録としてメモ書きをしておくと、第二次世界大戦によって経済が大打撃を受けたドイツは、朝鮮戦争を通じた戦争特需によって経済が復興したことがなんとも皮肉に映った。端的には、戦争で一国の経済が大打撃を受けることもあれば、戦争によって国の経済が潤うこともあるという点に、笑うに笑えない皮肉な現象を見て取った。


また、第二次世界大戦後も世界では戦争が絶えず、今でも戦争はまだ撲滅されていない状況の中で、戦争や国際政治の問題からまるで人々の意識を反らせるためにエンターテイメントや消費文化が拡大していったことが見て取れることも皮肉に映った。


それに関連して、オリンピックやサッカーワールドカップなども、結局は現実世界の厳しい現象から人々の意識を逸らせるだけの単なる慰め、あるいはスケープゴートに過ぎないということも一連の展示物を眺めながら感じたことである。ボン:2021/9/28(火)20:32

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