No.2704 光の泡_Bubbles of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.911, Manyness and Oneness
Manyness and oneness are two sides of the same coin.
I am among many
and at the same time, I am the one.
That is one of the ultimate truths.
Groningen; 07:32, 9/18/2021
No.912, Waiting For a Tranquil Wave
I’m waiting for a tranquil wave that will come next.
A previous one caressed my whole being a while ago.
The next one would be gentle, too.
Groningen; 20:57, 9/18/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7338. 今朝方の夢
7339. 夢のシンボルが示唆するもの/理解と解放をもたらす知識
7338. 今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。空がようやくダークブルーに変わり始めた。
どうやら今朝は空に少し雲があるようである。雲のシルエットが浮かんで見える。
早朝の気温はめっきり低くなり、相当に肌寒い。だが、まだ暖房をつけるほどではない。今の時期に暖房をつけてしまうと、冬の寒さに耐えられなくなってしまうだろう。
来週からはまた季節のフェーズが変わるようだ。さらに少し寒くなる。
来週の日曜日からいよいよドイツ旅行が始まる。その時の格好をそろそろ考えておこう。調べてみると、ボンもトリアーもフローニンゲンと大して気温が変わらないようなので、それなりに暖かい格好をしていく必要がある。いずれにせよ、久しぶりの国外旅行が楽しみである。
いつものように今朝方の夢を振り返ってみたい。夢の中で私は、欧州なのだが近未来都市にいた。そこは最新テクノロジーで街の隅々が運営されており、まさに「スマートシティ」と形容できるようなものだった。
だが私は、最新テクノロジーによって便利にはなったものの、それを果たして「スマート」だと呼んでいいのか考えていた。テクノロジーの発達によって、むしろ人は退化·劣化してしまったのではないかと思う点が多々あり、街がスマートになればなるほど、そこに住む人間の知性は衰えていく側面もあるのではないかと思ったのである。
本来は、人間の内面と生活環境は足並みを揃えて発達していくべきだが、どうやら現在は、生活環境、すなわち外面の発達が過剰に先行しているのではないかと危機感を持った。そのような夢を見ていた。
次の夢の場面では、私は実際に通っていた高校の体育館にいた。そこは実際の体育館よりも少し綺麗な印象を受けた。
そこではバレーボールの大会が行われていて、私もそれに参加していた。私はあまりバレーが得意ではないのだが、気合だけは十分にあり、気持ちで乗り切ろうとしていた。
試合が始まると、相手もこちらもメンバーが多かったので、全員がコートに立てるわけではなかった。私は試合直前に、監督の戦略に対して口出しをしていたので、監督が先発メンバーに私を加えてくれなかった。そうしたこともあり、私はベンチスタートだった。
ベンチとしてあてがわれていたのは体育館の壇上であり、サブメンバーは壇上から試合を見守っていた。ベンチスタートになったおかげで、相手の特徴を観察する余裕が生まれた。また味方の動きに関してもどこがうまく行っていて、どこがうまく行っていないのかを冷静に分析することができた。
試合を観察していると、私の横に小中高時代の小さな友人(YU)がいて、彼からどうすれば俊敏に動けるのかを尋ねられた。それに対して私はいくつか彼にアドバイスをした。そして、試合ですぐに良い動きができるためにはアップをしっかりしておく必要があると伝え、そこから一緒にアップを始めた。
今朝方はそのような夢を見ていた。実際には、もう少し何か大切な夢を見ていたのではないかと思う。それについてはまた思い出すように試みてみよう。
それにしても、バレーボールをする夢というのは初めて見たかもしれない。スポーツに関する夢は、いつもは大抵サッカーやバスケの夢なのだが、今日はどうしたのだろうか。バレーボールの夢が象徴するものについても少し考えたい。フローニンゲン:2021/9/18(土)07:02
7339. 夢のシンボルが示唆するもの/理解と解放をもたらす知識
時刻は午前7時迎えた。昨日も洗濯機を回していたが、今日はシーツを洗うことにし、今もまだ洗濯機が回り続けている。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたように思う。夢の中のシンボルとしてバレーボールが印象に残っていた。そこで、それが何を意味するかドリームディクショナリーで調べてみたところ、興味深い記述があった。
バレーボールをしている夢が示唆していることのうち、協働やチームワークの大切さを暗示しているというものがあった。確かに、今現在、今後の協働プロジェクトをどのようにしていこうかと考えている最中であった。
来年は、再来年の大学院への進学に向けた準備をしていく年としており、その都合上、来年においてはできるだけ協働を控えたいという思いがある。すでにお付き合いのある協働者の方々とは引き続き協働をしながらも、基本的に今は新しい協働の話は全て断るようにしている。
そのような状態にあり、数日前にも今後の協働をどうするか少し考えていたことがあったので、それが夢になって現れて来たのかもしれないと思う。
夢はやはり自分の無意識とつながっていて、夢から改めて現実で起こっていることを考えることによって、また色々と新たな気づきや方向性の明瞭化がもたらされることは興味深い。改めて、夢の持つ潜在力を思う。
今日は、知人の鈴木規夫さんとの対談レクチャーの動画撮影の5回目がある。全6回の対談レクチャーも、今日を含めてあと2回だ。
最後の対談レクチャーの撮影は、来週の水曜日にあり、今日からさほど時間はなく、全6回のレクチャーを無事に終えることができそうだ。今回は対談相手が知己の鈴木さんということもあり、今まで話したことのないようなトピックや概念、そして考え方などが対談レクチャーの中で自発的に生じたことを嬉しく思う。
今日の対談レクチャーでも何が開示されるのか今からとても楽しみである。今日はその前に事前打ち合わせのミーティングがあり、それはあと2時間後に始まる。
今日は本件に時間とエネルギーを十分に充てよう。対談レクチャーが終われば、いつものように補助音声ファイルを作ることになるだろう。それは自分にとっては、将棋や囲碁でいうところの「感想戦」である。
対談レクチャーを振り返り、そこで取り上げた論点から派生して共有しておきたいことがいつも数多くある。今回もきっとそうだろう。それらを共有することによって、自らの知識のネットワークがより密なものになっているのを実感する。
人は知識を求める際に、大別すると3つの利害関心があるとヨルゲン·ハーバマスは指摘している。それらは順に、支配、理解、解放である。
自分が求めているのは理解と解放に向けた知識である。しかしながら世の中では、知識が他者や社会を支配する形で活用されていることが多い点を危惧する。
知識社会というのは、決して知識によって人々を支配するような社会ではないはずだ。本来の知識社会とは、お互いを深く理解し合い、種々の呪縛から解放することをもたらすものであるはずだ。フローニンゲン:2021/9/18(土)07:28
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