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7325-7327: フローニンゲンからの便り 2021年9月13日(火)



No.2693 リアリティの実相_An Actual Aspect of Reality


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.897, A Beautiful Morning

A beautiful morning is shining.

A couple of little birds are twittering to celebrate the morning.

My soul becomes energized and vitalized.

Groningen; 07:31, 9/13/2021


No.898, Under-Stand

In order to understand something, we must “under-stand” it with humbleness.

Also, we must “under-stand” the transcendental being or higher self to understand the object.

Anyway, we have to stand below both the object and transcendental self if we want to understand the phenomenon.

Groningen; 12:59, 9/13/2021


No.899, Still Water

My life is like still water.

It is just peaceful and tranquil.

Groningen; 16:49, 9/13/2021


No.900, An Eternal Dreamer

I’m an eternal dreamer.

All of my realties are dreamy.

All of my dreams are real.

Groningen; 21:06, 9/13/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7325. 今朝方の夢

7326. 今朝方の夢の続き/創作活動としての夢

7327. 『ターシャ·テューダー 静かな水の物語(2017)』を見て/ハイデガーのテクノロジー思想/「理解する」ことについて


7325. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今朝方はとても肌寒い。今日の日中は、最高気温が18度までしか上がらず、最低気温に関しては10度ほどとのことだ。数日前には暖かい日がやって来ていたことを思うと、その落差が激しい。


今日は午後にトレーニングをする予定だが、その前に、近所のショッピングモールに行き、書籍を受け取りたい。一昨日の土曜日に行った際には、書籍を預かってくれている店が表示時間よりも早く閉まっていたので受け取れなかったのである。今日こそ書籍を受け取り、その足でショッピングセンター内のスーパーで買い物をして帰ってこようと思う。


今朝方見ていた夢を振り返り、今日の活動を始めたい。


夢の中で私は、立派な朝食会場にいた。それはホテルのレストランだと思われる。そこで小中高時代の同級生や、成人になってから知り合った知人たちと一緒に朝食ビュッフェを楽しんでいた。


今日はその日の朝から移動となり、全員で別の国に行くことになっていた。そのため、少し早めに出発する必要があり、朝食を終えたらすぐに荷物を持って1階のフロアに集合する約束になっていた。


ビュッフェ形式のはずだが最初の料理は決まっていて、すでにテーブルの上に用意されていた。見ると、美味しそうなトンカツがそこにあった。私は肉を食べないのだが、それでも何か食べたいと思わせるような見た目のジューシーなトンカツだった。


レストランのスタッフが、1人1人に対してトンカツソースを注ぎにやって来てくれた。その時に、私の目の前に座っていた女性の知人が、私のソース受けに、お揚げのようなものを乗せ、その上からソースを注いでもらうことにした。その方曰く、それが通のソースの作り方なのだそうだ。


もう少し説明を聞くと、お揚げによってソースが濾過されたものだけを食べると格段に味が良くなるらしい。それは初耳だったので試してみようと思った。すると、私のトンカツはヴィーガン用の大豆肉になっていて、それなら食べられると思ってソースに付けて食べてみると、本当にとても美味しかった。


すると、正方形の4人掛けのテーブルで私の右斜め横に座っていた前職時代の知人の方が、ひそひそ声であることを呟いた。少し遠くの席に座っている小中高時代の女性友達のあごの色が変であり、それが何色に見えるかと尋ねて来たのである。


遠くから彼女のあごを見ると、確かに変な色をしており、白く見えた。私たちのテーブルでは、黄色と白色に意見が別れ、少しおかしくなって笑った。


ところが隣のテーブルに座っているその彼女の友人が笑ってはいけないということを真剣な表情で述べたので、私たちはそこからもう笑うのをやめた。


まだテーブルの上にはおかずが残っていたので、ご飯をお代わりしようと思った。ちょうど友人と同時にテーブルを立ち上がり、ご飯の釜がある場所に向かおうとした。


それがどこにあるのか一瞬考えていると、会社の元上司がその場所を教えてくれ、すぐにそこに辿り着いた。見ると、熱々のご飯が釜から湯気を出していて、とても美味しそうだった。


ホテルを出発するまであまり時間がなかったので、少し急いでご飯をお代わりしようとすると、間違ってデザートの杏仁豆腐をお碗に入れてしまった。入れてしまったものをもとに戻すわけにはいかなかったので、もうそのままそれを食べようと思った。おかずとの組み合わせを最初疑ったが、どちらも美味しいのでその組み合わせも悪くないだろうと思った。フローニンゲン:2021/9/13(月)06:50


7326. 今朝方の夢の続き/創作活動としての夢


時刻が午前7時に近づこうとしている。空は少しずつ明るくなり、数羽の小鳥たちがさえずりを上げている。ちょうど洗濯機が回るのをやめ、これから洗濯物を干して朝風呂に入ろうと思う。


今朝方の夢にはまだ続きがあった。夢の中で私は、見知らぬ薄暗い駐車場にいた。今から駐車場を出て、空港に向かう必要があった。


どうやらその駐車場では数日前に事故があり、人が亡くなったようだ。駐車場の脇には売店があって、そこは1階建てのバスターミナルのようだった。


近くに高速道路があって、高速から降りて来てすぐのバイクが、どうやら速度感覚が麻痺していたようであり、その駐車場でかなりのスピードを出してしまって事故が発生したようだった。


気がつくと、私はもう駐車場にはおらず、空港にいた。ここは空港のはずなのだが、どういうわけかその空港から電車でまた別の空港に移動しなければならなかった。


電車のチケットをまだ購入しておらず、少し焦ったが、焦っても仕方ないと思い、一本送らせてもいいのでゆっくりと目的の空港に向かおうと思った。すると、いつの間にか目的の空港にいた。


私の横には小中高時代の親友(SI)がいて、彼と一緒にパスポートコントロールを通過しようとしているところだった。ところが私たちはなぜか裸であり、それが理由でパスポートコントロールを通過することができなかった。


私たちの格好を見て、オフィサーがパスポートに却下の印を押したようだった。しかし幸いにも、私たちにはまだチャンスがあって、もう1つ別のパスポートコントロールに行けることになった。そこでも相変わらず服を着ていなかったが、外国人のオフィサーに事情を説明すると、彼は笑いながら、私たちの通過を認めてくれた。


そのような夢を見た後に、最後の夢として、体育館でバスケをしているものがあった。中学校時代の部活のメンバーと一緒に紅白戦をしていた。その中には高校時代の友人も混じっていた。


紅白戦が始まると、私はすぐにスリーポイントシュートを放ち、それが決まった。相手がゴール下から試合を再開させようとする時に油断しているのが見えたので、コートにボールが入って来た瞬間を狙って相手からボールを奪い、ゴール下でシュートを決めた。それが2回連続で成功したので、試合開始後、すぐさま得点は7対0となった。


そこからも私たちのチームは試合を優位に進めることができ、試合終了直前には、豪快なダンクシュートを決めることができ、見事に勝利を飾った。今朝方はそのような夢を見ていた。昨日は3つほど印象に残る夢を見ていたが、今朝方の夢も印象に残るものだった。


日中の読書や映画鑑賞が刺激になっているのだろうか。無意識が夢となって記憶や感覚を形にしている姿は興味深い。


自分にとっては、夢を見ることもまた創作活動の1つなのではないかと今ふと思った。そうなのだろう。自分にとって夢を見るというのは創作活動の一種であり、それを書き留めておくこともまた大事な創作活動なのだ。フローニンゲン:2021/9/13(月)07:12


7327. 『ターシャ·テューダー 静かな水の物語(2017)』を見て/

ハイデガーのテクノロジー思想/「理解する」ことについて


時刻は午後5時に近づいている。先ほど、『ターシャ·テューダー 静かな水の物語(2017)』という大変素晴らしいドキュメンタリーを見た。これは、アメリカを代表する絵本作家、ターシャ·テューダーの日々の暮らしに迫るドキュメンタリーであり、「スローライフの母」として知られる彼女の生き様に共感するものが数多くあった。


植物と動物に囲まれた静かなライフスタイルを送る中でゆっくりと創作活動に取り組む姿がとても印象的だ。自分の人生もまた静かな水のようにゆっくりと進んでいるのを実感する。


今この瞬間に聞こえてくる小鳥たちの鳴き声は、充実したスローライフの象徴である。


今日は午後にトレーニングを行い、そこからは上記のドキュメンタリーを含め、映画を見ていた。今夜もまた引き続き映画を見ていく。


午前中には読書が捗り、バーナード・スティグラーの書籍を立て続けに2冊読み終え、それ以外にも2冊ほど書籍を読んでいた。スティグラーの哲学思想を理解する際に、これまで意識の性質について探究してきたことが随分と役に立っている。


逆に言えば、スティグラーのテクノロジー思想は人間の意識について数多く言及しているということでもあり、これまでの自分の意識探究の観点にはないものをスティグラーが示してくれることは有り難い。


キリスト教神学の観点からテクノロジーを取り上げている学術書はいくつかあるのだが、仏教の観点からテクノロジーを取り扱っているものは今のところほとんど見つかっていない。もう一度調査をしてみようと思うが、ひょっとしたらここに自分が貢献できることがあるかもしれない。


仮に仏教が直接的にテクノロジーについて言及していなくても、仏教の様々な思想を用いて現代のテクノロジーとそれが人間にもたらす影響について考察をしていく道を探ってみようと思う。


スティグラー以外にも、今日は再びハイデガーのテクノロジー思想について探究を進めていた。ハイデガーは、テクノロジーを単なる手段として見なすことは決してなく、それは世界に投げ出された私たちに世界そのものを顕現させるものであると見なしている。


端的には、私たちはテクノロジーというレンズを通じてこの世界を理解するという性質がある。また、自己とテクノロジーの間の主体客体関係をある種溶解させ、二分法的な形で両者を捉えることなく、両者が不可分であるという洞察はさらなる考察に値する。


ハイデガーが述べる「存在(being)」とは、思考に先立つものである。デカルトのように、自らが思考するから自己が存在するのではなく、私たちの存在は思考に先立ってこの世界にある。それが存在の本質であり、テクノロジーの本質もそれと同じようなものであるとハイデガーは指摘している。


テクノロジーは私たちの知覚に先立ってこの世界にあり、それを知覚することを通じてテクノロジーはそのレンズを通して世界を立ち現す。


そのようなことを考えながら、「理解する」ということについて考えていた。何かを理解する(understand)ためには、もしかしたら謙虚さを持って対象の下に立つ(under-stand)必要があるのではないかと思ったのである。


また、対象を理解するためには俯瞰的にそれを眺める必要があり、そのためには超越者の下に立つ必要があるのではないかと思った。英語の形からそのような気づきがもたらされ、つくづく言葉とは面白いものであり、同時に意味深長な言葉を生み出した創始者の洞察に改めて感銘を受ける。フローニンゲン:2021/9/13(月)17:12

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