No.2660 小鳥の訪れ_A Visit of a Little Bird
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.858, A Rapturous Feeling and the Peaceful Mind
I’m feeling rapturous right now.
The peaceful atmosphere in the morning may make me feel so.
I’ll devote myself to my lifework with the peaceful mind today, too.
Groningen; 07:46, 8/31/2021
No.859, Pan-Economic and Pan-Technological World
The modern world is pan-economic and pan-technological.
Economic and technological rationality are rampant.
Products of those rationality are omnipresent.
How can we maintain our humanity in such a society?
Groningen; 11:57, 8/31/2021
No.860, Meaningful Life
Adios, today.
Today was a meaningful day as usual.
Every moment is meaningful somehow.
Meanings are omnipresent in my life.
Groningen; 20:45, 8/31/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7281. 今日の読書の予定とドイツ旅行に持参する書籍について
7282. 今朝方の夢
7283. 本日の読書と雑多な考え事
7281. 今日の読書の予定とドイツ旅行に持参する書籍について
時刻は午前7時を迎えた。今はとても肌寒く、今日の日中の最高気温は20度を超えないようだ。しかし幸いにも今日は1日を通して晴れるようなので、青空の下で腰を据えて自分の取り組みを前に進めていこう。
昨日は4冊ほど書籍を読んだのだが、今日もそれと同じくらいの書物の初読をしたいと思う。午前中の読書として真っ先に取り組むのは、ポール·ティリッヒの “Theology of Culture”という書籍である。
昨夜の就寝前に少し時間的余裕があったので、本書を含め、今日読む予定の3冊ほどの書籍の全体像を把握していた。そうしたこともあり、それらの3冊に関しては理解が捗るであろう。
せっかくなので備忘録がてら明記しておくと、2冊目に読む予定なのは“Beyond Digital Capitalism”というものだ。現在、ブロックチェーン技術を活用する形で資本主義のあり方や経済の運営方法が変化しているのを見て取ることができる。そうした時代背景のもと、「デジタル資本主義を超えて」という本書のタイトルに引かれるものがあり、手に取った次第である。
3冊目としては、“The Metaphysics of Technology”という書籍だ。こちらはタイトルのように、テクノロジーに関する形而上学を取り扱っているのだが、中身をざっと確認すると、テクノロジーに関するポスト形而上学思想を取り扱っているようなので興味深い。
テクノロジー哲学を学ぼうと思うと、どうしても過去のテクノロジー思想家たちが残した思想を辿っていく必要があり、テクノロジーに特化していなくても、例えばハイデガーの技術論などを追っていく必要がある。そうした先行研究を丹念に追うことを通じて少しずつ自らの思想が深まり、新たな貢献分野などが見えてくる。
取り急ぎ3冊の書籍について言及したが、それらはどれも机の上にある書籍の山の6つのうちの1つに上から並べられているものである。その山に沿って書籍を読み進めていくのであれば、今日の4冊目は“Posthumanism”となり、5冊目は“Karl Marx on Technology and Alienation”となる。
ポストヒューマンに関する書籍と、テクノロジーと疎外に関するマルクスの思想に関する書籍。いずれも面白そうなので、読書の捗り具合を見て、それらの書籍も読み進めていきたい。
先日に35冊ほど追加で書籍を購入し、8月は250冊ほどの学術書を購入したのだが、到着する都度読み進めていたので、大した積読状態になっていない。もちろん、机の上には背の高い書籍の山が6つあるが、山に埋もれてしまうほどではない。
来月末にはドイツのボンとトリアーに旅行にいくのだが、その時に何の書籍を持っていこうかと少し考えている。旅行中においても創作活動やゲーム作りに時間を確保したいので、読書量は当然落ちると思われる。それを踏まえると、限度は2冊ぐらいにした方がいいだろうか。
一冊はバーナード·スティグラーの本にしよう。もう1冊はアンドリュー·フィーンバーグか、それともエリック·フロムの書籍がいいだろうか。
旅行までにまだ時間は十分にあるので、ゆっくりと吟味しよう。旅先で読む書籍はこれまた良い思い出の品となる。フローニンゲン:2021/8/31(火)07:20
7282. 今朝方の夢
優しげなそよ風が朝のフローニンゲンの街を撫でている。朝の世界はめっきり秋らしくなった。まだ青々とした木々の葉が見られるが、それも間も無く赤みを帯びていくのだろう。
書斎の窓から見える少し遠くの場所に大きな木があり、葉っぱが生い茂っているので向こう側がよく見えないが、秋や冬になると、おそらく向こう側の世界が開かれてくるのだろう。
今は見えないが絶えず向こう側の世界があるということ。それは人間の認識論的空間においてもそうだろうし、実存的空間においてもそうなのだろう。
新しい世界が今見えている世界の向こう側に絶え間なく広がっているのだ。自分は絶えず、そうした向こう側の世界に向かってゆっくりと歩みを進めていく。それは新たな世界を見ることを宿命づけられた人間が行うべき重要な責務である。
今朝方の夢をいつものように思い出している。今朝方の最初の夢は、チェルシー、アーセナル、マンチェスターユナイテッドなど、イギリスのプレミアリーグの強豪チームだけが集まっている大会を観戦しているものだった。私はアーセナルのファンが集まった観客席にいて、アーセナルを応援していた。
すると、対戦相手のチームには、なぜか一昔前のオーストラリアの有名なフォワード2人とウェールズ代表の有名なウィングが在籍していて、その3人が揃うと相当に攻撃力がありそうだと思った。彼ら3人のコンビプレーを想像していると、いつの間にか場面が変わっていた。
次の場面では、私は学会やセミナーか何かに使えそうな立派なホテルにいた。それはイギリスにあるホテルのようだった。
そのホテルではないのだが、別のホテルの支配人と仲良くなり、しばらく立ち話をしていた。彼は気さくな中年のアメリカ人であり、話に花が咲いた。
私は彼に気に入られたようであり、別れ際に彼が私に彼のホテルの割引券を渡してくれた。いやそれは、支配人の彼の名前が書き込まれていたので、無料招待状のようなものであった。
彼のホテルはボストンの中心街にあるとのことであり、いつか足を運んでみようと思った。そう言えば、来年にボストンに行こうかと考えていたので、来年ではなくもう少し訪問を早めてもいいと思った。
気がつくと私は、アメリカのディズニーランドに向かっていた。現実世界のボストンにはディズニーランドはないはずだが、夢の中のボストンにはディズニーランドがあり、私はそこに車で向かっていた。
運転をしているのは、英国人の若い男性であり、後部座席の私の隣には1人のアメリカ人の男性がいた。私たちは仲の良い友達のようであり、これから一緒にディズニーランドに行って楽しむことになっていた。
まずは目玉のアトラクションがある山のてっぺんまで車で向かった。すると途中に、1つ前の夢の場面で話をしていたホテルの支配人のホテルがあった。それは見るからに立派そうであり、このホテルに無料で宿泊できることを有り難く思った。
ホテルの外観を窓越しにサッと見て、車はそのまま山の頂上のアトラクションに向かって行った。目的地に到着すると、どこに車を駐車していいのかわからず、引き続き車に乗って辺りを散策することになった。
すると突然、車に乗りながらそのアトラクションを擬似体験することができ、山のてっぺんから山の麓に向かって真っ逆さまに降りていく瞬間は圧巻であった。巨大な興奮の波が襲ってきて、山の麓に到着した頃には少し放心状態になっていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/8/31(火)07:34
7283. 本日の読書と雑多な考え事
時刻は午後4時半を迎えた。今、うっすらとした雲が空を覆っており、夕日を拝むことはできない。
今日はこれまでのところ、4冊ほどの書籍を読み終えた。中でも、“The Metaphysics of Technology”と“Posthumanism”は大変得るものがあり、それらの書籍は今後何度も繰り返し読むであろう。
読書の最中、いくつか所持していない文献と出くわし、数日前に35冊ほど書籍を購入したが、トランスヒューマン関係の書籍をさらに追加で3冊購入した。そして、長らくゆっくりとではあるが継続的に探究しているテーマがあり、そのテーマに関する最先端研究が知りたくなったので——スピリチュアリティとテクノロジーに関するテーマも含む——、10冊ほど追加で学術書を購入した。
書籍の注文はこれくらいにしておき、ここから冬にかけてはできるだけ手持ちの書籍を繰り返し読んでいくことにする。
本日最初の読書は、ポール·ティリッヒの“Theology of Culture”という書籍だった。本書は大変読み応えがあったので、これをドイツ旅行の最中に再読してもいいかもしれないと思った。
ティリッヒが実存主義哲学のみならず、精神分析やマルクス主義にも言及し、テーマとしても時空間や科学、そして教育にまで多岐にわたっていることは嬉しい驚きであった。ティリッヒの書籍か、スラヴォイ·ジジェクの用語集やラカン精神分析学の用語集がそれほど分厚くないので、それらを旅行に持参してもいいかもしれない。
ひょっとしたらジジェクの用語集に代えて批判理論に関する用語集を持っていくかもしれない。いずれにせよ、旅行中はそうした用語集を中心に、移動中の細切れ時間に読みやすいものを持っていこうと思う。
本日考えていた雑多な事柄を振り返っている。1つには、人間性を所与として派生する諸々の思考を括弧に括り、それらの思考を脇に置くためには、プロテスタント神学のように、最初から人間性を認めない厳しい発想を持つ思想体系を装置として思考を進めていくことや、人間性を超越した思想体系であるメタヒューマニズムの発想を借りることが重要になる点について考えていた。
人間性を前提にして議論を進めると思考の隘路に迷い込んでしまうことがあるので、それらの思考装置を活用することは有益である。しかしながら、それらの思考装置そのものが人間が生み出したものであり、それらの思考装置を用いて思考する存在そのものが人間であり続ける点に注意が必要なのは言うまでもない。そこには人間性に立脚した思考特性がどうしても滲み出してしまうのである。
死があるからこその内的感覚の成熟があり、遅かれ早かれやって来る死がもたらす感覚の鋭敏化と創造性の発揮を思うと、不老不死が実現することによって衰退してしまう事柄が多々あるように思えて来る点についても考えていた。いくつかの芸術はまさに不老不死の実現の被害を被るだろう。
死の香りが漂う芸術作品の甘美的な美しさ。不老不死が実現されてしまうと、人間の実存的発達はまさしく停滞し、下手をすると退行してしまうだろう。
今日考えていたトピックはいずれもこれからゆっくりと考察を深めていくものだ。フローニンゲン:2021/8/31(火)16:46
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