No.2591 向こう側へ_Toward the Other Side
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.819, Deep Resonance
A calm morning world is whispering now.
All parts of me respond to it.
I can find deep resonance between the world and me.
Groningen; 08:11, 8/13/2021
No.820, This Dream World
A dream melted down into the sky.
The dream became the evening sky.
Stars will appear soon.
Each of them would be a precious life in this dream world.
Groningen; 20:58, 8/13/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7234. 今朝方の夢/時間と記憶の外部化
7235. 長閑な世界に足を踏み入れて
7234. 今朝方の夢/時間と記憶の外部化
時刻は午前7時半を迎えた。今、朝日が燦々と輝いている。
昨日は比較的気温が上がり、日中は半袖で過ごすことができた。今日からまた気温が下がり、最高気温は22度ほどである。
今日は午後に、隣人のサハルに自転車を借り、書籍の受け取りに出かけたいと思う。指定されたのはパーティー衣装専門店であり、その周りを含め、未だかつて足を踏み入れたことのない場所なので、どのような場所なのか今から楽しみである。指定の場所で書籍を受け取ったら、近所のショッピングモールの保管所にも書籍が保管されているので、そちらにも立ち寄ろうと思う。
カッコウの鳴き声を聞きながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、欧州のどこかの国であろう見慣れない街にいた。その街の建物の中の大きな会議室にいた。私は席に腰掛け、近くにいた見知らぬ数人の男性と話をしていた。
今朝方の夢の印象は薄い。その他に覚えていることと言えば、日本語で誰かに何かを説明している場面があったように思う。場所は屋外であり、そこもまた見慣れない場所であった。
確か体を動かすことに関する夢もあったのではないかと思う。いずれにせよ、今朝方の夢の世界は落ち着いていて、深い睡眠が取れていたように思う。
先日の日記の中で、テクノロジーの産物としての時計について言及していたように思う。時計というテクノロジーの発明によって、人間は時間の計測能力を時計という外部装置に委ねることになった。それによって、大部分の人間は、時間は外側から計測され、時計という外部装置によって管理されるものとして飼い慣らされてしまい、自らに固有の内的時間を感じ取る能力を退化させてしまったのではないだろうか。
ある能力や感覚を外部化することによって、当然なら利点もあるのだが、それ以上に、外部化したものが弱体化されてしまうという現象には注意深くいるべきだろう。それはどこか、本来外注することに慎重であるべきものを安易に外注してしまい、それによって競争力を喪失している企業のようだ。
時間感覚の外部化以外に、記憶の外部化としての百科事典について考えていた。今ではインターネット空間に記憶が大いに外部化されている。
そこでは巨大な集合的記憶の集積体が日々形成されているが、それは人間にどのような影響を今後及ぼすのだろうか。意識や脳とネット空間が完全にリンクするようになったら、巨大な集合的記憶が個人の意識と脳に流れ込み、その際に人間の意識と脳にいかなる変化が見られるのだろうか。
ここでも記憶を外部化することによって得られた便益と喪失してしまったものを天秤にかけてみると、どのようなことが見えてくるだろうか。人間が固有の人間として生きていくために、時間と記憶というのは非常に重要な要素ではないかと思う。なぜなら、どちらも共に1人1人に異なる時間と記憶が存在するからである。
それらが外部化され、一様に管理され、下手をすると改変及び画一化されることに対して大きな問題意識がある。フローニンゲン:2021/8/13(金)07:57
7235. 長閑な世界に足を踏み入れて
時刻は午後4時に向かいつつある。つい先ほど、自宅から5km離れたパーティー衣装専門店に行き、イギリスから届けられた書籍を受け取ってきた。
自宅から西に5km離れた場所にはこれまで行ったことがなく、途中大きな驚きがあった。あれは3kmほど西に行った頃だっただろうか、目の前にサイクリングロードが現れ、遠くには風車が見え、長閑な田園風景が突如として広がってきたのである。
サイクリングロードを自転車で走るのはとても気持ちよく、右を見るとたくさんの馬が優雅に草を食べていて、遠方の左の方を見ると、牛たちが同じく優雅に草を食べている姿が目に飛び込んできた。自宅から少し離れた場所に、まさかこれほどまでに長閑な世界が広がっているとは思ってもみなかった。
少し時計の針を巻き戻すと、隣人のサハルに自転車を借り、自宅を出発する際に、鍵をどのようにかけたらいいのか分からなくて手こずった。また、事前にサハルが述べていたように、借りた自転車は通常のブレーキとは異なる特殊なブレーキの掛け方をしなければならないということが頭にあったのだが、ブレーキの掛け方がすぐに分からず、自宅の敷地内で少し自転車に乗る練習をしなければならなかった。
ハンドル操作のできないブレーキのある自転車を乗るのは初めてであり、ブレーキがうまくかけられないことの恐怖が少しあった。サハルの話を思い出しながら、ペダルを後ろに回そうとするとブレーキがかかった。サハルが述べていたのはこのことだったのかとようやくそこで理解した。
ブレーキの掛け方がわかったところで自宅を出発しようと思ったのだが、その前に郵便受けを確認すると、隣人のマークが書籍を預かってくれている通知が入っていたので、マークの家に立ち寄った。その際に、マークがいれば鍵の掛け方を教えてもらおうと思ったのである。
マークの家の呼び鈴を押すと、中からマークが出てきた。手にはベルギーから送られてきた7冊ほどの書籍があり、マークからそれを受け取り、今日初めてオランダで自転車に乗ることを伝えると、マークは驚きながら笑った。そして鍵の掛け方を教えてもらった。
厳密には、自転車からどのように鍵を抜けばいいのか分からず、マークがその場で実演してくれたことによって鍵の取り外しのコツを掴んだ。その後、マークから受け取った書籍がかなりの量だったので、一度自宅の玄関に戻り、書籍を置いてから、いよいよ目的地に向かった。そこからは自転車を漕いで長閑な風景を堪能し、今日は気候が暑くも寒くもなく、爽快感を感じながら自転車に乗ることができた。
自分のいつもの生活圏から少し離れてみるだけで随分と解放感があるのだと気付かされた。今日のサイクリングも小さな旅であり、そこには確かに旅がもたらす解放感があった。そしてその解放感は、自分の内面世界を刺激し、感覚の拡張をもたらしてくれたように思う。
旅には大小様々なものがあるが、旅というのはやはりいいものだと思った1日だった。フローニンゲン:2021/8/13(金)16:06
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