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7225-7227: フローニンゲンからの便り 2021年8月10日(水)



No.2582 赤き世界_An Red World


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.811, Outside and Inside Adaptation

Both exterior and interior adaptation simultaneously occur.

The self adapts not only to the environment but also to a new aspect of the self.

It’s a circular relation.

Groningen; 07:59, 8/10/2021


No.812, End with a Feeling of Gratitude and Start with a Feeling of Bliss

In the end of everyday, I always become so glad

because I can end the day with a feeling of gratitude.

Also, I appreciate that I can get up with a feeling of bliss every morning.

This is just what I want to say right now.

Groningen; 21:06, 8/10/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7225. 壁の外側/フランス語・ドイツ語

7226. 外的・内的適応/シュタイナーに範を求めて/新興宗教団体に入信する現代人

7227. 環境としてのテクノロジー/脱神秘化と再神秘化の反復プロセス


7225. 壁の外側/フランス語・ドイツ語


時刻は午前7時を迎えた。今朝はうっすらとした雲が空を覆っている。今日も午前中と午後に断続的に雨が降るらしい。


今日の最高気温は20度、最低気温は12度なので、今日もまた肌寒い1日となりそうだ。昨日、イギリスかドイツから書物がUPSを通じて届けられたが、荷物を受け取ることができず、所定の場所に送られたとの連絡があった。


今の家には呼び鈴がないので、郵便受けに入らないような荷物は全て所定の場所に送られることになっている。いつもはUPSの荷物は近所のコピー屋に届けられるのだが、なんと今回は自宅から5km離れたパーティー衣装専門店が指定されていた。


歩くと片道1時間かかるので、隣人のインド人のサハルに連絡をし、自転車を借りようと思う。サハルの息子のフィンは幼稚園に通っているのだが、今は夏休みの期間であろうから、サハルはフィンの送り迎えに自転車を使っていないはずである。


今週の金曜日と土曜日は晴れなので、どちらかの午後2時以降にサハルに自転車を貸してもらえないか連絡をしてみよう。もしサハルがダメならオーナー夫妻に連絡をしてみようと思う。


自宅から西に5km離れた場所にはどのような世界が広がっているのだろうか?フローニンゲンでの生活も6年目に入ったが、西に5km行った地域には足を踏み入れたことがない。まさに『進撃の巨人』で描かれている世界のように、外側の世界が未知であるという感じだ。


オランダの他の多くの街と同じく、フローニンゲンも中心から放射線状に街作りがなされているので、本当に『進撃の巨人』で出てくるような街を思わせる。


今日もまた読書に励んでいこうと思う。昨日は合計で4冊ほどの初読を終えた。今日も引き続き、テクノロジーやポストヒューマン/トランスヒューマンに関する書籍を中心に読み進めていこう。


ここ最近の日記で書き留めていたように、英語で学術書を読むだけではなく、さらに探究の幅を広げていくために、フランス語の学術書も読めるようにしたいと思う。今のところ、自分の関心領域で言えば、ドイツの思想家よりもフランスの思想家の書籍をよく読んでいる。


確かにテクノロジーや文明批判に関して言えば、ハイデガー、マークーゼ、フロムなどの書籍は重要なのだが、それらは基本的に全て英語に翻訳されている。一方で、フランスの思想家のテクノロジー批判や文明批判に関する書籍はまだ英語の翻訳されていないものが随分とある。


それを考えてみると、学術研究のために読解力を付けるのであればフランス語を優先させる方が得策のように思える。ひょっとすると自分の調査不足のために、ドイツ語のまま眠っている関連書籍もあるかもしれず、その場合には、ドイツ語にも手を広げて学習を進めていきたい。


繰り返しになるが、それらの言語を聴き取れるようになったり、話せるようになったりする必要はなく、それらの言語の書物を読み解けるようになれば学術研究上は十分なのだ。


昨日ふと、書籍が自分にとっての外部記憶装置として働いていることに気づいた。電子書籍ではなく、物理的に手元にある方が外部記憶装置としての役割を速やかに果たす。


また、先日の日記で書き留めたように、書物の背表紙を眺めるだけでその中身が想起され、複数の書物のタイトルを眺めながらにして内容を組み合わせていくことなども自然とできるのが、物理的な書物を眺めていることの良さでもある。


世界はどんどんとヴァーチャル空間での活動に移行しているが、物理的な空間における活動の良さも改めて気づかされる。フローニンゲン:2021/8/10(火)07:24


7226. 外的・内的適応/シュタイナーに範を求めて/新興宗教団体に入信する現代人


もう少しで洗濯機が止まる。今日はあまり天気が良くないが、2日に1回洗濯するというリズムに乗っていつものように洗濯機を回した。


2日1回洗濯をすると、洗濯物の量がそれほど多くないので、洗濯物を干す際の手間が少ない。欧米での生活も10年目を迎えたが、この家に引っ越してくるまでは乾燥機を使っており、それは欧米の文化においてスタンダードなことなので、およそ9年振りに洗濯物を干すということを行っている。


それは外的適応であり、同時に内的適応でもあるのかもしれない。人間発達において、両者の適応が重要になる。


単に環境に適応するのではなく、環境適応を通じて、自分の内側で起こる変化そのものに対しても自己は適応していく必要がある。それが内的適応である。


異文化での生活、あるいは何か新しい実践を始める際にも、外的·内的適応の双方が生じていることに注意深くあろう。


昨日ふと、改めてルドルフ·シュタイナーの功績について考えていた。シュタイナーは、霊的叡智を、教育、農業、医療、経済、建築、芸術(ユーリズミーなどのダンス的身体実践も含む)などの具体的な社会実践的インフラに具現化させていき、その点に改めて感銘を受けていた。


他の霊的思想家はここまで思想を社会実践的な形で具現化させることはなかった。超越的世界と地上の世界をここまで架橋できた人物は他にいない。


シュタイナーの仕事内容そのもの、そして仕事のあり方から学ぶべきことは大きい。自分の探究や実践も、いかにこの地上で具体的な形にしていくかが重要になる。


昨夜、『リア·レミニ ~私は元サイエントロジー信者~(2016)』という7話シリーズのドキュメンタリーを見始めたところ、大変興味深く、結局4話まで一気に試聴した。サイエントロジーはジョン·トラボルタやトム·クルーズなどが入信するアメリカ発祥の新興宗教だが、本作品はこの新興宗教団体の闇を、元信者かつ女優のリア·レミニが暴露する内容になっている。


4話まで見ながら、新興宗教の発生メカニズムと、人々がそれを盲信するロジックを探究テーマに加えていこうと思った。それは本格的に神学校で探究してもいいぐらいのテーマである。


文献調査をすると、“The Oxford Handbook of New Religious Movements (Oxford Handbooks in Religion and Theology)”や “The Cambridge Companion to New Religious Movements (Cambridge Companions to Religion)” のような厳格な学術書も出版されていることを知り、世相を反映してなのか、新興宗教の問題について学術的な研究が随分となされていることを知る。


新興宗教は、確かに人々の心の拠り所になるという価値はあるかもしれないが、それであれば他にもっといろいろなことが心の拠り所になることを思う。自由と解放を搾取する悪徳新興宗教に人々が捕まらないようにするための知見を共有していくこともまた自分の役割なのかもしれない。


上記の作品を見ながら、新興宗教の論理として、外の世界について極力触れさせず、組織内で構築された独自のリアリティの中で生きさせるというものがあるが、それは現代人の多くが学校や企業の中で経験していることとあまり変わらないのではないかと思えてくる。


一応様々な外界の情報に触れられたとしても、信念体系の大部分が学校や企業のロジックで構築されているのだから、情報の無意識的な遮断や歪曲が生じる。


なるほど現代人というのは、学校や企業というある種の新興宗教団体に属しながら、認識を歪められ、自由と解放を一切享受することなく縛られた形で生きているのだということがわかってくる。やはりこれは自分が関与していきたいと思う社会問題である。フローニンゲン:2021/8/10(火)07:39


7227. 環境としてのテクノロジー/脱神秘化と再神秘化の反復プロセス


時刻は午後5時半を迎えた。午後に雨が降っていないタイミングを見計らって、近所のコピー屋に行き、書籍を受け取って、その足で近所のスーパーに立ち寄った。


自宅に戻って来て郵便受けを確認すると、隣人のマークの家に書籍が数冊ほど届けられているという通知があったので、マークの家に立ち寄り、書籍を受け取った。引き続き続々と書籍が届けられる。


今日の読書の中ではとりわけアンドリュー·フィーンバーグの書籍が印象に残っている。彼のテクノロジー哲学から学ぶことは多く、フィーンバーグとスティグラーは自分の中でこの領域に関する現代の二大巨頭である。


本日考えていた雑多なことを書き留め、曲の原型モデルを1つ作ってから夕食の準備を始めたい。


ジャック·エラルが指摘するように、もはやテクノロジーは環境と切り離されて存在しているのではなく、環境そのものとして存在している。環境としてのテクノロジーという観点でテクノロジーを見ていけば、生態学的な観点の適用も可能になり、テクノロジーに関する新たな洞察が生まれるであろう。


テクノロジーはもはや客体として存在しているだけではなく、それはもう主観的なものであるのと同時に間主観的なものでもあるのだ。


エラルの書籍の中で、3大メタ理論家の1人であるフランスの思想家エドガー·モリンについて言及があった。モリンの書籍は英語にほぼ翻訳されていないことを思い出し、フランス語の習得に向けて意欲が高まる。


モリン、エラル、シモンドン、スティグラーといったフランスの思想家の原著を読みたい。こうした動機があればフランス語の学習も大いに捗るであろう。ただし本格的にフランス語の書籍を読み始めるのはもう少し後になるだろうと思われる。


文明は脱神秘化と再神秘化の反復プロセスを通じて歩みを進めている。それが進化としての歩みなのか、退化としての歩みなのかはわからないが、いずれにせよ、そのような反復的プロセスの中で歩みを続けていることは間違いない。


人々は脱神秘化によってある特定の側面について目覚めるが、新たな神秘化によって別種の夢を見せられる。人間はその繰り返しの中を生きている。


文明というのは個人に自由を与えるものではなく、むしろ自由を制限し、コントロールすることによって成り立ち、発展していくというフロイトの指摘を思い出す。文明の巧妙な側面は、抑圧された自由によって個人の不満足が噴き上げる際に、それをうまく吸収するメカニズムがあることや、新たな病理を生み出すことで個人の不満足を変形させてしまうことである。


文明の発達によって自由を享受できると考えるのは、これまでの文明史を見ると幻想だと言えるろう。管理という文明の内在特性を乗り越える形で文明自身が変容を遂げない限り、文明社会の中で真の自由を享受することは不可能なのだろう。


タブーを生み出し、タブーを管理することによって成り立つ文明社会。本当の自由はタブーの中にある。タブーの再検証。そこに自由と解放の1つの鍵がある。


現代文明の諸病理に対する参照点を提供すること。その病理を患わないための参照枠を提供すること。それに向けた取り組みに対して動機が高まる。フローニンゲン:2021/8/10(火)17:35

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